第132話 秋の時間
県大会本戦が始まった。
土日と祝日を使って行われる大会に、また応援に来てくれる生徒やOBは多い。
10年前の白富東は、強くも弱くもないチームだったと、よく言われる。
だが100年の歴史を誇るだけに、OBは大量にいる。
野球部OBも多いのだが、このOB会と父母会が、ただの社交場であったことは、現役の生徒にとっては幸いであった。
この夏、あと一歩のところで甲子園行きを逃しても、無責任な言葉で傷つけるタイプの人間は少ない。
そもそも野球部に対して、全く期待していなかったのが、つい最近までという意識がある。
お祭り騒ぎとして定着したのは、やはり夏の甲子園に行ってからだろう。
センバツも直史や大介が派手なことをしていたが、夏に比べればそれほどのことはない。
あの夏は凄かった、と経験した人は口をそろえて言う。
桜島や名徳といった強豪名門と真っ向から渡り合い、大介はホームランを量産。
準決勝の大阪光陰戦は、高校野球史上屈指の好勝負であった。
そして指の負傷のために直史が投げられず、それでも決勝の最後まで、ずっとリードはしていたのだ。
甲子園には、悲運のヒーローがよく似合う。
負けた原因がはっきりとしていて、そして負けた相手も良かった。
「あれは楽しかっただろうな」
北村はのんきにそんなことを言うが、当事者たちはとにかく必死であったろう。
県大会を勝ち残り、関東大会にまで進めば、優也のテーピングが完全に取れる。
完全に力が出せるようになれば、優也の姿は完全に新しいものとなる。
センバツを優勝したピッチャーが、より強力に。
北村としては燃える展開だな、と明るく考えている。
監督として、そして教師としてしなければいけないことは、第一に選手たち、生徒たちの未来を守ること。
誰かが壊れるまで無理をして甲子園に行くならば、それは元々の高校野球精神にも、それ以上に白富東の理念にも反している。
楽しんで勝つ。
目の前の対決を楽しむ。
勝っても負けてもフィードバックして、また野球が上手くなればいい。
北村が監督を引き継ぎだしたと言っても、三年生にとっての監督は国立なのである。
三年の中で、野球で大学を選んだのは、渡辺だけ。
二番手ピッチャーとして待機しながら、ついに決勝で登板することはなかった。
そこが山口と違い、まだ何かやり残したことがあると、考えてしまう元なのだろう。
東都大学リーグの大学のセレクションに、夏のうちに行って合格していた。
もっともセレクションに合格しても、それでそのまま大学も合格というわけではない。
ここから受験勉強をして、しっかりと合格しないといけない。
白富東からは、普通に六大学への推薦入学もあるのだが、あえて渡辺はそれを使わなかったらしい。
はっきり言って将来のことも考えるなら、六大ブランドは魅力的なはずだ。
だが渡辺は、その道を選ばなかった。
野球部でキャプテンをやったということで、清水などは完全に推薦で大学に行くつもりらしいが。
入学金や授業料が免除になる特待生などではないが、推薦で行けるならば、そちらの方が楽であろう。
やりきってないならやりきった方がいいだろうと、国立は思う。
将来はプロを目指していて、あと一歩のところまでいった国立だ。
だが中学時代には既に、そんな道はもうないと考えていた北村は、大学時代に声をかけられても、全くプロになるつもりなどなかった。
自分がどの程度評価されているのか、ぐらいはちょっと知ってみたかったが。
部長となった国立は、むしろそちらで色々と三年生の相談に乗ることが多い。
そもそも白富東は、進学校なのである。
今年も東大や京大、早慶といったあたりに何十人も合格者を出すだろう。
その中で北村は担任を持たず、野球部の顧問として専念している。
国立とも話していたが、一年の長身サウスポー、浅井がベンチに入っている。
左で長身、そして手も長いというのは、北村には元上総総合の細田を思い出させる。
細田は現在、セ・リーグ最弱と言われる広島でエース級の働きをしているが、防御率の割には勝ち星が増えていかない。
カップスは過去に何度か暗黒時代を経験しているが、今もその中の一つだろう。
