二十三日目

 少し遠くの図書館で勉強していたら、すっかり閉館時間になってしまった。

 廃校になった小学校を利用した図書館と、駅に近い中央図書館は、彼女のことを思い出してしまうので避けた。また行き帰りで鉢合わせないためにも、自転車で一時間近くかかる彼女の行動範囲から外れたこの図書館を、わざわざ利用したのだ。


(昨日の遅れは取り戻せたかな)


 彼女とケンカした昨日の朝、あんなことがあってなかなか眠れず、ダブルを二杯|呷あお)ってようやく寝られたという始末だった。起きたときにはすっかり日が暮れていて、ほとんど勉強できなかったのだ。クズの極みである。


 ――現実の厳しさを知り、動き出している彼女とは、えらい違いだ。


 彼女のことを思い出すと、やはりどうしてもまっすぐ団地へ帰る気になれない。朝バイトに行ったのだったら、ちょうど今頃返ってくる頃だろう。

 僕は、図書館の近くにあるみそカツサンドで有名なチェーンの喫茶店で時間を潰すことにした。




 店から出た頃には、完全に真っ暗になっていた。

 市内で一番大きな川を渡り、国道に入る。進行方向に目をやると、大きなアミューズメント施設が左手に見えた。


(ここってこの前、彼女が珍走団のバイクを将棋倒しにしたところだよな……)


 顔を覚えられたかもしれない。そう思った僕は、スピードをあげてそこを立ち去ろうとした――その時、


「おい、シカトかよお前?」


野太い声に僕は呼び止められた。

 吉川だった。

 同僚と思しき人間たちと一緒にいる。その中には見知った顔もいた。大方、仕事帰りにカラオケでも行った帰りだろう。


「何だお前。今日は二人じゃねえのかよ」

「……彼女、ここのところバイトで忙しくて」


 すると取り巻きの一人の女が「アイツが忙しいとかウケる。いつまで続くことか」と茶々を入れてきた。この間の花火大会のときに吉川の隣にいたヤツだ。


 吉川が、蔑みと憐みが混じった目つきで僕を見つめる。


「聞いたぜ。アイツの母親、メンタル病んで入院しているんだってな?」


 僕は頭がカッと熱くなった。郊外の街のプライバシーのなさに、激しい憎悪が湧き上がってくるのを感じた。


「悪いことは言わねえからよ、アイツと付き合うのはやめとけ」


 吉川は、さらに僕の神経を逆なでするようなことを言い続けた。


「底辺の子はやっぱり底辺だよ。抜け出せねえ。でも東京の大学卒業できたお前は違うじゃねえか。お前の未来を搾り取られる前に、関わりを断て」

「……黙れ」


 激しい怒りが、口を突いて出た。


「あ?」

「彼女が僕から搾り取る? 何も知らないくせに。彼女は、僕なんかよりずっとしっかりしている。これ以上、彼女を侮辱するな」


 取り巻きから「ヒュー、かっこいー」だの「こいつベタ惚れじゃん」だの囃し立てる声がしたが、無視した。


「お前……調子こいてんじゃねえぞ」


 吉川があらん限りの渋面を浮かべてすごんだ。

 だが、僕は退かなかった。


「そんなに言うならお前、アイツのために男見せてみろ」


 僕は「男見せるって、何をするんだ?」と言い返した。


「明後日の日曜、ここのボウリング場で俺と勝負だ。俺に勝ったら、二度とアイツの悪口を言わねえって約束してやる。言っておくが拒否権はねえ」


 そう冷えた声で僕に言い捨てると、吉川は踵を返して歩き出した。僕が口答えをしたことが、よっぽど気に食わなかったようだ。

 取り巻きが吉川を追って、その場を離れていく。何か野次めいたことを僕に吐き捨てながら去っていったが、耳に入らなかった。


(――言ってやった。一度も逆らえなかった吉川に、ついに言ってやった)


 だが不思議と恐怖は湧いてこず、僕は奇妙な高揚感にいつまでも酔いしれていた。


 「嘘」がバレて、彼女と離れ離れになるまで――あと七日。

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