庭でキャンプしたら、家族が溶けた。

 うちの男どもはみんなキャンプバカで、私が小さい頃から、兄ちゃんもお父さんもおじいちゃんも、しょっちゅう仲間たちとキャンプ場に数日籠もっては、別人かってくらい日焼けして帰ってきていた。


 お父さんの取引先?が持ってる山奥の豪華な別荘地に泊まる年とかもあって、あとで写真とか動画を見せてもらうと、めっちゃ綺麗なコテージ。テントもピカピカしてて、楽しそうな雰囲気ではあるのだけど、「じゃあメグも来るか?」と言われると、酒飲んで騒いだり、踊ったり、時には号泣するようなノリにはついていけないかな…と思ってしまう。今は部屋で絵を描いてる方が楽しいし、私だって勉強とか友達付き合いとかあるのだ。


 コロナになってすぐ、おじいちゃんがゲーセンで感染して入院してからも、残った二人はキャンプ活動を続けていた。お母さんは心配そうにしてたんだけど、5月のある日、仕事から帰ってきたお父さんが嬉しそうに「今年はうちの庭でやることになった」と宣言したのを聞いて、とうとうキレる。


「絶対ありえない!なんで勝手に決めてくるの?」

「大丈夫だって、絶対家には上げないから」

「うちの庭って、この庭でしょ?」

 お母さんにつられて窓から薄暗くなった庭を見てみる。

 広く見積もっても車2台も入らないと思う。

「何人来るの?」

「10人くらい、の予定、あくまで」

 さすがに私もこいつバカかと思ってしまう。

 この庭で、10人の大人たちがテント張って、キャンプ?


「でも、キャンプファイヤーは…感動するよ?」

 という訳のわからない弁解に、工場勤めから帰ってきた兄ちゃんが「それは確かにそうだ」と同意しだしてバカが一人増えるけど、看護師として働くお母さんは理路整然と撥ね付ける。

「誰かがウイルス持ってたらどうするの?検査は簡単にできないし、ワクチンも間に合ってない状態で、集団感染しないようにキャンプする方法を提示できる?できないよね?もし感染したらおじいちゃんの面倒を見れなくなるし、私も仕事できなくなるよ?」

「キャンプの間、窓を締め切ってれば安全なんだよ!そのためにリーダーが完璧なマニュアルを作るし、感染対策は」

「ちょっと待った」

「なんだよ?」

「……『リーダー』って誰よ」


 その後の両親とバカ兄の喧嘩とも呼べないようなやり取りによると、お父さんは数年前から「キャンパーズ」なるグループの一員になっていたらしい。取引先やら飲み友達やらのキャンプ好きが集まって、毎年誰かの家や別荘とかでキャンプを開く、15人程度のサークルで(このあたりで兄ちゃんが「クールじゃん!」と叫んで会話が中断)、遂に今年のキャンプ地をうちが勝ち取った、それはとても名誉なことだし、今更覆せないと、お父さんは主張している。


「リーダーの顔を潰すわけにはいかないんだよ絶対に」

「…え何、その人って会社の上司なの?」

「いや違うけど」

「取引先でもないんだよね?」

「だからさっきから言ってるだろ、行きつけのダイナーのオーナーで」

「じゃあ断れるでしょ!」

「だから!ウチの理事も通ってる店で、理事の友達なの!このキャンプがうまくいったら、確実に出世できるんだって!メグの進学とか……いろいろあるだろ?」


 いきなり私の名前を出されてお母さんが黙り込み、グダグダだった空気に気まずさが加わる。

「…私はいいよ、大学行けなくても…このままでも」と私は言うけど、私の本音を知っているお母さんは何も言わない。

「感染とか金は心配しなくていいから…絶対家には迷惑かけない。お前はいつも通りにしていい。きっといいキャンプになるよ。な?」

 お母さんを抱きしめながら言うお父さんに、兄ちゃんが泣きながら頷いている。

 私は、誰とも目を合わせられない。



 ◆



 近所で感染者数が少しずつ増える中、1ヶ月後に控えた庭キャンプの準備は着々と進んでいる。

 後で兄ちゃんから聞いたら、お父さんはキャンパーズに「うちの庭は狭いけど、キャンプには最適で、家族も大歓迎と言っている。そして何より病床の父に希望を与えたい」と、だいぶ話を盛ってプレゼンしていたらしい。てか兄ちゃんもいつの間にかキャンパーズのメンバーになっていた。

