第62話 延長の心得

 またも延長戦であるのか。

 それにしてもこの両者のカードは、ロースコアゲームが多すぎる。

 SS世代と大阪光陰全盛期の対決、またその翌年の直史と真田の投げ合い。

 それに去年も蓮池とユーキの投げ合いで、延長戦に突入している。


 ただ怪物毒島を擁する大阪光陰に対して、白富東は二人のピッチャーを、バッターの相性によって使い分けている。

 絶対的なエースを持たない白富東というのは、かなり珍しいパターンだ。

 そうは言ってもこの試合、優也が自己ベストの146kmを記録していたりするのだが。


 甲子園という舞台は、選手を成長させる。

 優也に限らず、耕作や敵の毒島も、ここで自己ベストを更新しているのだ。

 やはり甲子園は、選手に力をくれる特別な場所だ。

 よりその力を大きく受けた方が、試合には勝つ。

 またその力を、受けきれない者は負ける。


 監督は冷静に試合を見て行かなければいけない。

 耕作も優也も、今までの自分の限界は超えている。

 だがだからこそ、どこかで壊れる可能性がある。

 キャッチャーの塩谷には、異常を感じたらすぐに知らせるようにと言ってある。

 それでもおそらく耕作は、どこかが痛くても投げ切ってしまうだろうなとは思っている。




 延長戦になると気分的には、圧倒的に後攻が有利になるとも言われる。

 確率ではどちらも同じなのだが、後がない人間というのは、どうしても萎縮してしまうものだ。

 精神力の勝負。

 白富東ではありえないはずの、精神主義。

 しかしここまで来ると、どちらがより的確な選択をして、それを恐れずに実行できるかが、勝つための選択である。


 10回の表、白富東の攻撃は、どうにか粘っていこうとしても、結局は毒島のボールに叩きのめされる。

 三者三振で、毒島の奪三振が増えていく。

 19個目の三振。だが延長まで含めるなら、直史が22奪三振というのをやっている。

(制球はともかく、球威自体は増してないか?)

 国立の見る限りでも、毒島の底が見えない。


 10回の裏、優也がワンアウトを取った時点で、国立はピッチャーを交代。

 耕作がマウンドに登って、優也は内野に戻る。

 ここからは左の苦手な左打者がいるので、交代させたのである。

 代打を出されたら怖いが、大阪光陰の木下は動かない。

 耕作が左であっても、ピッチャーとしての性能はそれほどではないのは確かだ。

 ここももう、国立は論理的な思考が通用しなくなっている。

 根性論や精神論は、白富東ではご法度のはずだ。

 だが大阪光陰を抑えるには、もう精神論に頼るしかない。


 そして10回の裏、ランナー二人を出しながらも守りきった。

 毒島のピッチングに比べると、かろうじてという言い方が適切であろう。

 また数人は、この時点で危険性に気付いた。

(まずいな)

