冒険者達の行く末は

スド

第1話

 現時点、この世界には多種多様な種族が存在し、社会を形成している。互いの種族に対する差別や偏見が皆無という訳ではない。人間が文明の発展を嫌悪するエルフを毛嫌いするように、自然に生きることを好むエルフもまた自然を対価に文明を進める人間を嫌悪している。

 それでもある程度の纏まりはある。互いが互いの在りように、嫌悪や小言を時折挟みながらも、どうにか形が保たれている社会。人間、エルフ、獣人等──多くの種族が作り上げて来た社会。

 そこに、一つだけ、排斥される種が存在した。

 それが、魔物と呼ばれる存在であった。

 彼等は恐ろしく残虐な生き物であり、目に映るありとあらゆる生き物を皆殺しに掛かろうとする。まさに殺意の塊とも言える。ただ一つの例外は自身の同族だけ。それ以外は同じ魔物であろうと動物であろうと何であろうと、絶対的に殺しに掛かる。そこに利益があろうと不利益があろうと関係ない。そんな異様な性質を肉体に潜ませた生き物であった。

 中には善良な、人間等の社会と共存できる魔物がいる可能性もあると提示した者もいる。彼等の様々な存在に対する敵意は環境によって育まれるのだと考えたある学者は、魔物の赤子を人間の手で育てる実験を行った。

 結果は──失敗。成体となるまでは人間の子のように育てられたが、ある瞬間、豹変。周囲に監視員が居るにも関わらず、魔物は学者を存分に嬲り始めた。学者は、無残な姿となって実験を終えた。

 このように今現在、彼等魔物に関して分かっていることは少ないが、最も有力な説としては種の保存本能が人間等に比べて強烈であることが挙げられている。事実、同族である魔物同士を檻の中に入れた状態で、互いの攻撃性が皆無である状況に、他種族の魔物を混ぜ込むと一転して排除に向かうという実験結果が報告されている。

 故に自らの繁殖の害となるあらゆる種を絶命させようとする本能が、目に映る全ての生物を害獣に見せている──そう唱える学者は多い。

 魔物は恐ろしい存在。そこに間違いはない。しかし、古き時代の魔物とは、現在ほど強力な存在とは言えず、ただの害獣程度の存在と見做されていた。そもそも、魔物という括りすら存在していなかったのだ。

 だが、多くの種族が技術による発展を続けていったように、魔物達もまた、かねてより進化を続けていた。環境に適応し、それぞれが独自の進化を遂げていった。

 そしてある瞬間から魔物はただの害獣扱いから一変、気づけば彼等は驚異的な力を持ち得ており、強大な脅威であると社会に認められることとなった。

 日に日に増していく魔物に対する恐怖は、魔物という存在に対する莫大な敵意を社会全体に産み落とした。

 魔物と見做せば殺せ。魔物であれば何をしてもよい。魔物に尊厳などない。恨みと憎悪の灯火を胸に、多くの種族が魔物を狩ることを"善"として受け入れた。

 また、魔物の存在は一種の疑心暗鬼をも生み出した。魔物の驚異的な進化は、何者かが援助をした結果ではないかと疑う者も現れだしたのだ。その被害者は主に、長命故に多大な知識を持つエルフ、個人差はあるものの獣の如き容姿を各所に持つ獣人等、独特の長所を持つ種であった。やがて時間と共に疑いにより生まれた軋轢は収まりはしたものの、魔物の存在は種族間の交友関係にまで亀裂を走らせることとなった。

 ──と、こういった背景もあり、魔物とはこの世を生きる種にとって害ある存在とされている。忌避されない筈がない。

 未だ、魔物は大量に健在であり、魔物への敵意が留まることは決してない。

 とはいえ、その牙が向けられるのは、何も魔物だけではないのだ。例えそれが──"魔物と良く似ただけの善良な種族"であったとしても、牙は剥かれる。

 それが現状。今の世界を取り巻く現状であった。


 ──────


 ──"それ"は、鬱蒼とした森の中で、一際目立つ姿をしていた。

 暗い暗い森の中、月明かりに照らされた"それ"の身体は、美しい紅色に染め上げられていた。

 美しい紅色──とはいうが、本来"それ"の体色は黒炭に例えられるような黒であり、決して紅でも赤でもなかった。

 ならば、何故そのような色に身体が染め上げられているのか──答えは、血。

 夥しい量の血液が、"それ"の身体の至る所に付着していた。血液特有の刺激臭に加え、気の弱い者であれば卒倒させかねない程の量。しかし、その大半は"それ"の身体から生み出された物ではなく、別の存在により生じた物。

 つまりは、返り血であった。

 肝心の血の持ち主は、"それ"の足元に転がっていた。──歪で、異様な、異形の姿の死体となって。

 原形を失うまで叩き潰されたそれは、かつて魔物と呼ばれていた生き物であった。多くの種族を、餌としてではなく、自らの害であると自己完結し、"掃討"し続けた凶悪な魔物であった──魔物、だった。

 ──今や、見る影もない。

 頭部は鋭い得物で抉り取られたような傷に溢れ、胴体は所々が欠損している。骨という骨が粉砕されたことが、胴体から半ば離れた四本の棒のようなそれが、腕であったか脚であったか、その判別を困難にしていた。

 肌の質からして、辛うじて爬虫類的な皮膚を持つ魔物であったことは分かったが、逆に言えば理解できるのはその程度。死体の損壊はあまりにも激しかった。

 だが、これが、これこそが、この魔物をこのような目に遭わせることが、"それ"の今回の仕事であった。世論と感情と法に認められた、堂々たる殺害。

 "それ"は深淵にも例えられる黒々とした瞳で死体を見下ろすと、不意に転がった四本の四肢の内──腕と思わる部位を手に取った。

 交戦の最中、無理な力を加えられた影響か、折れた骨が皮膚を突き破り、割れた白い先端が露わとなっていた。

 "それ"は破り出た骨の先端に指を添え、軽く圧し折ると、その骨を手に握り絞めた。

 腕──らしきものは地面に放り捨て、握り絞めた骨を肩に下げた鞄の中へと放り込む。

 一度、二度、確かに死体が死体であることを確認すると、"それ"は踵を返し、月光の元から闇の中へと消えて行った。

 後には、月明かりに照らされた醜い死骸だけが残されていた。



 ──────



 冒険者ギルド、その灯りが消えぬ日は無い。

 灯りとは、物理的な意味に留まらない。どのような瞬間も、ギルドには活気が溢れている。現に深夜を回った今でさえ、喧騒は止まらない。

 昼夜問わず、依頼が貼り付けられた掲示板に集り、受付に申請する者。そして出立する者。依頼から戻り、自身の功績を告げる者。様々な者で沸き立つ空間は、独特の熱気を孕んでいた。

 ギルドから人が消えては増え、増えては消える。人々は延々と言葉を紡ぎ続ける。

 そんな様々な言葉が交わる空間に──ふと鈍い音が、入口の扉に響いた。

 扉が、叩かれた。

 瞬間、喧騒が止む。驚くほど、素早く。まるで空間を凍らせたような静寂に、ギルドは包まれた──静寂は、一種の"警戒"も抱え込んでいた。

 多くの冒険者が壁掛けの時計を見つめた。そしてその時刻を見、溜め息をつく者、苦々しい表情を浮かべる者、好奇の光を目に宿す者と、各々が様々な反応を見せる。

 時刻が深夜を過ぎた頃。丁度、今の時間帯。一体何が起こるのか。この場に居る全ての者が知っていた。

 ──少しずつ、扉が開いていく。すると、ずるりと、扉の向こうから、黒い腕が這い出した。

 鋭爪を携えた黒い指先が、ギルドの床板に沈み込む。次に、もう一対の腕に釣られ、"それ"が遂に顔を出した。

 黒炭のような皮膚を纏い、深淵を連想させる黒々とした瞳を持ち、鞭にも似た尾を携え、"違和感"と共に四つ足で闇の向こうから現れた"それ"は──そう、まさしく魔物のような姿であった。

 にも関わらず、冒険者は皆、"それ"の出現を沈黙という形で見送った。剣を抜く者、槍を構える者──武器の類を構える者は誰一人としておらず、それどころか細々とした談笑がそこかしこで行われ始めていた。

