第27話 本城咲希の贖罪③

 

 どこまでも続く暗闇の中に、彼女は立っていた。


 辺りを見回しても一切の光源はなく、微かな音や匂い、温度すらも感じることはできない。

 あるのは、漠然とした恐怖だけ。


 そんな無明の世界に、突如として何者かの声が響いた。



 ——どうして……?



 それは音というよりも『念』のようなものに近く、聴覚を介さず彼女の脳へと直接響いた。



「……誰?」



 彼女はどこからともなく届くその声に戸惑いながらも、徐に呟く。



 ——……どうして、助けてあげなかったの?



 再び声が脳内に響いたかと思うと、いつの間にか彼女の背後には見知らぬ少女が一人、ぽつんと静かに佇んでいた。彼女は突然の出来事に息を呑みながらも、恐る恐る問い返す。



「どういう……こと?」



 光源が無いにもかかわらず、不思議とその少女の姿ははっきり視認できた。

 フリルのついた純白のワンピース。絹のように滑らかで色白な素肌。緩やかなウェーブのかかった長い髪。

 それはまるで、彼女が幼い頃に憧れていた御伽の国のプリンセスのようだった。

 ただ顔だけは、何層ものフィルターに覆われているかのようにぼやけて見えて、上手く捉えることが出来ない。

 彼女はそんな幻想と怪奇を纏う少女に向かって、自身が今まさに感じているこの恐怖を誤魔化すように言葉を強めて訊ねる。



「……一体、なに? わたしを怖がらせて、どうしたいわけ?」



 見ず知らずの少女に虚勢を張った彼女の声は一切反響することなく、どこまでも続く闇に呑まれていく。

 残ったのは、より輪郭を明瞭にしていく恐怖心と頭の中を埋め尽くす疑問だけ。


 彼女は、自分の中に渦巻く得体の知れない恐怖をひた隠しにしながら、一切口を開こうとしない少女に鋭い視線を向ける。

 そんな得も言えぬ緊迫感が体感にして約二、三秒経過した時のことだった。



 ——あんなに、たくさん、叫んでいたのに。



 三度、そう頭の中に声が響いたかと思うと、少女のすぐ隣にはいつの間にか、もう一人別の少女がひっそりと佇んでいるのに気がついた。



「……っ!」



 まるで、最初からそこに存在していたように立ち尽くすもう一人の少女。

 その姿を視認した彼女の口からは、瞬く間に言葉が失われた。

 しかし、それはあまりの出来事に対する恐怖や驚愕からといった曖昧なものではなく、もっとはっきりとした明確な理由によるものだった。


 見慣れたポニーテール。

 見慣れた夏服。

 見慣れた首の痣。


 そして、垂れた前髪の隙間からそっと彼女を見つめるその恨みがましい目は、彼女が〝亡霊〟と呼ぶ少女と瓜二つだったのだ。

 ……いや、恐らくは正真正銘〝亡霊〟そのものなのだろう。


 彼女は、何度も相対したその〝亡霊〟から目を背けると、その脇に立つ少女に対し、強い苛立ちを秘めた目を向けた。



「何なのよ……‼ あんたは誰⁉ こんなことして、何が楽しいわけ⁉ ……いい加減答えて‼」



 これはきっと、具現化した悪意。

 ……ただ、自分を苦しめるだけに存在する醜悪な何かだ。

 彼女は視線を少女に向けたまま、そんなことを思う。 


 すると、それまで何層ものフィルターに覆われていたはずの少女の顔に突然変化が表れた。

 モザイク加工された写真が少しずつその原型を取り戻していくかのように、目が、鼻が、眉が、唇が、徐々に明瞭になっていく。

 そうして、それまで朧気に見えていた少女の顔がようやく人としての素顔を取り戻したかと思うと、彼女は再び言葉を失った。



「…………なん、で……」



 露わになった少女の顔をまじまじと見つめる彼女。

 そんな彼女の華奢な身体から、たくさんのものが抜け落ちていく。


 色。匂い。温度。存在。


 肉体という殻だけを残して、彼女を構成する要素が次々と抜け落ちていく。

 寒さは感じない。それなのに、体の震えが止まらない。痙攣したように顎がカタカタと小刻みに揺れ、呼吸の仕方を忘れたように浅く激しい拍動を繰り返す。

 それまでなんとか意志の力で抑え込んでいた恐怖が、少女の素顔を見たことで一気に爆発した。



 ——醜悪な何かであると思っていた少女の正体は、他ならぬ彼女自身だった。


 

 彼女は目の前に立つ幼い頃の自分と、その隣に佇む〝亡霊〟の姿を交互に見比べると、崩れ落ちるように膝をつき、「なんで」「どうして」と、掠れた声で壊れたラジオのように呟き始めた。


 そんな彼女を見下ろすように立つ二人の少女は、怒りと憎悪と侮蔑の入り混じったような双眸でしばらく睨みつけると、静かに腰を屈め、悪魔のような笑みをもって彼女の耳元でそっと言葉を呟いた。



 ——おまえが、死ねばよかったのに。

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