対峙

 「おはよう。せーちゃん。」

 12月26日、午前8時。

 償いの生活を始まってから約10ヶ月。

 まだ、せーちゃんは目を覚ましていない。


 点滴で、体に栄養は送っているのだろうが、あくまで補給であり、栄養失調で随分と細身になってしまっていた。

 

 手術が成功しているのは理解しているのだが、

 このまま、一生目を覚まさないのではないか。と、どうしても心配なった。


 だから、今日も様子を見にくる。 

 せーちゃんの安らかな寝顔が、不安を取り除いてくれる。


 安心を取り戻した私は、彼の手を優しく包み込む。


 せーちゃんが目を覚ますように

 

 私はせーちゃんの手を額に合わせて祈った。



 

 

 せーちゃんの見舞いを終わらせ、病院から出る。

 

 その時、男がこちらに歩いてくるのを目にした。


 その男を見るなり、息が止まり、棒のように足が動かなくなった。


 視界に入ったからと言って、気に掛けることはないだろう、だが、男の放つ雰囲気は普通とは言い難かった。


 ひょろひょろな体で、右に左によろけながら歩く。

 前髪は表情を隠すように長く、ぶつぶつと何かを呟きながら怪しげに口をつり上げている。ときせつ揺れ動く髪から見え隠れする眼(まなこ)は、穴が空いたようにどこまでも暗く、くすんでいた。

 

 これを人は狂っていると言うのだろう。


 人の皮を被った〝怪物〟。その方が当てはまる風貌だった。

 

 一歩、また一歩と、怪物がこちらに歩いてくる。


 いつの間にか、私は口を押さえていた。


 どくんどくん、よたよたと、自分の鼓動と足音だけが、鳴り響いている。


 男が真横を通る。


 (お願い、気づかないで!)

 

 そう願って、自信の存在を消して、ただ、男が通りすぎるのを待った


 一瞬、看護士や患者、せーちゃんの血まみれな姿と、狂喜している男の姿が脳裏をよぎる。


 そんな筈はない。でも、もしそうなら…

  

 でも、私に何が出来るの?それなら、警察を呼んだ方がいい!


 足を病院と逆の方に向ける―――――――

 

 












       『愛してるよ透華』


 


 (やだ…)

 

 足が止まる。

 

 (やだ…!)


  心の中で、せーちゃんが血で滲んでいく。


 (せーちゃんが死ぬのは、やだ!)


 (弱い自分はもう、いやだ!)

 

 先輩に逆らうことが出来なかった私は、せーちゃんが側にいないと、相談すら出来ない程弱かった。


 そして、今も恐怖から逃げようとしている。


 せーちゃんを失ってしまうかもしれないと言うのに。

 

 (そんなのやだ!そんな私、生きてる意味ない!)

 

 「待って!」


 震える声で、男を止める。


 「あ?」


 この得体の知れない怪物は、確実に病院で人を殺す。


 目は口程に物を言うとは、良く言ったものだ。


 まさにこの男の目の狂いは、人を〇すと判断するには、十分だった。


 が、一応確認することにした。

 

 「貴方、何するつもりですか?」


 「あー、お前だったのか~」


 にたぁ~とつり上げた口は、まるで口が裂け女のようだった。


 私を知っているかのように話しかけてくる男に、私は否定の言葉で返した。


 「貴方のことなんて、知りません。」


 「ひで~な~。俺とした仲じゃね~か~♪」

 

 この発言で男が誰なのかに気づいた。


 「貴方だったんですか。斎藤先輩。」

 

 せーちゃんが、唯一否定した男。私が堕ちてしまった相手。


 あぁ、本当になぜ私はこんな怪物に身体を赦したのだろう。


 「病院で何を、するつもりですか。」

 

 恐くて、恐くてたまらない。それでも、引き分けにはいかない。


 「奥田誠四郎を殺しに行くんだよ~。そうすれば、お前もあの忌々しい後輩も、誠四郎の家族だって絶望してくれる!見られないのは残念だがな。」


 そんな怪物の軽い言葉に、私はもう殺すしかないと思った。

 そして、人殺しになる覚悟を決める。


 「そんなの、許すわけないでしょ!」


 「せーちゃんは死なせない。殺させません!」


 フルーツを切るために持っていたナイフを取り出し、先輩に向けて駆け出した。


 次の瞬間、

 グサ。と、鈍い音がなる。

 

 私は、先輩の腹部を刺した。


 

 ナイフから伝わってくる感触と、生暖かい血の匂いが、人を刺したことを私に実感させた。


 凄く気持ち悪かった。吐きそうになった。


 これで、私は誰の信用も失くなってしまうだろう。

 あの優しい環境に、もう居られないだろう。


 「ごめん、せーちゃん。ごめん。」

 

 人を殺しました。

 たくさんの人を傷つけました。

 せーちゃんを苦しめました。


 

 あぁ、せーちゃんに会いたいな。

 

 

 私は、警察に向かった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

あとがき

 次回続きます。

  

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