第16話:騎士は窮地に陥る
世界が炎に包まれ、激しい熱風が押し寄せる。
瞬く間に燃え上がる炎を消そうにも、魔法が得意ではない俺にはなすすべがない。
だがゲームの設定とは違い、魔帝となった身体は炎にもそれなりに耐性があるらしい。多少熱いくらいで苦しさは感じず、煙を吸い込んでも咳ひとつでない。
けれどこの状況で、無事だったのは俺だけだった。
「……ア、シュレイ……」
慌てて横を見れば、ギーザが苦しそうに口を押さえている。
続いてイオスとジャミルも苦しみはじめ、事態は一刻の猶予もないと気づいた。
「とにかくここを離れるぞ!」
三人を抱え、俺は咄嗟に地面を蹴った。
途端に身体は勝手に飛翔し、天井をぶち破って空高く舞い上がる。
「悪魔だ、逃がすな!!」
そのとき、どこからか男たちの声がした。
同時に銃声が響き、肩と背中に痛みが走るが今は気にしている場合ではない。
更に空高く舞い上がり、ひとまず攻撃の届かない高さまで飛翔した。
そこから下を見れば、どうやら閉じ込められていた場所は女学院の近くにある山小屋だとわかる。
一刻も早く遠くに逃げるべきだと思ったが、初めての飛行は想像以上に体力を奪い、そう長くは飛べそうになかった。
ならば味方のいる場所に戻ろうと、俺は女学院へと向かう。
運良く時間は夜更けらしく、悪魔の姿のままギーザの部屋に飛び込んだが、騒がれることはなかった。
そのままベッドに三人を寝かせようとすると、ジャミルとイオスが俺の腕から強引に飛び出す。
「なぜ助けた」「なぜ守った」
「だってあそこにいたら死んでただろ」
「それでよかった」「それが役目だった」
「役目って……本気で言ってるのか?」
「あそこに火を放ったのは仲間」「ボクたちごと消すと隊長が決めた」
「そんな馬鹿な隊長のいいなりになるんじゃねぇよ! 死んだらそれで終いだぞ!」
そこでまたデコピンをお見舞いすると、二人は見覚えのある仕草で「痛い」と声を重ねる。
でもやっぱりまだ、二人は反省しきっていないらしい。
「でもこれが、ボクたち」「悪魔を狩るのが、ボクたち」
そういうと、彼らは逃げるように部屋を出て行く。
追いかけようとしたが、そこで身体がふらりと傾く。
慌ててベッドに手を突くと、その手を赤い血が伝っていくのが見えた。
どうやら肩を撃たれたらしいと気づいた直後、身体が震え激痛が走る。
痛みと共に、傷口が塞がっていくのを感じる。だが同時に、身体がより悪魔に近づいていく感覚を覚えた。
「ア、アシュレイ……?」
気がつけば、ギーザが怯えた顔をこちらに向けていた。
その瞳に映る自分から人の面影が消えているのに気づいたが、俺はただただ変異を受け入れることしか出来なかった。
『ああ、ついに完璧に覚醒なさったのですね!』
そんな時、歓喜の声が響く。
見れば、俺たちのすぐ側に見覚えのある黒猫が座っている。
『こんなにも禍々しい魔帝は初めてです! さすが私の主様!』
「……ああくそ、褒められても、全然嬉しくねぇな……」
レインの姿を見ているとようやく痛みが落ち着き、言葉を溢す余裕も出てくる。
とはいえ妙に身体が重く、俺はベッドに座り込む。
「アシュレイ、ああ……どうしよう……」
途端に、ギーザが俺の身体に縋り付く。
人から遠ざかってもなお触れてくれる彼女に安堵しつつ、俺も柔らかな頬にそっと触れた。
「大丈夫だ、少し疲れただけだから」
「でも……」
「あと、レインがケーキの代金を払ってきたか不安で、胃が痛いだけだ」
そんな冗談を口にすれば、ギーザがようやく笑ってくれた。
その横ではレインが『……だいきん?』と首をかしげていたが、ひとまず今は見ないふりをした。
