第38話 先制攻撃

 決戦の日の朝を迎えることが出来たのは、たったの二チームである。

 そしてさらにどちらかが敗北して、唯一、甲子園に出られるチームが今日決まる。

 時間通りに学校に集まった選手たちは、ここから球場で向かう。

 ベンチ入りメンバー以外はそのまま球場に現地集合する者もいれば、応援団などは荷物を集めて同じようにバスで向かう。

 マリスタがおそらく、この夏で一番熱くなる日。

 そしてまた何人もの高校野球が終わる日である。


 甲子園に行ければ、ここで壊れてもいいという者もいるだろう。

 あと一歩で甲子園のグラウンドに立てると、執念をもって挑んでくる。

 既に甲子園のグラウンドを経験している者の多い白富東は、そういったタイプの執念は持っていない。

 ただ、もう一度あの場所へ。

 あるいは、今度こそ選手としてあの場所へ。

 甲子園を願う心は、形は違えど同じぐらい強いものだ。


 マリスタは完全満員の群衆で埋まる。

 プロの試合であっても、去年ほどの好成績を残していればともかく、あまり観客動員が多くないのが千葉である。

 高校野球の試合の方が、客席が埋まってしまうということもある。

「甲子園はもっとすごいぞ」

 萎縮とまではいかないが、それでもこの熱気を初めて感じる一年生に、耕作は満足そうに笑いながら声をかける。


 一年生の時から、夏のベンチに入っていたのは、耕作と塩谷の二人だけ。

 今はプロから注目される悠木も、一年目はスタンドからの応援だった。

 去年は進んだ甲子園への道。

 それが今年も保証されているとは限らないのが、甲子園という場所なのだ。




 先攻は白富東に決まった。

 甲子園に進む最後の一歩、攻撃から始まる先攻からというのは、有利であると言ってもいい。

 白富東と勇名館の戦力差を考えると、先制点を取ったチームの方が、七割有利であると言える。

 勇名館の守備練習を見るに、それほどぎこちないところはない。

 もちろんエースを先発させていて、その投球練習からしっかりと肩を作っている。

 国立はそれを見ながらも、この試合だけに出来ている弱点を探る。

(まあそういうのもないか)

 勇名館はこの数年で、白富東を除けば決勝の経験は、トーチバと並んで多い。

 ほぼ毎回ベスト4に入っており、その実力には間違いはない。

 だがあと一歩が足りないのだ。


 白富東の先頭打者である九堂は、ベンチの前で大きく息を吐くと、バッターボックスに向かって行く。

(こういう試合は先頭打者の役割が大きいけど)

 勇名館のエース榎木については、既に情報は多く集まっている。

 なので大事なのは、今日の調子を見ることである。


 九堂にはやや苦手なサウスポー。

 悠木も左であるから、そこは微妙に白富東とは相性が悪い。

 だが大きくスライドする球は持っていないので、そこまで相性が悪いとも言えないだろう。

 その榎木は九堂に対して、ストレートから入っていった。

 昨日と連投であるので、ある程度の疲労は蓄積していると思いたい。

 高校生は回復力が高いが、フルイニング投げているのだ。


 その九堂はカウントいっぱいから粘ったが、結局はセカンドゴロ。 

 続くバッターに耳打ちして、ベンチに戻ってくる。

「春とそんなに変わった印象はありません。ただ疲れみたいなのも見えません」

「じゃあ少し球数を投げてもらおうか」

 国立は高校野球というものは、特にプロなどと比べても、いかに相手の嫌がることをするかが重要か知っている。

 

 勇名館も白富東と同じく、多くの試合はコールドで片付けてここまできている。

 だが白富東と違うのは、コールドにならなかった接戦は、エースを完投させているということだ。

 監督の古賀はそれなりに柔軟な思考の持ち主のはずだが、接戦でこそ控えを使うことを、許容出来なかったというわけだ。

 もっとも絶対のエースというのが、勇名館にはいたことも理由であろうが。


 10球粘らせたが、最後はスプリットを振ってツーアウト。

 これで一番の九堂と合わせて、最低限必要な、一イニング15球を相手のピッチャーに強いることとなった。

 九回までこれが続けば、135球となる。

 まだ二年生のピッチャーが、それよりも多く投げることは可能だろうか。


 勇名館の古賀は、まあいい監督だと国立は思うが、エース信仰は強いと思う。

 今ではプロで投げているピッチャーを、一年生の時から投げさせすぎて、故障させているのだ。

 プロに入った今も故障がちなのは、高校時代の酷使が原因ではないかと、国立は思っている。

(するとうちは最高級のエースが一年生なのは、いいことなのかな)