 若干の騒めきを取り戻した世界の中を"それ"は堂々と進む。その行動を、敢えて邪魔する者はいない。寧ろ、彼の前方には広々とした道が開かれていた。

 "それ"の進行方向に立つ者も、今まさに通りかかろうとした者も、"それ"を避けるようにして身を退いていた。

 やがて、"それ"は目的地に辿り着くと、肩に掛けた鞄を開け、内部を弄り始めた。先ほど、"それ"が現れた時に垣間見えた"違和感"とは、"それ"の肩に掛けられた一つの革製の鞄のことであった。

 容姿に似合わぬ鞄を弄り続ける"それ"は、ようやく目当ての物を探し当てたのか、一枚の紙を手に目的地──ギルドの受付に対し、差し出した。

 受付の担当者は"それ"から紙を──『冒険者への依頼書』を受け取ると、いくつかの処理を施した後、一言"それ"に言葉を放った。

 "それ"は一つ頷くと、鞄を弄り、中から"紅白に染め上げられた何かの破片"を取り出し、同じように担当者へ手渡した。

 破片を受け取った担当者は、机の引き出しからある物を取り出し、机にそっと、ある物を置く。

 ある物──布袋に包まれたそれの中身は、大量の銀貨であった。

 "それ"は布袋を当然のように手に取ると、再び鞄を開け放ち、その中へ乱雑に放り込んだ。銀貨同士が重なる音が、騒めきのうろつく空間に、小さく響いた。

 担当者に一つ、頭を下げ、"それ"は再び四つ足で歩き始めた。行き先はギルドの、とある一室であった。

 受付広場から廊下に繋がる扉を潜ってしばらく──先ほどよりも騒めきの大きさは増したようだった。

 多くの遠い声を背に、彼は突き当たりの部屋の前にまで来ると、鞄より取り出した鍵を差し込み、扉を開錠。その中へと潜り込んだ。

 簡素な造りの部屋ではあったが、中身は随分と充実していた。柔らかな寝具に、大量の本が置かれた本棚。木造りの机の椅子に、箪笥が一つ。

 "それ"は扉をそっと閉め、鍵を掛けた。鞄は肩から外し、机の上に。

 すると、ふと足元から金属音が聞こえた。

 "それ"が視線を下へと向ければ、そこには一枚の白い金属板。首に触れれば、細い紐が宙ぶらりんに、うなじにもたれ掛かっていた。

 今まで"それ"が首に掛けていた物が、落ちたのだった。

 "それ"は金属板を拾い上げると、首に掛かった紐を手に、板の穴へと通し始めた。そして、紐の切れた部分同士を硬く結び直すと、満足気に息を吐いた。

 彼の手に光る金属板。それは、ただの金属製の板ではない。それは、冒険者の証である、登録票。それを持つ者が、冒険者であるということの証明。

 そう、"それ"は──"彼"は、冒険者と呼ばれる存在だった。



 冒険者とは──冒険者ギルドと呼ばれる組織に所属する者達の総称である。

 彼等の仕事の内容は、一口に言ってしまえば何でも屋と等しい。盗賊・山賊・魔物など、社会に不利益を齎す存在の討伐から未開の地帯の探索まで、受け持つ仕事は幅広い。

 基本的に、何かしら問題を抱えた者達がギルドに相談、それにより発生する依頼を受け、日銭を稼ぐのが彼等の生き方である。

 しかし、彼等の多くは、本質的にそれ以上を求め、冒険者となる。未開の地を探索し、解明した英雄としての名誉。竜のように強大な魔物を討伐したことにより得られる栄光。様々な場所に隠されし、莫大な財宝を見つけ出す喜び。

 冒険者として高名になればなるほど、様々な場での待遇は大きく変わっていく、というのも魅力の一つか。ある国の最高級の冒険者は、その国の王にも負けず劣らず、様々な強大な"力"を保有しているという。

 だが、夢ばかりを抱えていられる程、気楽な職業とは言えない。先述のように、依頼の中には凶悪な魔物の退治等も含まれるため、仕事柄、死亡率は高い。未開の地という情報が皆無な場所へ赴くことで、思わぬ弊害に出くわし、命を落とす者も多い。

 ギルド側も対策として、依頼を受注するに辺り、階級制を取り入れるなど、死亡者を減らす工夫はされているが、それでも死人が途絶えることだけは未来永劫あり得なかった。

 故に、彼等冒険者にはあらゆる存在に対する警戒心が人並み以上に燻っている。少なくとも、自身の身に危険を及ぼす可能性の芽は即座に摘みたがる──例えそれが、狂暴な力を持ち得ながらも、容易にそれを振るおうとしない、無害な存在だとしても。

 そんな冒険者達が集う場に、再び喧騒が戻った頃、ある冒険者達の話題は、数分前までの他愛もない談笑から、先ほどの"彼"についての物へ切り替わっていた。


「相変わらず気味が悪いな……あの”絨毯事件”を起こしたのも、あれを見れば納得できる」


 誰にともなく、男がそう言葉を漏らした。その顔は苦々しいものに溢れている。

 隣で談笑を続けていた彼の友人も、表情を硬く、首を縦に振った。


「確かに…いつ見ても気味が悪い。あの容姿、体躯、あれは、まるで──…」


 友人はその先の言葉を飲み込みはしたものの、何を言わんとしているかは彼にも理解できた。

 彼等からしてみれば、"彼"はどう見ても──こうして"彼"の預かり知らぬ所で、数々の毒が吐き出される。


「どうして、あんなものが冒険者に……」


 全く以て理解に苦しむ──半ば嫌悪の入り混じった言葉が続く。それはギルドの喧騒にかき消され、ただの雑音として処理された。

 無論、嫌悪を孕んだその言葉が、"彼"の耳には届くことはなかった──それだけが、まだ"彼"に対する救いであった。


 ──────


 翌日、深夜。広間に通ずる扉が軋み開かれた。

 瞬間、沈黙が訪れた──彼が、再び姿を現したのだ。同時、彼へと多くの視線が向けられる。深夜と言えど、冒険者の数は昼に劣らない。

 穴が開きそうな、痛みを孕んだ視線を受けながら、彼は平然と広間を行く。行き先は、大量の、冒険者への依頼が貼り付けられた掲示板。彼はそれに素早く目を滑らせ──やがて一枚の依頼書を取り浚った。

 取り浚った依頼書を、受付へ。強張った表情の担当者は依頼書を受け取ると、一連の処理を施し、恐る恐る彼へ手渡した。

 すると彼は依頼書を受け取るや否や、すぐさま踵を返し、ギルドから去っていった。依頼に出立したのだった。

 五分間にも満たない僅かな時間。彼が依頼を受け、出立するまでの間、彼に注がれる奇異の目が止まることは一度もなかった。


 ──────


 深夜。

森林の中、木々の合間を縫うように、彼は黙々と悪路を進んでいた。周囲には彼を囲むようにして生えた木々の群れ。頭上からは枝葉に隠れながらも、薄い月明かりが射し込んでいる。

 彼がこの森に入り込み、歩き回り始めてから、既に数十分が経過していた。

 深夜の森にこうして居座る。何故なのか。月明かりが僅かにあるとはいえ、その程度。ほぼ闇の中と変わらぬ状況。灯りも持たず、闇の中を闊歩するなど、冒険者にとっては自殺行為にも等しい。そんなことは、誰もが知っている。そこに目的があるにせよ、だ。

 しかし、闇の中という一見不利な状況も、彼にとっては大きな欠点にはなり得ない。

 何故欠点にはなり得ないのか。それは彼の持つ、夜目の強さにあった。真昼と夜闇、どちらも彼にとっては同じく見えている。それは、遠い先祖より代々受け継がれてきた、生物としての一つの強みであった。 

 その強みを生かせるのは夜という状況下。故に彼は依頼に際し、夜に出立することが多かった。──最も、夜に出立する主な理由はそれでなく、また別の理由が大きいのだが。

そして今も、何も意味もなく歩き続け、時間を浪費している訳ではない──依頼の為だ。その完遂の為、彼は”敵”の捜索を選択していた。

彼の引き受けた依頼。それは、失踪した冒険者の捜索依頼であった。本来、その容姿から様々な誤解を受けやすい性質にある彼は、こういった何者かの捜索という依頼を受けることはない。例え探し出せたとして、”彼の素性”を知らない者が相手では”厄介な勘違い”を受ける可能性があまりにも高い。

それでも今回、この依頼を受注した理由。それは、依頼が発生するまでの過程にあった。


発端は、ある冒険者が依頼を受け、出立した後の動向にあった。その冒険者の受けた依頼は薬草の採取依頼。冒険者として経験の浅い者がよく受ける、いわば初心者に対し向けられた依頼であった。

