理に会うという言葉、人と出会って語り合うことで生まれる言葉ですね。
人と語り合う。これ以上に楽しいことはありません。
その機会がコロナによって、どれほど失われたことか。
あ~飲み会に行きたい。けど行けない。コロナよ、去ってくれ
作者からの返信
ありがとうございます。
なるほどです。語り合うことで理を解していく訳ですね。
最初の頃の私は、一人でお酒を飲むのが好きなので、心の深い所にある知的なものではなく精神的というか魂というか、そんなものに出会うものであり、それを理と言うならば、解することのできないものを知った、みたいな感じで捉えていました。
私の昨晩の食事はストーブの上で一人鍋、そして焼酎を飲んでました!
信じていたものを失った時
信じなければならないものを見つける
との言葉に胸を打たれましたが、その後の
「理会」との言葉のプレゼンスがありすぎて
重心が移動したような感覚を受けました。
「理会」同音異義語でそのような言葉があるのですね。
勉強になりました。
P.S.
拙作への評価レビュー有難うございました。
作者からの返信
ありがとうございます。
元々は理会、理解、
理に真実を見たような出来事は虚なのか、
信じていたものが崩れ去り、
真実に出会う。
理を解するのではなく、
理に会う、
私が生まれる前に使われていた同義語の様ですが、
この言葉、好きで日常的に使っております。
追伸へ
あの作品、素敵でしたよ。文字が綺麗でした。
その状況に追い込まれてこそ、分かる事って有りますよね✨
作者からの返信
ありがとうございます
思想って出会いですよね
いろんな状況の中で自分自身に出会う
そしてまた思案する
そんな旅のようなものが人生なのかも・・・。
ありがとうございます!