第336話 大胆不敵

 幸せなこの状況で忘れそうになったが、もう一つ用事があるんだった。

 先ほどの温室での出来事を二人に話した。


「もう一つ温室を増やすねぇ。商会でも正式にユリウスが作った魔法薬を売りに出すことになったし、確かに温室の拡張は必要かも知れないね」

「そうですわね。冬になる前に蓄えておくにしても、限度がありますものね。できれば冬の間でも安定供給したいところですわ」


 二人の感触は悪くない。これならお父様に話してもダメだとは言われないだろう。ハイネ辺境伯家の庭が少し狭くなってしまうが、辺境なので土地だけは余っているのだ。そこは問題にならないと思う。


「温室を作るにしても、雪が溶けてからになるだろうね。そこから発注するから、完成は夏前くらいかな?」

「私が作ればすぐに……」

「ユリウス」


 笑顔でお兄様が俺の名前を呼んだ。何だか分からないけどちょっと怖いぞ。目も細くなっているし、これは失言をしてしまったやつだな。


「大工の仕事を取ってはいけないよ? 彼らにも生活がかかっているからね。お金を使って領地を潤すのも貴族の仕事だよ」

「そ、そうですね。分かりました。私は何も手を出さないようにします」


 そうなると、温室に設置する魔道具も魔道具ギルドが手がけることになるんだろうな。ロザリアのガッカリする顔が目に浮かぶ。

 その頃までには新商品の魔道具を開発して、それどころじゃなくなっていると良いんだけど。


 そのままアレックスお兄様に温室の構想を話していると、夕飯の支度ができたようである。この流れに乗ってお父様に話を持って行こう。この波に乗るなら今しかない。

 しかし意外にも、お父様は難色を示した。ハイネ辺境伯家印を使うことには問題なく賛成したのに。


「この温室はユリウス一人で手入れをするつもりなのかね?」

「えっと、そのつもりですけど。もちろん何人か庭師をお借りすることになるとは思いますが……ああ、もちろんファビエンヌにも手伝ってもらいますよ。将来、魔法薬師になるなら、きっと良い刺激になると思いますので」


 ジッとお父様がこちらを見た。お父様だけではない。お母様もこちらを見ている。

 子供が温室一棟を管理するのは無理だと思われたかな? たぶん騎士たちも手伝ってくれるだろうし、何とかなると思うんだけど。


「そうなると、雪が溶けてからもハイネ辺境伯家でファビエンヌ嬢を預かることになるな」

「はい、そうなります……ね?」


 そうだった! 完全にファビエンヌがハイネ辺境伯家に住むことを前提に話を進めていた。アンベール男爵との話では、冬のシーズンだけの話だったじゃないか。バカバカ、俺のバカ。


「ファビエンヌ嬢に異存はないかね?」

「……はい、ありませんわ。ユリウス様からはたくさんのことを教えて頂いております。もっとたくさん知りたいと思いますし、少しでもユリウス様に近づけたらと思いますわ」


 顔を真っ赤にしながら、ポツポツとファビエンヌが口を開いた。

 かわいすぎるだろ、俺の婚約者。今すぐ隠したい衝動に駆られながらもグッと耐えた。この場でファビエンヌに手を出すわけにはいかない。

 そんなことをすれば、先ほどからニヤニヤとした顔でこちらを見ている、アレックスお兄様とカインお兄様のかっこうの的である。


「そうか。分かった。温室を新たに建てることを許可しよう。アンベール男爵には私から話をしておこう。だが、春になれば、必ず一度はアンベール男爵家へ挨拶に行くように」

「もちろんですよ、お父様」


 こうして何とか温室を建てることができるようになった。工事の関係上、実際に使えるようになるのは夏以降だが、それでも次の冬までには体制を整えることができそうだ。

 ファビエンヌと二人なので、なおのことよし。


 夕食が終わり、自分の部屋に戻ってきた。これでようやく一息つけそうだ。一人になる時間も欲しいお年頃である。


「何とかなったな」

「おめでとうございます。これで心置きなく研究を進めることができますね」

「質の高い素材が手に入るようになるのは心強いからね。希少価値の高い素材も育てることができるようになれば、なお良し」


 ネロが出してくれたお茶を飲みながら、栽培計画を立てる。我ながら気が早いと思うが、それだけ試してみたいことが多かったということである。

 ケアレス草とかマルクの実とか採れるようにならないかな。さすがに無理か?


 そんなことを思っていると、ピンポンとチャイムが鳴った。だれだろう? ミラなら勝手に扉を開けて入って来るだろうし、ロザリアなら呼び声がすぐに聞こえて来るはず。


 使用人がお風呂の順番を告げに来たのかな? うん、その可能性が一番ありそうだ。

 素早く対応したネロが気まずそうな顔をしてこちらに戻って来た。どうした、一体何があった?


「ネロ?」

「あの、ファビエンヌ様がお見えになってます」

「え?」


 急いで向かうと、そこにはほほを赤く染めたファビエンヌが立っていた。どうやらこれからお風呂に向かうようで、着ている服も脱ぎやすい服装になっている。何というか、ちょっと薄着である。


 なるほど、大体分かった。ネロが気まずそうにしていたのはこの姿のファビエンヌを見たからだな。確かにこんな姿のファビエンヌを見れば、あんな顔にもなるか。「見てはならない物を見てしまった」みたいな。

 落ち着け、落ち着くんだ。落ち着いて素数を数えるんだ。二、三、五、七……。


「こんな時間にどうしたの? 何かあったのかな、ファビエンヌ」


 努めて笑顔で対応する。どうか、俺の単なる邪な妄想でありますように。


「あの、い、一緒にお風呂に入りませんか?」


 オーマイガ! やだこの子、思った以上に大胆!

 どうしてこうなった。これはあれか。「春以降も一緒にいたい」みたいなことを俺が言ったからなのか? まさかこんなことになるなんて。決してスケベ心から言ったわけじゃないのに。決して。

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