「まずいですね」

 国立は隣で潮がそう呟いたのに、すっと人差し指を口の前に立てる。

 潮もまた、自分の迂闊な発言に気付いたようであった。


 延長戦は後攻が有利。それも確かにあるだろう。

 だが加えてこのままならば、三振を奪える能力の高い毒島が、圧倒的に有利になる状況がある。

 そう、タイ・ブレークだ。

 今の白富東の守備は、優也にしろ耕作にしろ、ある程度はランナーを出しても、そこから得点に結びつけないピッチングをしている。

 しかしタイ・ブレークで最初からランナーがいる状況から攻撃が始まれば、大阪光陰は圧倒的に有利だ。


 これが決勝戦であれば、15回まで通常の進行となる。

 だが準決勝だ。一つ早い。

 13回からノーアウト一二塁の状況から始まるので、送りバントさえ難しい毒島と比べると、優也も耕作もバント二つで一点を取られる可能性がある。

 もちろんそれまでに点が入る可能性も高いが、13回まで勝負が長引けば、かなりの確率で大阪光陰が勝つ。

 このまま毒島が三振を奪い続けても、12回の表には正志と悠木に回る。

 そこが最後の勝機だ。もちろんそれまでの、11回の裏もどうにか封じなければいけないが。




 大阪光陰の木下監督も、勝てる確率が高いことは分かっていても、焦ってはいたのだ。

 毒島は一回から早々にリリーフ登板し、もう一試合分を投げている。

 特に終盤にかけて、どんどんと球威は増していっている。

 これはピッチャーが限界を超えて投げているということだが、それだけ無理な負荷もかかっている。

 試合中に壊れなければいい。

 もう決勝には投げられないだろう。

 大阪光陰の夏は、ここで終わりだ。だが、負けて終わりたくはない。


 毒島の耐久力がどこまでのものであるのか。

 少なくとも練習においては、どれだけのメニューを組んでもタフに乗り越えていったが。

(ほんまはもう、交代させな……いや、途中でいったん変えて、殴り合いに持ち込むべきやったんか)

 木下でもいまだに、選手起用には失敗をする。


 この夏、事実上の決勝戦と言われたこの準決勝。

 11回の表が終わって、毒島は21個目の奪三振。

 体力に限界はないのかと、白富東側は圧倒される思いである。

 だが国立は気付く。

「足取りが重くなっているんだ」

 さすがに毒島もロングリリーフをし、しかも延長に入ってからは、一人のランナーも出さないピッチングをしている。

 毒島の弱点が、また一つ分かった。

 ほどほどに投げるのが苦手なのだ。


 全力投球であっても、普通の試合であれば、自然と力の抜いた球も投げていただろう。

 だが甲子園の雰囲気と、思いもよらない強敵の出現に、毒島のストッパーがぶっ壊れている。

 生まれて初めて、これだけ疲れさせる試合である。

 それだけに満足度も高くなっていく。


 大阪光陰はタイ・ブレークまで持ち込めば勝てると思っていた。

 だが毒島の体力の限界が近い。

 あるいはタイ・ブレークで、先に点を取られる可能性まである。

 11回の裏の攻撃で、サヨナラにしてくれないか。


 都合のいい展開は、両者ともに起こりにくい。

 11回の裏、優也から耕作へつないで、ここでもランナーは出したが失点はなんとか防ぐ。

 国立としては体力はともかく、集中力は心配している。

 だが二人はこんなつぎはぎの継投でも、どうにか集中力を保っていられる。

 メンタルのトレーニングや、精神的な追い込みなど、間違いなく一度もやったことがない。

 それでも二人は、執念深いピッチングを続けているのだ。


 そして12回の表。

 白富東は二番の城からの攻撃である。




 多くの人に夢を見させるような、スーパースターにはなれない。

 だがそのスーパースターの近くで、ささやかに輝く星にはなれる。

 毒島のような規格外を見ると、そんなことさえ身の程知らずに思えてくるが、だからといって人間、意地を捨てたら終わりである。


 12球目のストレートをピッチャーフライに打ち上げて、ワンナウト。

 悔しさをにじませてベンチに戻る城であったが、続く正志は冷静に今の打席を見ていた。

 毒島のコントロールがかなり乱れてきている。

 元々それほどコントロールはないため、真ん中近辺に集めていたはずだが、それも大きく外れたボールがあった。

 仁王立ちする姿も、疲労が感じられる。肩が上下しているのだ。

 

 一年生が一回からロングリリーフで、もう一試合以上に投げている。

 白富東はまともにヒットも打てなかったが、なんとか食らいついてはいった。

 時折振らせるつもりのボール球は、明らかに外れていたりして、球数は増える。

(170球は超えていたはず)

