第520話 蓄音機
ハイネ辺境伯家の門の前には別れを惜しむ人たちの姿がまだまだある。アレックスお兄様とダニエラお義姉様からはくれぐれもソフィア様とエルヴィン様によろしくと言われた。
本当はダニエラお義姉様も一緒に行きたかったのだろうな。だが、今回、その要請はなかった。残念そうな顔をしているが、ダニエラお義姉様にはハイネ辺境伯家での仕事があるからね。今やハイネ商会はダニエラお義姉様の力なしではスムーズな運営ができないのだ。それにアレックスお兄様も寂しがるだろうからね。
「ミラ、行ってくるよ」
「キュー……」
昨晩、散々抱きしめたはずだが、もう一度、ギュッと抱きしめる。一ヶ月はこのぬくもりから遠ざかることになるのか。ぬいぐるみでも作っておくべきだったかな? 俺が終わると、今度はファビエンヌに抱きしめられていた。
「ロザリア、ミラを頼んだよ。ミラ、ロザリアを頼むよ」
「分かりましたわ」
「キュ!」
最後は元気よく返事をしてくれた。ミラはミラなりに俺たちへ気をつかわせないようにしているのかもしれない。レイブン王国からハイネ辺境伯家に戻ってくるときには何かお土産を持って帰らないといけないな。
レイブン王国行きの馬車が出発する。お互いに姿が見えなくなるまで手を振り続けた。
ハイネ辺境伯家の馬車には俺とファビエンヌ、ネロ、ライオネルが乗っている。残りの馬車にはジョバンニ様や王宮魔法薬師のメンバー、そして使用人たちが乗っていた。
「馬車の旅にも慣れてきたけど、やっぱり移動中は暇だよね」
「本を持ってきておりますが、数には限りがありますものね」
「こんなときに音楽が聴けたりすればよかったんだけど、まだそんな魔道具は作ってないからねー」
そう言いながらみんなに笑いかけた。ん? 何この空気。三人とも口が半開きになっているぞ。もしかして蓄音機を作るのはまずかったりするのかな。原理は簡単だし、素材さえあればすぐにでも作れるんだけど。
そもそも”チャイム”という音がする魔道具はすでに開発ずみだからね。それを応用すれば、作れるんじゃないかって思わないのかな? 他の魔道具師たちがどのようなことを考えて魔道具を作っているのか気になるな。
「ユリウス様、その言い方ですと、すでに作れる算段がついているように思えるのですが……」
ライオネルが眉を曲げている。どうやら困惑しているようだ。うやむやにしておくという手もあったけど、いつものこのメンバーなら、何を言っても許されるという安心感に負けてしまった。
「うん。作ろうと思えば作れるよ」
しばしぼう然とする三人。今のところ音楽と言えば、楽団に依頼するしかないからね。それが魔道具でなんとかなるだなんて、想像もつかないのかもしれない。ちょっとしたカルチャーショックになりそうだ。これは慎重に扱った方がよい案件なのかもしれないな。
「音楽が聴ける魔道具、ちょっと気になりますわね」
「確かにそうですな。音楽が貴族だけのものではなく、庶民にも広がるかもしれません」
「そうなると利権の問題が出て来そうだね。楽団の仕事を奪うことになりかねない」
「可能性はありますね。その対策さえどうにかなるのであれば、私も欲しいと思います」
ネロがメモを取りながらそう答えた。やっぱりそうだよね。でも、ネロ手帳に書かれたということは、そのうちアレックスお兄様とダニエラお義姉様に相談することになるんだよね? あとは丸投げしてもいいかな。
楽団の音楽を使うことになるので、売れた楽曲の何割かを楽団に渡すとか、優先的に貴族の家で演奏してもらうとかすれば、なんとかなるかもしれないな。録音するときには演奏してもらわないといけないからね。それに、楽団の宣伝にもなると思う。
みんなと話しているうちに作りたくなってきた。そんなわけで、途中の町で素材を購入し、馬車の中で作った。持って来ててよかった魔道具作成用道具。何かの役に立つかもしれないと思って荷物の中に入れておいたのだ。まさかこんなに早く使うことになるだなんて。
「よし、できたぞ」
「ユリウス様は本当に器用ですわね。アレックスお義兄様が作りあげた、揺れの少ない馬車の中とはいえ、ずいぶんと細かい魔法陣を描いていましたよね?」
「そうかな? ああ、でも、言われてみれば確かに旧式の馬車の中では無理だったかもしれない。新式の馬車を作ってくれたアレックスお兄様に感謝だね」
今思えば、旧式の馬車の揺れはひどかった。この新式の馬車に一度でも乗ってしまえば、もう二度と戻りたいとは思わないだろう。本当にアレックスお兄様には感謝だな。
「それじゃさっそく試してみるとしよう」
「ちなみにユリウス様、その魔道具はなんという名前なのですか?」
手帳を片手にネロが聞いてきた。チラリと見えた手帳には精巧な蓄音機の絵が描かれている。上手だな、ネロ。もしかして、絵画の才能があったりする? ネロの隣にいるライオネルも興味深そうに蓄音機を見ていた。
「これはね、蓄音機という魔道具だよ。音を記録することができるんだ。録音っていう技術だね」
「録音……なるほど」
ネロの鉛筆がサラサラと走る。今では鉛筆はネロのお気に入りである。そうだ、ネロにデッサンを教えてみようかな? 鉛筆ならではの奥の深い技法なので、ネロの新しい趣味になるかもしれない。
「どうやって使うのですか?」
「このスイッチを押すと、録音が開始されるんだ。そしてこの拡声器の部分に話しかけると音が記録されるよ。こんな感じ。こんにちは」
スイッチを押し、試しに録音してみた。録音は何度かできるようにしている。試しに使うだけなら、これで十分だろう。録音部分が決まったら、
「録音が終わったら、次はこっちのスイッチを押すんだ。ポチッとね」
『こんにちは』
そのときのみんなの表情をなんと表現すればよいのだろうか。まるで化け物でも見るかのような目で蓄音機を見ていた。目玉も飛び出しそうである。どうやら蓄音機から俺とそっくりな声が発せられたことに、度肝を抜かれたようである。
「す、すごいですわ。ユリウス様とまったく同じ声ですわ。あ、今、録音スイッチを押しましたわね?」
『す、すごいですわ。ユリウス様とまったく同じ声ですわ。あ、今、録音スイッチを押しましたわね?』
「ちょっと、ユリウス様!」
真っ赤な顔をしたファビエンヌにポコポコとたたかれた。そしてワイワイとにぎやかになる馬車の中。
そこからは蓄音機のおかげでレイブン王国までの馬車の旅が楽しいものになった。ちなみにファビエンヌに歌ってもらった曲は絶対に消すつもりはないぞ。
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