第27話「事故物件」
大学の後期の講義は終わり、結果は留年、故に春斗は退学届けを出して実家に帰っていた。大して金もない両親が出してくれていた学費、それを無駄にしたのである。元々私物の少なかったアパート。持って帰る物と処分するもの、それぞれを分けて予定通りに対処していく過程の中で思ったそれは春斗の人生の質であり本音。
ー俺って、何にもして来なかったんだなぁー
己の人生の経験があまりにも空虚で薄弱なものなのだと思い知らされて肩を落とす。
それからの就職活動からのどうにかありついた仕事で命を繋ぐ気分を得ていた。その頃妹の小春は大学入学によるひとり暮らしのための引っ越しの準備をしていた。春斗は小春がひとり暮らしを始めるべく引っ越しの準備を始めていたのを知ってはいたが特に手伝う事もなく、祝いをする事もない。
小春がいなくなるまでの間は出来る限り仕事が終わっても家に帰らないようにただ景色を眺めていた。これから春を迎えようとしていた。公園の池はまだ冷たそうで、道端に寝転がってあくびをしているネコはいつ見ても可愛らしくどこまでも自由であった。
そうしていつも同じ場所で同じはずの違う景色を眺めて時の移り変わりをいつもそこで見ていた春斗は4月の半ば頃、そこでふと携帯電話を見ると一件の着信が入っている事に気が付いた。
秋男や冬子がたまに連絡をしてくれるため今回もそうだと思って開いたところ、どうやら小春からの着信であった。
住み始めたアパートに霊が出るの助けて
ー事故物件を引き当てていらっしゃる!ー
普段の春斗に対する態度や口調とはかけ離れた文面よりも事故物件を引き当てたという事に驚いていた。そして春斗はいつものふたりにメールを送る事にした。
☆
青い空は綺麗で澄んだ心に染み入る優しさと強さを持ち合わせた広い絵画。
冬子は車を運転していた。助手席に乗せた秋男に訊ねる。
「春斗がいないのは普通なのか」
秋男は笑っていた。
「小春ちゃんはクソ兄貴が理由もなく大嫌いみたいだからな」
過ぎて行く景色は大きなショッピングモール、アスファルトの道路の端辺りにて等間隔に行儀よく並ぶ木々、右側には線路と踏切、そしてベビーカーを押す女性、杖を着いた老人、若々しいカップル、太った中年のハゲ頭の男。特に変わった事も物もない道路を通り過ぎて行き、やがてアパートが建ち並ぶ狭い道路が見えてきた。そこを曲がって3件先、そこが小春が借りたアパートなのだという。
車を降りたふたりは携帯電話のメールに示されている部屋へと向かう。アパートはあまりにも静か過ぎて場所そのものが死んでいるように思えた。そして隅が黒ずんだ階段を登り、小春がいるという部屋の呼び鈴を鳴らす。しばらくの静寂の後、ドアは静かに少しだけ開き、眉をひそめて弱った感じの少女が顔を覗かせていた。
秋男は可愛らしい少女のお出迎えに歓喜していた。
「どうも、あなたたちが秋男さんと冬子さんよね、私は小春。春斗の妹です」
「うっす、俺秋男。宜しくな」
「私は冬子、春斗とはよく遊びに行ってた。よろしく」
小春はふたりを部屋へと迎え入れてすぐ様ドアを閉じた。その様子は何かに怯えながら生きているようで見ていられない。
「ここさ、事故物件なの。幽霊が出るから怖くて。もしかしたらふたりなら解決出来たりしない?」
秋男は提案を出す。
「じゃ、まずは盛り塩と行こうぜ」
それを聞いて首を横に振る冬子。相変わらずの目のクマと目付きの悪さと白い肌は可愛さのかけらも感じさせない。
「やめとけ、詳しくもないのにそんな事したら逆に閉じ込める事になるかも知れないんだ」
蠱毒の件以来、ここにいない春斗含めて3人とも心霊現象に対しては自身の出来る事の限界を感じていた。それを分かっていてもなお、秋男は舌打ちをして乱暴な声で言う。
「じゃあどうするってんだ」
「取り敢えず泊まってみる事には分からないな」
そうして男1人女2人でのお泊まり会が決定したのであった。
☆
