夕闇の咏

@ArkElysion

1章 緋色の水晶

0話 呼び声

声が、聞こえた気がした。


「…………⁇」


蝉の声が騒がしい真夜中のことだった。

どんなにうるさくとも余程のことがない限り目を覚まさない彼女が、ふと目を覚ました。

周囲は蒼い闇に包まれ、いつもならばコンビニのパンを机の上に置いてとっくに仕事に出かけているはずの母親がまだ隣にあるベッドの上に横たわっている。

ベッド脇にあるテーブルの上に置いた目覚まし時計は、2時を指していた。


(まだ寝れるわね)


こんな時間に目を覚ますなんて珍しいが、まだまだ二度寝が可能だ。時計を見た瞬間に少しだけ至福の気持ちを抱いた。

クーラーのタイマーが切れてしばらく経ったのか喉の渇きを感じたので、ベッドを降りてキッチンに向かおうとした時に、どこからか小さく声が聴こえた。


「ーー」


(……歌声?)


何の歌かは分からない。そして何を言っているかも全く分からない。

ただ、不思議と物悲しい気持ちにさせられた。

歌声は家の外から聴こえてくる。それほど力強い声ではないのに、歌声が蝉の声に負けていないことは家の近くで歌っているのだろう。

隣の家の幼馴染からは「不用心だ」と怒られてしまいそうだが、歌声の正体とどんな歌かが気になった彼女は、サンダルを引っ掛け玄関の扉を開けた。


「ーーーー」


道路のど真ん中で、感情の見えない顔でその人は歌っていた。

彼だか彼女だか分からないその人物は、この時代にそぐわない衣装を身にまとっている。

そして……体が透けているのか、向かいにある公園が胴体越しに見えた。


「な、何なの……?」


無意識に声を発してしまったようで、その人物は歌をやめ、彼女の方に顔を向けた。

そして小さく笑って口を開いた。


「ねえ、僕をーー」


助けてくれる?

その直後、滑るように彼女に近付いた気がしたが、意識を失った彼女には何が起こったのか分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る