18 師弟密談酒盛計画
――此処は中心街から北西の外れにあるミリオーフ馴染みの酒場。
周囲は閑静な住宅街で、外観を見ただけではそこに酒場があるとは誰も気が付かないだろう。
店の外には看板等もなく、
その玄関ドアにはかなり近付かなければ見えない程の、小さなオープン・クローズを示すサインプレートが提げられているだけだ。
ミリオーフは店のドアの前に立ち、ドアスコープの様なものを覗き込んだ。
覗き込んだまま数秒が経過するとドアが少し開き、店主らしき壮年男性が顔を出した。
「……待っていた」
「すまんな」
「ただの民家にしか見えませんね」
「わ~、一見さんお断りって感じですね」
ティエラとシエンナが見たままの感想を述べると少々得意気にミリオーフが返した。
「密談には
「質問します。ネーヴェは食事ができますか?」
短い期間ではあるが、それなりに飲食店というものに慣れ親しんできたネーヴェは不安混じりに疑問を口にした。
「もちろんだとも、さあ入りなさい」
一同が店に入ると中は外観から想像していたよりも明るく、高い天井には黒いシーリングファンが回っている。
人が2人は通れる幅の廊下の左脇にバーカウンターがあり、入口から見える限りでは奥にも個室があるようだ。
またボトルラックにはウィスキーを中心に様々な種類の酒が並び、数枚の風景画が白に近い薄黄色の壁に飾られただけのシンプルな店内は、どことなく落着きと安心感を覚えさせる。
「他に客はいないようだな。ハーマン」
「ああ、その方がいいんだろう?」
「恩に着る。なに、しっかり金は落としていくさ」
「気は使うな。右の個室を使え」
「わかった」
ハーマンと呼ばれた男性と短いやりとりを終えたミリオーフが奥へ進み、ティエラ達はそれに付き従った。
「いらっしゃい。ゆっくりしていってくれ」
「はい、失礼します」
「お世話になります」
「お邪魔しますヨ」
「よろしくお願いします」
皆が挨拶を交わしながら奥に進んで行くと、最後尾にいたネーヴェがハーマンの前で足を止めた。
「おや、どうかしたのかなお嬢さん」
「質問します。ネーヴェはここで何を食べられますか?」
「う~ん、そうだねぇ……パスタやピザなんかはどうかな?」
「パスタ、ピザ……検索……完了……美味しそうです。ではネーヴェはそれを所望します」
「わかった。腕によりをかけてつくってあげるから待ってくれるかな」
「お願いします。ネーヴェは人よりもたくさん食べられます。楽しみです」
「ハハハハ、面白いお嬢さんだね」
「ネーヴェ、いくぞ」
付いてきていないことに気付いたエドワードに呼びかけられ、ネーヴェは再び歩き始めた。
――店内奥の廊下を進み、T字に分岐した右の突き当たりにあるドアを開けると、15㎡程の部屋に黑いモダンなスチール製のテーブルとイスが設えられたシンプルな空間が広がっていた。
部屋の中は30年程前に流行っていたサイバージャズの名曲が会話の邪魔にならない音量で流されており、洒落た空間を更に演出していた。
「なんだか落ち着いた感じの良いお店ですね師匠」
「ああ、ハーマンは趣味がいい。酒も豊富だし料理も美味いぞ」
「あのハーマンという方がここを?」
「そうだ。奴が妻と息子と共に3人で経営している」
「家族経営なんて羨ましいですネ」
「まったくだなノアさん。まあとにかく座ろうじゃないか、各々硬いことは気にせず好きなところに腰掛けてくれ」
――皆が席に着き一通りの注文を終え、最初の飲み物が揃うと軽く乾杯を交わした。
大ジョッキに入ったサンライズハイパードライビールを一口で飲み干したミリオーフが、まずは、とティエラに今日来た目的を問いただした。
「カ~、キンキンに冷えていてで最高だな。この為に生きているとは先人も良く言ったものだ……ふぅ……さて、では早速だがティエラ、お前が今日来た目的から聞かせてもらえないか」