 キャンプで得られるサバイバルの知恵、人間社会と大自然が不可分だと気づくこと、人間が協力することの素晴らしさとかを、食卓で私やお母さんに毎回説明してくるようになったけど、私達はキャンプそのものを否定しているわけではないということに、兄ちゃんは気づかない。


 庭キャンプまで残り10日。

 テントなどの資材がメンバー持ち込みじゃなくて全部うち負担だったことが発覚して、両親の喧嘩は激化する。


 庭キャンプまで残り7日。

 夜中、部屋で新しいペンタブを試していたら怒鳴り声がして、リビングに行くと、お母さんがテンティピの高級テントをケースから出して、裁ちバサミで切ろうとしていた。

「やめろ!」とお父さんが止めに入るけど、たやすく撥ね飛ばされる。お母さんも長年の病院勤務で腕っぷしは強いのだ。

「これ…リーダーのために買ったんでしょ」静かな声でお母さんが言う。「キャンプが終わったらリーダーにプレゼントするって、ケンが言ってた」

「あいつ」

 兄ちゃんは仕事と買い出しの連続で疲れて既に寝ている。

「いくらしたの?」

「………」

「領収書見せてよ。あるんでしょ?」

 右手のハサミが反射でギラリと光る。

「…わかった。キャンパーズの事務所に置いてあるから、明日持ってくる」

「……………」

「わかってくれよ…このキャンプで、きっと我が家はいい方向に進むんだ。メグの未来のために、な」

「…私をダシにしないで」

 気づいたら口が勝手に動いていた。

「お父さんがキャンプしたいだけでしょ…?そんな高そうなテントとか、ピカピカのウッドデッキとか、バーベキューセットかいっぱい買ってきて、それも全部私のため?私の夢とホントに釣り合い取れるの?」

「………」

「知ってる?スクールの皆、うちのことでヒソヒソ言い合ってんだよ?友達も遊びに誘ってくれなくなったし、フェイスブックで『殺人キャンプ一家』とか書かれて、すぐ先生が言って消してくれたけど…夏休みじゃなかったら私…」

 絶対泣きたくないと思ってたのに、出てきた涙は止まらなかった。

「もう大学とか夢とか言わないよ…キャンプなんてやだよ…」

 お母さんが私の肩を抱いてくれるけど、お父さんは「絶対大丈夫だから。お父さん疲れたから」とか言いながら2階に行ってしまって、私は追いかけられない。


 翌日、お父さんが会社に行ったまま帰ってこなくなる。

 その夜キャンパーズからの連絡で、お父さんが胃炎を理由にキャンパーズを脱退したことを知る。

「もしかしたら癌かもしれない。続けられないのが無念でならないが、息子のケンが立派に後を継いでくれる」と言ってたらしいけど、癌は多分嘘だ。会社にはどっかから律儀に通っているらしく、後日フェイスブックで、ステーキを美味そうに完食してるのを撮られていた。


 責任を押し付けられた兄は、父を恨むこともなく、よりキャンプ一筋になる。

 当然家からお金は出せないので、付き合ってる彼女に借金を無心して、即座に振られる。チアリーダーでめちゃかわいかったのに。



 ◆



 残り5日。

 兄は「感動キャンプのライブ配信」を掲げてSNSでクラウドファンディングを呼びかけるけど、このご時世でのキャンプなんて世間の理解を得られるわけもなく、その日のうちにバッシングをドバドバ浴びる。でも、一部の好事家が結構な額を出してくれたらしく、リーダーからTwitterで褒められた兄ちゃんは泣いて喜ぶ。


 残り4日。

 昨日のクラファンがバズって、ネットニュースになる。

「キャンパーズ」が金持ちの道楽趣味で、中流階級から搾取しているみたいな大げさな記事もあって、反対意見が飛び交う中、「環境に優しい取り組み」「SDGsにも沿っている」「悪と断じるわけにはいかない」みたいな支持コメントもあって、兄ちゃんがまた泣く。


 残り3日。

 兄から「キャンプに参加して欲しい」と頼まれる。

「キャンパーズって、金持ちもそうでない人も、男も女も、どんな人種でも、誰でも参加できるキャンプを目指してるんだ」

 最近女性メンバーが増えたキャンパーズが、ネットで脚光を浴びたのをきっかけに、世間に顔向けできる団体になろうとしてるらしい。

「だったら庭キャンプを中止してよ」と言いたいけど、兄のまっすぐな瞳を見上げて私は黙ってしまう。


 兄ちゃんはすぐ泣くし鬼バカだけど、長年見てきてたから純粋なキャンプ愛はわかる。何があっても一つのことに打ち込む姿はかっこいいと思うし、だから私も叶わぬ夢に追いすがっている。


