和田紗愛 編 10
そんな俺たちの前に突如として現れた一人の女性。その人は探検家であり、二週間前に酒場で目撃していた。第一印象とは違ってノリは軽く馴れ馴れしいタイプで、俺たちがデート中なのは見て分かるだろうに隣の席に着いて話がしたいと介入してきた。それに対して
「悪いけど、遠慮してくれないか?」
「え、なんで?」
「なんでって……。見れば分かるだろ」
「デートのお邪魔虫? そんなに長居するつもりはないよー」
「悪い。本当に外してくれないか? 今日は大事な日なんだ」
「ふーん。でも、嫌だよ」
「は?」
「言っとくけど、アタシはワガママだからね。思い通りにならないと気が済まないタイプだし」
知らねーよ。何なんだこの人は。何がしたいんだ。邪魔になってると分かった上でのこの態度には悪意しか感じない。俺が彼女の仲間たちを馬鹿にしたからか? それで嫌がらせに来たのか? 気にしてないみたいなことを言っておきながらやけにしつこく絡んでくる。どうする……言っても無駄ならこっちが席を立つか?
「ねぇあなた、アタシの男になるつもりはない?」
「は?」
「なんか酒場で見た時にビビッときちゃったんだよねー」
「それって……」
「一目惚れってやつ? 普段なら絶対にあり得ないことだけど」
「やっぱりあの時に」
「んん? 気づいてたの?」
「別に。ただ、たまにいるんだよ。俺のことを見ると好きになっちゃう子が……」
「なにそれ! 自分でそんなこと言っちゃうとかウケる!」
「面白くなんてない。その好意は一方通行だ。俺の気持ちが揺らぐことはない。
「………………」
女性は黙った。こちらを睨みつけたままじっとしている。何かを考えているのか? まだ邪魔を続けるつもりなのか? だったらそれに付き合ってやる義理もない。俺は立ち上がり、
「
「……うん」
すぐにその場を離れようと歩き出した。
「彼女の数字は見えた?」
「え? あ……見てなかったわ。ごめん」
「いや、いいよ。
「…………
「当然だろ。生まれ持った力……と言えるのかもしれないけどさ、俺だってああいうのは嫌なんだ。だけどさ、この力がなかったら
「
ショッピングモールを出て通りを進む。フードコートでは食べ終わった食器類は返却口に戻すのがマナーだ。しかし、俺たちはそれを放置したまま出て来てしまった。もう二度とあそこで食事なんてできないだろうな。でも、それを代償にしてでも
ガッ! と前方で音がして俺たちは足を止めた。視線の先には石畳の道路に刺さった一本のナイフがある。それを見た瞬間、ヒールを履いている
「考え事してるうちに行っちゃうなんてつれないなー」
背後から声をかけられて振り返る。そこにはやはり先程の女性が立っていた。不敵な笑みを浮かべながら懐に隠してあったナイフを取り出している。嘘だろ? こんな町中で武器を抜いたのか? 常識はないのか? それだけじゃない。既に投げ込まれている以上は敵意があると思っていい。
「なんのつもりだ!」
「言ったでしょ? アタシは自分の思い通りにならないと気が済まないの。何が何でもあなたをものにするから」
「無駄だ。俺はあんたみたいな女は気に食わない。どう転んでもあんたを好きになることはない」
「それはどうかな? あなたさっき言ったよね? この世界にその女以上はいないって」
「ああ……」
「だったら……その女を殺しちゃえばいいだけじゃない?」
「正気か? こんな場所で人を殺せばあんたは終わりだ」
「いいよ? それであなたが手に入るなら」
イカれてる。頭がおかしいんじゃないか? そこまでして俺への好意を貫き通したいのか。それは何ゆえに? 愛ゆえにか? そんな愛は望んでいない。愛の形は人それぞれなんだろう。これまでにも数々の好意を向けられてきた俺だけど、ここまでの一方通行は初めてだ。しかも
「
「
「分かってる。でも、俺という存在がそうさせてしまっているのなら正気に戻してやらないと。たぶん、俺にしかできないことだから」
「…………無茶はしないで。絶対に」
「ああ」
俺にしがみついていた
「あらら? あたしとヤる気? あなた探検家には見えないけど、素人が敵うとでも思ってるわけ?」
「やらなければお前に
「んふふ。抵抗する男を実力でものにするのも悪くないかも」
「言ってろ。すぐにその心ごとへし折ってやるよ」
「んんー、ゾクゾクする。それじゃあせいぜい足掻いてみせてよ。そしてアタシをよく知って!」