ただひたすら不自然な程に静かなアパート。夜になっても静かなままでやはりアパートそのものが死んだひとつの町のよう。死した町で眠るのは死へと近付くような気がして冬子にはとても出来そうもないように思えた。実際小春も睡眠不足で参っているようだった。
一方で秋男はとても安らかな顔で廊下の固い床の上で眠り切っていた。
「凄いね、勇気があるのかな」
冬子は鼻で笑いながら言葉を吐き捨てる。
「バカなだけだ」
その様子を見て小春はひとつ訊ねた。
「バカな事ってそんなにいけないのかな。確かに過ぎるのはいけないけど、少しくらいバカな方が生きやすいと思う」
「そうかもな」
小春はアパートの静けさに劣らない程に静かに呟いた。
「春斗に取ってたの、過ぎる事だったかな。普通に死ねとか酷い事たくさん言ってた」
冬子は不器用ながらに出来る限り優しく微笑みかけた。
「気が付いたなら良いんじゃないか。春斗ならひと言謝れば許してくれるだろうな」
「本当に? 冬子さんは知らないだけだよ、目を合わせる度に酷い事言って……このアパートに住み始めてから死ぬのがどれだけ怖い事なのか、春斗にどれだけ酷い事を言ってたのか思い知らされて。バチが当たったみたい」
冬子はゆっくりと首を横に振る。
「バチじゃなくてきっと教えてくれただけさ。だから大丈夫」
小春の手を握りながら冬子は天井の方、ロフトの方を向いて目を凝らしていた。
「断末魔の残り香……タチが悪い、事故物件ならみんなそうか」
ロフトの方から伸びて来たその手は干からびかけた生々しいもの。今にも折れそうな細い指、それがロフトの縁を掴みやがて顔を出して覗いていた。
明らかにこの世の者ではない。更に首程までが見えて、首に巻き付いた朽ちたロープが死因を語っていた。
冬子は秋男を起こす。秋男は目を擦りながら身体を起こしてその霊をひと目見て、恐怖のあまり震えて縮こまる小春を抱き締めた。
「大丈夫だ、放っておけばきっと」
「ダメ……だよ、近付いて……来るの」
小春は歯が震えてぶつかる音を立てながら怯え震える声でそう語る。
霊は既に胸辺りまで身を乗り出してぶら下がるような状態でそこにいた。
冬子は秋男と小春に逃げるよう促す。秋男は小春を抱き締めたまま立ち上がる。
そしてドアを開けて3人揃って逃げ出し始める。ドアを出て右側へ、エレベーターを目指して走り始める。そこですれ違ったドアが開かれたのを冬子は見逃さなかった。振り返り見たものは完全に干からびて黒ずんだ老いた男が足をふらつかせながら力なく歩み寄って来る姿。
「増えてるぞ逃げろ!」
そして闇の中息を切らしながら走り行く。最初にたどり着いた秋男はエレベーターのボタンを押す。そこから上ってきた箱がガラス越しに見えてきて秋男は声をあげる。
「ダメだ」
エレベーターのドアの向こう、そこにも何人かの霊がいて、エレベーターのドアが今にも開かれようとしていた。
「階段だ」
そうして3人は階段を懸命に、転けそうになれども構わず全力で駆け下りてアパートの1階、そこのドアからも霊が現れていた。その詳細を確認する間もなく逃げ出し、冬子の車に乗り込む。
エンジンをかけてすぐ様走り始めた車は幽霊ばかりが住まうアパートから命からがらどうにか逃げ出したのであった。
☆
存在そのものが事故物件なアパートとの契約はすぐにでも解消すべく手続きを出して、すぐに引っ越した小春。新たな住まいに移動する前に一度実家に帰って春斗にひと言だけ謝るとまさに冬子の言った通り、言葉の上ではすぐに許してくれたのだという。
しかし、小春は気が付いていた。許してもらうその時、それからの会話、全て春斗の視線が少しだけ逸れていた事を。
言葉では許してはもらえても心では許し切れていない、小春は取り返しのつかない事をしてしまっていたのだと悟った。池のある公園でひとり、夕空に涙を浮かべて池に想いを流して罪悪感に苛まれながら実家には戻らず引っ越し先へと帰ったのだという。
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