第27話 筋肉より重要なもの

 速い球を投げるためには何が必要か。

 それはまず何よりも、筋肉の瞬発力であろう。

 だがそれを鍛えるには、もう時間が足りない。

 なので筋肉同士の連続した運動を意識し、パワーがロスしないように、今のままの力をボールに伝える。


 バカにならないことであり、岩崎もそれなりに球速は伸びたが、直史は10kmも上がったものである。

 もっともあの当時の直史は、自分でもボールを制限していたことを意識していたが。

 柔らかい体を使った、体全体でのピッチング。

 現在ではこれが主流になっているのである。


 バッテリーを指導してくれるコーチは、まず最初に肘から抜いて投げることを、優也にやめさせた。

 しなるように腕を使う投げ方は、実際には人間の腕はしならないので、肘に大きな負担がかかるのである。

 この投げ方も球の出所が分かりにくくなるという効果はあるらしい。

 しかし現在の主流は下半身と、右腕と左腕をテコのように使うものだ。


 スピードを求めてこれを試したのだが、実際にはスピードよりも、コントロールが先にしっかりと身に付いた。

 肘を抜いてから投げるやり方では、そこから腕を動かすのだが、テコを使って投げれば、よりフォームは固定してある。

 右腕の場合はそこから、左手を引くことによって、右腕に速度を与えることが出来る。

 大切なのはそれぞれの動きを上手く連動させること。

 なんだかんだいって器用な優也は、このちゃんとした指導によって、スピードの方も増しているのである。


 全身を上手く使うために、左手で投げる練習もするというのは、かなり特異なものであった。

 だが左手で投げることによって、体軸をより左右が均等になるところに作ることが出来る。

 あとは右腕の旋回を大きくすれば、ボールを加速させることが出来る。


 出力を上げることと、それをコントロールすること。

 このコントロールのついでに、出力が限界を超えてしまうことに注意しなければいけない。

 故障というのは外部からの衝撃を除けば、筋肉の生み出すパワーに、骨や靭帯が耐えられなくなることから起こる。

 体の柔軟性を保つことによって、力を出すのも全身で、力を逃すのも全身で行うのだ。




 安定して140kmで投げられるようになってきた。

「MAXは143kmか。本番になったらもう少し出るかな」

 コーチ役の倉田は、直史のトレーニングをある程度参考にしている。

 絶対に同じことはやらせないが。

 ただ直史の場合はキャッチボールや遠投など、全て合わせて500球投げていたので、今思えばそこまで異常ではないのかもしれない。


 優也に関しては一番の課題は、カーブとチェンジアップを区別して投げて、それを使える程度まで引き上げることだ。

 スプリットは今程度の落差で、空振りではなく内野ゴロを打たせる球種にしておおいた方がいいだろう。

 夏のピッチャーの消耗ぐらいは、洒落にならないほどのものだ。

 出来るだけ球数を使わせないよう、注意して組み立てていかなければいけない。


 倉田が頼まれているのは優也だけではなく、現在のメインピッチャー他三人と、来年以降にピッチャーとして使うかもしれない者が三人。

 その中には本来は外野だが、肩が強いためにピッチャーもやらされているサウスポーもいる。

 ピッチャーというのは高いマウンドから、狙ったところに投げる必要がある。

 たとえば倉田にせよ、ピッチャーのマウンドから投げたら、ど真ん中とそれ以外には区別がつきにくい。

 そういった面倒な技術を、全て教えていく必要があるのだ。


 また県内の他の強豪校に偵察に行き、練習試合の様子などを観察してくる研究班もいる。

 春の大会で撮影した映像などと共に、ピッチャーや守備の分析をして、バッターが統計的にどういうバッティングをしていたかもパソコンに入力する。

 自分たちの練習にも、他の学校から偵察が来ているのは分かる。

 白富東の野球部専用グラウンドは、校舎の敷地から道を挟んだところにある。

