シェ レ シュエット ―訳あり専門骨董店―

かこ

[第1回]『どうしてそんなにも蒼いの?』

蒼玉のイミタシオン un

 庭園の端に矢車草が咲いている。人気のあるものではないが、思い出のどこかに必ず咲いている、そんな花だ。だから、屋敷の主に気付かれないように咲いた花は、刈り取られずにそっと置かれていた。とばりに入る前の深い蒼のように美しく、可憐に揺れては見る者を楽しませる。


「お嬢様、約束のものです」


 秘密の場所でそう差し出された小箱をカロルはなかなか受け取らなかった。早く開けてみたい衝動と彼への不満がめぎ合う。

 一瞬、揺れる瞳がカロルの瞳とかち合い、すぐに戻された。

 カロルはいつものように根負けして、彼に優しく忠告する。


「ヒューゴ。二人の時は『お嬢様』ではなく、名前で呼んでほしいと言いました」


 改まった言い方にはなったが、ため息は我慢できたので上々だろう。

 は、と顔を上げたヒューゴはやっと気付いた様子で申し訳なさそうに力なく笑った。その情けなくも見える笑顔がカロルは堪らなく好きだ。


「開けてみてもいいかしら?」


 そんなことを口にするが、駄目と言われても聞くつもりはない。

 ヒューゴは目を右下に落としたまま頷いた。

 藍色の箱を開けると生成のベルベットに支えられた指輪が顔を出す。中心に輝く蒼い石を囲うように繊細な細工がほどこされていた。石台からアームにかけては黄金こがねの麦畑を思い起こさせるイエローゴールド。

 ヒューゴが口をまごつかせて何か言おうとするのを遮り、カロルは石と同じ瞳を細めて笑う。


「素敵な蒼玉サファイアね」


 恋人みたいね、とは続けなかった。身分や社会が、何より父がこの関係を許してくれないだろう。

 カロルは小箱をヒューゴに返し、左手をヒューゴの前にのばした。何も言わずに瞳だけでねだる。

 ヒューゴの瞳は困惑に揺れていたが、カロルが小さく笑うと喉が鳴った。

 ささくれた指が白くやわらかい左手におそるおそる触れ、指輪が通される。

 カロルの心はえも言えぬ幸福と感動で満ちていき、溢れんばかりだ。小説で読んだ何だってできそうな気がするという気持ちが沸き起こるようだ。

 薬指で輝く蒼玉サファイアは角度を変えるたびに光を反射した。

 元々は聖職者が持つ石。神の恩恵を受ける石として好まれ、最近では真実の愛を見極めるために恋人に贈られたりもする。そういう謂れは後からついてくるものだ。その石が持つ本来の意味を知るカロルには関係のないことだった。

 太陽に手をかざし、カロルは薬指に光る物を見上げる。どんな石よりも、夜空に輝く一等星よりも、きっとこの石は美しい。小さな口から感嘆の声がもれる。


「さすが、ヒューゴだわ。こんなすごいもの、どうやって作るのか見てみたい」

「お嬢様が来る所じゃ――カロルが来たら、びっくりしますよ」

「どうして?」


 指輪を見つめたままの蒼い瞳に曇りはない。

 ヒューゴは組み合わせた指をいじり、答えを探す。聞いているのは目の前にいる女性と矢車草だけだというのに、ひどく居心地が悪そうだ。


「汚ないし、火を扱うから危ないです」

「それぐらい、なんともないわよ」

「親方に叱られます」

「お得意様の娘が行くのだから、喜んで接待してくれそうよ?」

「あまり、見られたくないというか」

「では、心の準備ができたら見せてくれるのね」

「ぶ、不相応、かと」


 そこで会話は止まった。

 蒼い瞳が男を映す。


「あ、いえ、そういう意味ではっ」

「そうね」


 全てを飲み込んだ淑女の笑顔でカロルは短く答えた。彼は伯爵令嬢が来る場所ではないと言っただけで、この関係を不相応と言ったわけではない。そうと解かっていても、蒼い瞳は陰りを見せる。

 ヒューゴの口は縫いつけられたように動けなくなった。

 動けない二人をよそに、矢車草だけが風に揺れている。

 遠くで令嬢の名前が呼ばれた。火急のことか、騒々しい。

 困ったように眉を下げたカロルはひと言詫びて、ドレスを翻した。



═•⊰❉⊱•═



 父の書斎に呼び出されたカロルは嫌な予感がしていた。

 仕事や夜会に忙しい父は家を開けることが多く、領地で療養する母と同じぐらい娘とも顔を合わせない。

 社交界シーズンでなければ、カロルも領地に引き込んでいただろう。血の繋がった家族のはずなのに食事を共にすることもなく、会話すら片手で済む程だ。わずかな会話でさえ、一方的に命じられるもので、ほとんど形を成していなかった。

 言い付けられることはたいてい決まっている。仕事で家を空けるから、その間は商売道具これをつけて夜会や茶会に参加しろというものだ。熱も色もない言葉を引きづり部屋に戻れば、アクセサリーが山と積まれた状態。

 自分は娘ではなく、宣伝用の人形だとカロルは諦めていた。寝食に困り、路頭に迷うことのない生活に贅沢を言ってはバチが当たる。

 そんな生活を送ってきたため、書斎に呼ばれるということはあまり喜ばしい提案ではなかった。

 しかし、逆らうわけにもいかず、扉の奥に声をかける。


「お父様、カロルです。入ってもよろしいでしょうか」


 間を置かずに扉が内側から開けられた。

 執事に目礼して、娘は奥に座る父を見据える。


「お久しぶりです、お父様」


 血の繋がった相手に淑女の礼を取り、カロルは頭をたれたまま言葉を待つ。

 父が書類を眺めていた顔を上げた。娘と同じ蒼い瞳が礼を取る姿を写しても声をかけずに自分の用件だけを口にする。


「サクタリス公爵次男との結婚が決まった。準備を進めなさい」


 いつか来るとは思っていたが、簡潔な言葉は無情に響く。

 浮かれていた分、カロルは信じられない気持ちでいっぱいだった。

 件の婚約者は途切れることなく浮き名を流し、とうの婚約者には一切顔を見せに来ない。他の女に現をぬかすなら、婚約を取り消して欲しいとカロルは常々思っていた。そう願っていても、さすが公子と言うべきか、王族に連なる者というべきか。事実はわからないが一線を越えたという情報は手に入らなかった。

 噂だけで、上の立場の者に婚約破棄を申し入れることもできない。


「お前が肩入れをしている職人は外国に飛ばす。邪魔だからな」


 追い討ちをかけられ、カロルは絶句した。綺麗な礼を保つ足が揺れ、氷付けされたように体が言うことを聞かない。

 そして、思い至ったのだ。愛のない家族に義理をもつ必要はない、と。


「仕事をする。出なさい」


 ほの黒く灯った憤怒ふんぬに熱のない言葉が落とされる。

 カロルは体が震えて動けなかった。同じ姿勢をしていたからではない。形だけの結婚が怖かったわけではない。確かに、ヒューゴのことは許せないがこれ以上、彼に関わることはいけないと分かっていた。せめて、別れの挨拶ぐらいはしたいが、難しいかもしれない。

 唇を噛みしめ、口の中に鉄の味がにじむ。

 カロルは決断した。父の悪事を明かす、と。人の不幸の上で、己の幸せなど願ってはいけなかったのだ。卑劣な自分は幸せが手に入らないとわかって、やっとそれを理解する。


 娘はもう合わすことのない顔に深く礼をし、部屋を後にした。

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