第39話 目の前の困難は未来の糧
折角、海岸通りを走っているのに東に向かっているのが残念だ。何故なら、交通量が多いと車で遮られて海があまり見えないからだ。左側通行だから仕方がない。帰り道では綺麗な海を見ながら走れるだろう。
前に目を向けると、南原さんがシャカシャカとペダルを回すのが見える。確か南原さんは平地ではケイデンス90rpmで回しているのだったな。ケイデンス80rpmの私より速く足を動かしている様には見えるが、本当に1分間に90回転もしているのだろうか? サイコンに表示されるデータと実感が合わない事があるのだ。実際に走ってみて色々気づくのは面白い。
そう、思っていたら色々試したくなってしまった。新しい気付きを得る為に南原さんの真似をしてみようか。ギアを下げて、前を走る南原さんと足の動きを合わせる。右、左、右、左……南原さんが足を上げ下げするタイミングが合う様にする。
サイコンを覗くとケイデンスが90rpmと表示される。前に南原さんが言っていた通りの数値が出ている。南原さんは得意なケイデンスだと言っていたが、私にとっては少し速いようだ。息が少し辛い。私は南原さんより心肺が弱いからケイデンスを上げるとキツイようだ。
信号で停車した時に南原さんに声をかける。
「試しに南原さんにケイデンスを合わせたら息が辛くなったよ」
「それなら今日は私と同じケイデンス90rpmで走りましょう? ケイデンスを上げる練習をしましょう」
「どうしてかな? 得意なケイデンスは人によって違うのではないのか?」
「猛士さんはケイデンスを上げた方が良いですよ。青です」
信号が青になり再び走り始める。
私はケイデンスを上げた方が良い? 何故だろう? 信号に遮られて聞けなかったが、言われた通りケイデンス90rpmを維持してみる事にした。
しかし、猛士さんと呼ばれるとはね。南原さんと少し打ち解けられたのかな。
再び信号で停車すると南原さんが説明を続けてくれた。
「猛士さんの筋肉は瞬発力が高くて持久力が低いので、筋肉的に言えばトルクをかける必要があるローケイデンスは合わないですよ。レースで戦える持久力を手に入れるなら90rpm以上のハイケイデンスを身につけた方が良いです」
「そうか今の私にはケイデンス80rpmが合っているけど、今後レースで戦うにはケイデンスを上げた方が良いのだな」
「そうです。ハイケイデンスで心肺に負荷をかけて鍛えましょう」
「分かったよ。アドバイスありがとう」
信号が変わり再び走り始める。
ケイデンスを上げると少し息が辛いが、ヒルクライム程ではないから耐えきってみせるさ。
30分程走行する内になれてきたが思わぬ難所を迎えた。海岸通りにも上りがあるではないか! 小高い丘程度だが私にとってはキツイ上りだ。
南原さんは座ったまま淡々と上っていく。救いがあるとしたら南原さんも上りが苦手で、西野みたいに軽快に上れない事だ。少しづつ離されながらゆっくりと追いかけ、南原さんが上り切った後にサドルから腰を上げてダンシングで一気に速度を上げて追いついた。
上り切った後は下り坂なので楽が出来る。足を止めながら潮の香がする風を浴びながら足を休めた。なんだか海に潜った様な気分だな。
ーーと上機嫌でいたら、今度は小高い山が見えるではないか。
山の中腹にあるトンネル中を上り続ける。僅か2分程度で上り切れる程度の坂だが、こう何度も出てくると疲れてくる。折角トンネルを掘るなら、坂にならない様に一直線に掘れば良かったのに……しかし、この辺りはトンネルと上りが多いな。
信号で停車して安堵する。二人で走っているのに、先に体力が尽きたら申し訳ないからな。休憩出来る信号ストップは有り難い。
「この辺りは上り坂が多いので頑張りましょう」
「先に教えておいて欲しかったな。上り坂は苦手だからね」
「すいません。この辺りは隼人が得意なルートなので、猛士さんも得意だと思ってましたよ」
隼人ーー東尾師匠が得意なルートだったのか。
確かにアップダウンが多いこのルートなら、パンチャーの師匠が得意そうだな。
「そうだったのか。私は師匠と違ってインターバル耐性低いから、頻繁に上りと下りが出てくるルートは得意ではないよ」
「それならインターバル耐性を付けるトレーニングにもなりますね」
その通りだな。平地で心肺に負荷をかけて巡行して、短い上り坂でスプリントして上り切るのはクリテリウムと同じ様な負荷がかかる。これは丁度いいトレーニングになるな。
南原さんの前向きな思考を知って、上り坂が苦手でネガティブな思考に陥っていた自分を反省する。私も年を取ったのかな。困難を目の当たりにした時、無条件に拒絶を示すようでは駄目だな。目の前の若者の様に、前向きに乗り越えよう。
目の前の困難は未来の糧だと心に刻め。
*
南原さんとの楽しい一日はあっと言う間に過ぎたーー
今日はトレーニング効果を優先したから疲労感が強い。だが、満足感も同じくらい高い。色々知れたからだ。走りの改善点、心構え、そして南原さんの悩み……
「今日はありがとう。また一緒に走ろう」
「はい、これからもお世話になります」
「それでは解散だな」
「はい、お疲れさまです」
「お疲れ!」
互いに手を振り、それぞれ帰路についた。
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