 近所の人間も見物に来るし、来年入学を検討しているのか、中学生の姿を見ることもある。


 コーチをやってみて一番、選手時代と変わったことは分かる。

 現役時代は自分たちがどうやれば上手くなるか、試合にはどうやって勝てばいいかを最優先で考えていた。

 だが指導する立場からすると、もちろん強いチームを作ることは必要だが、強いチームであり続けることがもっと大切なのだ。

 上級生だけではなく、一年生の力も使う。

 だが一年生頼みになってはいけない。

 思えば白富東は、なんだかんだ言って三年生が、最強戦力のチームを作ってきた。

 ただ今年の一年生を見ると、二年生よりも活躍するような気がする。


 倉田はもう、甲子園のグラウンドに立つことも、ベンチに入ることもない。

 だがきっと今年も、そして来年も、あのスタンドには行きたいと思うのである。

 そのためには、チームを強くする。

 コーチとしての魂の目覚めであった。




 三年生は最後の大会。

 関東大会でベスト4まで残ったのは、フロックで達成できるものではない。

 だが東名大相模原や、帝都一といったところは、本当に強い。


 現在の三年生が一年生の時、白富東は全国制覇を果たしている。

 ただしその時ベンチに入っていたのは、耕作と塩谷だけであったが。


 今年も甲子園を狙う、そしてそのための戦力は充分にある。

 だが全国制覇にまでは、届かない気がするのが正直なところの耕作である。

「そうかな。お兄ちゃんの時よりも強い気がするけど」

「いや、あの時は水上さんと宇垣さんがいて、クローザーにユーキさんがいただろ。さすがに比べようがないよ」

 マナとそんな会話をする耕作であるが、その時のチームもSS世代に比べれば、はるかに弱いと言われていたものだ。


 真田という、明らかに高校野球史上屈指の好投手を、それ以上の投手が投げ合いで制した。

 そしてプロではさらなる化けものっぷりを晒している大介に比べれば、まだ悟は大人しいものだ。

 だからSS世代に比べれば弱いというのは、本当のことではある。


 ただ耕作も、漫然と負けることを了解してはいない。

 どうせなら最後まで勝ちきって終わりたいのは、耕作も一緒なのだ。

 農民は持久力に秀でていて、ショックを受けてもそこから立ち直る。

 立ち直るしかないのが、農民であるからだ。


 この二年、秋の大会では途中で負けて、センバツには出場できていなかった。

 だが夏の連続出場は続いている。

 そして春の大会を見た限りでは、確かにその可能性は高い。

 一年生の加入が大きいが、それだけに任せるわけにはいかない。

 どうにか130kmが投げられるようになった、左のサイドスロー。

 下手な速球派よりも、よほど打ちにくい。

 プロの世界であれば、解析されてすぐに打たれるようになるのだろう。

 だが一発勝負のトーナメントでは、ある程度は通用するはずなのだ。


 そして、夏が終わったら引退だ。

 野球部の掟も終わる。

 部内恋愛禁止というやつである。


 この掟は実際のところ、こっそり破っているやつもいたらしい。

 ただ耕作としては、キャプテンであるがゆえに、破るわけにはいかなかった。

 色々といい雰囲気は作れているものの、確実な一歩は感じられない。

(やっぱり甲子園に行かないとな)

 千葉県の約170校の中を勝ち進んで、甲子園に行く。

 それはものすごく大変なことなのだが、先輩たちはずっと続けてきたのだ。


 甲子園に行こう。

 普段の活動の中では、特に誰も口にはしない。

 部室の壁に、目指せ甲子園などとも貼られていない。

 下手にそれが可能性が高いために、夢ではなく明確な目標となっているのだ。

 国立は常々、甲子園が目的化してはいけないと言っているが。

「今年も行きたいね」

「それは間違いなく狙っている」

 キャプテンとベンチ入りマネージャーは、そう言いあって微笑むのであった。

 もうお前ら付き合っちゃえよ。

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