五日目

「呑みに行こうぜ!」


 昨日、勉強頑張れと言ったのと同じ口から出たとは思えない台詞を、彼女は吐いた。

 ここは、僕らの街で一番大きいショッピングモールだ。コーヒーショップで勉強をしてこれから帰る予定だったのだが……、偶然出くわした彼女に捕まった。


「明日はバイトあるからダメ」


 僕はすげない口調でそう断ろうとした。

 昨年の春に大学を卒業して以来、僕は仕事に就いたり辞めたりしながらようやく大学院に入るための貯金を溜めたのだ。それをいま切り崩さないために、僕は日雇いで働かざるを得なかった。


「えー、いーじゃん一杯だけ」

「明日じゃダメ?」

「明日はアタシが夜勤の日雇いだから無理」

「……レストラン街は高いから、フードコートね」


 僕は早々に根負けをした。

 彼女は「やたっ」と喜んで、僕をフードコートへ引っ張っていった。

 夏休みに入ったショッピングセンターのフードコートは家族連れだらけで、僕らはやっとのことで空いたテーブルを見つけた。パーカーを置いて席取りするなり、一番安いラーメン屋で、一番安いハイボールを頼む。


『かんぱーい』


 中ジョッキを二つ高らかに鳴らすと、僕はグッと煽った。

 使用しているウイスキーは安物中の安物で、香りもはっきり言ってイマイチだ。だが、スピリッツが入っているどこの会社のものかすらわからない業務用ウイスキーじゃないだけマシだと、僕は思うことにした。

 僕らが店で呑むときは大抵、安いチェーン店だ。お通しが出る居酒屋でなんかじゃ呑まない。


「お前、変わらないね」


 おつまみのナムルセットを箸でもてあそびながら、彼女が突然言い出した。僕は思わず、ハイボールでむせるところだった。


「な、何だよいきなり」

「就職したっていうから、もっと変わっているかと思った」

「試用期間内で辞めたんだ。そんな変われるわけないでしょ」


 昨年の春、僕は正社員として就職した。だが、恐ろしいほど仕事ができなかった僕はみるみる先輩たちの失望を買ってしまい、耐えられなくなって試用期間内で辞めてしまったのだ。それからはバイトを転々として、今に至るというわけだ。


「まだジャンプ読んでる?」


 相変わらず彼女の話は脈絡がない。


「読んでいるけどそれが?」

「お前も外の世界で修行して、強くなって帰ってきたと思ったのに」


 僕は黙って、ラーメンのチャーシューをかじった。

 現実は、少年マンガのようになんていかない。明確な夢や目標もそうそうなければ、努力はその機会すら与えられないことも多い。

 個人ではどうにもできない理不尽。

 それだけが、このクソみたいな現実の真理なのだ。

 そのことは僕も彼女も……いや、誰でも大人になれば否応なく知ることだ。


「そっちこそ、何も変わってないじゃないか」


 僕がそう言い返すと、彼女は「――あ?」と据わった目を向けた。

 僕は思わず、ビクリと慄いた。

 ガンを飛ばしたと思った数秒後、彼女はコロッと表情を和らげてくつくつと笑いだした。


「まー、そうだな」


 冗談でメンチ切るのやめて欲しい。こっちは真正のビビリなんだから。


「――でも、こうしていられる時間はもうそんなにないじゃないか、って感じもするんだ」


 そう寂しそうに言う彼女は、正しかった。

 就職だったり家族の問題だったり、クソみたいな現実の理不尽が、甘く閉じたセカイを綻ばせ、僕らを否応なく変えていく。

 僕らのセカイの終わり。それは……僕の嘘が、バレた時だった。


 「嘘」がバレて、彼女と離れ離れになるまで――あと二十五日。

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