 シニア時代には結局無名で、特待生の話まではなかった優也。

 だが現時点での力を見れば、明らかに全国制覇を狙うレベルチームに、一年生からベンチにいてもおかしくはない。


 エースがいて、いいキャッチャーがいて、未来の四番が同じ学年にいる。

 心配がないわけではないが、人材はそろっている。

 ベンチ入りしなかった中にもいい選手はいるし、今の二年生も悪くはない。

(まずは今年、甲子園に行かせてもらう)




 バッターボックスに入る前に、左胸に手をやるようになったのは、いつ頃からだろうか。

 割と最近の話だと思う。生きていることを、しっかりと感じるために。

 一種のルーティンとなって、意識を切り替える。

 目の前のサウスポーを打ち砕くことを、第一に考える。


 春の大会からスタメンに入っているこいつは、一年だからと甘く見ていい相手ではない。

 だが初回はしっかりと三人で終わらせたい。

 サウスポーはその球筋的に、右打者に対してはややボールが内に入りやすい傾向にある。

 だが外いっぱいが、ストライクに取ってもらえる可能性もあるが。


 外のストレートを見逃して、ストライクのカウントになる。

 今日の審判は右バッターの外が、ほんの少し広いらしい。

 いやサウスポーが角度をつけて投げてくるので、外のボールがやや内に入ってくるように見えるのか。


 勇名館のエース榎木は、スプリットとチェンジアップを決め球にしている。

 正志は一打席目、まだバットを振っていない。

 確実に甘い球を狙っている。

 ならばチェンジアップではなく、スプリットでゴロを打たせる。

 悪くても単打になる。

 そう考えたわけだが、正志はそのスプリットに、上手くバットを合わせていった。


 飛べ。

 そう強く思ったボールは、ドライブ回転がかかって、フェンス直撃。

 そしてそのスピンから、ファールゾーンへと転がっていく。

 足もある正志は、コーチャーのぐるぐる回す手を見て、セカンドベースも蹴る。

「スライ!」

 そして滑り込んだ。 

 

 ツーアウトからであるが、スリーベースヒットで一打が入る状況。

 そして四番の悠木がバッターボックスに入る。

 シチュエーションで集中力が大きく異なり、得点圏打率や決勝打に優れた悠木。

 集中しているように見えるが、緊張しているのか、それともしていないのか、そのあたりの判断はつかない。

 

 バッテリーは初球、やや外れた外のボール球を投げた。

 打ち気に逸っていれば、これを振っていってもおかしくないだろう。

 だが完全に見切っていて、バットはぴくりとも動かない。

(こりゃダメだ)

 古賀は選手を出して審判に告げる。

 申告敬遠で、悠木は一塁に歩かされる。


 そして続く五番。

 本日はサードに入ってスタメンスタートの優也であった。




 深めに守って、一塁でなくても二塁でもアウトを考える勇名館。

「セーフティバントしたら、面白そうなんだけどね」

 国立は呟くが、そのサインは出さない。

「バント苦手ですからね」

 よくその練習に付き合っていた潮が言って、ベンチ内が苦笑で満たされる。


 バッターボックスに入る前、一度武者震いをする優也。

(粋な場面だな)

 正志が一人で得点のチャンスを作り、そして四番の悠木が敬遠された。

 ここでホームランを打てば、一気に試合は勝ちに傾く。

 スイングは強く、二度ほどしてから、バッターボックスに入る。

「っしゃあ!」

 気合の声と共に、マウンド上の榎木を睨みつける。


 打つ気満々で、むしろ怪しいぐらいである。

「彼のバントの記録は?」

「えっと……ないですね。普通に打率の高い長打も打てるバッターです」

「ああいうのが白富東に入っちゃうからなあ」

 古賀は嘆くが、ベンチからはしっかりとサインを出す。


 気合が入っているのがベンチからでも分かるが、それが空回りしていないかどうか。

 初球からスプリットを使って、上手くいけば内野ゴロに。

 バッテリーもそれは理解して、内角のベルトの高さから、スプリットを落としていく。

 打てるものを打てとしか、サインは出せない国立である。

 初球からその内角のボールを、打ちに行く。

(げ)

 沈むスプリットに、無理矢理スイングを合わせにいく。

 バットには当たったが、これはカットも出来ていない。


 打ち取られたかと思われたが、これは面白い当たりだ。

 内野は深めに守っていた。そして優也は今年の一年生の中では、一番足が速い。

 当然ながらバットに当たった時点で、他のランナーもスタートしている。

 ころころと転がるボールは三塁線に近いが、ファールにはなりそうにない。


 ほとんどセーフティバントのような打球であった。

 深めに守っていたことが、勇名館にとっては仇になった。

 サードの捕ったボールは、そのまま素手で捕るべきだった。

 だがこんな時だからこそ、体は身に付いた確実な動作をしてしまう。

 一塁に投げたが、わずかに優也の方が早かった。

 白富東が多少の幸運をもって、この試合に先制した。

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