その女が駆け出した。それは予想以上に速く、瞬間的にナイフを振り上げていなければ首筋に突き付けられていただろうということまでは理解できた。相手のナイフを弾いたものの、女はその反動を利用して回し蹴りを繰り出してきた。俺はそれを受け止めようとするが振り上げた手はそう簡単には戻せない。腹を蹴られ後ろへとよろめく体。女とは思えないほどの重い蹴りだった。
「やるじゃん! まさかナイフが捌かれるとは思わなかったよ。あなた、本当に素人?」
「さぁな。命の危機を前にして俺の特別な力が開花したのかもな」
「んふふ、面白いね。もっともっと見せてよ。アタシはあなたをもっと知りたいのよ!」
そう言って女はまた懐に飛び込んでくる。俺はそれを一歩退いて迎え討つ。俺は確かに素人だ。だけど剣技の心得ならばある。相手の太刀筋は目で追えるし、それに合わせてナイフを押し当てるくらいのことならやれる。しかし、捌けるのは攻防一回につき一度だけだ。更に隠し持っていたナイフを女が取り出したのを目撃した瞬間に飛び退いて逃れた。
「良い判断! 逃げなきゃ死んでたよ」
「褒めても喜ばねーよ」
「あはは!」
遊んでやがる。今のだって追撃しようと思えばできたはずだ。それをわざと見逃してくれた。それは、この女の目的が俺を殺すことではないからだろう。もう見抜かれている。俺に剣技の心得があったとしても全く役に立っていないことに。そうだ、俺は基本的に木刀しか持ったことはない。真剣を握ったこともあるがまだ子供だった俺はそれを人に向けて振るったことはなかったんだ。そんな俺がナイフを一本持ったところでいきなり無双できるほど世の中は甘くないってことだ。
周囲が騒がしくなっているのを聴覚で感じていた。町中で暴れればそりゃあそうだろって感じだが、これは俺にとっては好都合だ。もっと騒ぎになって誰かが止めに入ってくれればこの戦いも収まるだろう。そしてあの女が兵士にでも突き出されれば厳重注意くらいは受けることになるはずだ。そうなれば今後は俺たちに近付くことも難しくなる……そう思っていたんだけどな。
「いいぞー! やれやれ!」
「おい兄ちゃん、押されてるぞ! 悔しくねぇのかよ!」
「そこだ攻めろ! やっちまえ!」
周囲からはそんな声が投げ掛けられる。止めるどころか全力で煽ってくるじゃないか。女の攻撃を必死に捌きながらこの世界が普通ではないことを改めて重い知らされる。探検家ならばこんなことは日常茶飯事ということだろう。ただの喧嘩。プロであれば真剣で斬り合っても寸止めできるだとか、命は奪わないだろうとかって思ってるんだろうな。
だが、この戦いはそんなものじゃない。剣を交えている俺には伝わってくる。この女は本気で俺の心を折りにきてる。俺が敗けを認めれば容赦なく
「んふふ。どうしたの? そろそろ息が上がってきてるけど降参する?」
「ふざけるな」
「これ以上ヤっても無駄なのは分かってるでしょ?」
「お前なんかに負けるかよ」
「いいよいいよ。そうこなくっちゃ!」
距離を取って一息つく。呼吸が激しくて酸素があまり肺にまで供給されていない。女が言った通り、そろそろ限界が近い。片手で扱うナイフでは上手く力を込めることができていないんだ。刀が……木刀でもいい。せめてもう少し刃の長い武器があれば善戦できそうなのにな。
異世界に招かれた勇の者だっていうのなら、もっと分かりやすく俺に力を与えてくれよ。どんなものでも斬り裂く伝説の武器を手にするだとか、誰も操ることのできない究極の魔法を使えるだとか……そういう分かりやすい力で圧倒してこそ召喚された甲斐があるってもんだろ。
「特別な力が発現するなら今だろ。ここで負ければ次はないんだぞ。神様……いくらでも祈ってやるから俺に力を寄越せよ!」
「ここにきて神頼み? 呆れちゃうわ」
「見損なったならさっさと諦めて行ってくれよ。あんたに構ってたら今日が終わってしまう。言っただろ、今日は特別なんだ。この後の予定もあるし、まだまだ話したいこともあるんだ。いい加減に邪魔なんだよ、あんたは……」
そこまで言った時だった。女は右手で持っていたナイフを自分の喉元に突き刺そうとした。それを顔を背けて避ける。そして、左手で持っていたナイフを投げ捨てて自分の右腕を掴むと引き離そうと力を込めているように見えた。何が……いや、何をしているんだ?
