第35話 甲子園のために

 ベスト4が出揃った。

 あちらの山ではトーチバと勇名館。そしてこちらの山では白富東と上総総合。

 おおよそ事前の予想通りの、ジャイアントキリングのない結果である。

 そしてこの準決勝二つのうち、おそらく白富東は決勝に勝ちあがるだろうと考えられている。

(確かに戦力的には決勝に上がることは難しくない)

 ピッチャーを上手く回していけば、おそらく勝てるはずなのだ。

(だけど余裕を残して、決勝に進みたい)

 決勝まで進んでも、そこで負ければ準決勝で負けるのと同じようなものだからだ。


 高校野球は甲子園に行くか行かないかで、全く価値が違う。

 世界選手権で優勝するのと、オリンピックで優勝するのとが違うようなものだろうか。

 いやそれは、神宮大会や国体と、甲子園を比べた方が適切であろうか。


 どうでもいいことで少し頭を柔らかくしてから、国立は準決勝を考える。

 単純な選手の能力や数字ならば、上総総合はベスト4に残った中では、一番弱いチームであろう。

 ただ問題は監督の鶴橋がどれだけ作戦の引き出しを持っているかであり、一発勝負の夏のためには、春の大会や夏のここまでの試合で、切り札を切ってこなかった可能性があるのだ。

(変に作戦を考えるより、正面からぶつかった方が勝ちやすいんだろうけど)

 すると消耗が大きくなり、決勝で全力を出すことが難しくなる。


 全ては準決勝と決勝の間に、休養日がないことが悪い。

 上総総合などはそもそも、全力を出さないと勝ち進めないので、下手に先のことを考えなくてもいい。

 白富東は戦力に余裕があるがゆえに、むしろ温存することを考えてしまう。

 特に一年生の優也を、どこまで使っていいのか。

 春の大会と夏のここまでの試合で、まだ限界は見えていない。

 優也と耕作の二人を上手く使い、そしてこの二人を休ませることが、甲子園への出場と、そしてどこまで頂点に近づけるかという話になる。




 上総総合の野球部では、かつて白富東のキャプテンであった北村が部長を務めている。

 別名「間に合わなかった世代」と言われているのは、引退したその秋に、白富東が関東大会の決勝まで進み、春のセンバツへの出場を決めたからだ。

 個人的なことを言えば、北村は大学野球でかなり楽しめて、プロからもちょっと声はかかったものの、バッターとしては一つ下に西郷、ピッチャーとしては同学年に細田、二つ下に直史がいたため、プロとはそんなに甘くないであろうとあっさり振り切った。

 当初は最初から白富東に赴任することを目指していたのだが、教師としての異動のタイミングなどを考えて、最初は他の学校への赴任を決めた。

 どこがいいかなと思っていたら、都合が良かったのが上総総合である。


 上総総合の鶴橋は、監督業40年にもなる超ベテランである。

 教職として務めながら、公立校の上総総合を何度も、そしていまだに公立の割にはそこそこ強いチームを、甲子園に連れて行った名将である。

 定年後は職業監督としてながら、ボランティアに近いような金額で、上総総合を率いている。

 ただ私立強豪化の時代の波には対抗出来ず、最高は春の大会の優勝までである。

 よりにもよって甲子園にはいっさいつながらない県大会で優勝し、もったいないところで優勝してしまったな、と本人もこぼしたぐらいである。

 なおその時のエースが現在はプロで活躍する細田であり、夏の大会の準決勝では白富東が細田を打って勝利した。


 そういう経緯を考えると、人間関係の変遷は不思議なものである。

 北村は今年で初任地の学校が最後となり、春には異動する。

 今度は白富東を希望しているが、その上総総合での最後の夏に、白富東と対戦することになるとは。

 世の中は複雑な運命の線で編みこまれているように思えるが、強いチームを選べばそういうこともあるだろう。


 準々決勝から一日の空きがあって、準決勝が始まる。

 甲子園に出るためには、リスクを取ってエースを休ませる必要が、普通のチームにはある。

 だが上総総合に、エースナンバーを背負うピッチャーはいても、真のエースはいない。

 ここまでの試合でも五人のピッチャーを、多くて四人も一試合に使って、勝ち進んできた。

 実はもう一人、投げてはいないピッチャーがいるのは秘密だ。

 ただその秘密も明かさなければ、白富東には勝てないであろう。

 幸いにも準決勝と決勝は連戦になる。

 決勝の相手が対策を練るにも、おそらくは時間が足りない。




 一日の休養を挟んで、ついに準決勝。

 先に行われたもう一つの準決勝は、勇名館がトーチバを降している。

 エースを投入した僅差の勝利。

 明日の決勝に、わずかながら疲労が残っているかもしれない。


 ただそういった疲労などを期待してはいけない。

 夏の高校球児は、簡単に限界を超えてしまう。

 限界を超えて壊れるまで投げ続けて、それでも甲子園を目指してしまう。

 