「はい、では現在私が進めている研究のことから……」
――ティエラはDEの研究内容、ネーヴェの話、
ミリオーフは黙って聞いていたが、エドワードとシエンナはネーヴェに関する話から先はずっと驚いている様子だった。
「なるほどな。お前の現状は大体わかった……ということはワシへの頼みというのも、やはり
「……はい、その通りです。それとこの件のことは」
「わかっている。断じて口外などせん……しかし、困ったことになった」
ミリオーフは口外しないことを約束すると、それ以降険しい表情のまま考え込んでしまった。
すると話に入るタイミングを探していたシエンナがティエラに今の気持ちをぶつけた。
「ティエラ、話が大き過ぎて何がなんやらって感じなんだけど……本当にアバウトに聞くわね。
「ええ、本気よ」
「ティエラ、問題無いならネーヴェに概要送らせなヨ。それが手っ取り早いネ」
「……俺は乗る」
「あら、早いネ」
「エドさん本気?」
「……ああ、本気だ」
「メリット無くないですか?」
シエンナはIMROの研究員には違いないが、どちらかと言えば一般的な企業に勤めるよりも高給な仕事であることを重視している人間だ。
はっきり言って彼女にとってはデメリットの方が大きいように思えた。
すると既に話に乗る意思を示していたエドワードが、確認とばかりにネーヴェへ質問をした。
「GHOSTのお墨付きなのだろ? ネーヴェ」
「回答します。ネーヴェは
「ならばなおの事だ。
「それはわかりますけど……う~ん」
単純な気持ちとしてはティエラの力になりたいシエンナだが、どう天秤にかけてもデメリットが上回る提案になかなか答えが出せずにいた。
「シエンナ、メリットあるヨ。すんごいのがネ」
「え? どう考えても無いんだけど……」
「まずは絶対教科データに文明が続く限り載るネ。あとは」
「あとは?」
「例えば転移装置なんか作れたとするヨ。それにどれほどの価値が生まれるかはわかるネ?」
「さすがに飛躍し過ぎよノア」
「説得に協力してんだから文句言わないで欲しいネ」
「それはありがたいけどいくらなんでも……ねぇ?」
「ふん、シエンナでつまずいてたら他の奴らなんて絶対無理ヨ」
「ノア、それって私の前で言うことなの?」
「細かいことは気にしないヨ」
エドワードは即答で協力を表明したが、シエンナは未だ決め兼ねていた。
6人のいる個室内はネーヴェの食事の音だけが聞こえる異様な空間になりかけていた。
そんな折、店主のハーマンが個室のドアを開け、ミリオーフに何かを耳打ちした。
「それは本当か」
「ああ、【魔公】が動いているらしい。確かな筋の情報だ」
「それはなんとも……身動きが取りづらくなりそうだな」
「無関係な身で差し出がましいかも知れないが、派手な動きは避けるべきだと思う」
「忠告は受け取った。助かるよ」
「ああ、こちらからはそれだけだ」
会話に出た
「あの師匠、魔公ってあの魔公ですか?」
「うむ……そうだ。警視庁魔法公安部が何やら嗅ぎまわっているらしい、奴らが絡んでくるとなるた非常に厄介だ。ただでさえバーラーに目を付けられている状況だしな」
ティエラはほんの一瞬だが、普段見せる快活なシエンナからは考えられない程に恐ろしい表情を見た気がした。
「…………ティエラ」
「……何? シエンナ」
「私も協力するわ」
「え……それは嬉しいけど、どうして急に?」
「う~ん、ここではちょっと……今度2人きりの時でもいい?」
「もしかして……いえ、わかったわ。なんにしてもありがとうシエンナ、本当に嬉しいわ」
「すごく個人的な理由で協力することになっちゃうけど……ちょっと私も、関わらずにはいられなさそう」