「あ、
数字? と聞き返している間もなかった。女は「ぐぎぎぎぎ……」といったような苦しそうな声を響かせ、必死に堪えて後退りをはじめた。しかし、追っているのは自身の右腕だ。逃げ切れるものじゃない。次第に体力が削られて右手で持つナイフの切っ先が喉元に触れる。赤い雫を垂らしながら女は最後の力を振り絞って叫ぶ。
「アタシは! ただ……あなたを! 愛していただけなのに!」
遂に刃が喉を貫通してしまう。そのまま横に掻っ捌き血飛沫が舞う。その光景にあれだけ煽っていた野次馬たちも黙り込んでしまう。俺と
――その後のことはもうぼんやりとしか覚えていない。あっという間に騒ぎは大きくなり、詰所から兵士たちが駆けつける事態にまでなっていた。それは俺が望んでいた通りだったわけだが、こんな結果なんて……いや、これも俺の望み通りか? 殺すことになるかもしれないとは本気で思った。
原因は不明だ。俺たちは事情聴取の為に詰所へと連行されそうになったが、アメムガリミス教会のキヤス神父の名前を出したらあっさりと解放された。さすがはアイヴイザード王家と関わりのある人物なだけはある。俺は震える
コップに水を一杯注ぎ、それを一気に飲み干す。コップから離れた手のひらをじっと見つめる。そこにナイフは握られていない。あれは現場に投げ捨ててきたからだ。しかし、握っていた感覚はまだ残っていた。その感覚を消すために手のひらを閉じたり開いたりしつつ、
「ん……」
「
「…………うん。ごめん、あたし……」
「いいって。まだ寝てた方がいい。急に動くと立ち眩みだとか貧血でまた倒れるかもしれないだろ?」
「……そうね、そうするわ」
「
「ああ、大丈夫だよ。かすり傷すらないから」
「そう……良かったわ」
「もうすぐ夕食も運ばれてくるから、そうしたら一緒に食べよう」
「ええ。でも……ごめんね。折角、
「…………いや、謝るのは俺の方だろ。あんなことにならなければ
「………………」
その後はしばらく無言が続いた。何か話してあげた方が良かったのかもしれないけど、俺は俺で今日の出来事を振り返ったり整理したりする時間がほしくて考え込んでしまっていた。食事が運ばれてくると、
「なぁ
「うん。なに?」
「あの時、数字がどうとかって言いかけてたよな?」
「ああ……うん。そうね。あの時、あたしは彼女の数字を見たわ。話しかけてきた時のことは分からないけど、
「なかなかの数字だな。確か港でルータを最初に見た時は『53』で、見送った時は『82』まで増えてたんだよな。その中間辺りか。
「でもね、彼女があんなことをする直前にそれが大きく変動したのよ」
「……いくつになってた?」
「『100』」
「え?」
「急に増えたのよ。ううん、ルータさんの時は徐々に増加していく感じだったのに、今回は増えたっていうよりもいきなり『100』になったって感じだったわ」
「変動……というよりも、変化したのか? そして数字のキリが良いというのも気になるな。そこが天井なのか、それともたまたまそんな数字になったのか。それ以上は増えなかった?」
「うん。その前に彼女は…………」
「そっか」
「あの人、どうして急にあんなことを……」
「………………」
「
「ああ。あの人は自分の行動を拒絶しているように見えた。あれはまるで体に何かが憑依したような……操られてたって感じがしてた」
「人を操るような魔法があるってこと?」
「……魔法とは限らない」
「どういうこと?