だが、その冒険者は帰ってこなかった。一日、二日、三日が経とうとも、帰還することはなかった。

冒険者が姿を不意に消すことは、決して珍しいことではない。依頼の途中、予想だにしない魔物に出くわし、命を絶たれる者。情報の少ない地での依頼にて、そこに潜む山賊や盗賊に遭遇し、口封じの為に殺される者。決して、珍しい話ではないのだ。

それでも、せめてもの可能性に縋ろうとする当事者たちの家族は、ギルドに対し、依頼という形で捜索を懇願する。現に件の冒険者が姿を消した後、その者の母親が捜索依頼をギルドに提出している。

──余談だが、この段階で、彼が動くことはなかった。理由は様々だが、まだ生きている可能性も──低いとはいえ存在した以上、自身の出る幕ではないと判断したからだ。

件の依頼は、別の冒険者が引き受けることとなった。多くの経験を積んだ、熟練者といえる冒険者であった。

 すると、捜索に向かった冒険者もまた、同じく姿を消した。一日、二日、三日が経とうと、帰還することはなかった。状況としては、一番目の冒険者と同じ。大半の冒険者は、この時点でその意味を察していた。

 二番目に姿を消した冒険者の家族が、ギルドに対し、一番目の失踪者である冒険者の家族同様、捜索の依頼を出した。

 そうして出来上がったのがこの依頼。名目上は、失踪した冒険者の捜索となっているが──正確には、違う。

 この依頼は、捜索依頼ではなく──実質"討伐依頼"となっていた。

 経験の浅い者ばかりが失踪するならば兎も角、捜索に向かった冒険者は熟練者。少なくとも道に迷って遭難するような、程度の低い魔物に殺されるような、下手な実力はしてはいなかった。

 で、あれば一体何があったのか。一体、何が待ち受けているのか。──皆、考えていることは同じだった。少なくとも、対象の地域に山賊や盗賊が出没したという情報はなかった。彼等はこの依頼を受けることで、どのような存在を相手取ることになるのかを、明確に理解していた──間違いなく、魔物の仕業であった。

それを踏まえた上で、彼はこの依頼を受けていた。難易度の高さも、何を相手にすることになるのかも、重々承知の上だった。

 そして彼は失踪者達が最後に消息を絶ったという森の前にまで来ると、敵の存在を求めて歩き始めた。

 その足取りは深い慎重に囚われていた。この依頼を受けるに辺り、彼にとって、二番目に失踪したという冒険者の存在は大きかった。その冒険者の技量の高さはギルド内でも噂になっており、いつまでも帰還を果たさないことに対し、信じられないという声が多く聞こえた。彼自身と直接の面識は無いが、兎も角、それがこうして失踪を遂げている──恐らく、死亡という形で。

 それを知った以上、彼は通常の魔物の討伐に比べ、警戒心を引き上げざるを得なかった。一つの小さな侮りが、大きな傷となり得るのは常だ。冒険者達の騒めきから、その情報を得られたのは幸運であった。

彼の引き上げられた警戒心は、様々な問題を脳裏に浮かび上がらせた。その一つが、森という木々の密集した地帯にて、人間に比べ大柄な体躯を持つ彼では、異常な程に戦い難いことだった。相手が強力な魔物である可能性が高いのであれば、自身の持ち得る牙を、爪を、尾を存分に発揮できる場所が望ましい。

 幸いなことにこの森の木々の間隔は割と広く、扱い方さえ間違えなければ爪も尾も振り回すのには弊害はないことから、戦いやすさという問題点についてはほぼ解決している。が、油断はできない。それでも戦い難いことには違いないのだから。

 ──森中を歩き回る中、独特の緊張感が背骨に食い込む。一体、どのような魔物が待ち構えているのか、見当もつかない。

 彼は既に魔物の領域、縄張りに侵入を終えている。ここから先は彼がどこに居ようとも、魔物側が縄張りをうろつく内に、いずれ彼の存在が露見するだろう。例えすれ違いになろうとも、魔物は縄張りに施された僅かな違和感を感じ取り、いつか彼に辿り着く。魔物は基本的に眠りの間隔が短く、昼夜問わずに動き回れる。今頃も、活発に縄張りを行き来している筈だった。

 四方を警戒しながら彼は進む。敵の情報は大きく不足。何が待ち受けているのかも分からない。戦いに置ける環境は、想定よりも良好ではあるが、万全とは言い難い。

 それでも、進むしかない。ここまで来て、最早後には退けないのだ。

 彼が冒険者となった、理由の為にも。


 ──────


 ──彼が森を歩き続け半刻が経過した。

どうにも対象が見つからなかった。警戒も緊張も解けてはいないが、このままでは肝心な時に緩みかねない。

一度休息を挟むべきかを検討し始めた頃──ふと、地面が揺れた。

 地震、では、ない。どちらかと言えば地鳴りに近い。

 僅かな、ほんの僅かな振動であった筈のそれは、段々と大きくなっていく。それは、まるで此方側に近づいて……──瞬間、彼の眼光が鋭さを増した。

足を止め、正面を見据えた。両手両脚、四肢を用い、深く身構える。自然と指に力が入り、爪先が地面に食い込んだ。

 遂に、というべきか。ようやく、というべきか。兎も角、目的自体は達成された。

 一欠片も、喜ばしいとは思えなかったが。

地響きが爪先を通し、身体に伝わる。心臓が高鳴り、吐き気とも高揚とも言えぬ感覚が湧き立つ。

 地面の揺れは秒を追うごとに大きくなり、彼の身体を僅かに揺らす。

 明らかに、何かが迫り駆けて来る。それも、相応の重みを伴った、巨大な何かが。

 彼の目は、全てを見据えていたが、傍から見れば、それは闇の中から不意に現れたように見えただろう──暗闇の中から、魔物の頭蓋が姿を現した。鋭く、血に穢れた牙を伴って。

迫る。魔物の牙が、彼の頭蓋に迫りゆく。

寸前、彼はその場から大きく真横に飛び退いた。瞬間、彼が身を伏せていたその場所を、一つの巨影が通り抜けた。巨影はすれ違い様に牙同士を噛み鳴らした。もし、彼がその場に留まっていたならば、彼の頭蓋はあの牙の群れに噛み砕かれていただろう。

 地面に身体を打ち付けながらも、彼は瞬時に体勢を立て直す。眼光は、鋭い。血走ったその瞳からは、一欠片の油断も垣間見えず、魔物に対する敵意と緊張に溢れ満ちていた。

 魔物は突進の勢いを殺すべく、地面に爪を立て、土煙を背景に、振り返る。熱く、獣臭い吐息と共に。

 視線が交錯する。鋭利な眼光が互いを射抜く。

 成る程──その姿を目にし、彼はあらゆる疑問に対し、納得した。

 相手が”これ”ならば、如何に熟練の冒険者の死であろうと納得できる。

 革の鎧を、鉄を、難なく引き裂けるであろう爪。肉を、剣を、難なく圧し折れるであろう牙。強靭に発達した全身の筋肉。

 一人目も、二人目も、どちらの冒険者も、間違いなくこれに殺されたのだ。

 今まさに、彼を食い殺そうと襲った魔物──それは、合成獣と呼ばれる魔物であった。



 合成獣──そうは呼ばれているものの、実際に魔物と魔物を合成して作り出された、という訳ではない。元来の姿がまるで別々の獣同士が合わさったような姿をしているが故に、そう呼ばれているだけだった。

 彼自身、実を言うと合成獣との邂逅は初めての経験であった。魔物の中では希少の類とされる合成獣は、元より討伐の情報も少なければ、情報も少ない。ただ、薄ぼんやりとではあるが、その容姿と驚異的な力を持つ魔物、という情報だけは冒険者達の間で渡り歩いていた。

まず、最初に気が付いたのは、やはり肉体の歪さであった。肉食獣の如き上半身を持つというのに、下半身は何方かといえば山羊などの草食動物に近い。

加えて印象的だったのは、その尾であった。彼自身、しなやかに動く鞭の如き尾を持ち得ているが、目の前の合成獣の尾はこれまた奇妙な形をしていた。

その尾は、まるで蛇そのものだった。頭部も、牙も、形も、何もかもが蛇のそれ。実際に頭部とは別に生命を維持しているのかは不明だが、周囲の様子を伺うような独立したような動きが見えている。爪や牙とは別に、尾にもまた警戒が必要だった。

