22 中央棟喫茶空間後日談計画

 ――ノアの自宅近くでの一件から数日後のことだ。ティエラは休憩時間を利用してネーヴェ、ノア、エドワード、シエンナとIMRO中央棟の喫茶スペースにいた。


「ノア、体調はどう?」

「問題無いヨ。正直署に着いてからの取り調べの方が具合悪くなったぐらいネ」

「確かに、長ったらしくて本当に嫌な時間だったわ」

「2人共大変だったみたいね。結構大きなニュースにもなってるし」

「まったく嫌になっちゃうわよシエンナ、一部のメディアなんて“ランカー! 暴漢相手に街中で大暴れ!!“とか見出しまで付けちゃって、はぁ……」


 さすがに目撃者が多かった為、常にネタに飢えている各メディアは、こぞって先の一件を報道していた。


「……正直、身動きを取るのが難しくなったな」

「そうネ」

「ティエラ……でも、とりあえず開発に参加するメンバーだけは集めないとよね?」

「う〜ん、そうなのよねぇ……」


 皆が今後の動き方を悩んでいると、砂糖でガチガチにコーティングされたドーナツを両手に持ったままネーヴェが尋ねた。


「質問します。ネーヴェはプライベートビーチ? に、行けないのですか?」

「う〜ん……行ってもいいんだけど、メディアが張り付いて来そうなのよね」

「ティエラ、変装でもする?」

「まあ……そうね。大して面倒でもないし、そうしよっか」


 実際のところ、容姿を誤魔化す方法はいくらでもある。服装は普段着ないようなものを選べば良いし、髪色を変えるのも10秒とかからない。後は帽子や眼鏡などを用意して各自工夫すればいいだけだ。


「あ、ケイとクロムの予定は聞いておいたわよ。2人共大丈夫だって」

「ありがとうシエンナ、助かるわ」 

「私は行けそうにないから……そうネ。カインを任せてもらえるカ?」

「え、それは嬉しいけど……あいつが1番強敵じゃない? ニュースの翌日以降、顔を合わせる度にイジってくるような奴よ?」


 ティエラをいじってくるのは、今のところカインとグスタフの2人だけだが、特にカインは幼稚な弄り方ばかりしてくるので、ティエラはいっそ開発メンバーから外してやるつもりですらいた。


