第14話 足りない言葉
正式な使者の受け入れの許可を返したところ、まさかその使者に辺境伯本人が来るとは思わなかった。
社交シーズンでも辺境伯は、領地の特性もあり王都に行ったりしないそうだ。
確かに領主が決まった時期に領地を離れることがわかっていたら、隣の国から突け入れられ放題だろうけれど。
使者とはいえ、本人が来ることも多いのでデュークが来ることは予想していたが、デュークは今年は社交シーズンは王都に行かないのだろうか。
顔をつないで情報を交換するのも仕事の1つという教えを受けていたから、武力が強い領地の考え方とは違う部分が浮き上がってきて、この先、結婚するまでに自分の中の価値観を修正する必要もあるな、と考えさせられた。
貴族の婚約は契約を伴う話。
応接室より執務室が似合いとのことで、お客様でも執務室に通すのが通例らしい。そんなことを知らなかったけれど、どんどんと世界が広がっていく。
いらっしゃいませ、とリントン辺境伯爵一行に頭を下げたら、挨拶を返される前に大きな手でいきなり頭を撫でられた。
「まさか、あの大泣きしていたお嬢ちゃんと、うちの息子がこうなるなんてなぁ。カリンもうちの坊主にカエル投げられた時のこと、覚えているんだろ?」
リントン辺境伯は懐かしそうに笑う。そして笑いながら頭を撫でるのを止めない。
「わ、忘れました!」
「ははは、そうかそうか」
髪が乱れるのが嫌で、早く終わらせてもらいたくて叫ぶが、私が顔を赤くして恥じ入っているので、きっととぼけていることくらいばれているだろう。もう。
ぽん、と最後に頭を1つ軽く叩かれてようやく手を離してもらえた。
「……恥ずかしいので忘れてください」
髪を整えながら思わず零したら。
「やっぱり覚えているじゃないか」
なおもからかってこようとするリントン伯を、容赦なくデュークが肘で小突いた。
「父上、そういうデリカシーのないことを言うから、女性に嫌われるんですよ」
「お、すまんすまん」
叱られたら、あっさりと謝ってくれるので、こういうところが憎めないのだけれど。
「その点、うちの領地はカエルはいないから安心してくれ。だから珍しくて、ここの領地で掴まえたカエルを、デュークはカリンに見せたかったんだろうからな。そんなのミュラーの子だったら見慣れているだろうに、子供の浅知恵だよな」
はっはっは、と今度は自分の息子をからかう未来のお義父様の言葉に、過去の思い出の真相を知った。あの時、デュークはカエルを始めてみたのかと思うと微笑ましく思える。
そんな父親の暴露に頭痛を堪えるような顔をしていたデュークは相手にするのを諦めたらしく、私の方に頭を下げる。
「カリン、ごめん。気を悪くしてないか?」
「ううん、平気よ」
リントン伯がこのような人だとわかっているし、彼なりに喜んでくれているのが強面の顔が笑み崩れているのでわかる。
それから父を交えた話は順調に進んだ。進んだというより決めることがほとんどないのだ。
婚約式に至るまでの詳しい日取りは私の社交界デビューが済んでから、もう一度詳しい日程を組もうということになったようだ。
各家のサインが済み、さぁ、応接室の方でお茶でも……と場所を移動しようと立ち上がりかけた時に、デュークがすぐに私の傍に近づいてきた。
「結婚の申し込み、受け入れてくれてありがとう」
彼の手が戸惑ったように空中をさまよい、それから思い切ったように私の手をぎゅっと握った。
彼も緊張しているのだな、ということがしっとりしたその手のひらからわかる。
自分なんかよりはるかに大きな手なのに。
そのギャップがどこかおかしくて、思わず微笑んでしまう。
「君を誰よりも大事にするし、幸せにすると誓うから」
そういうと、彼は跪き、私の手の平に口づける。
それは騎士が淑女にする崇拝のキスで、慣れているのだろうか、様になっている。
「はい、よろしくお願いします」
そうほほ笑んで彼を立たせた私たちを、見守っていた人達がいる。
正式な婚約は当分後だけれどな、とまるで釘を刺すかのように父が声をかけてきた。
その言葉に、参ったなというようにデュークが肩を竦めて、それを見てリントン辺境伯が冷やかして。
みんな笑顔で決まった私の未来。
私が好きな人が私の夫となってくれる幸せ。
……なのに、どうしてだろう。
自分は笑顔でいられるのに、その皆の笑顔がどこか遠くで起きていることのように感じている。
自分にはもったいない言葉も仕草もデュークからもらっているはずなのに、ちっとも嬉しくない。
デュークは優しいし、紳士的に自分を扱ってくれる。
きっと、結婚したらいい夫になって、そしていい父にもなれるだろう。
私も彼の家に嫁いで、騎士団を回す彼を支えて、辺境伯爵夫人として家を切り盛りして愛のある家庭を作れるに違いない。
これ以上望むべくもないことなのに。
――でも、私は気づいていた。
デュークは私にプロポーズはしてくれたけれど、一度も私のことを「好きだ」とは言ってくれていない。
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