第37話 一つだけの
白富東は得点力においては、充分に甲子園に行けるチームだ。
もしもそれが無理だとしたら、ピッチャーの運用を間違えた時だ。
国立はこの準決勝、優也を使うつもりはなかった。
永田から耕作へ、そして渡辺への継投。
秋には一番多く使ったパターンである。
春の大会で、勇名館に勝利はした。
だがこの短期間で、一年生から実力者を育て上げるのが私立強豪である。
あるいは入学直後の一年生が、ようやく戦力として認められるか。
それでも主力は二年生だ。
おそらく最高学年となる来年が、勇名館は一番強くなる。
それはともかくとしても、勇名館に勝つのなら、今年のうちにやってしまいたい。
そのために春の県大会では使わなかった優也を、決勝では当てていくつもりだ。
完全な調子で上げるために、この準決勝は使わない。
最終的な目的を達成するために、許容しなければいけないリスクである。
国立としては上総総合を甘く見るつもりはない。
ただ上級生の継投だけで、勝ちたいと思っているのも確かだ。
ここでまた一つ、壁を超えてもらう。
甲子園に出場するだけでなく、その先を勝ち進んでいく。
至高の高みへ辿り着くには、一年生だけでなく上級生も、その力を高めていく必要がある。
もうこの季節に、練習で力を上積みすることは出来ない。
強くなるためには、ただひたすら試合の中で学んでいかないといけないのだ。
一つの実戦経験を積むことは、100の練習にも優ることがある。
一年生のホームラン二発で、三点というのが計算外だった。
白富東はこの数年、白石大介に始まり中村アレックス、水上悟と、ドラフトで競合するような強力なバッターを輩出している。
悟は中学時代でもある程度知られていたが、最後のシーズンを前に骨折して、その三年時の真価を見せることがなかった。
やや小さめの体格も、その将来性に疑問符を付けたのだろう。
大介も無名であり、アレクはブラジル人であり、全く無名の状態から、プロ野球の一位指名を受けている。
ただそういったバッターと比べて、正志は明らかに、異質な感じを与えてくる。
知名度自体は高く、県外の強豪私立に進むはずであったと聞いていた。
(悪い予感自体はあったんだが……)
鶴橋にも、正志のまとっている独特な空気は、なんともおかしなものに感じていた。
一年生であるのに、まるで最後の夏を迎えたような三年生の気配。
私立の強豪のそういった気配を、さらに増殖して濃縮したような、そんな力を感じたのだ。
なぜあんな気配を、この間まで中学生だった一年坊が持っていたのか。
(グラウンド内のデータだけじゃなく、もっと個性まで調べておけたらな)
そこまでやるだけのマンパワーは、上総総合にはないのだが。
そして一度もリードを出来なかったため、初見殺しの切り札も使えなかった。
あれから白富東と上総総合は、一点ずつを追加した。
4-2というスコアだが、あのホームランがなかったら2-1だったのだ。
たらればを言えばキリはないが、あの一年生にしてやられたのだ。
鶴橋の予定通りのスコアなら、3-1ぐらいで勝てると思ったのだが。
耕作が自分の自責点を、0で封じたのも鶴橋には計算外だった。
打ちにくいピッチャーではあったが、確実に成長していた。
(甲子園に行けよ)
せめてそんな相手に負けたのなら、諦めもつくかもしれない。
夏が終わる。
輝く夏が終わり、長い残暑が始まる。
それは二年生と一年生にとっては、新しく長い一年の始まりでもあるのだ。
今年も決勝まで進めた。
試合終了後には、地元の地方紙の取材などを受ける。
これで夏の県大会の決勝まで進むのは、八年連続となる。
そして七年前、SS世代が一年の夏に負けた相手が、今年の相手である勇名館なのだ。
不思議な因縁があると言うべきだろうか。
だいたいこの八年間、夏の決勝は勇名館かトーチバと戦うことが多かった。
順当と言えば順当なカードであるが、やはり地元の人気は白富東の方が高い。
金持ち私立に、公立校が勝つというのが、物語的に映えるのだろう。
だが実際のところは白富東も、その覇権の当時に大きな資金によって、設備と人材を揃えている。
それを行ったのが異色の女性監督というのが、また一つの話題になったものだ。
安楽椅子型の監督、
セイバーは試合中、ベンチから立ってサインを出すということを一度もしなかった。
……実際はしていたのだが、見えていなかっただけである。
ともかく順当に強い者が勝って、決勝にきたのだ。
そして甲子園を賭けて、明日の決勝を行う。
蠱毒の壺だ。
全ての毒を持つ生物が、一つの壺に閉じ込められる。
そして最後に残ったのが、他の全ての犠牲の果てに誕生する。
高校野球はさわやかなものではなく、むしろ他の全ての屍の果てにある、欲望と執念の輝きだ。
それでも高校野球の監督は、一度やったらやめられない。
学校に戻れば短めに今日の総括をして、明日の試合に備えなければいけない。
基本的には春と同じチームである。
一年生もベンチに入ってはいるが、出場記録はない。
