部屋干し男
メンタル弱男
部屋干し男
蒸し蒸し、ペタペタ。
蒸し蒸し、ペタペタ。
『くっそ!なんじゃ、こりゃ……』
フローリングも絨毯も一体どこからこんなに水分を得たのか?という程ジメジメしている。
あぁ、身体に纏わりつくこの気持ちの悪い感覚。潤いなどと呼ぶにはもう遅い。暑いのに鳥肌が立つとはどういう現象だろう?それほどに不愉快な湿気なのだ。
それもこれも部屋の中央に陣取る、X型の物干しが原因だと言うことは分かっている。
洗濯の手間や水道代等を考慮した結果、何日か溜め込んでから一気に洗濯するようにしている俺は、この小さな室内物干しにその全てを陳列させる術を学んできた。
洗濯物どうしの間隔は僅か1cm。もはや何人たりとも入り込ませる余地はなく、洗剤のCMにあるような『キレイ、真っ白!』という言葉と共に輝く、Tシャツに囲まれた笑顔などは到底見る事はできない。なお、俺の洗濯物達は漂白剤の多量使用により色落ちしてしまった哀れな姿をしているので、俺の顔はCM出演者のようなとびっきりの笑顔ではなく、3G相当の力を受けたように頬がたるんでいることだろう。
そんなことだから、なかなか乾かない。
ちょっと厚めのズボンを干した時などは、乾き切るまでに何日かかる事やら……。
ベッドを置いたらもう数歩しか歩けないような広さのこの部屋で、洗濯物を干す事が間違っていると言われれば、俺は何も言い返す事はできない。とても真っ当な意見だと、俺も同意する。
しかし、この物件ではなかなか外に干す勇気がでないのだ。
俺はとあるアパートの一階に住んでいる。引っ越してきた当初、午前中に日が差すベランダを見て、絶好の外干し日和だと思えた。
『さぁ、洗濯するかー』
そんな事を言いながら、窓を開けて深呼吸をした。
『ニャアァー』
『ん?ニャア?』
あれ?あまりにも孤独だから、とうとう幻聴か?
そう思ったが、俺の目はしっかりと逃さなかった。野良猫達が一目散に走っていったのを……。
あれは何匹いたのだろうか?きっとこのベランダでたむろしていたのだろう。変な食べ物の残骸という置き土産までして、彼らは全く失礼な奴らだと思ったが、それはまだ序の口だった。
別の日の夕方頃には、犬なのか狸なのか分からないが獣の姿を見た。そいつの目は窓越しに俺を鋭く睨んで、俺はゆっくりとカーテンを閉めるほかなかったのである。そして見たこともない色の鳥達がベランダの柵にとまり、代わる代わる奇怪な歌を口ずさんでゆく。
『え?この地域なんなん?動物保護区のサファリか何か?』と思う程、俺の絵日記は沢山の動物で埋め尽くされ、もう少しで図鑑が完成されるところである。
そして極め付けは、ベランダを行ったり来たりする人間。きっとアパートの清掃業者だと信じたい。いや、そうでなければ俺は通報するぞ。いくらベランダの仕切りが中途半端に取り付けられているからと言って、そこを通路として使用する権限は誰にもない筈である。
まぁこんな感じで、動物がわんさか来るし、人間も通るから、なかなか外に干そうとは思えないのである。
うだうだと言い訳を言ったところで何も解決はしない。俺はこの小さな部屋の中で、魔法陣を描くように除湿剤の設置で改善を試みた。恐ろしいくらいの速度で水が溜まる除湿剤を眺めながら“こりゃ追いつかんな”と、エアコンの除湿機能もフル活用しているが、洗濯の日に全てが帳消しとなる。
歩くたびに足の裏が床にペタッとくっつく感覚はいつしか鋭敏なものとなり、湿度のバロメーターのような役割を果たすようになった。
『もう諦めるか……』
俺はついに湿気との終わりなき争いに、自ら両手を挙げる形で終止符を打った。
しかし、そんな休戦期間は新たなる敵の出現を招いてしまった。頭では理解していたのだろうが、遠ざけようとしてきた事が現実となった。
俺はまた立ち上がらなければならなくなったのだ……。
○
湿度というのは非常に厄介で、その時の空気の状態を瞬間的に表しているのだが、実際湿気というのは蓄積していくものと思われる。
その証拠に、晴天の非洗濯日に俺は、かつてないほどの恐怖を味わった。
クローゼットの床に置いていた白地のバッグ。ビートルズのアビイロードをパロディしたお気に入りのデザインバッグが、無数の黒点に侵されていた。
『おおぉえぇぇっ』
もともと集合体に対して免疫がなかった俺であったから、その黒々とした光景を見た瞬間に、脳内はパニック状態になった。そしてさらに、これまた気持ちの悪い集合体の鳥肌を発生させては、訳の分からない呪文を唱えるくらいに慌てふためいた。
そう、その黒い点々の正体は湿気の王様『カビ』だったのである。
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