 こちらも優也と耕作の二人で回しながら、二人ともかなり球数は増えているが、それでも毒島ほどではない。


 二番手ピッチャーが早々に離脱したのが、それほど大きいのだろう。

 三番手ピッチャーも悪くはないが、毒島の球速に慣れた白富東なら、打てると正志は思う。

 延長に入ってからずっと、白富東はサヨナラの緊張感の中で戦っている。

 よくもまあ、あれで二人の集中力は途切れないな、とピッチャーとしてのメンタルを持たない正志は驚嘆するしかない。

 それにここで決めなければ、次の回からはタイ・ブレークだ。

 ランナー自体はそこそこ出している白富東は、点を取られる確率が高い。


 ここで打つしかない。

 甘く入ってきた球を打つ。


 そして甘く入ってきたスプリットを、無理に掬い上げないように打つ。

 センター前へのクリーンヒットだが、ここは長打がほしかった。

 毒島のクイックはそれほどでもないが、呉の肩は一級品だ。

 下手に盗塁して、刺されたどうしようもない。

 ここは悠木の一打に賭けるか。


 だがここで大阪光陰木下監督は、非情の決断を下す。

 悠木に対して申告敬遠である。

 毒島の球威はともかく、制球は衰えてきた。

 悠木に対して甘く入れば、それでホームランさえありうる。


 それにしても、決勝点となりうるランナーを二塁にまで進めるのか。

 単打では点が入りにくい場面だが、五番の塩谷はそれなりの長打力もあるのだ。

 あえて悠木を歩かせたことによって、プレッシャーはかかっているかもしれないが。

 木下のこれは、分は悪くないとはいえ、賭けであることは間違いない。


 そしてその五番の塩谷は、よりにもよってセカンド正面への強烈な内野ゴロ。

 4-6-3のダブルプレイが成立。

 白富東の敗北が迫ってくる。




 タイ・ブレークになれば大阪光陰は点が取れる。

 12回の表に勝ち越して、その裏を守りきるのが、白富東の現実的な勝利の道筋であった。

 打撃で期待出来る悠木が敬遠された時点で、その後がダブルプレイでなかったとしても、かなり勝算は薄れていたのだ。


 だが、まだだ。

 まだ勝ち筋が、優也には見えている。

 そのためにもここでは、サヨナラを食らうわけにはいかない。

 マウンドの上で、闘志を燃やす。

 毒島のような狂気のパフォーマンスではないが、優也もまたランナーを着実にアウトにしていく。

 これで投手評価Bは絶対におかしいと、多くのファンが思うでピッチング内容だ。


 そして12回の裏を、またランナーを一人出しながらも切り抜けた。

 これで通常のイニングが終わり、タイブレークが始まる。

 優也の持っていた、勝ち筋。

 それは13回の表が、六番の自分から始まることである。




 ノーアウト一二塁から始まり、二塁走者には悠木、一塁走者には塩谷が入る。

 この二人のうち悠木はかなり足が速い。塩田にもキャッチャーにしてはそれなりに走れるので、前が鈍足で詰まるということは考えなくていい。

 国立は三塁コーチャーに耕作を出す。


 タイ・ブレークで大阪光陰が優位になったことは間違いない。

 だがここでこいつだ。六番の優也である。

(毒島のボールをちゃんとヒットにしてるやつだ。ピッチャーだから打席は少ないけど、センスはかなり高い)

 続く七番と八番は、毒島のボールを前に飛ばす力はないだろう。

 かといってこいつを歩かせれば、ノーアウト満塁になる。

 毒島の制球が乱れてきていることを考えると、ランナーを三塁に至らせるのは危険度が高い。

 ここは勝負。出来れば進塁もさせたくはない。


 まさか同じ一年生に、ここまで苦労させられるとは思っていなかった毒島である。

 タイ・ブレークで大阪光陰が有利と言っても、先に点を取られてしまえば、後攻のバッティングはどうしても萎縮する。

 プレッシャーを楽しめる選手は、大阪光陰であってもそれほど多くはない。

 ここを抑えてこそエースだ。

(さあ、サインをくれ)