「何か
「……ノア、言えなくてごめん」
「気にしないでいいヨ。誰にでも秘密の1つや2つあるからネ」
「ううん……ありがとう」
エドワードとシエンナの協力は確定した。しかしティエラはもう1つ、ミリオーフへの頼みの返事を待っていた。
「師匠、それで……あの、
「うむ……協力しよう。いや、というかワシもお前達の協力無しには協力する事が出来ない。と言った方が正しいな」
「ありがとうございます師匠。もちろん私としても協力は惜しみません」
「
「はい、ではまた後日連絡を取り合いましょう」
「うむ。そうと決まれば後は酒を堪能しようじゃないか」
「ふふ、そうですね。美味しいお酒と料理が勿体ないですね」
――ティエラはなんとか本来の目的を達成した。しかし、ただでさえ山積していた問題はバーラー社と魔公の介入により、一層複雑化していく様相となっていた。
残りの研究員達の説得、シエンナが見せた表情の理由、それなりに確信は持てているが未だ一歩も進んではいない
そんな疲れも手伝ってのことなのか、しばらくするとティエラは普段よりも少し酔いが回ってきていた。
「はぁ……順調な面に倍して問題が大きくなってる気がするわ……」
「落ち込むなんてティエラらしくないネ。こうして着実に仲間は増えてるヨ」
「ええ、そうよね。ありがとうノア……」
「……ねぇねぇティエラ」
「なぁにシエンナ」
「今度ケイと、そうねぇ……あとクロムも呼ぶか……2人の説得なんだけど、ちょっとリラックスも兼ねてやりましょうよ」
「え、ていうと?」
「2人を誘ってプライベートビーチに行きましょ」
ティエラは長らく聞いていなかったプライベートビーチというワードに勢い良く反応を返した。
「え、プライベートビーチってあのバカみたいに高くて金持ちが年がら年中はしゃいでるっていうあの?」
「そう! それ」
「もうそんなお金ないわよ~! ただでさえ出費ばっかりなのにぃ」
「ふふふ~ん、そこはこのシエンナ様にお任せあれ~! 実は……無料データチケットを持っているので~す。ドヤ!」
「ちょっとどういう意味の言葉よそのドヤ、って」
「あ~! いいのかな~そんなこと言って~」
「あ~ウソウソ、お言葉に甘えるわ。1度行ってみたかったのよね。あ、みんなは来る?」
と、皆の状況を伺ったティエラの視界にはどうしようもない光景が広がっていた。
恐らくこの店では記録となっている量を未だ黙々と食べ続けているネーヴェ。
ミリオーフに勧められるがままに飲んだバーボンに酔ったのか、少々
ハーマンに勧められたチョコレートとスコッチの生み出す意外な調和に、恍惚とした表情ですっかり
お気に入りのバーボンを胸に抱えたまま居眠りしているミリオーフ。
途中までは真剣な雰囲気だったこの場も、今やただの飲んだくれのたまり場と化していた。
「…………そろそろ帰りましょうか」
「……そうね。これはダメだわ」
それを聞いて聞き捨てならないとばかりに手を止めたネーヴェが宣言した。普段は無表情な彼女だが、この瞬間は燃えるような瞳をしていた。
「反対します。ネーヴェはまだ食べられます」
「あなたまだ食べるの? もう……何品か持ち帰りにしてもらうからそれでいい?」
「了承します。ネーヴェはナポリタンとマルガリータと……」
「大変そうねティエラ……帰りは自動運転を忘れずにね」
「うん……にしても師匠、起きてくれるかしら」
「お会計見たら酔いがさめるんじゃない?」
「なんか怒られそうな気がしてきた……このまま先に出たら怒られるかしら」
――最近常にあった悩みの1つを更に追い打ちとばかりにたたみかけられ、ティエラはプライベートビーチでは
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