第34話 一年生たち
メンタルやポジションを考えず、純粋に能力だけを比べるなら、白富東のエースはすでに優也である。
ストレートは強化され、早いカウントでアウトを取るためのスプリットがあり、カーブとチェンジアップで緩急をつけて、スライダーで空振りを取る。
一年の時点で140kmオーバーの球速があるのも確かに全国レベルであるが、倉田が驚いたのはそれよりもスライダーだ。
甲子園に行けば140kmはもちろん、150kmがゴロゴロいるのが今の時代である。
だがストレートとあのぐらいのスライダーの組み合わせは、なかなかいない。
コーチと共に、緩急を付けられるようにカーブとチェンジアップをちゃんと差別化した。
おかげでチェンジアップは、ストレート待ちでも当てることは出来る球になってしまったが。
スライダーで空振りが取れるのだ。
身長の伸びがまだ止まっていないので、無理なウエイトはやりにくい。
インナーマッスルを中心に、怪我をしない体を作る。
この夏もそれなりの戦力にはなるが、本格化するのは三年の夏まで待たないといけないかもしれない。
(そう思うとタケって化け物だったんだなあ)
今も大学の奪三振記録を更新し続けている武史だが、それでも早稲谷は去年までと比べると弱体化している。
ドラフトに五人も指名された四年生が抜けたし、何より誰より直史がいたからだ。
現在の早稲谷は武史と淳の二人を中心に、投手力で勝つチームになっている。
エースではあるが武史は、どうしても二番手という印象が、倉田にも強い。
やはり上にいたピッチャーが、偉大すぎたせいである。
入学して早々に、骨格などのデータも採取してある。
優也は順調に成長すれば、最後の夏には150kmが投げられるようになるはずだ。
そこにスライダーと、打たせるための変化球、それに緩急が加われば、完全に全国屈指の強豪ピッチャーだ。
その選手の完成形を目指すという意味では、セイバーの使っていた骨格別の育成方針など、倉田も知らない新しい手法が取り入れられていた。
なんでもこれは、まだMLBでも実装できていないトレーニングだそうだ。
それをプロの選手にでもあるが、まずは白富東の選手で試す。
格安な代わりに、ある程度実験体ということにもなる。
強くなるならそれでもいいのだろう。
2-1と一点差に詰め寄られ、そして回の頭から一年生が投げる。
東雲としてはここでどうにか、ピッチャーを崩す形で点を取りたいだろう。
正志をサードにして、ファーストに念のため、耕作を残してある。
あまり考えたくはないが、国立は予防線を引いている。
関東大会でも投げたとはいえ、楽な場面であったことは間違いない。
負けず嫌いの優也であるが、それでも春の大会は、シードさえ取れればあとはお遊びを、チームの雰囲気も違ったからだ。
もっとも白富東という学校は野球部のみならず、部活や行事も真剣に楽しむ校風である。
そして夏もこれまでに、登板したことはある。先発を任された。
コールド勝ちをしてきたので、継投でもリリーフとして投げた。
全てはこの日のための、予行演習であったと考えるべきか。
優也はプレッシャーを感じない。
正確にいうと、プレッシャーに萎縮しない。
ヒリヒリした場面であっても、むしろそれが楽しくなってくる。
一種のギャンブル中毒にありそうな、ピンチを楽しむ性格なのだ。
シニア時代はピンチを自分で呼び込んでいるようなピッチングをして、チームから反感を買ったこともある。
だがそれは誤解であり、気分が乗らないと本気が出ないのだ。
悠木にも似ているが、これまた困ったタイプの選手である。
だが、ピッチャーらしいピッチャーとも言える。
相手は甲子園出場経験もある、強豪私立の東雲。
プロ野球選手も輩出している、まさにこれぞ強豪といったチームだ。
ただ白富東の空気に慣れた優也は、見せ掛けだけの強さかな、と感じないでもない。
ベンチから見ていても、分かりやすい強さであった。
次に何をしてくるのかという、得体の知れないところがない。
強いことは強いが、プレッシャーはそれほどでもないのだ。
もちろんこの状況自体が、プレッシャーを上乗せしてくるが。