月下の中、互いに睨みあう中で、野生に鍛え上げられた筋肉が、暗闇の中で僅かにうねるのを彼は見過ごさなかった。それとほぼ同時、彼は地面に四肢を低くつけ、身構えた。睨み下げる合成獣と、睨み上げる彼。独特の緊張感が空間に満ち満ちていく。

 ──動いたのは、合成獣が先だった。後ろ脚で地面を蹴り、大きく跳ぶ。跳躍と同時に振り上げていた前脚を振り払うが、既にそこに彼の姿はなかった。

 彼の姿は闇の中。合成獣が跳躍を試みた瞬間には、既に大きく後方に跳び退いて、木々の盾に身を潜めていた。

 一瞬、僅かながら地面に視線を移す。地面は、異様な力を以て抉り取られていた。巨大な爪痕を残した合成獣の一撃は、まともに当たれば大出血は免れない。

 考える間も、状況は動く。彼が退いたと見るや、再び突進。木々を意にも介さず、合成獣は彼の元へと突っ込んだ。

 細身の体躯を持つ彼に比べ、合成獣は割と大柄の類に位置することから、遮蔽物を前には下手に近づいてこない──そう考え、その間にさらに情報を集める試みがあったが、外れてしまった。

合成獣の戦い方は、呆れるほどに凶暴性というものを体現していた。木々に身体がぶつかろうと関係ない。幹を削り、細木であれば圧し折りながら、彼の元へ迫る。

彼との距離が縮まるにつれ、口腔が開かれ、鋭い牙が姿を覗かせた。牙は渾身の力を以て噛み合わさり、彼の肩の肉を食いちぎる──筈だったが、彼は俊敏にも牙が肩に触れる寸前、身を翻し、合成獣の突進をいなした──筈が、不意に彼の身体は、腕の自由が奪われたことで、僅かに体勢を崩す。

同時に、鋭い痛みを腕に感じた。痛みの正体は──合成獣の尾、らしき存在。先ほど、蛇そのものに彼が例えた尾が、すれ違いざまに牙を彼の腕に突き立てていたのだ。

疑惑が、確信に変わった。この尾は、ほぼ独立して動いている。合成獣の意思とは無関係に。故に、こうしてすぐさま相手の動きに対応出来るのだ。または、対応する為にこうした進化を遂げたのか。

尾による彼の行動阻害は、彼にとって不利な状況を生み出した。彼が尾──改め、蛇の噛みつきを振り払う中、合成獣──本体は既に体勢を整えていた。

振り返りざまに振り回された本体の前腕に対し、再び後方に身を退くが、木の存在もあり、満足のいく回避とはならず、僅かながら爪先が身体を掠った。

裂けた皮膚から血が飛び出し、木を赤く染めた。裂けた皮膚は、肩付近の薄皮。重症には及ばない。

兎に角、相手を見据えたまま距離を取る。移動しつつも、ある程度離れたところでまず確認したのは、蛇に噛まれた腕。妙な痛みや痺れはない為、毒の類は持ち得ていない──と、思われるが、真に問題があるのは相手側の動き方。回避が完了する寸前、こうして手首を噛まれ、防がれたことで僅かながら攻撃を受けてしまった。彼は本体と蛇の意識は別々に機能していると考えたが、連動しているにせよ、いないにせよ、どちらにせよ厄介な相手であった。前と後ろ。両方に視界を持っているようなもの。そうなると、背後からの攻撃の類にしても防がれやすくなる。

かといって真正面から戦えば、物量で押し切られる予感がしてならない。

──ならば、と彼はさらに距離を取りつつ、闇の中に姿を消した。

それを追う合成獣。逃すつもりは欠片もない。だが、意外にも彼の姿はすぐに見つかった。

彼が取った次の行動は、爪を振り被った正面からの突進。対し、合成獣が腕を薙いだ瞬間──彼は紙一重でそれを避けるや否や、傍に生える木に跳び移ると、その反動を活かし、今度は合成獣の側面に向けて跳びかかった。

しかし、それを読んでいたのか、または野性的な勘故か。合成獣は真横より迫る影にすぐさま向き直ると、素早く前脚を振り払った。

彼もまた、爪を前方へ思い切り突き出した。

二つの爪、二つの一撃が交錯する。刃同士が擦れ合ったような音が森に響いた。

結果は──痛み分けに近い。

合成獣は前脚の皮膚を大きく裂かれ、彼もまた、鎖骨周りを爪で裂かれる形となった。

噴き出す血を抑えつつ、彼が再び距離を取ろうと、合成獣の周囲を回るようにして移動する。互いに睨みあい、木への衝突を避けながら、頭を回す。変則的な攻撃、または相手の一撃を避けた上での反撃ならば通用するかと考えたのだが、本体の感覚の鋭敏さに負けた形だ。

さて、どうするか──彼が考える間も、状況は変わる。合成獣は木々の間を器用に駆け抜け、逃げ回る彼を追い始めた。脚力についても相手側に利があるのか、追いつかれたところを牙の一撃を受ける。

無理やり身体を捻り、牙の一撃を避けると、彼はその場から飛び退いた。と、そこで逃げるのを止め、低く身構えつつ、合成獣を睨み上げる。幾ら策を講じようと、この獣相手には効果は薄い。で、あれば正面から隙を伺いつつ一撃一撃を入れていく戦法に切り替える他なかった。

一方、彼が正面からの戦闘に及ぶつもりなのを理解しているのか、合成獣もまた、彼の様子を伺うようにして周囲を闊歩する。

 黒炭の魔物と異形の魔物の縄張り争い──傍から見れば、そうとしか思えぬこの状況。何も知らない者がこの光景を見て、それ以外を連想するだろうか。出来ないだろう。

 だが、実のところ、その捉え方には大きな間違いが潜んでいる。

何故なら──彼は、”魔物ではない”のだから。

 ──合成獣が動く。体躯を生かした突進。

彼が動く。衝突の寸前に身を翻し、横合いから一撃を狙う。

月明かりも届かぬ林の中、破裂音が響き渡った。


 ──────


 二年前──


 広くも狭くもない、半端と言えば聞こえが悪いが、そんな街。

 しかし穏やかで柔軟な感性を持つ住民が多いその街は、大きな犯罪や争いも少なく、柔らかな空気が充満しているのが常。平和というものに基準があるのなら、その街は他に比べ、その基準を大きく上回っていた。

 治安の良い、平和な街──そんな場所で今、耳を劈く鐘の音が街中に響いていた。

 あらゆる人々がざわついていた。皆、鐘が鳴ることの意味を知っていたからだ。

 鐘が鳴る。それはある特殊な事態を示す。特殊な事態とは──いわゆる、魔物の接近である。

 大抵は見張り塔に腰を据えた衛兵が視認。魔物であれば鐘を鳴らし、外へと繋がる門を封鎖する──といった一連の流れで侵入を防ぐ手はずなのだが、今回は些か事情が異なっていた。

 門を閉じた。そこまでは良かった。しかし、何と、門前に現れたその魔物は壁を腕力と脚力のみでよじ登り、街への侵入を果たしたのだ。

 これには衛兵も愕然とした──が、すぐさま各々が武器を取り、魔物を囲んだ。

 時代は魔物という明確な悪が存在する時代。敵同士。人間側が魔物を嫌悪するのと同じく、魔物側もまた人間を嫌悪する。

 そんな時代で、街中にこうして魔物が降り立った。それが一体、何を意味するのか。

 見るからに凶悪なその魔物は──彼等に、敵意よりも先に、恐怖を呼び起こさせた。

 魔物の前腕が微かに動いた。瞬間、皆の脳裏には魔物の携えた爪による、一方的な蹂躙が映し出された。

 小さな悲鳴が上がる中──何をするかと思えば、魔物は不意に歩き出した。決して駆けることはなく、悠然とした闊歩。四つ足で堂々と、街の往来を、歩いて行った。

 すると、一人の勇敢な冒険者が、路地裏から飛び出した。その手には片手剣。勇敢な若者だった。街の為、皆の為、死を想起させる根源を絶とうと行動を起こしたのは、彼が初めてであった。