「ノアの説得に期待します。ネーヴェはカイン・シュヴァルツの早期合流は絶対に必須だと断言します」

「え、そうなの?」

「むぐむぐ……説明します」

「ネーヴェ、食べながらはダメよ」


 ティエラはネーヴェのドーナツを取り上げ、彼女が飲んでいる激甘炭酸飲料カロリーマックスを手渡した。


 ネーヴェは激甘炭酸飲料カロリーマックスを飲みながら静かに立ち上がり、ティエラの目を見つめながら不服を申し立てた。


「返却を要求します。ネーヴェは激甘リング菓子それが無いと説明できません」

「ダメよ。食べながら話すなんて、下品なことなのよ」


 もはや第3試験棟に身を置くものなら誰もが見慣れた2人の光景に、エドワードがネーヴェへ救いの手を差し伸べた。


「ほら、ネーヴェ……俺のをやるからこれで我慢してくれ」

「……! エドワード、感謝します。ネーヴェはこれで我慢します」


 ネーヴェは無表情ながらも大きく目を見開き、エドワードからワッフルを受け取った。


「ちょっとエド! この子を甘やかさないでよ!」

「……話が進まない。菓子ぐらい自由にさせていいだろう」

「その子の好きにさせてあげればいいヨ」

「あ、ノアまでなんてこと言うのよ!」

「何故そんなにこだわる?」

「そうよティエラ、別にいいんじゃない?」


 この光景自体は毎度のことだが、何故ティエラがそこまでネーヴェの食事やあれこれに口を出すのか、皆疑問には感じていた。


「金は経費で出るんじゃないのか?」

「あのねぇ、エド」

「前も言った気がするけど、まるで母親みたいヨ」

「確かに、まあ一緒に暮らしているせいもあるのかな?」


 ティエラは黙って聞いているネーヴェを見つめ、1つ溜め息を吐いてからその理由を話し始めた。


「はぁ……少なくとも、この子は今人間として生きている。それはいいわよね?」


 さすがにそれだけでは意図がわからず、皆首肯してティエラに続きを促した。


「……この子には、身寄りも無いわ。GHOSTが親と言えば親だけど、別に生活を保証してくれるわけじゃ無い。それに……」


 ティエラは一旦言葉を切り、数秒の間をおいてから自身が考えている、否、気にしている最も肝心な事を話した。


「……開発がもし成功して、それで……全部終わったとして、その後はどうするのよ」


 ネーヴェ本人からそこについて聞いたことがある訳ではない、複製体クローンに移植を望んだ理由も未だわからないままだ。

 しかし、ティエラにはどうしてもそれが気掛かりだった。 


 ティエラの考えを聞いたネーヴェを除く3人は、そこまではさすがに思い至っていなかった。否、考える必要すらないと考えていた。

 ネーヴェの知能は超高度なAIなのだから自分でなんとかするだろうし、そもそもIMROが対策を考えれば良い事柄であり、自分達がそこに関して頭を悩ませる問題では無い、そう考えていた。


「実際、ネーヴェに関する事は定期的に報告しているけど、IMROから特別将来的にこの子をどうするとか、そういうことなんかはまだ1度も言われてないわ」

「でも、そんなのティエラが考えなくても……」


 ティエラは自分でも、何故ここまでネーヴェのことで入れ込んでしまっているのかは明確には理解していなかった。

 もちろんそれなりの期間、寝食を共にしているのだ、元がAIとはいえ情はある。

 だが、それだけでは表せない“何か“が、ティエラはネーヴェに対してあるのだ。 


「自分でも正直わからないわ。でも、これだけは言える」


 ティエラは再び言葉を切り、自分の気持ちを確かめるように、少し語気を強めて続けた。


「この子も……いえ、ネーヴェも何か1つでも間違いがあれば、私達と同じように死んでしまうのよ。それだけは絶対に嫌なの」


 食事の話から何故ここまで飛躍した気持ちを吐露する事になったのか、ティエラ本人にも、誰にもわからないが、ネーヴェを見つめるティエラの瞳は、親が子に向ける様な、慈しむ様な、としか言えない感情で溢れているように見えた。


「ティエラ…………ねぇ、ネーヴェちゃん、後で食べていいから、今は我慢できる?」

「今は我慢ヨ、後でいっぱい食べていいからネ」

「……わかりました。ネーヴェは食べながら喋ることを今後やめます」


 ネーヴェは、無表情ながらも心無しかティエラに申し訳無さそうな顔を浮かべているように見えた。

 叱られた事を許して欲しそうな、そんな態度だ。


「……まさか、お前から親というものについて教えられるとは思わなかったな」

「うるさいわね。そもそもまだそんな歳じゃないわよ。ふん」


 思いがけず親子の説教シーンの様になってしまったが、居心地が悪いと感じた者は、この場に誰1人としていなかった。


 否、少々気恥ずかしくなっていた者は1人いた。気恥ずかしくなった者はわざとらしく咳払いをして、ネーヴェに先程の続きを促した。


「ゴ、ゴホン……それで、どうしてカインが早く必要なのかしら?」

「説明します。ネーヴェは世界的にも極めて優秀な魔回廊技士エーテルコリドーラーであるカイン・シュヴァルツが、早期にあるシステム・・・・・・の構築に参加させる必要があると進言します」

「システム関連なら……これから説得するケイと、あとエドワードと私、その3人じゃダメなのカ?」

「補足します。ネーヴェはシステムの基礎はそれで十分なのですが、開発の成功には回廊制御が最も肝要であると断言します」

「はぁ……あいつやっぱ必要なのか……どうも好きになれないのよね」


 ティエラは基本的に何人に対しても公平であり、嫌な事があっても3日も過ぎれば忘れる性格な自負もある。

 しかし、会う度に余計な一言が付いてくるカインだけは、今ひとつ好きになれない、否、平たく言えばウザかった。


「ま、私に任せれば大丈夫ヨ」

「ノアはなんでそんなにカインの説得に自信があるの? 別に仲良くしてる訳でも無かったよね?」

「まあまあシエンナ、そこは企業秘密ヨ」

「……良くわからないけど、私はどうせパスだから、あいつのことはノアに任せるわ」

「オッケーヨ」

「ノア……オッケーとはどういう意味だ?」

「ウルサイ……ヨ!」

「ブフッ……ゴフッ、ゴホッ」


 ノアの突っ込みがエドワードの胸部にクリーンヒットし、エドワードの服に立派なコーヒー染みができたところで、休憩時間の終わりが近付いていた。


「さ、残りの偽仕事フェイクも終わらせちゃいましょ」

「声が大きいよティエラ」

「気を付けた方がいいヨ」


 席からやや軽快に立ち上がったティエラは、少しばかり機嫌が良さそうな笑みを浮かべ、2人の忠告に応えた。


「あらそう? 研究のテーマとしてはありそうなコードじゃない?」


 ティエラ、ネーヴェ、シエンナはケイとクロムを、エドワードはベルハルトとマシューを、ノアはカインの説得を担当することになった。

 様々な思惑が交錯し、一層身動きが取りづらくなった中、ティエラ達は【空間魔法開発ハラルツァオヴァークンストファーレ】開始の前提条件でもある開発メンバーを揃えることが、果たしてできるのであろうか……。


