第13話 やり遂げた人だけが感じられる絶景
今週は久しぶりに西野とヤビツ峠を上る日だ。会って軽く挨拶を済ませた後、直ぐに上り始めた。今日は私が前を走り、西野が後ろを追う。
ゴッゴッゴッゴッゴッ。
カーボンホイール特有の鈍い反響音が気分を盛り上げてくれる。
私のホイールは上り専用の軽量ホイールではないけど、今までのホイールより500gほど軽くなっている。重たそうな見た目に反して軽快に回転する。
今日は師匠に教わった事の成果を試す。師匠に教わったのはスプリントだけではない、SNSで情報交換してヒルクライムのトレーニングメニューも教えてもらっていたからだ。
今日走行中に意識するのは、得意なケイデンスを維持して心拍数を上げすぎない事だ。得意なケイデンス70rpmでペダルを漕ぎ、心拍数は140bpm前後で抑える。
最初のバス停までが一番斜度がキツイ区間だから、ここで無理しないようにしないといけない。今の自分ならもっと早く上れるが無理せず呼吸を整える。
斜度がキツイ最後の直線に差し掛かって、初めて腰を上げてダンシングを始めた。息が苦しく心拍数も160bpmを越えてきている。でも、この区間さえ乗り切れば!
「あと少し! 耐えて!」
背後を走っている西野から激励が飛んでくる。あぁ、耐えて見せるさ。
そして、何とか前回ギブアップした蓑毛のバス停まで上り切った。
結構辛かったが、ここから先は斜度が緩い木々が生い茂る区間だ。樹木の影に隠れ、少し涼しさを感じながら先に進む。適度に湿気を含んだ森林特有の空気が呼吸を楽にしてくれる。呼吸も楽になったし、斜度も緩くなったから自然に加速する。この区間なら今の私でも時速15km前後を維持出来そうだ。これくらいの速度が乗ってくると、景色の移り変わりが楽しめる様になるな。他の人と比べたら圧倒的に遅いのだろうけど。
15分くらい走った後、斜度がキツイ坂が出てきた。腰を上げてダンシングで乗り切ると展望台の看板が見えてきた。この展望台は……
「まだ頂上じゃないわよ。足を止めないで!」
まだ、頂上じゃないって? 動画で予習したから知ってるよ。激励してくれているのは分かるけど、直接言われると心が折れそうになる。
展望台の先は斜度の変化が多くて、別な意味で辛くなってきた。一番軽いギアに落としてギリギリ走れる急斜面が来たと思ったら、ギアを2枚上げないと空回りする緩い斜面がくる。
リズムが一定に保てず苦戦する。呼吸も心拍数も乱れ続けている。ヒルクライムは傾斜が大きいと辛いくらいにしか思っていなかったが、斜度の変化でこんなにも違った印象になるのか。
ここまで来てギブアップは出来ない。無心になりペダルを漕ぎ続ける。
「あの坂を上ったら頂上よ!」
背後から西野が頂上付近に辿り着いた事を知らせてくれた。
やっと終わりか……サイコンで経過時間を確認すると55分と表示されている。ギリギリ1時間以内で完走出来そうだな。
少し斜度がキツイ最後の坂を乗り切る為に腰を上げてペダルを踏み込む。
残り10m……5m……上り切ったぁぁぁぁっ!
実際に叫んだら迷惑なので心の中だけで叫んだ。
辿り着いた頂上の駐車場は、山々に囲まれており景観は良くはなかった。景色を見るなら、途中の展望台の方が良く見れるだろう。だけど、苦労して登頂した思いの影響で特別なものと感じてしまう。
此処には、やり遂げた人だけが感じられる絶景があるのだ! 心に響く風景が見えるんだ!
他の若い人に比べたら成長は遅いのだろうけど、少しづつ成長していく実感が嬉しい。殆どルーティン化していて、毎日同じ様な事をしている仕事では得られなかっただろう。
私は早速目的の場所に陣取った。記念撮影で有名なヤビツ峠の看板だ。看板を背景にして、自分のロードバイクの写真を撮り始めた。極太なエアロフレームとディープリムホイールが格好いい。そのままSNSのアイコンに設定する。一人前の自転車乗りになった気分に浸っていると、
「ねぇ、私の事覚えてる?」
うっ。背後から西野に話しかけられたので、驚いて振り返った。
「急にどうした?」
「もう10分近く放置されているのだけど?」
10分?! もうそんなに時間が経っていたのか。
初めて上り切れた興奮で気づかなかった。
「上ってる途中は死にそうだったけど、上り切れたら最高の気分だった! 本当にありがとう!
あっ、謝るの忘れてしまった。でも今伝えないと、今の私の達成感と高揚感は伝わらないだろう。
「喜んでるならいいわよ……」
西野は呆れた顔をしているが、怒っていないみたいなので安心した。放置した上に謝らなかったのだから、普通は怒るのだけどな。若いけど立派な社会人なのだなと思う。
「待たせた私が言う事ではないけど、そろそろ下山しようか?」
「そうね、暑くなる前に2本目上りたいからね」
「残念だけど私は遠慮するよ」
「私も遠慮するわよ。45分で上れるのに、1時間もかけたくないからね」
そこだけ聞けば嫌味の様に聞こえるが、西野はわざわざ1時間かけて私の走りに付き合ってくれているのだ。感謝の気持ちでいっぱいだ。
「いつも付き合ってくれて感謝している」
「私が最初の師匠なんだから当然でしょ」
そうだな。技術的な事は何一つ教わっていないけど、ロードバイクの楽しさはいつも西野が教えてくれた。私にとって西野は、ロードバイクの楽しみ方を教えてくれる師匠だ。
下山した私達は
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