 狙うは奇襲。剣を振りかぶり、射程距離に到達。そして──振り払う。

 ──剣は、確かに衝突した。魔物の硬い皮膚を裂き、僅かながら血を流させた。

 しかし、そこまでだった。魔物はただ斬られた訳ではない。片腕を盾に見立て、剣を受け止めたのだ。

 魔物は皮膚に食い込んだ剣ごと、冒険者の身体を押し返した。魔物の膂力により、若い冒険者の身体は軽々と吹き飛び、再び元の路地裏に押し込まれることとなった。

 衝撃によって若者が剣を手放し、地面に転がる。肩を地面に打ち付けたものの、大きな怪我を負った訳ではなかった。

 奇襲を受けた魔物は、すぐにその場を去ろうとはしなかった。静寂の中、若者の無事を確認するかのようにしばらくその場に留まると、それからようやく歩き始めた。

 若者の奇襲により、勝機を取り戻した衛兵が、数人がかりで止めるのも厭わず、魔物は──彼は黙々と進み続けた。

 魔物はやがて、ある施設の前で足を止めた。

 冒険者ギルド──あらゆる冒険者を管理する、冒険者の統率組織。

 魔物はその扉の前に立つと、その取っ手を握り、中へと侵入した。

 ギルドの中は──表と同様、静寂に包まれていた。

 表の騒ぎを聞きつけたのか、多くの冒険者が各々の武器を取り、魔物に向かって構えていたが、誰一人として斬りかかろうとする者はいなかった。

 相手が見たこともない魔物であったこと。異様な状況下に判断しあぐねいていること。理由は様々であった。偶然にも、冒険者として高い実力を誇る者の大半が不在であったこともその一つだろう。

 ──警戒は、実のところ杞憂ではあったのだが。

 敵意と殺気が注がれる中、魔物はというと、やはり堂々と足を進めた。その足取りには欠片の迷いもなく、爪先は真っ直ぐ、ギルドの受付へ向けられていた。

 そして、魔物は受付の前に辿り着いた。涙を浮かべ、恐怖に怯える受付嬢に、魔物はたどたどしく──"冒険者になりたい"、と、そう言った


 ──────


 ──横合いからの一撃は、一応成功という形に終わった。

 突進を避けると同時に振り払った彼の尾は、しなやかな動きを伴って、合成獣の脇腹へと衝突した。鈍い音が木々の間を通り抜けていった。確かな感触があった。折れる、とまでは行かずとも、少なくとも罅は入ったと思われたが、肝心の合成獣の様子はというと、あくまで平然。それどころか力を溜めるような素振りを見せると──振り向き様に爪の一撃を放った。

 力を溜めた時点で危ぶんでいたお陰か、それは難なく避けることが出来た。

だが、合成獣の攻撃は止まらない。一撃を避けられたと見るや、もう一対の腕を振りかぶり、もう一撃。それも避けられたと見るや、今度は噛みつき。爪、牙、爪、牙──強靭な肉体を持ち得ているが故に繰り出せる、息もつかせぬ連撃が彼を襲う。

 どうにか連撃を避け続けていた彼の息が荒みだした頃、不意に身体が急停止する。木に衝突した訳ではない。だというのに、見えない壁に後退を阻まれていた。

 一体何が──困惑と同時に腰回りが痛みに襲われる。痛みの元は、尾。彼の尾が、合成獣の脚に踏み潰されたことで、尾と繋がる彼の身体が急に停止させられたのだ。その原因に気づいた瞬間、合成獣の牙は眼前に迫っていた。刃にも劣らぬ鋭牙の群れ。牙は、彼の喉元に狙いを定めていた。

 反射的に身体を捩じるが、避けるには至らず、牙は肩に到達した。凄まじい顎の力に血が噴き出し、骨が軋むが、それどころではなかった。

 合成獣は彼の肩に喰らいついても尚動き続け、彼の身体ごと後方へ押し出していく。

 ──不意に、背骨に痛みが走る。後方へ押し出され続けた結果、彼は背後に生えていた木に身体を張り付けられたのだ。

 深刻な状況だった。肩の自由は奪われ、腕は上手く動かせず、今にも骨が折れかねない。後方には木の壁が生え、逃げられない。前方には合成獣。

 どうしようもない状況下で、ひたすら痛みだけが増えていく中──彼の身体が半ば無意識に答えを見出した。

 腕は、二本あるのだ。彼は骨を噛み砕かれていく痛みに堪えながら、もう一対の腕を合成獣のある部分に向かって突き出した。


 ──────



 皆が──顔を驚愕の色に染めた。魔物が、"此方側の社会"の言語を口にし、介する魔物が存在したことが、彼等の目には異常に映った。が、魔物は口にした内容は、それ以上の驚きを孕んでいた。

 あの魔物が、明確な敵対者である冒険者になりたい──そう言っているのだ。

 無論、受付側の返答は拒絶であった。拒絶、と言っても無言による拒絶。彼女はあまりの恐怖に何も言えずに固まっていた。

 だが、仮に彼女が話せたとして、彼を冒険者として認めただろうか?あり得ない。馬鹿らしい。規格外だ。

 これは魔物。様々な種の明確な敵とされてきた存在が、今こうして冒険者という人間社会の歯車の一つになりたいと、そう申し出て、拒絶以外の返答はあり得ない。

 沈黙という名の拒絶を受け取った魔物はというと、しばらくの間受付に留まり──ふと、踵を返した。

 どこへ行くのか。帰るのか。多くの冒険者が見守る中、魔物の足は、外に向けられた。

 魔物は再び壁を登り上げると、街を去り、街道の果てに消えていった。

誰も、魔物の奇行を止めることは出来なかった。


 ──────


 爪先が合成獣の”ある部分”に到達した。鋭爪は皮膚を抉り、柔らかな骨を切り潰し──遂に血が噴き出した。

堪らず合成獣が悲鳴を上げ、彼の腕を口腔から開放する。腕が解放されると、彼は荒い息を吐きつつ手早く腕の状態を確認した。手を握り、開き、握り、開く。肘を動かし、関節に影響がないことを確かめる。影響があるとすれば、肩の上がり難さ、失血、熱を帯びた痛みだけ。

 しかし、その分の見返りはあった。彼の爪先が狙ったのは合成獣の頭部──の、鼻先部分。狙いが定まるか不安な状態ではあったが、爪先は見事鼻先に命中。

 眼球を狙わなかったのは的の小ささに対する不安があったことと、相手が見た目通り獣としての能力を有しているのであれば、視覚と同等に嗅覚への一撃は大きな不利に値するのではないか。そう考えたからだ。

 その効果は、間違いなくあった。視覚だけでなく嗅覚も状況を判断するのに役立てていたのだろう。寧ろ視覚より嗅覚の方が日常生活に貢献していたと見るべきか。現に今、確かに合成獣は長々と彼の姿を見失っていた。

 その隙に、彼が木々の闇に姿を隠す。もしかすると──ある可能性に望みを賭ける。

 やがて我を取り戻した合成獣が、姿を消した彼を探し出すべく木々の間を駆けていく。が、先ほどまでの勢いはなく、動きには明らかな不安がにじみ出ていた。

 ──それを逃さず、再び合成獣の元へ迫る影があった。

彼だ。彼はまたもや正面からの攻撃を目論んでいた。無論、これ自体が通ずるとは思っていない。先のように、相手の一撃に対する変則的な反撃を加えるつもりであった。

同じ手が通用する可能性は低かったが、嗅覚という武器を失い、困惑している今ならば、と考えた末の行動であった。

僅かな可能性に対する賭けは──見事、報われることとなった。

 彼は無造作に繰りだされた前脚の一撃を避け、再び木に跳び移るとその反動を利用し、真横より尾の反撃を叩き込むことで、合成獣の右耳を、聴覚を完全に破壊した。

 あまりの痛みに悶える隙に、彼は地面に降り立つと、もう一つの”敵”に対し駆け寄った。

 “敵”、それは、合成獣の尾であった。今後訪れるであろう”機会”の最中、先のように邪魔をされては堪らない。

 彼の姿を見た途端、蛇は顎を開き、牙を突き立てるべく迫ってきたが、噛みつかれるより先に、彼は蛇の上顎と下顎、その二つを握り掴むと、無理やり上下に引き裂いた。彼の膂力に蛇の肉体は悲鳴を上げ、真っ二つに胴体が開かれる。

 痛覚自体は繋がっていたのか、本体が巨大な悲鳴を上げた。

 悲鳴と共に振り回された剛腕を避けると、一度距離を取り、状態を立て直す。だが、合成獣の猛撃は留まることを知らない。彼によって、これまで蓄積された痛みの数々が、半ば暴走めいた攻撃性を引き出した。

 清廉さを著しく欠いた、激しいものだった。敵の区別もついていないのか、木に、地面に、巨大な爪痕を次々残していく。あまりにも激しく動き回るその様に、彼は近づくこともできなかった。