スコアは2-1でリードしている。
ただし前のイニングに一点を返されていて、やや向こうに勢いがいきつつある。
そして先頭打者は、よりにもよって四番である。
この大会もここまで、二本のホームランを打っている。
最後の夏に賭けた三年生の執念が、マウンドにまで伝わってきそうである。
塩谷のリードに対して、優也は首を振る。
上級生のキャッチャーに向かって、よくもこれだけの度胸があるものだ。
だが最終的に頷いたサインを考えれば、ちゃんとこいつも考えているんだな、と塩谷も納得する。
これだけ首を振ったからには、ストレートを投げたいのでは。
偵察部隊からの情報では、140kmオーバーのストレートを投げてくる。
だがスピードだけならコーチは、150kmを出してくるのだ。
初球にストレートがきたら打つ。
そう考えていたところに、内角への球。
腰が引けたところから、ぎゅるんと外へと逃げていった。
スライダー。
県外の強豪とも練習試合を行う間柄ではあるが、これほどのスライダーを投げるのは、他には一人ぐらいか。
(まずい)
右投手のスライダーが、右バッターへの効果が高いのは確かだ。
だが体験してみると、このスライダーは本格的に打ちにくい。
優也はストレートも一年生としては別格に速いが、そのストレートのキレをよくさせるために身につけた、指先の感覚の方が重要である。
ほんのわずかな指先の力の入れ方で、曲がっていくスライダー。
変化量も多いが、それよりもキレがある。鋭く曲がっていく感じなのだ。
(これは、もっと早くから研究しておくべきだった)
残り二イニングで、攻略することは難しい。
他の球種も使ったが、ゾーンは全てスライダー勝負。
それで八回の攻撃は封じた。
変化球の多用は肘に負担をかけると言われている。
だが実際のピッチャーの優也からしたら、本当に全力のストレートを投げるよりは、スライダーの方がよほど楽に投げられるのだ。
ストレートはあくまでもアウトロー中心。
他のコースへのコントロールは多少甘いところはあるが、アウトローの出し入れだけはみっちりと練習した。
もっとも左打者にはインローになるため、そこは気をつけなければいけない。
八回の表は三者凡退にしとめることが出来たが、最終回はおそらく下位打線なので代打をたくさん使ってくる。
その前に八回の裏、白富東の最後の攻撃があるが。
二番から始まる攻撃は、あっさりとワンナウトにはなる。
だが三番の正志がヒットを打って、四番の悠木。
最初のホームランの印象は、当然ながら残っている。
正志の足からして、長打であれば一点は期待出来る。
ここで二点差に突き放すことは、かなり勝利へ近付くことになる。
最後の夏だ。
両チームの三年生は、負けた瞬間に高校野球が終わる。
左打者の悠木に対して、外角攻め。
ストライクが入らず、結局は歩かせることになる。
ワンナウト一二塁で、優也の打席が回ってきた。
優也にもバッティングに関しては、集中力の波がある。
シニア時代は普通にエースで四番、そして高校に入ってからも、それに相応しい打撃を残している。
ただピッチャーということもあって、打順はラストバッターになることが多かった。
それに怪我でもすれば、そこで一気に勝利が遠のく。
白富東には、他にもピッチャーがいる。
何より耕作をまだ残しているのが、いざという時の安全策である。
一点差で、向こうは代打攻勢。
それを確実に抑えられると思うほど、優也が慢心していない。
白富東に入ってから、散々言われていること。
それは野球というのは、内野ゴロを打たせても詰まったフライを打たせても、点が入るということだ。
(もう一点)
六番に入っている塩谷は、キャッチャーもやっていてかなり打つ。
ここで最低でも進塁打を打てば、相手のピッチャーはかなりのプレッシャーになるだろう。
暴投しても三塁ランナーなら帰ってこられる。
(つまり相手は、内野ゴロを上手く打たせてゲッツーを取りたい)
自分のやりたいことだけではなく、相手がやりたいことも考える。
そこからやっと、自分の選択が生まれてくるのだ。
