第32話 順調?
順調である。
ピッチャーの四人を回して投げさせて、点を取られても最少失点に抑える。
そして打線の方は、一巡目を見ていくというような温いことはせず、初回の初球からどんどんと振っていく。
四回戦以降ともなれば、相手のデータもかなり分かってきているのだ。
トーナメントであるから、初見殺しがそれなりに効果がある。
しかしその初見殺しを、使わなければ勝てないのがトーナメントである。
初見殺しを山ほど持っていても、甲子園には届かない。
なおプロの世界はさらに、初見殺しが通用しない。
通用してもその一度だけなら、あっさりと分析されて丸裸にされるからだ。
分かっていても打てない本格派、分かっていても打てない技巧派、そして分かりようのない変則派。
左のサイドスローであれば、変化球が一つ決め球として仕えれば、かなりの軟投派に近いピッチングが出来る。
結局のところは切り札を用意していても、それを使えるのは一試合に数度。
だから基礎的な能力を上げるのが必要である。
それとトーナメント中は、経験が重なっていく。
夏場の試合は疲労はたまるが、暑さの中の試合なので、集中力を失わないなら怪我をしにくい。
ブルペンで投げられなかった球を、実戦で投げることが出来たりする。
これも高校野球特有のものである。
ベスト8まで勝ち進み、ここまで全てコールドゲーム。
上手くピッチャーの体力は温存出来ているし、打線の調子は絶好調である。
ただ次の対戦相手の東雲は、ちょっとした注意が必要である。
かつては千葉の二強と、トーチバと共に言われていた東雲だが、この数年はベスト8が精一杯である。
だが今年の春あたりから、新しいコーチを招き入れて、バッティングとバッテリーの強化を目指している。
実際のところ、確かにパワーピッチャー相手には強く、ここまでほとんどの試合をコールド勝ちしている。
ただ変化球主体の軟投派には、それなりに手こずる傾向があるのだが。
「元プロか。ジャガースって、あんまり聞いたことないけど」
「一軍登板48試合で、16勝19敗2ホールドか。ピッチャーでも六年で48登板って、かなり微妙な感じだよな」
夏休みに入り、例年であれば宿舎を使って合宿に入る。
ただ今年は食中毒などを防ぐために、出来るだけ普段は家で過ごすということになっている。
どうせ甲子園に進めば、宿舎生活にはなるのだ。
優也と潮はそう話していたのだが、国立としてはその考えは甘いと感じる。
そもそもプロに行っている時点で、高校野球ではトップクラスなのだ。
一度も一軍に上がれないピッチャーもたくさんいる中で、完全な負け越しであるのはともかく、ちゃんと勝敗がつくまで投げているのだ。
肩や肘をあちこと痛めたそうであるが、それでも無理をしなければ、140kmは出せる。
数は少なくてもバッティングピッチャーをしてもらえば、速球対策には確かにうってつけだ。
プロでの成績は、一年目五勝、二年目七勝で、これがピーク。
三年目は三勝で肩を痛めて、四年目は一勝しただけで今度は肘を痛め、五年目と六年目は一軍での登板はなかった。
ただ高卒で一年目五勝というのは、充分に化け物である。
同年に上杉がいたので、まったく話題にならなかったが、少しボタンの掛け違えがなければ、今頃主力としてローテで投げていてもおかしくない。
怪我のためにプロに行かなかった国立と、怪我でプロを引退したピッチャー。
ジャガースの早期育成システムを経験しているだけに、高校生のピッチャーへの指導も的確なのだろう。
春のときもそれなりに強いチームであったが、ピッチャーとバッティングがとにかく底上げされている。
下手をすれば勇名館やトーチバよりも、強くなっているかもしれない。
「先発は、というわけで百間君」
ストレートに強い打線には、百間というのは定番である。
ただ東雲は現代の流行と違い、右バッターが多い。
耕作のサイドスローは、他のチームと比べても、あまり効果的ではないかもしれない。
おそらく継投が必須となっていく。
そして軟投派の耕作と、継投の相性がいいのは球速のある優也だ。
優也はストレートも速いが、一番いいのはスライダーだ。
右打者が多い東雲であれば、間違いなくスライダーは効果的なはずなのだ。
それをより効果的にするために、まずは耕作を先発させる。
夏休みに入ってこの準々決勝からは、かなりの応援が動員されることだろう。
マリスタで既に大観衆を経験しているとは言っても、学校の応援というのはまた、違うものがあるという。
ならば農民メンタルの耕作の活躍の場である。
かつて二強と呼ばれた私立のうち、トーチバがまだ残っていて、東雲が比較的凋落したのはなぜか。