 遂に数本の木々を圧し折ったところで多少の落ち着きを取り戻したのか、熱く、荒い呼吸を繰り返しながら、怒りを孕んだ視線が彼を射抜いた。血走った眼球が、彼の姿を捉えた途端、合成獣は彼へと向けて駆けだした。突進に爪と牙の一撃を織り交ぜ、彼の元へと粘り迫る。

 下手に背を向けて逃げ出せば背骨を叩き折られる──肉体に纏わりつく妙な予感に突き動かされ、彼は合成獣を視界に据えたまま、必死に後方へ逃げ続けた。爪を避け、牙を避け──先ほど、肩に牙を受けた際と似た状況下ではあるが、その激しさは先の比ではない。しかし、いくら逃げ続けようとも、合成獣の体力にはまるで底が見られなかった。決して彼の体力に劣りがあるのではない。合成獣の体力が異常なのだ。

 その肉体の持ち得る力の差が、遂に命運を分けた。

 切り上げに近い形で振り上げられた合成獣の剛腕が、彼の脇腹を捉えた。

 爪が皮膚を貫き、肉に食い込み──そのまま、怒りに身を任せた膂力を直に受けた彼の身体から、鮮血が噴き出した。肩掛けの鞄が切り裂かれ、吹き飛んだ。

 彼の身体が──ぐらりと揺れる。

 脇腹から胸元に架け、描かれた四本の線から血が流れだす。

 刹那、獣の牙が、彼の喉元へと迫る。

 鮮血が、茂みに散った。


 ──────


 翌日、魔物は再びやって来た。

 すぐさま、門に柵が下ろされた。しかし魔物は淡々と壁をよじ登り、再び冒険者ギルドに足を運ぶと、先日と同じ言葉を繰り返した。

 “冒険者になりたい”、と。

 ──沈黙が場を支配した。あまりに長く、沈黙は続いた。

 すると、彼は踵を返し、外界に向け歩き出した。

 昨日のように壁をよじ登り、街道の果てに消えていく。

 そんな日々が毎日続き、やがて一ヵ月が経とうとしていた。時折魔物には剣や槍が向けられたが、それを意にも介さず、同じことが毎日続いた。

やがて街の住民も鐘の音に飽きを覚えて来た頃の事──再び鐘の音がなった。

魔物は降ろされた柵でなく、外壁を一瞥し、いつものように爪を立てようとした。

 ──それを止める声があった。

それは、ある一人の冒険者であった。胸元には──冒険者の登録証。

 魔物に声を掛けた冒険者は、ギルドが誇る、最高級の冒険者であった。

 それも一人ではない。その背後にはこの街でも特に精鋭中の精鋭とされる十二名の冒険者が剣を、槍を、斧を携え、立っていた。

 今度ばかりは、ギルドも黙ってはいなかった。この事態を予測していた彼等は、一ヵ月という準備期間の中で、ある用意をして彼を待ち構えていた。

 それが、彼等最高級の冒険者達であった。

 彼等は衛兵に柵を開けるように促すと、彼の四方を取り囲みながら、ギルドのある部屋へ彼を誘導した

 彼は無言で先導に従い、開かれた扉を潜り抜けた。

 面接会場──とは名ばかりの、存分に殺陣を繰り広げられる巨大な広間。そこに、彼を囲むように立つ十三名の冒険者。当ギルドが誇る最高級の冒険者、黒級を含めた十三名が首を揃えていた。

 ここまで言えば、彼がどれ程の警戒を以て接せられているか分かるだろう。これが彼という未曽有の脅威に対する唯一の"策"であった。

 いざとなればお前をいつでも殺しきれる。言外にそう告げられながらも、彼は身の丈に合わない木椅子に向け、慎重に腰かけた。

 歯の根が震えるのを噛み殺し、それでもギルド長は問いかけた。これまでの行為の理由、そして魔物でありながら冒険者を志すその動機を。無論、あくまで、毅然と。ギルドの責任を負うものとして、問いかけた。

 すると、彼もまた、そっと口を開き、こう言った。

 ──自分は魔物ではない、獣人なのだ、と。


 ──────


 流れの確信を、魔物は得た。敵は最後に振り上げたあの一撃を受け、確かによろめいた。

 ──好機だ。今しかない。魔物は牙をかち鳴らし、喰らいに掛かる。

 魔物の脳裏は、血みどろの怒りに満ち満ちていた。それはあの、魔物らしき奇妙な敵に対するあらゆる怒り。顔を潰された怒り、片耳を潰された怒り、尾を裂かれた怒り、脇腹の骨に受けた一撃への怒り、己の攻撃を避けようと、必死に逃げ回ることに対する怒り──嬲り潰さなければ。あの怨敵の腸を食いちぎり、引きずり出し、木々に張り付けなければ。その首を噛みちぎり、前脚で頭蓋を叩き潰さなければ。

 身体の底から沸き立つ、言いようのない莫大な”殺意”に背を押され、思考が赤く、血に染まる。

 彼という存在そのものに対する怒りが脳を染め上げると同時──血に濡れた牙の群れが姿を現し、怒りの根源に迫りゆく。

 元より合成獣の視力は弱く、嗅覚がその代替を担っていたこともあり、現時点、殆ど敵の状態を掴めてはいなかった。

それでも微かに感じる匂いがある。怨敵の香りが、そこにある。

合成獣は闇に蠢く香りに向け──牙を、噛み鳴らす。あまりにも鋭い牙と渾身の顎を以て繰りだされた噛みつきは、まるで空を切るように、欠片の抵抗もなく獲物の喉元を食い千切った。

瞬間、口腔に濃い血の味が広がった。同時に、潰れた鼻が、色濃い血の匂いを嗅ぎつけた。

 獲物の血肉を咀嚼する。何とも臭い立つ、不快な味──そこで、魔物は気が付いた。

 ──肉が、ない。今まさに食いちぎった筈の獲物の喉肉。それが、どこにもなかった。代わりにあるのは止めどなく溢れる血液ばかり。いくら咀嚼しようとも広がるのは血の味ばかりで──終いには、牙の隙間から大量に漏れ出した。

 漏れる。血が、漏れていく。不可解だった。肉を喰らったはずが、何故口腔を満たすのは血液ばかりなのか。それどころか、何故ここまで口腔に、血が延々と増え続けるのか。

 そして、気づいた。これは、獲物の血ではない。

 この血は──自身の喉奥から、溢れ出ているのだと。


 ──────


 今から十数年前、ある獣人達の間に、子供が誕生した。待望の、第一子である。父親は狩りの中、出産間近に魔物に殺され既に無かったが、母親はそれでも自らに宿った命を見捨てることはなかった。

 しかし、子供は──彼が生まれた瞬間、彼に注がれたのは祝福ではなく、悲しみであった。

 その子供は黒炭の皮膚を持つ、まさに魔物と呼ぶ方が相応しい風貌をしていた。

 彼は間違いなく獣人達の間に産まれた子であった。卵の中に別種の卵が入り混じっていた、という話ではない。そもそも獣人は胎生であり、前提としてどのような種であれ、魔物との間に子が出来ることは決してない。

だが、見た目はまさしく魔物。これには、ある理由が絡んでいた。彼は所謂、”新たなる獣人の形”としてこの世に生を受けた存在だった。

 この世界には様々な種族が息づいている。だが、その中に時折”異物”が混じり込むことがある。それが彼のような存在。模範的な形から逸脱し、まるで別種のような容姿を持つ者達。言葉にするのなら、彼等のような存在は”亜種”と呼ぶべき者達であった。前例もいくつかある。獣人であれば、これまでに獣らしさが大きく消え、人間に近い姿となった”亜種”が発見されている。エルフであれば、雪のような皮膚をするものとは真逆の、黒々とした皮膚を持つという”亜種”が発見されている。

 しかし──目の前の彼は、”亜種”と呼ぶには、新たなる獣人と呼ぶには、あまりにも獣人の基盤からかけ離れており──最早、魔物と称する他ない容姿をしていた。

彼の母親は、彼を産み、同時に死んだ。しかし、ある意味でそれは救いでもあった。例え魔物との間に産まれた子でないにせよ、ただ似ているだけの獣人の子であるにせよ、魔物という存在に対する嫌悪が満ち満ちた世論に支配されたこの世では、そのようなものを産んだというだけで排斥の対象になる。故に、死は彼女にとっての救いでもあっただろう。

