恋バナ

 昨年度末、私が所属していた文芸部は廃部となった。三年生の卒業に伴って部員が一年生の私一人になり、部活動規定の最低部員数を下回ったからである。

 しかし、元々文芸部の部室として使われていた第二ミーティングルームはその後も他の部活動に使われることなく、放課後は完全に無人の部屋と化していた。旧校舎の四階という、行き来の面倒な場所であることがその理由だろう。各学年の教室がある本校舎からは、一階まで下りて旧校舎の昇降口へ向かい、そこから四階まで再び階段で上る必要がある。そんな手間を惜しんでか、この部屋を部室として欲しがる文化部が現れなかったのだ。

 そんなわけで第二ミーティングルームは、文芸部が廃部になった後も、私にとっては絶好の作業スペースだった。冷暖房が機能しないことだけは難点だが、人の出入りがなく静かなこの部屋は、宿題や原稿執筆を行うにはうってつけの場所である。私は放課後を毎日のようにこの場所で過ごすようになり、自分の家よりも誘惑が少なくて作業の捗るこの空間を、まるで自分一人だけの城であるかのように利用していた。

 ──もっとも、新年度が始まってから僅か二週間後、私はこの第二ミーティングルームで新楽にいら瑠璃るりと出会うことになるのだが。




「こんにちは、毒島ぶすじま先輩。今日も原稿執筆ですか? お疲れさまです」

 放課後の第二ミーティングルーム。授業を終えてそこへやってきた私を、新楽瑠璃は当然のように出迎えた。椅子を並べて寝転がりながら、今日発売の週刊誌を仰向けの姿勢で読んでいる。無許可でこの部屋を専有していた私が言うのもどうかと思うが、この後輩、流石にくつろぎすぎではなかろうか。仮にも学校だぞ、ここ。

「そういう君は、ここで宿題を片付けたりしないのかい」

「ええ、しません。だって私、ここには遊びに来ているので」

 満面の笑みを浮かべて、新楽はそう言い放つ。これも私が言えた義理ではないが、この子、暇なんだろうか。暇なんだろうな、だって毎日ここに居るもんな。

 私は新楽に構わず空いている席に座り、鞄からノートパソコンを取り出して電源をつけた。書きかけの原稿ファイルを開き、昨晩中断したところから執筆を再開する。物語はもう終盤に差し掛かっており、順調に進めば、今日中には作品が完成する予定だった。

「…………」

 無言で目の前の原稿に集中し、淡々と書き進める。言葉のリズム、類語の取捨選択、書いては消してを繰り返し、最後の一文を書き終える。しかし、まだ完成ではない。作品を頭から読み直し、修正すべき箇所がないか確認しなければならなかった。

 パソコンの時計で現在時刻を確認し、最終下校時刻までもう少し時間があることを把握する。出来れば下校前に読み直しも終わらせて、帰宅と同時に自分のホームページで公開したいところだったが、焦った状態で読み直しても修正箇所を見落とす可能性が高かった。仕事でやっているのではないのだ、なにも焦る必要はない。読み直すのは帰ってからでも十分、そう考えた私は原稿ファイルを上書き保存すると、ノートパソコンの電源を落とし、鞄の中に片付けた。

「おや、もうお帰りですか? いつもより早いですね、なにか用事でもあるんでしょうか」

「いいや、作業が一区切りついたから、続きは家でやろうと思っただけだよ。別に急いで帰る必要もないし、最終下校時刻まではここで時間を潰すつもり。どうせ早く家に帰っても、夕飯前じゃ雑用を押し付けられて作業なんか出来やしないし」

「なるほど、なるほど。では先輩、折角ですし恋バナでもしませんか?」

「え、嫌だ」

 唐突な後輩の誘いに、私は思わず即答する。何が折角なのだろう。大体、そういう話は同級生とするべきだろう。何が面白くて放課後の二、三時間同じ部屋に居るだけの先輩と恋バナなんかしたがるんだ。