 毒島は気迫に満ちているが、呉は迷う。


 優也のデータは、普段はピッチャーをやっていて、それ以外の時に野手をやることは少ないので、充分にはないのだ。

 長打力があるバッターであるが、そう打率が高いわけでもない。

 ただこいつは、ピッチャーなのだ。

 ピッチャーというのは普段の打席ではそれほどでなくても、集中した時には打ってくるタイプが多い。

 県大会でホームランも打っているし、油断していいバッターではない。


 データと映像を見て多いのは、力んだことによる内野ゴロ。

(スプリットで打たせるか。下手に三振を狙いにいっても、単なるストレートなら打ってきてもおかしくはない)

 こういうタイプはいくら球威があっても、甘いところのストレートは逃さないものだ。

 だがとりあえずは、初球は外してその狙いを見ていく。




 外に外れたストレートを、優也は見送った。

 割とはっきりとしたボール球だったので、あちらもそれほど狙ってはいなかったのか。

(コントロールが乱れてる。それでも打つのは難しいか)

 同じ一年。間違いなく化け物だ。

 コントロールの悪さはほどよく散っているので、むしろ狙いにくい。

 これをしっかりと捕っているキャッチャーはすごいなと思う。


 狙う球は、特に考えていない。

 読みで打とうにも、それほど正確なコントロールをもっていないのだ。

 だからとにかく、打球のイメージだけを考える。


 インハイいっぱいのストレートは、かなりの球威であった。

 球速がここまで維持出来るというのは、素のスタミナはどれだけあるというのか。

(だけど、もう見えるぞ)

 わずかなフォームの違い。

 次はムービングを投げてくる。


 わずかに内角に曲がってくるカットボール。

 ほぼど真ん中のそれを、懐に呼び込んでから掬い上げる。

 早過ぎないように。そして力を込めて。

 ジャストミートではないが、サードの頭を打球は越えた。


 悠木はサードへ当然進塁。そこで手を回す耕作を見る。

 レフトは確か、それほど強肩というわけではなかったはずだ。この当たりならばホームを踏めるのか。

(行くしかない!)

 七番と八番に代打を送れば、この裏を0で封じられる確率が低下する。

 だからこの優也のヒットで、一点を奪わなければいけない。


 ベースの角を踏んで加速して悠木は、ひたすらにホームを目指す。

「右ー! 右ー!」

「スライ! スライ!」

 右側を走り頭から突っ込んだ悠木に、ボールをキャッチした呉が追いタッチにいく。

 だがそのミットに触れるよりも早く、悠木の左手がホームベースを叩いた。

「セーフ!」

 審判が手を広げて、甲子園が湧き上がる。

 だが呉はここでも冷静。サードへと送球し、狙っていた塩谷をぎりぎりでタッチアウト。

 一点を取られても追加点を許さない、大阪光陰の鉄壁の守備力である。


 もしここで三塁に進んでいれば、ノーアウト二三塁。

 内野ゴロでもさらに一点が入るという場面であった。

 だがこれでワンナウト二塁。

 ちゃっかり二塁にまで進んでいた優也は、さすがにセーフである。


 遂に均衡が破れた。

 この裏大阪光陰は上位からの打順であるが、それでも勝ち越し点を取られたのだ。

 また呉はマウンドに向かうが、毒島の集中力は切れていない。

 ここからは楽なバッターなので、どうにか一点で切り抜けたい。

(二塁ランナーが山根君でないなら、一か八かの三盗を試すんだが)

 さすがにこの場面では、大阪光陰バッテリーも無警戒だろう。成功の確率は高い。

 だがピッチャーの優也を走らせることのリスクに、それは釣り合わないだろう。


 スリーアウトで13回の表が終わる。

 タイ・ブレークの13回裏、大阪光陰の攻撃が始まる。

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