 国立はそんな高校生の気持ちを、無茶だと思って引き止めすぎたりはしない。

 全ての人間が、ずっと野球をやっていくわけではないのだ。

 むしろ白富東の場合、高校で野球を終える者も多い。


 その中の一人が耕作だ。

 野球は高校で終えて、大学は農業大学へ。

 農家に体力はあっても全く困らないものだが、他のことでもいくらでも体力は使うのだ。

 肩や肘に多少の後遺症が残ってでも、甲子園に行きたい。

 そしてあわよくば優勝したい。

 ここまで高校球児たちの憧れを満たし続ける甲子園というのは、指導者がちゃんと手綱を持っていなければ、もっとどんどんと選手生命を失う者は多いだろう。


 今日の先発の永田も、大学でまでは野球をやらない人間だ。

 単純に才能や素質がここまでのレベルだと言うのもあるが、それ以上に高校野球が、特に白富東の高校野球が、魅力的過ぎるのである。

 大学に入って、その野球部の様子を見て、楽しくないなと思って辞めた者は多い。

 たとえばキャプテンまでした手塚は、大学の野球部であそこまで頑張る意義など見出せず、野球サークルで野球を楽しんだ。

 倉田もまた野球部を辞めて、コーチとして野球に携わってくれている。


 国立は大学野球で、早稲谷の試合を見にいったこともある。

 直史は事務的なピッチングをしていて、チームメイトとの間に強い絆は感じなかった。

 野球部に対する帰属意識は、はっきりと薄かったと思える。

 仕事として野球を選んだプロと、同じような感じがした。

 実際に直史は奨学金など、プロと同じように野球で大学生活を潤沢なものにしていた。

 

 野球部の中に実戦部隊と、野球を見て研究して楽しむ研究部の二つがある。

 後者もまたほどほどに、プレイを楽しむことはあるのだ。

 見て楽しむ野球好きのための空間がある。

 白富東の、かなり独特な部分である。




 野球に人生を賭けるような人間がいるのは、別にそれで構わないと思う。

 実際にプロ野球選手という職業があり、それはトップレベルでは、社会的な名士とまで言えるからだ。

 だがほとんどの人間にとって、野球は娯楽だ。

 無理に過酷な練習をさせて、野球を嫌いになることだけは、絶対に避ける。

 なにしろ白富東の野球部員の多くは、別に甲子園にいけなくてもいいのだから。


 甲子園を目指すのではない。

 ただ野球を楽しむことを、全力で目指す。

 そして楽しむということは上手くなるということで、上手くなった先に勝利がある。

 勝利を積み重ねていけば、その先には甲子園、そして全国制覇が待っているのだ。


 この試合もそうだ。

 一回の表、上総総合が取った先攻に対して、永田は全力で投げる。

 一試合を投げきることなど考えず、目の前のバッター一人に、自分の全力をかける想いで。

 それぐらいの気持ちを持っていないと、永田のレベルでは通用しない。

 練習とトレーニングを重ねて、その結果生み出されて実力を、全力で発揮する。

 ここでようやく、精神論が必要になるのだ。


 気持ちの入った球というのは、不思議と打たれることが少ない。

 140kmは出ない永田のボールであるが、相手の内角は厳しく突いていく。

 130kmが出て、相手の内角を突いていく勇気があれば、プロに行くようなレベルのバッター以外には、けっこう通用するものだ。

 そして最低限のピッチングをして点を取られても、打線が必ずそれを取り返してくれる。


 それが機能せずに負けたのは、去年の甲子園だ。

 ユーキと蓮池の圧倒的な力を持つピッチャー、エースの投げ合い。

 体が壊れるぐらいにまで投げて、ようやく蓮池が勝利した。

 故障を隠して先発した次の試合で、すぐに気が付いて交代させられたが。

 あれからドラフトでも指名されたのだから、故障はどうにか後遺症が残るほどのものではなかったのだろう。

 本当にピッチャーは、怪我とは隣り合わせの存在だ。




 一回の表を封じて、裏の白富東の攻撃。

 上総総合もまた、勝つためのチーム作りをしている。

 絶対的なエースなど必要ない。

 チーム力で勝つというのが、鶴橋の戦略なのだ。


 純粋に全員で勝利を目指す。

 それが40年以上も高校野球の監督をやってきた、鶴橋の辿り着いた境地であるらしい。

 そのあたり国立は、まだ及ばない。

 どうしてもチームの核となるものを、エースや四番に頼ってしまうのだ。


 それに今年の国立は、どうしても甲子園に行きたい。いや、行かせてやりたい。

 どんな選手だって多くの事情を抱えて、どうしても甲子園に行きたいとは想っているだろう。

 だが白富東の中でも、正志のまとっている雰囲気は、彼だけのものだ。


 死の気配がする。

 それは入学前の、部活に参加するよりさらに前、スポ薦の試験で彼を見たときからであった。

 マナが親の事情から、国立には細かいことを話してくれた。

 正志の抱えている想いは、プラスのものではない。

 マイナスから逃れるための、必死の足掻き。

 

 そう言われたわけではないが、正志は奇跡を信じている、

 自分が甲子園に出場し、勝ち進み、最後まで勝ってしまったら、母も病に勝つのだと。

 難しいのだとは、マナが知ってしまっていた。

 そして耕作と、おそらくなぜか、優也にもそれを知っている気配がある。


 誰かの願いや想いを背負って戦うこと。

 それはあるいは、枷になってしまうこともあるだろう。

 最後の最後では、やはり自分の力で戦わないといけない。

 だがそこに至るまでには、多くの人の支えが必要になるはずなのだ。


(頑張れ)

 口には出さず、国立は正志を応援する。

 少しだけ長く生きてきたぶん、国立は人生の悲しみを多く知っている。

 その悲しみが訪れることは、絶対に避けられない。

 だがその時に、少し支えてやることは、教育者として出来ることだろう。


 一回の裏、ツーアウトからツーストライクまで追い込まれた正志は、狙い球を強く叩いた。

 先制のソロホームランが、レフトスタンドに飛び込む。

 正志は大袈裟に喜ぶこともせず、ただ拳を強く握り締めた。

 白富東はまた一歩、甲子園に近付いたのである。

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