第92話 ヒルクライムレース優勝

 目が覚めると5:00。

 少しうなされたけど、予定通りの時間に起きられた。

 2階の寝室から降りてリビングに向かう。

 綾乃は既に起きており、サイクルジャージに着替えている。

 既に朝食も済ませているのだろう。


「おはよう、綾乃」

「おはよう、猛士。朝食準備出来ているわよ」


 テーブルの上の朝食を見る。

 今日の朝食も私がうなされた原因……サラダチキンだった。

 高たんぱく、低カロリーで筋力を落とさずに痩せるには丁度良い食材だ。

 元々肉は好きだ。

 それでも、毎日3食サラダチキンが出てくると気が滅入る。

 肉嫌いな人には無理だろうな……

 心が萎えそうになるけど、年末までに痩せてヒルクライムの実力をつけるには必要な事だ。

 ただ痩せるだけなら、食べなければ簡単に痩せられる。

 だけど、それだと筋力が落ちてパワーが落ちる。

 それでは勝負所で負けるだろう。

 まずは顔を洗いに行こう。

 決して、サラダチキンを先延ばしにしたい訳ではない。

 ひげを剃り、洗顔して、食卓に着く。


「いただきます」


 少し気が滅入ったが、有り難く頂く事にしよう。

 プレーン、ハーブ、燻製……毎回サラダチキンの種類を変えてくれている。

 調理内容も様々だ。

 私が飽きない様に工夫してくれているのが有り難い。

 綾乃の心遣いが分かるから、好きなものが食べられない苦行にも耐えられるのだ。

 ダイエットが目的だから量は少なかったが、美味しくいただいた。


「ごちそうさま」

「速く準備してね。パンクしたら仕事に間に合わなくなる可能性があるから」

「分かった」


 部屋に戻り、急ぎサイクルジャージに着替えた。

 そして、室内保管しているロードバイクを家の外に運び出す。


「さて行くわよ。時間がないから気合で走ってね」

「分かったよ。今日は昨日の看板より先まで進んでみせるさ」

「昨日の今日でそんなに成長はしないわよ。さて、いくわよ」


 いつも通り、峠に向かう。

 私は毎朝、綾乃とヒルクライミングのトレーニングをしている。

 綾乃の家は峠の近くだから、直ぐに峠を上れるのだ。

 それでも、制限時間が1時間と決まっているから頂上まで上る事はない。

 だけど、速くなる度に進める距離が変わる。

 パワーが増えたり、体重が減る度に徐々に先に進めるようになる。

 それが楽しい。だから、続けられる。

 そして、それが力になる。

 私は徐々にヒルクライムの実力をつけていったのであったーー


 *


 綾乃とヒルクライムの特訓を初めて4か月後ーー

 今日は綾乃に誘われてヒルクライムの大会に参加する事になった。

 今までの実力を試す絶好の機会だと言っているが、何故そんなに楽しそうなのだ?

 そんなに私の成長の成果が楽しみなのか?

 受付を済ませて、スタート地点に並ぶ。

 今回のレースは全カテゴリー混走で走る。

 私は一般男子、綾乃は一般女子でエントリーしているが、混走なので一緒に走る事になる。

 だが、順位は参加したカテゴリーで別々に決まる。

 一緒にゴールしても男子と女子で順位は違うのだ。

 さて、今日はどの様な作戦で走ろうか?


「ヒルクライムレースに参加するの初めてだけど、今日はどういう風に走れば良いのかな?」

「序盤の5km。全力で走って! 後の事は気にせず、序盤でタイムを稼いで!」

「随分気合が入っているな。そんなに勝負に拘っていたとは知らなかったな」

「当然じゃない! チャンスは今日しかないから! 絶対諦めないでね!」


 確かに、年末までに参加出来るヒルクライムレースは今日が最後だな。

 チャンスは今日しかないの言葉に偽りはない。

 ここまで言われたら、頑張らずにはいられない。

 気合の走りで応えるしかない。


 そして、レース開始時間となった。

 参加選手が一斉にスタートした。

 私と綾乃もスタートの合図と同時に走り始める。

 最初は傾斜が緩いな。殆ど平地と変わらない。

 序盤だし、時速30km位で走っていると……


「全力で走ってって言ったでしょ! 時速40kmくらい出せないの?」


 背後から綾乃の怒声が聞こえる。

 何故怒る?!

 時速40kmか……このくらいの傾斜なら問題ないな。


「分かった! これでどうだ?」


 綾乃に言われた通り、速度を上げた。


「それでオッケーよ! 頑張って維持してね!」


 背後から嬉しそうな声が聞こえる。

 背後から?

 私をアシストするなら、前を走るのが普通ではないだろうか?

 それとも、アシストなしの実力を把握する為、後ろからアドバイスをするのが目的か?

 斜度が緩いとはいえ、かなりの強度で巡行を続けている。

 話続ける余裕はなく、ひたすら走り続けた。

 スタートしてから5km。

 スタート前に綾乃が言っていた目標地点。

 斜度がキツクなってきたので、速度が急激に落ちてしまった。


「ありがとう猛士! 完走頑張ってね!」


 気が付いたら横にいた綾乃に話しかけられた。

 はっ? 何っ?

 どういう事なのか疑問を投げかける前に、綾乃が加速して私を追い抜いていった。

 おいていかれた?!


 どうやら、ここからが本格的な上り区間だったようだ。

 レース前半で力尽きた私にはキツイな。

 綾乃が走り去った後、一人でひたすら上り続けた。

 後続の選手に追い抜かれながら、ゴールした時には最下位に近かった……


「やったわよ猛士! 優勝したわよ!」


 ゴールして力尽きた私に、綾乃が嬉しそうな顔で話しかけてきた。


「最初からアシストして欲しいって言ってくれれば良かったのに……」

「アシスト頼んで負けたら恥ずかしいじゃない。見て、あの子がヒルクライムの女王で、一度も勝った事が無かったけど今日勝てたの。猛士とニューホイールのお陰ね」


 綾乃が指さした先には速そうな選手がいる。

 なるほど、序盤の私のアシストと新しく買った軽量ホイールの力で稼いだタイム差で勝てたのだろう。

 嬉しそうな綾乃を見て、釈然としない気持ちは無くなった。

 彼女には毎日、食事とトレーニングで世話になっているのだ。

 これくらいのサービスは当然だ。

 表彰式で優勝トロフィーと景品を受け取った後、綾乃の自慢話を聞かされながら帰路についた。

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