第545話 婚約者として
昼食を食べ終わった俺たちは、さっそく現場を見せてもらうことにした。ここからは歩きである。ライオネルがすぐに戻って来たところを見ると、そこまで離れてはいないと思う。
向かった場所は小川の近くだった。どうやら小川沿いからの汚染の広がりが速いようである。話を聞くと、すでにこの小川の水は利用していないそうである。そして井戸水も。
今は水が出る魔道具を使って、なんとか生活しているそうだ。本当にギリギリの生活をしているな。
水から汚染が広がるのが厄介だな。けがれた大地の浄化と共に、けがれた水の浄化も、急いでなんとかしなければならない。湖の精霊様、川の精霊様のお力をなんとか借りられないものか。知らずに俺は手の甲の紋章を触っていた。
「ユリウス様、この先にけがれた大地があります。ほら、見えて来ましたよ」
ライオネルが指差した先には早くも研究者たちが集まっていた。何やら測量機器を持ち出しているところを見ると、汚染の広がり具合を測定しているのだろう。
足下に気をつけながら慎重にその場所へと向かう。この辺りも汚染が始まっている可能性があるからね。
「汚染の広がり具合はどうですか?」
「ユリウス様、もういらっしゃったのですね。ゆっくり昼食を食べていただいてよかったのに」
「そういうわけにはいきません。それで、どうなのですか?」
「それが……軽微な汚染ではありますが、ずいぶんと広がっているようです」
話によると、以前はまだ山の裾野の手前までしか汚染されていなかったそうである。だが今は、裾野を越えて、平地にも広がりつつあった。まだ植物は枯れていないようだが、元気がない。枯れるのも時間の問題だろう。
視線を上げると、それほど遠くない場所に、真っ黒な山が見えた。かつては生い茂っていたはずの木々も、燃え尽きたかのように黒くなっている。その光景を見たファビエンヌの体がグラリと傾いた。慌ててそれを支える。
「ファビエンヌ!」
「も、申し訳ありません。ちょっと、気分が……」
「無理しないで。これ以上は見ちゃダメだよ。ネロ、ライオネル、気分は悪くなってない?」
「大丈夫です」
「私は先ほど見ましたので問題ありません」
ファビエンヌを抱きしめてその顔を隠した。しまったな。ファビエンヌへの配慮が足りなかった。山を浄化することばかり考えていた。俺のバカ。婚約者として、ファビエンヌを守るべき立場としてあるまじき行為だ。婚約者失格だな。
「ユリウス様?」
顔を上げようとしたファビエンヌをグッと押さえる。
「しばらくこのままで。すぐに試験を開始して欲しい。浄化の粉を振りまくのと同時に、風魔法で周囲に拡散させて下さい」
「分かりました。急いで魔導師を呼んできます」
「あー、この場には魔導師がいないのか。それなら私が魔法を使いますので、呼吸を合わせて振りまいて下さい」
すぐに準備が始まった。ここまで案内してくれた村長はすでに研究者たちから”浄化の粉”の話を聞いていたのだろう。期待するような目で俺たちを見ている。
すぐに準備が整った。研究者たちが横一列に並び、浄化の粉を手に取っている。
「それじゃ、行きますよ。三、二、一、ブリーズ」
研究者たちが粉をまくのと同時に、さわやかなそよ風が吹いた。その風は空中に舞った粉をけがれた大地へと運んで行く。日の光を受け、浄化の粉がキラキラとエメラルドグリーンに輝いて広がって行く。
幻想的だな。ファビエンヌにも見せてあげたかったが、今は我慢だ。周囲からは”おおお”と感嘆の声が聞こえている。
「ユリウス様」
モゾモゾとファビエンヌが腕の中で動いた。気になるのだろう。でも、もうちょっと待ってね。結果が出てから見せてあげるからね。
変化はすでに終わっていた。灰色へと変わりつつあった大地は、生き生きとした褐色の大地へと変貌している。
「ユリウス様、試験は、試験は成功のようです!」
研究者の一人が涙声でそう言った。その言葉と同時に、”ワアア!”と大きな歓声が上がる。それを確認した俺は、ようやくファビエンヌを腕から離した。元気を取り戻した大地を見て、ファビエンヌも息を詰まらせているようだ。
「やりましたわね、ユリウス様。ところで、最初の驚きの声は何だったのですか?」
「ああ、あれは浄化の粉をまいた光景が、あまり見たことがない光景だったからだよ。浄化の粉が日の光で輝いていてさ」
「私も見たかったですわ」
「あはは、大丈夫だよ。あと二、三回は同じことを繰り返すことになるだろうからね」
研究者たちはさっそく元に戻った大地の確認を行っている。一通りの調査が済むまではここで待機だな。なるべくファビエンヌには上を見させないようにしないと。そのためにはファビエンヌの頭をしっかりと固定して……。
「……ユリウス様、お気持ちはありがたいのですが、もう大丈夫ですので。先ほどは心の準備ができていなくて驚きましたが、今はもう大丈夫です」
「本当? いや、でもまだダメだ。あの光景を何度も見るのはよくない。村から人が去ったのはあのおぞましい光景が原因でもあるだろうからね」
ファビエンヌはそう言うが、ガン見すれば絶対にトラウマになる。そうなったら夜に悪夢を見るようになるかもしれない。それで一人で寝るのが怖くなったファビエンヌが、夜な夜な俺のベッドに来るようになるかもしれない。……それはそれでいいのか?
「ユリウス様?」
「い、いや、なんでもないよ? 怖かったら遠慮なく言ってよね。婚約者として、絶対にキミを守るから」
「ええ、そうさせてもらいますわ?」
首をかしげるファビエンヌ。何を言っているのか分からないようである。これはこれでよかった。
ファビエンヌとそんなやり取りをしている間に、調査は終わったようである。研究者たちがこちらへとやって来た。
「ユリウス様、報告します。神が与えし奇跡の粉は問題なく効果を発揮したようです。そして王城で確認したのと同様に、大地も肥沃な土壌へと変わっております。付近の植物も、活力を取り戻しつつあるようです」
だからぁ! ”神が与えし奇跡の粉”じゃなくて、”浄化の粉”だって。ほら見ろ。村長がヤバそうな目をしてこっちを見てるじゃないか!
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