天涯孤独となった彼の処遇は、村の長である男に委ねられた。件の世論に覆われたこの世界。本来ならば、全てを”無かったこと”にされていただろう。だが、紆余曲折ありながらも、彼は生きることを許された。彼が幸運だったのは、元より彼の産まれた村が外部との交流が皆無に等しい状況にあったことに加え、何よりも村の長が善良な心の持ち主であったこと、中には彼の処分を訴える者も居たが、村の大半の住人が心優しき者達であったことに尽きる。

獣人と呼ぶべきか、魔物として排斥すべきか。その狭間で揺られながらも、彼は無事に育て上げられた。だが、物心がつき、文字や言葉を覚え、世界とはどのような境遇にあるのかを知った時、彼は自らの出自を恨んだ。何故、このような形で生まれてきてしまったのか。そう自問し続ける毎日が続いた。

 それから十数年後、空に暗雲が立ち込め、今にも嵐が吹き荒れそうなある日のこと。ある男達が村へやってきた。剣を、槍を、斧を構えた、屈強な三名の男達がやって来た。

 一人の男が前に出た。男は自らの身分を語ることなく、ある言葉を長へと告げた。

 約定は守る。我々の社会は信用が命綱。情報を知るのは我々のみ。匿っている者を差し出せ、と。

 長は一瞬、驚愕の色に顔を染めたが、すぐさま顔を顰めると、ある住民達の姿を脳裏に浮かべた。数週間ほど前、この村から街へと出た男達だ。その男達こそ、十数年前に彼が産まれた直後、その処分を訴えた者達であった。彼等は当時、危惧していた。いくら彼が”亜種”と呼ばれる個体であろうとも、それを立証する証拠がない以上、この村が魔物を匿っていると誤解され、処罰を受ける可能性を。彼を酷く嫌っていた一部の者達の中にも、彼等は確かに含まれていた。

 目の前の男達の身分は、薄々ながらも長は感じ取っていた。所謂、裏社会の者。表立って行えない行為、例えばある者が存在していた証拠の完全抹消、魔物同士を殺し合わせ賭けの対象とする闘技場の経営、獣人やエルフの皮を剥ぎ、服等に加工するような非道な行いを仕事とする者達である。事実、彼等はそういった仕事を受け持つ裏の人間であった。

 何が目的か。それを長は問いかけた。

 男の一人が答えた。望まれたのは、この村に潜むある獣人の存在の完全抹消。痕跡も、何もかも、全てを消し去ることを条件に、依頼を引き受けた、と。

 長は歯を食い縛り、この依頼を発注したであろう、あの男達の顔を思い浮かべた。つまりは、彼が生きていたという証拠全てを処分するよう、最も都合のいい裏社会の者達に取り合ったのだ。裏社会でも、そこに生きる者達の在り様は様々だ。彼等のように小規模な集団を形成し、大々的な組織に属さない類の者達であれば、話が大きく漏れることはない。仮に漏れたとすれば、それは彼等の活動の生命線に関わる。それを考慮した上で、例の住民達は依頼を行った訳だ。

長は顔を顰めながら、次の手を考え続けていた。例の男達がどこまで彼について話したのか。依頼という明確な形で、彼の抹消を目的に、こうして裏社会の者達がやって来た以上、白を切るのは難しい。

 長が考える。考えに考え、彼を救う手立てを考え続ける。

 沈黙が場を支配する──その最中、不意に頭上より飛来する者があった。

──彼であった。

長が、皆が叫んだ。逃げろ、と。

彼はその言葉に背を押され、雨の降り出した地面を駆け抜けた。

怒号が雨に入り混じり、背後から聞こえた。

一度彼は振り返り、三人の男達が追いかけて来るのを確かめると、歯軋りと共に駆け出した。

空からは大粒の雨が降り出し、やがて四つの影が雨の向こう側に消えていった。


 ──────


彼の身体は、血に染まった痛々しい外見とは裏腹に、健在であった。

 最後に受けた合成獣の一撃は、彼の胸元を確かに抉った──同時に、彼が肩に下げた鞄をも伴って。

 それが、彼の胸元の傷を軽傷に済ませた要因だった。合成獣の切り上げは、まず彼の鞄に当たった。革製の鞄程度、あの膂力と爪の前では紙切れに等しいものだったが、爪が脇腹に到達した瞬間、身体を思い切り、捩じり切ったことも相まって、彼の命は救われた。故にこうして、合成獣側が感じた手応えに対し、彼自身は皮膚を切り裂かれる程度で被害が済んだのだ。

 とても、幸運であった。一歩間違えば間違いなく致命傷を負っていたであろう状況下で、この程度の傷で済んでいるのだ。これを幸運と呼ばず、何と呼ぶのか。

 だが、まだ戦いはまだ終わっていない。彼が健在なように、合成獣もまた健在。どちらかの死。結果がどうあれ、そこまで行って、全てはようやく終わりを告げる。

合成獣が好機と見るや、怒りと共に牙を見せた時──既に彼は、その懐へと潜り込んでいた。体躯の違いは大きかった。合成獣に比べ、小さく、細身な彼だからこそ、成しえた反撃行為であった。

 牙が空気を噛むと同時、彼の爪が合成獣の喉に深々と突き立てられた。

 ──それだけでは、終わらなかった。交差法気味に行われた爪の反撃は、彼が合成獣の身体の隙間を通り抜けるのと、合成獣が彼の頭上を駆けるのに釣られ、喉元から下腹部までの間を深々と切り裂いた。

 それは、彼の爪が肉の抵抗に耐え切れず、一部が剥がれ落ちる程の強烈な反撃であった。

 それ程の勢いを伴って放たれた一撃の結果は──言うまでもない。


 ──────


 山道が赤く、赤い血に染まる。

 胸元から噴き出した血は、戦いの場という緊張感からあらゆる血管が脈打っていた影響からか、凄まじい勢いで宙に噴き出した。

 血の雨を降らせながら、憎しみに染まった男の目が死んでいき──雨によって溶けた土に、泥の中に顔を突き込んだ。

 これで──残り、一人。

彼が村を脱し、追ってから逃げ始めてから既に半刻。

 彼は、延々とある”迷い”を抱きながら、彼を処分しようと試みる者達と相対していた。このまま逃げ続け、引き離すことは出来た。それでも、自分という処分対象が姿を消せば、あの村の者達に迷惑が掛かる。この者達と長の会話は全て聞いていたが、この者達は、彼という”魔物らしき生き物”を、村で匿っていたという事実を、いつでも吹聴できる立場に居るのだ。仮にこのまま彼が逃げ去ったとして、今度はその穴埋めとして、情報を糧に連中は村に対して”何か”をするかもしれない。連中が表の世界で生きている者だとは、到底思えなかった。それなりに強かな考え方をするだろう、彼はそう思った。そして、それだけは避けたかった。

 だから今、こうして彼は脚を止め、敢えて戦いを繰り広げている。

 斧持ちは最初に首を切り飛ばし、剣持ちは今こうして死に絶えた。後は指導格と思われる槍持ちのみ。村に居た際、特別に許可された夜間の自由行動で培われた狩りの技術が、今や彼の身を守る術として機能していた。

 しかし最後に残った槍持ちについては、相当の強敵であった。死角がない。加えて間合いの長い槍という得物との戦いは初めてということもあり、どう戦えばいいか考えあぐねていた。

 加えて、ずっと脳裏に張り付いている”迷い”の存在が、彼の動きを鈍らせていた。

 “迷い”。それは、自らの在り様について。十数年もの間、彼は延々と考え続けていた。そして、”ある結論”に辿り着いていた

 自分という存在は、どこまでいっても、決して認められることはないのだと。

例え、事実がそうでなくとも、傍から見ればどうだろうか。魔物を匿い、育て上げようとする危険な集団に過ぎない。そんなことが国に知られればどうなるか。子供でも、分かり切った結末が待っている筈だった。

 村にて、あの男達の前に不意に現れたのも村の為を思っての行動だった。これ以上、あの村の面々に迷惑を掛ける訳にはいかないと。兎に角、自分が出ていかなければならないと思っての行動だった。

 自分の存在が認められることはない。ならば、どう生きるべきなのだろうか。彼の中には、そういった類の迷いが生じ始めていた。いや、そもそも生き続けることは正解なのだろうか。 