「メンバーにメグのこと言ったら『大歓迎する』って」

「…窓から見てるだけじゃだめ?」

「うん…全然いいんだけど、キャンプファイヤーって実際に皆で囲んだ方が感動が大きいからさ…返事は当日でも良いよ」

 そう言って兄ちゃんは買い出しに出かけていった。


 残り2日。

 リーダーがやってくる。

 アウトドア派とは思えない、ゆったりとした体格で高そうなスーツに身を包んだリーダーは、玄関で私たちに深々と頭を下げる。

「この度は、ここをキャンプ地としてくれて、ありがとうございます」

 兄ちゃんが例のテントを抱えて持ってくると、リーダーの隣りにいた使用人みたいな人が受け取って、なぜかベンツのトランクに載せる。それを確認したリーダーがうちの中を眺めながら「僕はどの部屋だい?」と聞いてきて、お母さんと私は「は?」と声を揃える。

 あのバカ親父は、リーダーだけテントじゃなくて、部屋に寝泊まりすることを約束していたらしい。

 お母さんは出ていった父の部屋を掃除して、ついでに父がキャンプの度に持ち帰ってきた古い雑誌コレクションをすべて処分する。


 キャンプ前日。

 おじいちゃんが死んだ。

「葬儀はキャンプ後に執り行って欲しい」というリーダーの頼みを、兄ちゃんは断れなかった。

 お父さんに連絡すると「安全面を考えて明日のキャンプファイヤーには参加しません」という謎メールが返ってきて、私はすぐ削除する。お母さんは手続きや仕事で疲れて寝込んでいる。



 ◆



 キャンプ当日。

 朝から兄ちゃんは資材チェックや芝刈りを一心不乱にやっている。

 隣近所の住民たちは、コロナ感染を恐れ隣町に行っていて、いつも以上に静かだ。

 夕方、我が家の庭に、リーダーを含む8人の男女が集まってくる。メンバー20人の半数以上が参加を辞退したらしいけど、それでもウチの庭には多すぎるような。

 兄ちゃんに負けないくらい瞳がキラキラしているメンバー達は、準備していた資材をものすごい速さで組み立てていき、1時間もしないうちに庭がキャンプ場になる。

 空間を無駄なく活用して、コンパクトなテントや炊事場、キャンプファイヤーが整然と並べられていくのを、窓越しに眺めながら思わず「凄い」とつぶやく。

 この日から連休を取ったお母さんは、時々メンバーの人にお水をあげたり、手伝ったりしている。せっかくの休みなのに、お母さんは本当に偉い。

 その様子は兄ちゃんのスマホ越しにインスタライブで配信されていて、1万人くらいが見ている。


 やがて日が暮れて、キャンプファイヤーが始まった。

 メンバーはそれぞれ、おしゃれな服に着替えて火を囲む。兄ちゃんの言う通り人種は様々で、マスクもカラフルだ。

 兄ちゃんは既に泣いている。勝負服のジャージはダサいけど、揺らめく炎に照らされてなんとなく様になってる。昔はお父さんと一緒にキャンプしていたお母さんも、この時だけは幸せそうに火を眺めている。

 窮屈そうだけど、ちゃんとキャンプぽい感じ。

 私も参加しなきゃと思うけど、恥ずかしくて窓を開けることができない。


 リーダーが手を挙げ、マスクをはずして話し出す。

「みんな、この場所に集まってくれてありがとう!…」

 それからしばらくの間、コロナとか社会情勢とかキャンプ用品に関する話が続くけど、死んだおじいちゃんの名前は一回も出てこない。

「…そして今夜、新たなキャンパーが私達に加わる。紹介しよう。メグ!」

 ウトウトしてたところで名前を呼ばれて、驚いて目を開けると、火を囲む皆がこちらを見ているのに気づく。体がビクってなったの見られてたかもしれない。兄ちゃんの姿は見えない。なんかサプライズでも用意してるのかと思うと体がこわばる。

「君は希望の象徴だ。君の参加は、きっと世界中に勇気を与えるに違いない。一緒にこのファイアーをを囲もう!」

 かなり大げさな歓迎ぶりは鼻につくし、恥ずかしいけど、お母さんを見たら優しく頷いてくれるから、リモコンで窓を開けようと思った時、リーダーが「さあメグ、立ち上がって」と言った後「ヴフッ」とニヤけるのを見て、私は一気に冷める。

