少女と機械人形

武田修一

少女と機械人形の邂逅

 優秀な兄といつも比べられている。成績も性格も外見も完璧な兄と。私には取り柄というものがなかった。家の中で、私だけ無能だ。そのせいで、家の中には居場所がない。部屋の隅で、目立たないように過ごしている。


「おい、愚図。今日は大事な商品が来るから、応接間と玄関、綺麗に掃除しとけよ」


 私は無能さ故に、家族から愚図と呼ばれていた。呼ばれる度に、自分の中の何かが削れていくようで。あまり気分のいいものではない。それ以上、何か言われる前に、はいとだけ返事をして、視界から消えるように応接間へと移動した。

 いつも通り、上から下へと順に埃を落として、ゴミを集める。脚立を使ってじゃないと届かないので、重たい脚立を動かして、掃除をした。そのうちに疲れて休みたくなるけれど、そんな無駄な時間をとっていると知られたら、叱責が飛んでくるので、埃を落としきった後は、また上から順に拭いていく。

 終わった頃には、汗だくだった。シャツが肌にへばりついて気持ち悪い。ぽたりぽたりと、拭き終わった床に、私の汗が落ちていく。ああ、また拭き直しだ。


「汚いな」


 目の前には、優秀な兄がいた。床に落ちた私の汗を指さして、そんなことを言う。優しさの欠片もない台詞を吐く。きっと、私以外の人には、こんな言葉をかけることもないのだろう。私だけに毒を吐く。


「愚図だな、早く拭けよ」


 促されて、持っていた雑巾で、床を拭く。兄は言葉を続ける。


「こんなのが俺の妹だなんてな。唯一の汚点だよ」


 兄から吐かれる毒を浴びて、私の中の何かがまたすり減って削られていく。これ以上、聞きたくもない。だけど、兄の気がすむまで毒を受けなければならなかった。それが妹としての役割だから。そうしなければならなくて、逃げてはいけない。だから、兄の吐く毒を聞いていた。


「おい、愚図。今度は玄関だろ、早くしろよ。今日は俺に最強の異能をもった機械人形が送られてくるんだから、いつもより綺麗にしとけ」


 兄はそう言うと、いやな笑い方をして、私を見る。


「機械人形が来たら、さらに愚図になっちまうな!」


 モノにも劣る何かと成り果てると言いたいのだろうか。悔しさで顔がゆがむ。その顔を見て、兄は楽しそうに笑って、満足そうに自室へと戻る。

 私は、言われた通りに、玄関をいつもより綺麗に掃除をした。いつもより時間がかかってしまって、母がヒステリックに何か叫びながら、やって来る。予定通りに切り上げてしまえばよかったのに。予定の時間くらいは聞いておいた方がよかった。たぶん、聞いても教えてはくれないだろうけど。

 母は、手を高く振り上げて、汗だくになった私の頬を叩いた。不意に訪れた衝撃によって、私は地面に倒れ込む。上を見上げれば、汚物でも見るかのような顔をしている母が見えた。汗でも目に入ったのか、視界がゆらぐ。いいや、汗じゃないことは自分が痛いほどわかっている。視界がゆらいで、母の表情が読めない。


「この愚図!もう商品が到着するのよ!汚してどうするの!わたしに恥をかかさないでちょうだい!」


 持っていた雑巾で、自分が倒れ込んでいた部分を拭き上げる。それでも、母の怒りは収まらない。ヒステリックに叫び続ける。


「どうしてこの愚図はお兄ちゃんに似なかったのかしら!お兄ちゃんはあんなに優秀なのにねえ!こんなのが妹だなんて!」


 ドタドタ、と父が来た。


「そろそろ商品が到着すると連絡があったぞ!」

「あら、まあもうそんな時間?」

「予定より早くなったらしい。これでうちはさらによくなるな」

「ええ、そうね、あなた」


 嬉しそうに、楽しそうに会話をしている。先ほどまでの怒りはどこへやら。その間に、掃除道具を素早く手に持って、なるべく音を立てないようにして、逃げるように階段下の自室に向かう。

