悪夢と触手と嘘と愛

桜居春香

悪夢

 最近、悪夢をよく見る。

「ぐ、ぅあ……た、助け……っ」

 身動きがとれない。自分の腕より太い触手めいた何かが全身に巻き付いて、私の抵抗を完全に封じている。視界すらも触手に覆われており、自分がどんな状況に置かれているのかさえ分からない。生殺与奪の権利を完全に握られている。絞め殺されるか、それとも手足を引き千切られるか。これから自分が何をされるかも分からない恐怖を味わいながら、私はただひたすらに、見えない触手の主へ許しを乞うことしか出来なかった。

「助けて……く、苦し……ぁが、やめっ……!」

 触手の締め付けが強くなる。と同時に私は、体が一方向へと引き寄せられていくような感覚を覚えた。瞬間、私の脳裏に嫌な想像がよぎる。この勢いのまま、もしも地面に叩きつけられるようなことがあれば。間違いなく無事では済まないだろう。全身を締め付けられるだけでこれだけの苦痛があるのだ。たとえ夢の中だとしても、そのとき味わう衝撃を想像すると、私は思わず身震いせずにいられなかった。

「嫌だ、嫌だ……! 助けて、ごめんなさい、許して、なんで、許して、どうして私が……っ」

 次の瞬間、私の両頬に触手ではない何かが触れた。これは……人の手か? 五本の指、小さな手の平、これは確かに人の手だ。

 頬に添えられた何者かの手は、ゆっくりと指を広げ、私の顔を引き寄せる。いつの間にか触手の締め付けは弱まっていたが、震えを抑えることが出来ない私は、されるがままに顔を触られ続けていた。

 ゆっくりと、恐らく親指であろう一つの指が唇に触れ、口をこじ開け、歯を撫で、舌を抑えつける。相手の意図が分からぬまま、私は抵抗を諦めて大人しくその奇行を受け入れた。力が弱まったとはいえ、未だに体は触手に捕らえられたまま。下手に抵抗を続けて、今以上の責め苦を与えられることが何よりも怖かった。

「はっ……はぁ、あ……ぅあ……」

 言葉にすらならない、自分の呻き声だけが聞こえている。目の前に居るはずの人物は、未だにただの一言すら声を発していなかった。私の顔に触れている手は確かに人の手だが、こんな触手を操る相手が人間だとは思えない。怖い。相手の目的が分からないことが怖い。もしかすると、数秒後には体を捩じ切られてしまうかもしれない。大人しくしていれば助かる、そんな保証はどこにもない。

 ただ恐怖に耐え続けるだけの時間がいくらか続き──どれだけの時間が経ったか。気がつくと私はベッドの上で目を覚ましており、冷や汗でぐっしょりと濡れた体に不快感を覚えながら、さっきまでの出来事はただの夢だった、と自分に言い聞かせるのである。それが、ここ半年間毎日味わい続けている私の「朝」だった。

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