第322話 お嬢さんを下さい

 今日は午前中からアンベール男爵家を訪れることになっている。間に色々あって延び延びになってしまったが、アンベール男爵に「お嬢さんを下さい」と言いに行かなければならないのだ。

 うーん、胃が痛い。なにせ初めての両親への正式な挨拶だ。まさか十歳でそれをやるとは思わなかった。良く効く胃薬を飲んでおこう。


 上の空で朝食を食べ終わると、ネロに手伝ってもらいながら正装に着替える。その姿を見て、ミラも何かを察したようである。毛がつかないようにするためなのか、飛びついて来ない。


 大丈夫だよ、ミラ。ミラはほとんど抜け毛がないからね。服に毛がつくことはめったにないし、ついてもすぐに分かる。紺色の服に白色の毛だからね。


「準備は整ったかな。あとはプレゼントを忘れずに持って行かないと。あとは白衣か」

「すでにこちらに準備してありますよ」


 ネロが荷物ケースの中を見せてくれた。アンベール男爵家にもあるとは思うが、念のため、ホットクッキーの素材も持って行くことにしている。ミラが荷物ケースの中に紛れ込もうとするのを阻止しつつ、ミラを小脇に抱えて馬車に乗った。


 アンベール男爵家まではそれほど離れていない。雪が積もれば当然、行き来が困難になるが、そうでなければすぐに到着する。カーテンの間からアンベール男爵家が見えて来た。当然のことながら緊張してきた。思わずミラを抱きしめる。


「キュ?」

「あー、不安だな。大丈夫かな」

「大丈夫ですよ。旦那様からのお手紙は届いているのでしょう?」

「そうなんだけどね。でも力関係はこちらの方が上だからね。無理やり婚約を飲まされたという可能性も……」

「ありませんよ、そんなこと」


 ネロが苦笑している。そう、ネロの言う通りなんだけどね。そうなんだけど不安だ。ファビエンヌ嬢も予想はしていたようだが、本心ではどう思っていることやら。


「ユリウス様、アンベール男爵家に到着いたしました」

「あー、ぐるっとアンベール男爵家を一周することはできないかな?」

「ユリウス様」

「キュ……」


 俺の提案はネロによって否定された。そんなことをしても、時間が無駄になるだけだと。ぐうう! ミラからも残念な人を見るような目で見られるし散々だ。

 観念して馬車から降りると、すでにアンベール男爵一家が待っていた。もう一周しなくて良かった。ネロの意見は正しかった。


「ようこそ、ユリウス様」

「お待ちしておりましたわ」


 アンベール男爵とファビエンヌ嬢が先に声をかけてきた。男爵夫人は笑顔でアンベール男爵の隣に立っている。


「急な訪問になってしまって申し訳ありません。本日はお世話になります」

「いえいえ、気にしておりませんよ。お茶の準備をしていますので、まずはこちらへどうぞ」


 アンベール男爵に導かれてサロンへと向かった。すでにテーブルの上には色とりどりのお菓子が並べられており、席に座るとすぐにお茶が運ばれてきた。紅茶の良い香りがガチガチに緊張している体を少しだけほぐしてくれたような気がした。


 このままの状態で会話を続けるのは無理だ。後回しにせず、最初にやるべきことをやらなければならない。


「アンベール男爵」

「ん? どうしたのかな?」

「ファビエンヌ嬢を私に下さい!」

「キュ!」


 三人の、いや、ネロを含めた四人の目と口がまん丸になった。あれ? 間違ったかな~? ミラはミラで片手を上げて猛アピールしている。一体、何に対してなのだろうか。ファビエンヌ嬢に対して?


「ええっと、それはもちろん……ふつつかな娘でございますが、どうかよろしくお願いいたします」


 見るからに困惑したアンベール男爵が頭を下げた。そして一呼吸遅れて、夫人とファビエンヌ嬢が頭を下げる。

 これで、良かったんだよね? ネロは……何か手帳に書き込んでいるな。やめて。


「キュ、キュ!」


 事情を察したのかどうかは分からないが、ミラがファビエンヌ嬢に飛びついた。いきなりのことでちょっと驚いた顔をしたファビエンヌ嬢だったが、すぐにミラを受け入れて毛並みをなでている。どうやらミラもファビエンヌ嬢のことを認めてくれたみたいである。


「えっと、そういうわけでファビエンヌ嬢もよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします。ユリウス様、私のことは呼び捨てで構いませんわ」

「わ、分かったよ、ファビエンヌ」


 何か恥ずかしいな、これ。ご両親の前だからなのか? それにしても、ファビエンヌの愛称って何になるんだろうな。ファ? ファビ? それともビエンヌか? まさか、ファービー? 分からん。


「そうだった、ファビエンヌにプレゼントがあるんだった」


 ネロに目配せすると、心得たとばかりにプレゼントボックスを持ってきた。小さな箱が二つ。特製ガラスペンと、特製魔石懐炉だ。気に入ってもらえると良いな。


「ありがとうございます。何だか余計な気を使わせてしまったみたいで……開けてもよろしいですか?」

「もちろん」


 アンベール男爵夫妻も気になるのか、ファビエンヌの手元をジッと見ていた。一つずつ、丁寧に箱を開けてゆく。ガラスペンが見えて来たところで歓声が上がった。


「素敵な色合いですわ。まるで夜明け間際の星空のようです!」

「気に入ってもらえたみたいで良かった」

「もちろんですわ。使うのがもったいないくらいですわ」

「あはは、遠慮なく使って下さいよ。壊れたらまた新しい物を作って来ますよ」


 ファビエンヌがもう一つの箱も開ける。そっちには魔石懐炉が入っている。手紙にはあらかじめガラスペンと魔石懐炉のことは書いておいたので、名前が出てもアンベール男爵夫妻が不審に思うことはないだろう。


「これが魔石懐炉ですのね。あら、かわいらしい小鳥の模様がついていますわ」

「使うときには隠れてしまうので、あまり見る機会はないかも知れませんが、何もないよりかは良いかなと思いまして」

「そんなことはありませんわ。使わないときは部屋に飾っておきますわ」


 なるほど、その発想はなかった。インテリアとして使えなくも……ないのかな? いや、ちょっと無理があるような気がする。だがファビエンヌの目は真剣そのものだった。

 これはシーズンオフのときは部屋に飾るな。気合い入れて模様を入れておいて良かった。

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