 他のメンバーさんや兄ちゃんには悪いけど、こいつと同じ空気は吸いたくない。

 私はリモコンを床に捨て、窓に向かって中指を立ててから、自室の方へ体勢を向ける。


「どうしたんだメグ?…っ今から、君のエホッ、キャンブがっハ、始ばるんだよゼヒ」

 リーダーの声が、いつのまにか強烈な咳に変わっていて、振り返るとリーダーの顔が真っ赤に歪んでいる。

 ていうか、溶けてる?

「窓をッ、バハ、開げでぅレん」

 そのまま崩れるように倒れ、シュウシュウ音を出しながら溶けていくリーダーを見たメンバーから悲鳴が上がる。

「ゲホッ、何だこデべ、デュぼホッ…」

 見ると、他のメンバーも咳き込みながら、倒れはじめて、お母さんが駆け寄る。だめ、お母さんも感染する。

「お母さん!」

「開けちゃだめ!!!」と叫ぶお母さんも、苦しそうだ。

 テントの陰を見ると、兄ちゃんの勝負服が、脱ぎ捨てられたみたいに落ちている。

「窓から、離れて、救急車ヲ…」


 私は泣きながらスマホを取り出して、911にかける。



 ◆



 2年前の冬、北欧で見つかった新型コロナウイルス「ALS-CoV」は、宿主の肺胞を溶解させてしまう、致死性ウイルスだった。感染力は高いものの、寒冷地でのみしか発症例が無かったため、アメリカ南部では感染対策が結構緩かった。

 体が頑丈だったおじいちゃんも新型を甘く見ていて、ニューオリンズ郊外のゲーセンで若い兄ちゃんとマスクをせず口論になった時にウイルスをもらって、肺が溶けて亡くなった。


 そして、ルイジアナ州の一軒家で突然変異した「ALS-CoVζ+(ゼータプラス)」は、感染後即座に発症するだけでなく、内臓はおろか筋肉や骨組織まで溶かしてしまう最低最悪のウイルスだったらしい。「らしい」というのは、私が入院中に看護師から盗み聞きしたり、SNSから拾ったりした眉唾情報だからだ。どうやらネットニュースやTVでは報道を差し止められてるっぽい。

 でも私はこの目で見た。


 あの時、一番最初に発症してたのは兄ちゃんだった。きっと買い出しで熱い中毎日駆けずり回ってた超人的な兄ちゃんの体でウイルスが変異したんだと私は勝手に決めつける。


 我が家周辺が封鎖されて数ヶ月後、ゼータプラス株の全身溶解現象は消え、ショッキングなライブ動画は「悪質な合成だった」という結論で、みんなすぐ追いかけるのに飽きていった。数名のキャンパーは一命をとりとめたけど、キャンパーズは事実上解散、おじいちゃんの葬儀は私の知らない所で執り行われ、お母さんと兄ちゃんのお墓はどこにもないままだ。父からの連絡はない。


 私は、CDCの検査と手厚い補償を受けながら、病室で絵を描いている。


 1ヶ月前、人懐こいマフィアみたいなおじさんがやってきて「ここに閉じ込めているお詫びがしたい」と、最新型のモジュールを持ってきた。

 脳波でカーボンがどうとかいう凄いものらしいけど断った。

 確かにそれも私の夢だったけど、私以上にその「足」を必要としてる人はいるはずだし、別に立ち上がらなくても、私は私だ。見世物じゃない。笑うヤツは溶けてしまえばいい。



 ◆



 そういえば、50年くらい前、似たようなウイルス流行の真っ只中で、大々的なスポーツイベントを行って世界中から人を集めた国があったらしい。それまでなんとか感染者数を押さえていたのに、そのイベントの影響で感染者数が爆上がりして病院がパンクしたとか。

 きっと、その時も家族をなくして悲しんだ人がたくさんいたに違いない。

 キャンプ当日の朝、兄ちゃんお母さんと3人で撮った写真は、ずっと枕元に置いてある。



 ◆



 ニューヨーク美術大学への入学願書ができた。

 学費の心配はなくなったけど、「家族がいたあの頃に戻りたい」と、私はこれから先ずっと思い続けるのだろう。


 私は、電動車椅子を操作して病室を出る。

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酩酊短編集 狗堂廻 @kakubin

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