「いや、はっきりとはまだ。でも……覚えてるか? アメムガリミス教会でキヤス神父が言っていたこと」
「なに?」
「魔法だけが力の全てではない。純粋に身体的な能力の向上を遂げる者もいれば、精神的支配によって他者を弱体化させるような力もある……と。つまり、魔物だけに限らず、人間すらも操ってしまうような力があったとしても不思議じゃないってことだ」
「それって……あたしたちに与えられた特別な力であの人を操って…………殺したってこと?」
「まだそうと決まったわけじゃない。だけど、その可能性もあるってこと」
「そんな…………」
俺の能力か、それとも
「あたしたち……どうしたらいいのかな?」
「ん?」
「だってこのままじゃ、もう外にも出られないわ。こんなことなら……」
「ダンジョンに潜った方がマシだったか?」
「…………そうかもしれないわね」
「そんなことはない。それこそ、
「………………」
「どっちの方が良いとかって話じゃなくて、あいつらを殺してしまったら俺たちは元の世界へ帰れる確率が大きく下がる。今の俺たちにできることは自分の力を知って制御することだけだ。でも、どうすればそれができるのかも分かってない。つまりは……何もできない。あの力が発動しないように静かにこの町で暮らしているしかない。そうだろ?」
「……うん」
「
「ん?」
「大丈夫。
「
「俺が?」
「うん。逞しくなった……なんて言ったら生意気?」
「そんなことない。確かに俺は情けない男だった。でも変われたのは、
「あたしはそんなに強くないわ」
「強くなくていいさ。
「
「…………なんでも?」
「ああ」
「それじゃあ……」
「ん?」
「あたしを……慰めて?」
「え?」
「まだ怖いのよ。このままじゃあたし……何もできなくなる。だから、忘れさせて? 嫌なことを全部、
「
「あたしは、あたしが
「そんなことは」
「こんな状態のあたしは抱けない?
「そういうことじゃ……。
「うん……。あたしにとっては
「愛してるよ。俺も同じだ。俺だって
「………………うん」
「……ごめんね?」
「ん?」
「制服姿……見せてあげられなくて」
「あ……。はは! 向こうに帰ったらまた……な?」
「うん。
「ああ。やれるさ。俺はご褒美があれば頑張れるって自覚したからな」
「あはは、なにそれ。でも……それなら、たくさんご褒美を用意しないとね」
「マジか。それじゃあ張り切っちゃおうかな。
「うん。
――その夜、俺は
こうして俺たちの約束も果たされた。誰にだって強みもあれば弱みもある。俺と
「……んん」
目が覚めた時、ベッドの中が寂しく感じた。それもそのはずで、そこに
少し肌寒くて体が震えた。今日は雨が降っているのかもしれない。この世界では滅多に雨は降らない。それでも気候や気温は安定しているし、作物などを育てている農家などもあるらしいから影響はないんだろう。まぁ、魔法なんていうものがある世界だし、その気になれば雨くらい降らせられるのかもしれないな。
…………あれ? ちょっと待てよ? どうしてこの部屋はこんなにも薄暗いんだ? この世界に照明はない。宿の部屋にあるのは燭台だけだ。もちろん蝋燭の火は消えているわけだけど、こんなに部屋の中が暗くなることはない。何故ならば、この宿には小さな窓が一つあるがカーテンはない。日光を取り込みやすくするためだろう。もちろん、覗き防止の為に木窓は外側に倒れ込む設計になっていて、
「
まだベッドの布団から出られない俺はその場で声をかける。しかし、返事はない。シャワーでも浴びてるのかと思ったけど、そんな音は聞こえてはこない。開け忘れ……ま、そんな日もあるだろう。そう思っているとようやく体が動きだす。ゆっくりと起き上がると正面で窓は開いていた。小さなテーブルだけが光を浴びている。その上に置いてあるのは燭台と水の入ったコップが一つだけだった。
その時、俺は強烈な違和感と、背中から震え上がりそうなほどの寒気を感じていた。ベッドとテーブルの間だ。窓から差し込まれる光を遮るようにそこには何かがあった。俺は視線を少し上へと向ける。薄暗い部屋の中、そこには燭台をぶら下げる為の鎖があったことを思い出す。しかし、そこに燭台はぶら下がってはいなかった。燭台はテーブルの上に置いてあったからだ。代わりにそこからぶら下がっていたのは……。
「…………
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