第227話 当主乗っ取り計画なんてありません!
事前に夜会用の衣装を着た状態でのマナー講習をしておいて良かった。アクセルとイジドルの二人は、終始、まごついていたのだ。服が替わっただけなのに、これまで練習してきたものが、帽子を脱いだかのようにスッポリと頭から抜け落ちていた。
「二人とも、落ち着いて。午前中はちゃんとできていたじゃない」
「そうは言うがな、ユリウス。この服、動きにくいんだぞ」
「それに汚しそうで怖いよ」
「汚れても大丈夫だから。ハイネ辺境伯家の使用人なら、どんな頑固な汚れでもキレイに落としてくれるから」
本当かなぁとでも言いたそうな目を向けてきた。それも仕方がないか。今まで使用人に服を洗ってもらったことなんてないだろうからね。
でも使用人はあらゆる分野でのスペシャリストである。洗い物担当のスペシャリストはどんな汚れでも新品同様に仕上げてしまうのだ。恐ろしい。あれ? 洗濯機、いる?
「どうしたんだい、ユリウス? 何か二人の緊張を解きほぐす良い方法でも浮かんだかい?」
「そうですね……」
別のことを考えていたとも言えず、腕を組んで考え込む振りをした。実際に体験してもらうとか、どうかな?
「あえて服を汚して、洗ってもらいましょうか。そうすれば、多少汚れても大丈夫だと思ってもらえるはず」
「なるほど、確かにそうだね。それじゃちょっと私の替えの服を持って来るよ」
「待って下さい! そこまでしていただかなくて結構です。信じます。信じますから」
「アクセルの言う通りです。問題ありません。信じてますから」
二人が全力で試験を阻止した。実際に目にした方が分かりやすいと思うんだけど、さすがにアレックスお兄様の服を汚してまで試験をすることには反対のようだった。
俺の提案が効いたのか、そこからはさっきよりもまだマシな動きになった。それでも硬さはあったが。
「やっぱり明日は早すぎたかなぁ」
「早すぎですよ、お兄様。せめて二人が完全に服を着こなしてからじゃないと」
湯船につかったアレックスお兄様にあきれながら声をかけた。いきなりあれだけ豪華な服を着せられたら、だれでもそうなると思う。まずは軽く、下位貴族が着るような「ちょと豪華な服」から始めないと。
同意を求めるようにアクセルとイジドルを見た。二人は「この場に自分たちがいるのは間違っている」と言いたそうな顔をして、少し離れた場所で肩まで湯船につかっていた。
ネロは「さすがに無理です」と言って、俺たちの体を洗うと風呂場から出て行った。悪いことしちゃったかな?
「そうだね、ちょっと焦りすぎたかも知れない。ユリウスに良いところを見せようと思って、空回りしちゃったかな」
「良いところだなんて……お兄様のおかげで私は王都で自由にやらせてもらっているのですよ? もう十分、良いところを見せてもらっていますよ」
「そうかい? それなら良かった」
どうしたんだろうか。お兄様は俺に何か後ろめたいことでもあるのかな。それとももしかして……俺を恐れている? これまでの数々の「やらかし」が、お兄様に恐怖心を植え付けているのではなかろうか。
「大丈夫ですよ、お兄様。私はお兄様の味方です」
アレックスお兄様の目をしっかりと見据えてそう言った。その発言にちょっと驚いたかのように目が見開かれた。
「ふふふ、ありがとう、ユリウス。そう言ってもらえると心強いよ」
「まさかお兄様、私がハイネ辺境伯家の当主を乗っ取ろうと考えているとか、思ってないでしょうね?」
アレックスお兄様の目が泳いだ。あ、もしかしなくても考えてましたね?
「いやぁ、まさかそんな……」
「絶対にそれはありませんから。私には『使いやすい魔法薬を広げる』という使命があります。当主なんてやっている暇があるなら、魔法薬を作ります」
キッパリと言い切った。そんな俺の様子をアクセルとイジドルが口を開けて見ている。
ハイネ辺境伯の裏事情を聞いてしまって困惑しているようだ。だが、二人は証人だ。これで今後はそんな根も葉もないウワサが立ち上ることはないだろう。
「ユリウスは……ユリウスには剣聖と大魔導師になる力があるんだよね? そっちはどうするの?」
「はえ!? い、一体だれがそんなことを? まさかアクセルとイジドルが!?」
二人の方を見ると、二人は頭と両手を、激しく否定するようにブンブンと振った。
「言ってない、だれにも言ってないから!」
「そ、そうだよ。言ってない、言ってない!」
猛アピールである。それなら、もしかしてネロが――。
「あー、ユリウス? 私が聞いたのはユリウスにいつも付けている使用人からだよ。二人からでも、ネロからでもないからね」
慌ててお兄様がフォローに入った。その焦り様。もしかして俺、怖い顔をしてました? 落ち着け、落ち着くんだ。俺は剣聖になるつもりも、大魔導師になるつもりも、何だったら魔道具師になるつもりもないのだ。
「お兄様、私を何だと思っているのですか? そんな力があるわけないじゃないですか。私はそのようなものには成れないし、成りませんよ」
「そ、そうだよね。いくら何でもおかしいと思ったんだよね。ハハハ……」
乾いた笑いが、湿度が高くなっているであろうお風呂場の中に木霊した。これでそのウワサがキレイさっぱり消えてくれると良いのだが。
どうやら、俺が思っているよりも大変なことになっているみたいだ。もしかして、アレックスお兄様がダニエラ様と婚約したのは俺のせいだったりするのかな? さすがにそれは考えすぎだと思いたい。
「そうですよ。そんなバカな話があるわけないじゃないですか。そうだよね、二人とも?」
ニッコリとほほ笑んだ。アクセルとイジドルの顔色がサッと青くなった。
「そうですよ。そんなことあるわけないですよ」
「ですよね~? あはは……」
これでひとまずは良し。あとはネロの口を塞ぐだけだな。
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