 ──その”迷い”の存在が、彼の警戒を緩ませた。

 槍の男の影が、雨の向こう側でぐらりと揺らいだ。

 一体、何が──そう思った途端、閃光が雨を吹き飛ばしながら彼へと迫ってきた。

衝突の寸前、身を捩ったことで狙いは外れたものの、閃光──男によって放られた槍は、彼の脇腹に深々と突き刺さっていた。

激痛が走り上がる。あまりの痛みに、声を上げることすら出来なかった。

地面に崩れ落ち、荒く息を吐く間に、男は既に死んだ仲間の武器を、斧を手に、彼の元へと歩き出した。

 遂に、彼の目の前に一つの影が立ち塞がった。武器を構えたその影は、冷酷な瞳を湛え、今にも武器を振り下ろそうとしている。

 死が──目前に迫っている。

彼の瞳は酷く淀んでいた。生に縋る訳でもなく、死に身を委ねる訳でもなく、諦める訳でもなく、諦めない訳でもなく──矛盾した感情が次々と湧き上がり、彼は死の間際だというのに、それに対して酷く困惑していた。

彼は武器が振り下ろされ掛けるその瞬間まで、内心の困惑に対し、葛藤を抱き続けていた──が、それを打ち払う程、衝撃的な事態が彼の身体に起こった。

彼の身体は、自然と動き、自ら脇腹に突き刺さった槍を抜き放つと、血が噴き出るのも厭わず、斧の一撃の盾とした。

鉄で作られた槍の柄は、斧の一撃によって大きく拉げた。

 それで、十分だった。彼は斧を受け止めるとほぼ同時に前へ出た。爪を武器に、男の喉元に狙いを定めた。

 身体に危機が迫った故か、爆発的な威力で放たれた彼の貫き手は、男の喉を完全に貫いた。彼が手を喉から抜き放った時、男の喉の肉は消え失せ、雨粒が穴の向こう側に見えていた。

 雨が降りしきる中、彼は脇腹を抑えつつ、ゆっくりと歩き出した。行先は──どこに行きたいのかも分からないが、兎に角歩き出した。

 彼が歩く度、血の雫が痕を残し、雨が洗い流していく。

 彼の姿が、雨の向こうに消えていく。


 ──────


 痛みが遅れてやってきた。あまりの傷に立ち上がれず、合成獣が地面を這い回る。当然だ。喉元から心臓を経由し、大腸近くまでを切り開かれたのだ。傷も酷ければ、出血も酷い。

 ──最早、死は明白。振り返ることすらできない。この傷を残した敵の、顔を見、睨みつけることすら叶わない。見えるのは、地面。血に染まった茂みの群れ。

 それすらも、徐々に歪み始めた。

 ──怒りが湧く。何故、あのような生き物が生き、自分が死んでしまうのか。

 許せなかった。自分以外の何もかもが。

許せなかった。自分以外の生きとし生ける存在全てが。

生きていることも。この世界を自由に闊歩することも。何もかもが許せなかった。

 許せない──殺さなくては。

 許せない──潰さなければ。

 許せない──淘汰しなければ。

 許せない──そこで、魔物の意識はぶつりと途切れた。


 ──────


 彼が淡々と歩き続けること数刻。雨は依然、降り続けていた。

 彼の行く先は、最初は本人すらも気づいていなかったが、自身の村とは真反対。無意識ながら村から遠ざかろうとしているのだった。

 それに気づいた時、彼は一度足を止めはしたものの、それが正解なのだと考え、再び歩き出した。もうあの村には居られない。もう、あそこに居るべきではない。そう、感じていた。

 では、どうするべきか。彼にはもう、何もない。守ってくれる者達も、守る者も、生きる目的も、死ぬ目的も、何もかもがない。

 どうしよう──どうしたらいいのだろう──自問ばかりが増え続ける中、ふと脳裏を過るものがあった。

 それは、彼の生き続けた過程が見出した、一種の答えだった。前向きであり後ろ向き、とでも言うべき答えだったが、兎に角、それが脳裏を過り、そして隅々まで支配した。

 そう、彼の生きる”目的”が生まれた瞬間であった。これまで抱いてきた”迷い”、それを片付ける為の”目的”。

 それを叶える手段が、一つだけあった。彼の”目的”を叶える為の場所が、存在が、この世には存在した。

 辺境の村々にさえ轟くその存在。夢に溢れ、多くの少年が、少女が、憧れを抱く存在。

 それにさえなれれば、彼の”目的”はいずれ叶えられるかもしれない。

 どれ程の苦難が待ち構えているのか。考えるだけで吐き気がする。それでも、何もしないではもういられない。

 彼は、選ぶことにした。自らの置かれている状況を知りつつも、それを越える程の意志を以て、彼は選んだ。

 彼の選んだ、”目的”を叶える手段──それは、冒険者と呼ばれる存在になることだった。


 ──────


 ──大きく、大きく息を吐く。最早、獣は獣でなく、死体となって地面に転がっていた。

 思わず周囲への警戒をも怠り、彼は地面に座り込んだ。これ程まで手強い魔物は久方振りであった。ここ数か月、程度の低い魔物の相手ばかりをしていたこともあり、感覚のずれも相まって酷く疲れた戦いとなった。

 だが、悠長にもしていられない。このままでは他の魔物に出くわす可能性もある。それに、やるべきことはまだまだ残っている。

 彼は合成獣──死体の前で屈み込むと、主の無茶に削れに削れ、折れかけた前脚の爪の欠片を毟り取った。討伐の証拠、回収の為だ。

 後は──被害にあった冒険者の死体の捜索を。一応、この依頼は捜索依頼という形で出されている。捜索すべき二つの死体は、まだ何方も姿を見かけていない──既に死んでいると、仮定してのことだが──どうにか場所だけは見つけ、報告しなければならない。その後は、また別の冒険者が死体回収という依頼を受けてここにやってくることだろう。

 最後に、切り飛ばされた革製の鞄。あれも探さなければならない。あの中には依頼書が入っている。恐らく爪の一撃を受けたことで分割されているだろうが、それはそれとして持ち帰らなければ後が困る。

 ──やるべきことは依然、多い。それでも、やるしかない。

 今後の為に。

 生き抜く為に。

“目的”の、為に、

合成獣の爪を握りしめ、彼の脚は林の中へと向けられた。

空は、いつの間にか晴れていた。眩いばかりの月明かりに見送られ、彼は闇の中へと姿を消した。

しばらくして、二つの死体と、切り裂かれた革製の鞄を見つけた彼は、街への帰還と、ギルドへの報告を果たした。

翌日、死体の回収依頼が出され、腕利きの冒険者数名により、死体はそれぞれの家族の元へと送られた。

依頼は、ここに完了した。


 ──────


 彼の吐露は数時間に及んだ。彼の過去、異形の獣人としての苦難、思想、他種族への想い。それ等を聞き、涙ぐむ者、真偽を訝しむ者、顔を顰める者、視線を逸らす者、様々な者が生まれた。

 ただ、彼の人柄──言葉的には正しくないかもしれないが意味は通る──が明らかになっていくに連れ、不可解さを増していく点が一つ。

彼が語った”目的”。それについての説明がまだだった。

 彼がこれ程の賭けに出る。それ程に重要な“目的”。ならば、その”目的”は──ギルド長が彼の言う目的を問いかけ、彼が口にしたある言葉に──皆が息を呑んだ。ギルド長、受付嬢、冒険者──皆が皆、息を呑んだ。

 長は彼に別部屋で待つよう告げた。冒険者達を見張りという形で付けると、残った面々と共に会議を始めた。

 会議は、数時間に及んだ。その間、彼の様子はというと、見張りに回された黒級の一人曰く、彼はただただ静かに床に座り込んでいたという。

 やがて、会議に参列した者、全てが彼の待つ部屋へとやって来た。

 沈黙が場を支配する中、ギルド長が不意に足を踏み出した。

 彼もまた、腰を上げた。

 長が、彼に向かって両手を差し出した。彼の手には──真っ白な冒険者の登録証。確かに、本物の、列記とした冒険者の証がそこにあった。

 どのような会議であったのか。それを知るのは参列した者達のみ。この決断に、多くの葛藤があったことは想像に難くない──だが、それでも彼は認められたのだ。

 彼はそれを静かに受け取ると、皆のように首に回そうとした。が、彼の首周りに対し、紐の長さが足りないことに気が付いた。

 どうすればいいのか──彼が途方に暮れる中、黒級の冒険者が一人、前へ出た。黒級の中でただ一人の、女の冒険者であった。

 彼女は自らの登録証を手に取ると、紐を引き千切り、抜き取った。そして、彼の登録証の紐をも引き千切ると、二つの紐を結びなおし、彼の首へと優しく掛けた。

 首の下で輝く白い登録証を目に、彼女は一言こう言った。「冒険者ギルドへ、ようこそ」と。

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冒険者達の行く末は スド @sud

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