もちろん東雲も、ベスト8までは常連であり、弱くなったと言っても相対的なものだ。
ケチがついたのは、あの夏、勇名館が甲子園に行った時の大会だろうか。
その春に勇名館は、白富東とブロック大会で対戦して敗北し、夏のシードを取れなかった。
シードなしの試合というのは、単純に一試合多く試合をしなければいけないということもあるが、それよりもシード校に早めに当たってしまうということの方が大きい。
だが勇名館は、その逆境をバネにした。
東雲との激戦を制して、勢いづいて決勝まで勝ち進み、甲子園に出場。
そこでもベスト4まで残るという、まさに快挙を成し遂げた。
東雲はその二年前に、甲子園に出場していた。
間違いなくあの時代は、千葉県の強豪校であったのだ。
だが今は確かにまだ強豪校ではあるが、有力校ではない。
実績ではこの数年の勇名館が上回り、上に大学のあるトーチバの方が生徒を集めやすい。
白富東は白富東で、これまでの実績がものすごいので学校推薦が多かったりする。
あとはいまだに坊主というのも、東雲が敬遠される理由か。
坊主はあくまで見やすい一例だけであって、東雲の体質は、古い野球部である。
この空気からして、今どきの野球少年には敬遠されるものであるか。
もちろんどれだけ苦しくても、こういう環境で野球をやろうとする人間もいる。
だがそういった選手はマゾなだけであって、野球を本当に上手くなろうという努力はしていない。
白富東と東雲は、この数年間の戦いでは、常に白富東が勝ってきた。
SS世代以降、白富東は片手で数えられるほどしか、県内では負けていないのだ。
そこまで強い白富東は、年々去年よりは弱いと言われる。
だが確実に夏の大会では、甲子園出場を果たしているのだ。
今年の白富東には、本当に絶対的なエースがいない。
全国制覇を果たした二年前は、当時二年生であったユーキが、クローザーのような役回りを演じていた。
そして去年の夏は、大阪光陰の蓮池との壮絶な投げ合いで、三回戦で敗北した。
もっとも消耗しつくした蓮池も、次の準々決勝でマトモに投げられず、大阪光陰は敗退した。
その次のエースが、キャプテンの百間町耕作である。
体育科とスポ薦によって、より県内からいい選手を取れるようになった白富東。
だがキャプテンになっている耕作が、一般入試の普通科なのは皮肉な話である。
白富東は頭を使って鍛えて、頭を使ってプレイする。
ひたすらきつい練習をしていれば、それで鍛えられると勘違いしている、旧来の高校野球とは全く違う。
あのアメリカ帰りの女監督が、今に続く体制を作り上げた。
そしてそれを以後の監督も、完全に継承している。
プロの世界に行って、それが正しいと分かった。
練習が目的化していてはいけない。
無駄な努力に成果があると考えてはいけない。
それを是正するために、東雲も体制を変えたのだ。
伝統など必要ない。
スポーツはまず、勝つためにプレイすることが第一であるのだ。
先攻を取った東雲は、初回から積極的な攻撃をする。
だがそれは単純に、ぶんぶんと振り回していくのとは異なる。
相手ピッチャーが耕作であることを考えて、その選択をしているのだ。
東雲は右バッターが多い。現代ではやたらと左バッターが多いチームもあるが、それとは対照的だ。
だが別に右を集めたわけではなく、打てるバッターが自然と右が多かっただけだ。
ただ左のサイドスローに対しては、右バッターはかなりのアドバンテージをもって戦える。
それでも左を先発させたところに、他の要素があると言うべきか。
初回からヒットは出たが、それは得点に結びつかない。
かつては必ずやっていた送りバントを、この春からは選択するようになった。
状況に応じてプレイする。
それが今の、本当に必要な野球なのである。
結果として、一回の表は無得点に終わった。
だが考えながらプレイすることが、これからの野球では大切なのだ。
野球はルールが多く、技術も多い。
それはつまりそれだけ、単なるフィジカル任せではいかないスポーツであることを示している。
もちろんプロのレベルまで行けば、それはまた話は別である。
最低限のフィジカルがなければ、通用しない世界とも言われる。
だが高校野球は違う。
選手を集めて、それで勝つというのとは違うのだ。
正しい思考で、正しい練習を行う。
それで勝っていくのが、高校野球なのだ。
一回の裏、白富東もランナーを出したが、結局は無得点。
思っていたよりは静かな、両チームの立ち上がりであった。
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