母と父の楽しそうな声を背に走った。




 階段下に作られた自室は決して広くはなく、かと言って狭くもなく。私はこの場所なら、少しだけ息をするのが楽になるのだ。

部屋の片隅に掃除道具を置いて、タオルを持って、庭へと向かった。このべたつく汗を一刻も早くどうにかしたかった。お風呂場で流せばいいのだろうが、さすがに日が高いうちには使わせてもらえない。

 ただ、問題なのは。そろそろ応接間に荷物が運ばれる頃合いだということだ。もし、そこから窓の外でも見られたら、家族は激昂するだろう。しかし、庭の水道は応接間の近くにしかない。

 目に入らないことだけを祈るしかないのだ。さすがにこの汗はもう流してしまいたいわけで。待つのもいやだ。

 服を着たまま、水を自身にかける。火照った身体に心地よい冷たさが伝わった。頭も顔も身体も何もかもが水に冷やされていく。充分に汗を流しきった後、水道を止めた。幸いにも、誰にもこの姿は見られていないようだった。


「どういうことだ!!」


 父の怒声が響く。一瞬、ここで水を浴びていたのがバレたのかと心の底から冷たくなるのを感じたが、私に対してではなかった。

 何やら応接間で揉める声がしている。そろりと、応接間の窓から中を盗み見た。


「…………!」


 さらさらな銀の髪に切れ長の青い瞳。すらりと長い手足に、執事のような服を着ている人が立っている。いいや人じゃなくて、たぶん、兄が言っていた”最強の異能を持つ機械人形”なのだろう。


 ―――兄をさらに完璧にするもの。


 どこを探してもあの容姿を持つのはあの機械人形ぐらいだろう。瞬間的にそう思うくらいその機械人形は美しくきれいだった。


 ―――私、あの機械人形が欲しい。


 なんて、分不相応な願いだろう。でも心の底から思ってしまった、欲してしまった。私には何にもないのに、兄には何でもあるのに。私だって、ひとつぐらい欲しい。兄にはない、誰にもないものが、欲しい!


『その強欲さ、受け入れよう』


 窓が開く音がして、鈴のような声が鳴り響いた。トン、と窓から機械人形が舞い降りて。あっという間に距離をつめられた。

 目の前には、さらさらな銀の髪が揺れていて、切れ長の青い瞳がまっすぐ私を捉えている。長く細い指が、水で濡れて張り付いた髪の毛を撫でた。

 父が叫ぶのが聞こえる。兄の歪みきった顔が目に入った。面白くなくて、それが怒りに変わろうとしている顔だ。いつも通りなら、この後、私はきっと殴られて、蹴られて、転がされる。


『小さな主よ、命令を』


 ずぶ濡れになった私を抱きかかえて、機械人形は言う。不敵な笑みが命令を促している。この機械人形は最強の異能を持つ。”異能”が何かはわからないが、なんでもいい。私を助けてくれるなら、何もない私に何かを与えてくれるなら、なんでも。


「私を助けて!」


 にこりと笑って、手を家族へと向ける。青い燃えさかる炎が、機械人形の手のひらを覆う。いいや、機械人形の内から排出されているのかもしれない。これが”異能”なのだろう。燃えさかる青い炎は、あっという間に家族を包み込んだ。

 包み込んで、燃えていく。悲鳴を上げながら、ばたん、ばたん、ばたんと倒れた。倒れた後は、一ミリも動かなくなっていた。


 ―――もしかして。


『死んでないよ』


 切れ長の瞳を閉じて、機械人形は言った。


『異能持ちだからといって、人を殺せるわけじゃない。一応、機械人形だからね。ちょっと洗脳させてもらっただけ……脳にかなりの負荷がかかるから倒れてるけど、そのうち復活するさ』


 なんてことのないかのように言う。

 洗脳? これが異能の力なの? 家族はどうなってしまうんだろうか。漠然とした不安が胸を占めていく。


『さて、お風呂でも入ろうか』


 勝手知ったる場所かのように、機械人形は私を抱えたまま、お風呂場へと向かった。


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