第86話 結局遅れる……だが!

 最初の苦手な斜度8%区間を乗り切った後、3km程度走った所で斜度10%の苦手な上り区間に突入した。

 想定通り、徐々に先頭集団から遅れ始める。

 先の8%区間と同様に20m離された所でスプリントで巻き返しを図る。

 ディバイディング・スプリント・トレイ!

 一気に加速して先頭集団の最後尾に復帰する。

 だが……斜度10%区間は乗り切ったが斜度が落ちない。

 サイコンの表示を確認すると斜度8%。

 他の選手が密集しているから、斜度がキツイ区間が、どれくらい続くか分からない。

 どうする?

 まだスプリントする余力はある。

 だが、ここで力を使えば、後の勝負所で力を出せない。


「師匠。一度遅れます」


 最終的に無理して先頭集団に残らない事を選択した。


「そうか、俺も付き添いで残るよ」


 師匠が私と一緒に走ってくれる事になった。

 折角一緒にレースに参加したのに申し訳ないな。

 師匠の実力なら余裕で先頭集団の最前列で走れていただろう。


「折角一緒に走ってくれたのに、遅れて申し訳ない」

「今日は元々付き添いで参加したから気にしなくていいさ。でも、斜度8%程度で大幅に遅れるのはキツイな。年末のレースで確実に負けるだろうな」

「スプリントで追いつけると思ったのだけど、現実は甘くなかったですね」

「短いレースなら何とかなるかもしれないけど、長距離のロードレースでは体力が持たないさ」

「普段峠を上っているし、意識しなくても徐々に速くなっていたから気にしてなかったけど、本格的にヒルクライムの練習をしないと駄目みたいですね」

「そうだな。まぁ、そこは別な師匠に譲るよ。俺もヒルクライムは得意ではないし、適任者が傍にいるからね」

「得意じゃないのに、これだけ走れるのは反則ですよ。まぁ、ヒルクライムが得意な知り合いはいますけどね……」

「ある意味キツイと思うけど頑張れ!」


 師匠の言うヒルクライムが得意な適任者は綾乃の事だろう。

 綾乃に頼んだら、お気に入りの峠で引きずり回されるのだろうな……

 木野さんもヒルクライムが得意だから、練習をお願いする事も可能だけど、綾乃に相談しないと拗ねるよな。

 年末のレースで勝つためだ。覚悟を決めるしかない。

 今はレースに集中しよう!

 結局、斜度8%の区間は300m程度あった。

 私のスプリント能力では乗り切れない距離だ。

 力を温存したのは正解だったな。

 だが、先頭集団から大幅に遅れたと思う。

 思うと言ったのは、既に先頭集団の最後尾が見えないからだ。

 ヘアピンカーブで先が見渡せず、先の道を見ようと見上げても、木々に遮られて見えない。

 一人では不安になるが、師匠が一緒だから安心出来る。


「大分離されたな。これ以上離されたら集団復帰は難しいな」

「私が苦手な斜度8%以上の区間がどれだけ続くかで決まりそうですね」

「斜度8%以上の区間か……後3回ある。どれも100m以下の短い範囲だけどな」

「それなら問題ないです」


 暫く上り続けると師匠の言う通り、100m以下の短い距離の斜度8%区間に突入したが、全てトレイのスプリントパワーで乗り切れた。

 トレイのインターバル時間である5分以上の休息がとれたのも大きい。

 近い間隔で苦手な区間が続いたら乗り切れなかっただろう。


「やっと頂上に辿り着いたな。離される前の集団の速度から想定すると、大体1km位離されているだろうな。普通なら集団復帰は不可能な距離だな」

「下りで追いつきますよ」

「根拠は?」

「集団の密集した状態で下るより、単独で最速ラインで下った方が速いからですよ」

「なるほど。それなら、お手並み拝見といきますか」

「任せて下さいよ師匠。ホライズンの空力性能なら最速で下れますから」


 私は師匠の前に出てペダルに力を込める。

 今までのヒルクライムでの苦労が嘘のように爆発的に加速する。

 ダウンヒル区間では空力性能が全てだ!

 圧倒的な加速で、一気に時速60kmを超える。

 後はコーナリングでミスをしない様にしなければならない。

 速度が出過ぎる分、オーバースピードで曲がれなくなるリスクが増える。

 慎重にブレーキングして、止まらない加速をコントロールする。

 最速のラインで下り続けると……見えた! 先頭集団!

 下り区間が終わる前に、先頭集団の最後尾に追いついた。

 ブレーキで速度を調整する。

 予測通り、先頭集団の速度は単独で下るより遅かったからだ。

 下り区間は、まだ3分の1程度残っている。

 このまま得意なダウンヒルでアドバンテージを稼ぎたい。

 だけど、下りで選手集団を縫って追い抜く事は出来ない。

 仕方がないので、最後尾で集団と速度を合わせて走る。

 ヒルクライム区間で先頭付近だったら、下りで一気に差を付けられたのに……


「速ぇな。置いていかれるとは思わなかったよ」


 師匠に背後から声をかけられた。

 知らない内に置き去りにしていたのか。

 後ろを確認する余裕が無かったから気付かなかった。


「すみません師匠。集中していたら気付きませんでした」

「下りとスプリントだけならエリートクラスだな。俺の事は心配ないさ。単独でも追いつけるからさ」


 そうだよな。師匠なら心配はいらない。

 それより私自身が問題だ。

 レース序盤なのに、先頭集団にギリギリで残れる程度の実力しかない。

 ヒルクライム区間で別れた他のメンバーは、追い抜いていないから脱落していないと思う。

 姿は見えないが、目の前の先頭集団の中で走っているだろう。

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