国立のサインは、ゴロは打たせないということ。
おそらく手元で動く球で、ゴロを打たせたいのが東雲だ。
内野もやや前めであるので、内野を抜けるヒットでも、ホームで殺すことが出来るかもしれない。
なので思い切り、打っていってもらう。
本当に攻撃的なチームだ。
スタンダードな考えであれば、進塁打をまず考えるだろう。
(いいね)
優也の攻撃的な性格には合っている。
球種もある程度分かっている。
当たる程度には変化する変化球なら、掬い上げたらどこまで飛んで行くのか。
三球目、おそらくカットボールを、逆らわずに流し打ちした。
スピンのかかったボールはファーストの頭を越え、ライン際に着地してからファールゾーンへ転がって行く。
長打になる。二塁の正志は問題なく帰ってこれる。
そして悠木も俊足を活かして、三塁ベースを蹴った。
追いついたライトのバックホームは間に合わない。
それどころか、これも俊足の優也は、三塁へと到達する。
一年生のピッチャーが、そのままスタメンの五番に入ったことに、注意しなかったのか。
優也はバッティングも良くて、これまでの試合でもピッチャーながらしっかりと打っている。
ピッチャーで先発しない時は、内野を守らせようとしている国立の考えであるが、東雲の情報収集と分析が徹底していなかったということでもあろう。
塩谷のバットが外野フライをたたき出し、そこからさらにタッチアップで一点。
ようやくおここでランナーはいなくなったが、三点を加えて一気に5-1と点差を広げた白富東。
事実上試合は、この時点で決まったと言っていいだろう。
また一つ、夏が終わる。
高校野球が終わる選手たちは、最後まで戦わなければいけない。
もう負けると分かっていても、目の前のプレイに完全燃焼させる。
想像通りの代打攻勢で、思い出代打の三年生が出てくる。
ピッチャーにまで代打が適用されたので、これで試合は終わった。
内野安打を一本打たれたものの、最後には先頭打者に帰ってくる。
一本でも多く打って、次のバッターにつなげる。
打席の中で考えるのは、それだけである。
優也には最後の夏など分からないし、分かりたくもない。
白富東の選手たちはみんな、最後の夏は爽やかに終わっていくのだ。
勝っても負けても。そして優勝しても。
俊足のバッターが打ったボールが、普段はサードを守っていない正志の正面に飛ぶ。
だが普通にノックの練習はしているのだ。そのまま捕球して、一塁へと投げる。
ボールの方が早く、スリーアウト。
ゲームセットで、白富東はベスト4へ駒を進めた。
今年もまた、後輩たちの夏が終わった。
高卒で埼玉に入団し、夏の時期には差し入れなどを持ってきたものだ。
そして届かなかった。
一年生の力に負けたのだ。
高校時代はこれが終わっても、プロに指名されるかもしれないし、大学に進んででも野球はやつつもりであった。
だから高校で終わる選手たちの気持ちは、はっきり言って分からなかった。
中にはこれでせいせいしたと、思っていた者も多かったのかもしれない。
だがそれでも、これが一つの区切りだ。
プレイヤーであった頃は分からない。
だが指導する立場になると、ちゃんと分かってくるものなのだ。
高校野球は特別な存在だ。
甲子園に行けなかったことで、結局は不完全燃焼になるのか。
ただそんなことを言っていれば、ほとんどの高校球児は不完全燃焼に終わるのだ。
すぐにまた、秋の大会が始まる。
新しいチームが構築されて、春のセンバツを目指すこととなる。
引退する三年生を除いて、どうやって一二年生で新しいチームを作るか。
試合に負けた直後から、そう考えている自分に驚いた。
敗北してきたチームの想いまで背負って、勝者は勝ち進んでいかなければいけない。
もちろんそんなものを、ずっと意識していくわけではないだろうが。
(どうせなら、強いところに負けたと思って、残りは過ごしていきたいよな)
敗北した東雲は、わずかだが休んでから長い夏を鍛えることとなる。
今年もまた、敗者にとっての長い夏が始まるのだ。
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