将来的には主力になるのだろうが、即戦力ではない。
つまりそのあたりの話なのだろう。
長かったようで短かった、県大会が終わる。
他のチームはここまでで全て夏を終わり、あとは一試合を残すのみ。
勇名館との決勝はもう、何度もやったものであるが、そのメンバーは毎年変わっていくのだ。
「じゃあこれを。だいたいはそちらも持ってるデータだと思いますけど」
「いや、助かります」
上総総合の部長を務める北村が、母校の現在の監督である国立に、勇名館のデータを渡す。
試合で当たればもちろん敵だが、私立相手には情報を共有するという体制は、三里などと一緒に成立している。
元は東京の都立連合と言われたものが始めたのだが、特に私立の強い西東京で、ベスト4にまで進出するチームが生まれている。
この動きは埼玉と神奈川にもあるのだが、どちらも強いチームは圧倒的に私立である。
東京にしても都立から甲子園になど行けば、都立の星と呼ばれるものだ。
北村は新卒で赴任して、今年が三年目となる。
すると異動となるわけで、白富東を希望している。
誰をどこに異動させるかは、ある程度は本人の希望もあるが、各県の教育委員会で決めることが多い。
そしてその教育委員会が、地方自治体と普通につながっているわけである。
北村の場合は親も公務員であったこともあって、その伝手が使えたりする。
来年からは、このチームの部長になる。
こうやって学校を転々とするのは、まるでプロ野球では、と思わないでもない。
それもNPBではなくMLBだ。
ただしそれは来年の春のことだけに、まだ秋も手を抜くわけにはいかない。
鶴橋から教わることは、まだまだ多い。
まあ北村の家は、妻と実家がお隣さんというのも、ありがたいものである。
子供が生まれても、どちらかの親に託すことが出来る。
そうやって四人で育てて、もう子供も一歳になる。
部活の顧問でもある野球部に、ここまで自分が時間を割いている。
それを理解してくれる嫁さんは、幼馴染とはいえ貴重なものだ。
国立もやがてはまた、白富東を離れる。
三里のPTAや野球部の父母会からは、かなりの人気を誇る国立である。
もっとも別の意味で、今の監督の青砥晶も人気がある。
宝塚の男役を見ているような、凛々しい監督像がそれであるのだ。
公立と私立の強さが、ほどよいバランスとなっている。
白富東はその中で、まだまだ頂点であり続けなければいけない。
試合が終わって疲れていても、ミーティングだけはしなければいけない。
勇名館とは春に二度も対戦し、そして万全の状態の県大会決勝では勝った。
ただあの時点で関東大会出場は決まっていて、勇名館も完全に無理に勝ちにくるという感じではなかった。
あとは一年生の存在である。
ピッチャーに一人と、あとはバッティング要員らしきものが二人いる。
三人ともここまでの試合で機会をもらい、そして結果を出している。
「打率はともかく、パワーはすごいな」
そんな感想も出たものである。
残り一試合で、甲子園が決まる。
三年生は相変わらず、負けたらそこで引退という、ぎりぎりの背水の陣。
ただそれは勇名館の三年生も同じなのだ。
今日はそれなりに継投を上手くして、ピッチャーの負担を分散することが出来た。
お互いにチェックをさせても、大きな問題点は見つからない。
決勝では全力で勝ちに行く。
体力を使いきっても、千葉県の代表は早めに決まるので、甲子園までにはおおよそ回復するはずだ。
もっとも国立の経験からしても、予選から投げているピッチャーは、甲子園の間に休んでも、かなり疲労が溜まっていることが多い。
去年のユーキにしても、蓮池との投げあいは本当に限界まで力を振り絞ったものだった。
白富東の目標は、目の前の試合をとにかく勝っていくこと。
選手たちはそれでいいのだが、国立は少しでも上を目指さなければいけない。
勇名館の有力選手は、バッテリーと主砲。
だが春と違って、四番を三番に置いているところが気になる。
おそらくは走力の問題だろう。統計的に見ると強打者は、四番より三番に置いた方が、試合での貢献度は高くなる。
ただそれは統計として出せるほど、多くの試合を行うチームであるからだ。
高校野球のトーナメントでは、下手に打順を変更することは、避けた方がいい。
もちろん相手が格上であれば、奇襲として使えなくはないのだが
国立も奇襲というほどではないが、スタメンを代える。
優也を内野として、クリーンナップに置くのである。
負傷した長谷川の代わりを考えれば、長打力を失うわけにはいかない。
だがこれで正志は一塁のまま、内野守備もさせていた優也を三塁と、守備のポジションチェンジが最低限で済む。
二遊間を動かさずに済んだということで、ここは満足するべきなのだろう。
そして今年も、最後の難関が待ち受けている。
それは決勝の対戦チームよりはむしろ、自分の中に存在する敵であった。
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