とりあえず金は後日払おう。窓ガラスの一件もあるし、ゲームのデートスポットからまさかの出禁を喰らうという可能性もあるが、まあこの際仕方が無い。
と言うかそもそも、そんなことを問題にしている場合では無い。
「なあレイン、この角はどうやってしまえば良い」
『自分は生えてないのでわかりません』
至極真っ当な返事を返され、思わず頭を抱える。
代わりにそこでギーザが猫を抱き上げた。
「でもほら、人から猫の姿にはなってるでしょ? 同じ方法で、アシュレイも元に戻れないかしら」
ギーザの機転を利かせた質問に、レインがなるほどと顔を上げる。
『それなら気合いです! 気合いを込めてぐっと身体に力をいれると変身します』
「いや、気合いを入れたらむしろ悪魔化しちまったんだが……」
『うーん、もしかしたら変身が中途半端なのがいけないのかも知れませんね。一度完全に悪魔になれば、逆にババッと人間に戻れるかも』
「ほんとか」
『まあ、根拠は全くありません』
役に立たない答えにがっかりしつつ、俺はベッドに横になる。
そうしていると身体が重くなり、妙な眠気がやってくる。
初めて空を飛んだ疲労感が出てきたのか、だらしなく羽を広げたまま俺は小さく唸った。
「やっぱり、具合が悪いんじゃない?」
「いや、少し眠くて……」
寝ている場合ではないと怒られる覚悟をしたが、うつ伏せのまま起きられない俺の頭をギーザがそっと撫でてくれる。
「だったら少し休んでみたらどう? その間に、私はカインに頼んでお父様やマルと連絡を取ってみる」
確かに、レインよりはあいつらの方がもっと良い助言をくれそうだ。
だが一方で、ギーザが部屋から出て行こうとするのを見ていると無性に寂しくて、俺は想わず彼女に腕を伸ばした。
駄目だと分かっているのに、小さな手をぎゅっと掴めば、戸惑った顔が俺を見下ろす。
「ご、ごめん」
慌てて謝罪のしたものの、手はまだ放せなかった。
困らせたくないのに、嫌われたくないのに、伝わってくる彼女の温もりが心地よくてどうしても手放せない。
悪魔になると人間的な感覚が失われるのかと思っていたが、むしろギーザの柔らかな手の感触がいつも以上に伝わってくるので、溺れてしまいそうになる。
『でしたら私がその役目を負いましょう。確かにアシュレイ様は魔力が不安定なようですし、誰かがついていた方が良いかと』
空気を読んだレインがギーザの代わりに素早く出て行き、仕方ないといった表情でギーザが俺の傍らに腰を下ろす。
それが嬉しくて握った手に少しだけ力を入れると、彼女は小さく笑った。
「あの時と逆ね」
ギーザの言う『あの時』がいつをさすのか、言葉にされずとも不思議と分かった。
「俺は、死なないぞ」
「死にそうな顔よ」
「でも、結構元気だし」
「今は大丈夫かもしれないけど、あなたはすぐ自分を蔑ろにするから心配なのよ」
不安そうなギーザに「大丈夫だよ」と言ってやりたかったけれど、睡魔に抗えず俺はゆっくりと目を閉じる。
そんな俺の頭を、ギーザの手が優しく撫でた。まるで慈しむように、何度も何度も。
いや、もしかしたらこれは都合の良い夢なのかも知れない。そうして欲しいと願っているだけで、ギーザはきっと呆れたような……困ったような目で俺を見ているだけかもしれない。
だがそれでも、側にいて俺を見つめてくれるだけで嬉しい。
かつて一度、見つめて欲しいときに目を背けられた辛さを知ってるからこそ、俺は強く強くそう思った。
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