6章 終わった夢が残した物

第66話 2年目の忘年会

 レースの翌週、壊れたロードバイクをシゲさんのお店に預けた。

 素人目に見ても修理は絶望的だと思うが、シゲさんに取り合えず見せてみろと言われたからだ。

 購入してからメンテナンスをお願いしてきた修理のプロが言っているのだ。何か意味があるのだろう。

 直せなかったら新しいロードバイクを買おうか?

 でも、店舗に飾られているロードバイクを見ても心が動かない。

 レースを走りたいという気持ちが終わったのかな。

 私は何の為に走り始めたのだろう?

 冷めた気持ちで店舗を後にした。


 *


 ロードバイクに乗る様になってから、初めてのロードバイクがない週末。

 暇だから動画でも見ようか?

 動画投稿サイトを開くとプロのレース動画のサムネが表示される。

 他の動画を見ようとしても、オススメに表示されるのはロードバイク関連の動画ばかり。

 動画投稿サイトのオススメまで埋め尽くされる程に、ロードバイク漬けの日々だったのだな。

 2年間の出来事を思い返しながら動画を見続けていたら、突然スマホのアラームが鳴り始めた。

 そうだ、今日は忘年会の日だった。

 せっかく木野さんが幹事を引き受けてくれたのだ。遅れる訳にはいかない。

 急いで支度をして、忘年会の会場である中華料理店に向かった。

 私以外のメンバーは既に席についていたので、急いで空いている席に座った。

 隣は西野と東尾師匠か。

 去年は西野、北見さん、東尾師匠、南原さん、木野さんと私の6人だったけど、今年は利男とひまりちゃんが増えた。

 私のレースチームも、結構人数が増えてきたな。


「さて、全員揃ったから飲み物頼むぞ。取り合えず、生3つとコーラ2つ、後は烏龍茶でいいよな。ひまりちゃんと利男はどうする?」


 北見さんが飲み物の注文を確認する。

 私達の注文は、昨年の実績から決めてくれたのだろう。

 コーラと烏龍茶は、筋肉に悪いと思ってお酒を飲まない私と東尾師匠と南原さんの3人用だ。


「私はカシスオレンジでお願いします」

「俺は梅酒だぜ!」


 ひまりちゃんは予想通りだけど、利男は梅酒か。

 ギタリストで派手なレーサーなのに渋いのが驚きだ。


「それじゃ、生3つとコーラ2つ、烏龍茶、カシスオレンジに梅酒だ。料理はエビチリ6皿、チャーハンと麻婆豆腐だな」

「ちょっと、エビチリ多すぎない? もっと色々注文しようよ」


 北見さんに西野が突っ込みを入れる。

 いや、去年西野が大量にエビチリを食べたからだろう。

 昨年忘年会に参加した皆が、困惑した顔をしているではないか。


「僕エビチリ大好きだなぁ。沢山食べたいから嬉しいですよぉ」

「木野さんが好きなら仕方がないわね」


 謎のエビチリ騒動は、木野さんが自ら犠牲になった事で丸く収まった。

 木野さんの気の使い方が絶妙で素晴らしいな。

 料理と飲み物が届いたので、皆で楽しく食べ始めた。

 隣の西野の取り皿を見ると、大量のエビチリが乗っているのが見えた。

 結局、一番多くエビチリを食べているではないか。

 西野はエビチリを無自覚で食べているのか?

 食事が落ち着いた所で、今年のレースや来年の目標について話を始めた。

 これだけ人数がいると、全員と同時に話すのは難しいな。

 南原さんとひまりちゃんは仲良くツーリングの話をしているし、木野さんと利男は前回のレースの話題で盛り上がっている。

 私の傍では自然と、次に買うロードバイクの話になった。


「次に買うロードは決まったの?」

「いや、考えていない」


 西野に次に買うロードバイクを問われたが、思わず否定してしまった。

 聞かれる事くらい予想出来たのに、気持ちの整理がついていないな。


「猛士さんはスプリンターなんだから、今度はカーボン製のエアロロードにしましょう。スプリントの最高速が伸びるからね」

「いや、今はエアロで軽量なオールラウンダーの時代だろ? 苦手なヒルクライムが楽になるぞ」


 東尾師匠と北見さんがそれぞれオススメのロードバイクを提案する。

 東尾師匠が勧めてくれたエアロロードは、今までのロードバイクの進化版と言える。

 アルミより形状の自由度が高いカーボン製だから、今まで以上に空力性能が高い。

 私のスプリントがより活かせるだろう。

 北見さんが勧めてくれたオールラウンダーは、今までのロードバイクとは少し方向性が違う。

 俊敏な反応性とヒルクライムでの軽快さが売りだ。

 空力性能もエアロロード程ではないが、今までのアルミ製のロードバイクより遥かに高い。

 どの様な状況でも性能が発揮出来る、今流行りのロードバイクだ。

 二人共本気で考えてくれているのが分かる。

 それでも、肝心の私の気持ちが動かない。

 こんなにも愛車に感情移入していたなんて……レースの道具として買ったハズなんだけどな。


「あぁ、考えてみるよ」


 二人には申し訳ないが、私には曖昧な返事をする事しか出来なかった。

 その後、差し障りのない話を続けていたら終了時間になったので、店を出て別れの挨拶をする事になった。


「少し早いけど、良い利男!」

「「「良い利男!」」」


 北見さんの挨拶に合わせて、利男以外の皆が「良い利男」と挨拶した。

 本当は「よいお年を」が正しいのだけどな。

 事前打ち合わせも無しに上手く合わせたものだ。


「待てよ! 良い利男ってどういう事?!」

「なら悪い利男ね!」

「な、悪いって? 俺が?!」


 西野にからかわれて、利男が慌てる。

 見ていて楽しいが、からかいすぎも良くないな。


「冗談はほどほどにしておこう。良い年を!」

「「「良い年を!」」」


 最後はリーダーらしく挨拶して締めた。

 この楽しい仲間との縁は無くしたくないな。

 その思いだけで、レース参戦は止めても、再びロードバイクに乗ろうと少しだけ思えた。

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