 皆で第3試験棟に戻る道すがら、ノアが思い出したようにティエラに尋ねた。


「ティエラ、そういえば市街地の弁償費用はどうなったカ?」

「ああ、う〜ん、そのことなんだけど……所長に報告したら何故かお咎め無しだったのよ」

「……それはなんていうカ、さすがにおかしくないカ?」


 ティエラは足を止め、後ろに続いていたノアに振り返って答えた。


「ええ、でも所長も途中まではカンカンだったのよ? けど、なんだったかしら……ええっと……エメ、エメア、あっ! エメオフィアント? とかオメアフィエルゼとか言ってたの覚えてる?」

「ああ、あの訳がわからないやつネ。あの言葉がどうかしたカ?」

「うん、特にそれについて詳しくは話してくれなかったんだけど、所長ったら急に深刻そうな顔になってそれで……」


『…………本当に……本当にそう言っていたのだな? 何故そんな奴等が……わかった……弁償費用は心配しないで良い。君達は今よりも更に身辺に気を付けて行動しなさい。わかったね?』


「だってさ」

「所長は何か心当たりがあるみたいネ」

「そうね。でも、さすがに私としても気になったから何度か聞いてみたんだけど、今は混乱するだけだ。とか、そんな感じのことばかり返されて、結局は何の情報も、って感じ」

「……所長もバカじゃないはずヨ。今の私達では手に負えないようなことなのかもネ……まあ、お咎め無しでラッキーだった。ぐらいに考えておこうカ」

「そう……よね。って、壊しまくったの私じゃないんですけど?」

「おっと、退散するヨ! 先に行ってるネ!」


 旗色が悪くなると見るや否や、ノアは先を歩いていたネーヴェ達をあっという間に追い抜かし、第3試験棟へ駆けて行った。


「あ、ちょっとノア! 待ちなさいよ! もう、病み上がりなんだから走っちゃダメよ!」


 ノアを咎めなければならないのは違う事柄のはずなのに、つい身体の心配をしてしまう自分のお人好し加減に溜め息を吐いて首を振り、顔を上げたティエラは再び自分の仕事場へと歩き始めた。



ーーーーーー



「……あのバカ弟子はいつになったら連絡してくるんだ。まったく、どうせノアさんと共に派手に暴れおってからに…………ワシも混ぜんかワシも……」

「珍しいな……お前が愚痴か? ハハ」

「笑ってくれるな……おい、もう1杯同じのをくれ」

「ああ、早くグラスをよこせ……」

「まだちょっと残ってるんだ。今空けるわ……グビ……ゴク……ふぅ……ほら」


 お気に入りのバーボン【ターキッシュジョニー】のおかわりを要求したミリオーフは、兼ねてからの友人でもあるハーマンの店のカウンターで1人、門下生の安全を考え稽古を中止していることもあり、昼間から堂々と酒を飲んでいた。否、やけ酒をくらっていた。


 ミリオーフからロックグラスを受け取ったハーマンは、ほとんど全ての物が自動化されたこの時代に、未だ自分の拘りで手ずから削っている綺麗な丸い氷を入れると、ターキッシュジョニーを並々と注ぎ入れ、珍しく愚痴を吐く旧友へのサービスとばかりに差し出した。


「おおハーマン! いつもこんぐらい入れてくれ」

「バカ言うな、高いんだぞその酒は……にしても、面倒事ばかりの割に、最近どこか楽しそうじゃないか? なあ、ミリオーフ」

「はん、バカ弟子共がデカいことをやるってのになんも出来ずに……グビ……ゴク……ふぅ……稽古も出来ず、こうして昼間っから1人で酒を飲んでいるワシが、か?」

「ああ、この俺が言うんだ。間違いないさ」

「グビ……ゴク……ゴク……ぷへぇい……ほっとけ」



✡✡✡✡✡✡



 『――人類最高の発明だと? そんなまだるっこしいもんはどうでもいい! 酒と女が全てだ! ガハハハハハハ!』


 某国軍事機関誌【払暁】、陸軍少将ヴァンダル・ヨルネイへのインタビュー記事より抜粋

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