「やっぱり定番の話題は好みのタイプ、とかでしょうか。そうですねぇ、私が好きなのは私のことを肯定してくれる人です。どれだけ顔が良かろうと、私の在り方を否定するような人と付き合う価値はありませんからね。まあ、顔の良し悪し、美醜の差があまり分からないというのも、私がそこにこだわらない理由の一つではありますが。それで、先輩はどうですか? 好みのタイプ、こだわりの一つや二つあるでしょう。気になるなぁ、先輩の好み。やっぱり、忠犬のように従順で命令に逆らわない人間が好きだったりするんでしょうか」

「私の返事ガン無視でめっちゃ語るじゃん。というか、君の中で私のイメージどうなってるの? 私、そんなに支配願望強めのサディストに見えてるの?」

「おや、違うんですか?」

「違うよ、びっくりした、私そんなふうに思われてたんだ」

 偏見が過ぎる後輩の予想を否定して、私はふと質問の答えを考えてみた。生まれてこの方、色恋沙汰とは無縁の人生を送ってきてはいる私だが、好みのこだわりくらいはある。もちろん、新楽の言うような奴隷じみた恋人を求めているわけではないが。

「……そうだな、月並みな意見だけど、一緒に居て楽しくない奴を好きにはなれない。それと、自分の意見がなくて他人任せな奴も駄目だな。あとは……価値観の違い過ぎる奴も厳しい」

「ダメ出しばっかりですねぇ。要するに毒島先輩は、一緒に居て楽しくて、自分の意見を持っていて、価値観の近い人が好み、ということですか」

「言い換えればそうなるかな」

「ふむ、それって私じゃないですか?」

「自信過剰も良いところだぞ、君」

「まあ、今のは冗談ですが。しかし意外ですね。先輩はもう少しこだわりが強いのかと思っていましたが、案外緩い条件のようで」

 知ったような口をききながら、新楽はにやにやとした笑みを浮かべて私の顔を覗き込む。普段から何を考えているのか分からない人物ではあるが、今日は一段と何を考えているのか分からない。

「ほら、先輩の書く小説って主人公が大体似たような性格じゃないですか。だから、それが先輩の理想像なのかなぁ、なんて思っていたんですが」

「そこについては言及しないでほしいかな。単純に引き出しが少ないだけだよ、腕前の問題だ。むしろ、自分の小説で主人公を務めるような男とは付き合いたくないね。私の性格はむしろ悪役向きだ、ヒーローとは価値観が違いすぎる」

 そう言って、私はつい先程書き上げたばかりの作品について思い出す。他人の為に自分を犠牲にして戦えるヒーロー、それは私にとっても応援したくなる存在だが、自分がそうなりたいとは思えないし、なれるとも思っていない。私は違う。私は何事も自分の為にしか頑張れない。戦えない。そして、それを悪いことだとも、思わない。

「悪役向き、ですか。それはどうでしょうねぇ。先輩はどちらかと言うと、大半の読者に嫌われながら一部の熱狂的な支持を集めるダークヒーロー、みたいなポジションだと思いますけど」

「それ、褒めてる? 貶してる?」

「褒めてますよ? 少なくとも私は好きですし。先輩の人間性を善悪の二元論で語るならば、確かに悪の側に寄っているかもしれません。ですが、決して邪悪ではない。良いじゃないですか、人間らしくて」

「……おかしいな。恋バナをしていたはずなのに、なんで私は自分の人間性について後輩から慰められているんだ?」

 腑に落ちない。とは思いつつ、新楽の言葉は私にとって不思議と嬉しく感じるものだった。なるほど、彼女が「自分を肯定してくれる人」を好みのタイプとして挙げる理由が少しだけ分かった気がする。まあ、ここで素直に喜んでしまうと、新楽が調子に乗りそうなので絶対に言わないが。

 その後、私と新楽が下らない雑談に興じている内に時間は過ぎ、最終下校時刻を告げる鐘の音と共に私たちは解散した。帰り道が別方向なので、新楽とは毎回旧校舎の昇降口で別れるのが恒例になっている。

「では先輩、また明日」

「君、たまには同級生と遊びに出かけたりしないのかい」

「ははは、その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」

 新楽はそう言って笑うと、手を振りながら駐輪場へと去っていった。

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