ドラフトで当てて育成を上手くすれば、一気にまた成績を伸ばしてくるかもしれないが。
プロには行かなかったが、知り合いにプロ野球選手の多い北村は、暗黒期の原因はだいたい、フロントにあると知っている。
もちろん無能で有害な監督やコーチなどというのもいるが、この10年ほどで昭和の空気はほぼ消え去ったと言っていい。
(中臣はある程度出来上がってるけど、こいつを育てないことには、甲子園は難しいだろうな)
サウスポーで、落差のあるカーブを使う。
それだけでワンポイントの左対策としては使えると思うのだ。
県大会一回戦は中臣に投げさせて、七回でコールド勝ちした。
9-1というのはいい感じであるが、やはり正志は勝負を避けられつつある。
優也を四番に置いて、潮を九番に置いたりなど、色々と試行錯誤はしている。
本格的にチームを率いるのは、北村としてもこれが初めてなのだ。
セイバー、鶴橋、国立と、かなり複雑な監督の采配を見てきた北村。
試合では鶴橋の狡猾さを持ちつつ、練習はセイバーのように効率的に行わなければいけない。
自分の特色はどこにあるのか?
そんなものは必要ない。あとは勝つことだけを考えればいい。
北村は夏休みに体験入部した中学生の中に、親が付いてきて「この子をプロ野球選手にしてください」などというものがいたのを体験している。
国立と話しても、どんな方法はないと言うしかないのだが、むしろ北村はプロ野球選手など、なった後の方が大変だという方向で説得した。
同年の東雲のピッチャーに、大河原という150km/hピッチャーがいた。
甲子園に出場したのは一年生の夏だけであったが、その球速を見込まれて、ジャガースに入団したのだ。
そして今は母校のコーチをしている。
プロ野球選手としては六年しかあの世界にいなかったのだ。
鉄也でもあるまいし、中学生がプロに進むほどに成長するかなど、分かるはずがないのだ。
それでも大介や直史レベルに異質であったら、何かあるなと思うことはあるが。
国立も言っていたことだが、正志はともかく優也や潮は、ここまで成長してくるとは思っていなかった。
正志はそもそも、本来なら私立の超強豪、東名大相模原に行く予定だったのだ。
声がかからなかった時点で、中学生のレベルではまだ、将来など分からないと言ったほうがいい。
それでも何か勘違いした親は、中学時代からシニアのチームに入れて、プロに入れればそれであがりと思っている。
むしろプロは、入ってからが始まりである。
ドラフト一位指名の選手であっても、契約金や出来高など、日本人男性の生涯で稼ぐ賃金に比べて、決して多すぎるとは言えない。
まだしも昔のように、自由契約や逆指名があった頃なら、そういった裏技も存在した。
だが一瞬で手に入った金は、すぐにどこかへ消えていくものである。
国立が考えるのは、野球を通じて生徒たちが、人生に役立つような知恵をつけること。
合理性、効率性、精神性などといったものだ。
人格形成などという胡散臭いものではなく、どうすれば勝てるのか。
それを学ぶことは、人生という長い物語の中で、自分が主人公の物語を、どう紡いでいくかを決めるための手段になる。
潮にリードされた浅井が、まずは最初のイニングを無失点で抑えてベンチに戻ってくる。
小さな成功体験を喜ぶ、無邪気な姿。
これを重ねていくことによって、努力の効率的な仕方などを学んで、よりよい人生を歩んでほしい。
北村は高校野球の監督としては、それほどの適性はないのかもしれない。
どんなチームであっても、監督が本当に勝ちたいと思っていないチームは、甲子園には届かない。
だが生徒たちを導く教師としては、国立よりも適しているかもしれない。
なんといっても、この白富東という学校の、OBであるのだから。
秋の大会は進んでいく。
そしてその中に、白富東の名前はずっと残っていく。
10月に入り、いよいよ県大会も終盤。
ここからはピッチャーの運用が、重要な試合が続いていく。
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