第16話 未知への乗車
凪波大学から歩いて約五分のところにある大学の最寄り駅。
本来であれば、交通の拠点として凪波大学に通う学生でごった返すこの駅も、今は異様な雰囲気を漂わせる森閑とした廃駅へと様変わりしている。
そんな廃駅同然のプラットホームへとやって来た五人の少女は、当然のようにその場に存在する〝不可解〟に驚きの反応を示した。
「……ほ、ホントにあったっス。幽霊電車……」
そう言って、茜音は先頭車両にある無人の運転席をまじまじと観察しながら、ごくりと唾を飲み込む。
各車両の扉は、どうやら全て開け放たれているようだった。
現象だけを見れば、そこに抱く疑問など存在するわけもない。
しかし、彼女たちが置かれている状況と世界の性質の二つを合わせて考えてみた時、一見当然のように思える現象が、一転して異様なものへと変化と遂げる。
乗せる相手が存在しないはずのこの世界で、大きく口を開けて人を待つその姿はまるで、彼女たちを未知の深淵へと誘う〝意志を持った一つの生命体〟のように見えた。
「……で、でもさ、無人って言っても最近は自動運転とか発達してるし、よく考えてみればそんな驚くことでもないんじゃないかな?」
「由衣さんの言う通り、国内では既に無人運転を利用している電車がいくつかあるのは事実よ。でも、ついこの間まで有人走行していた電車が何の報せもなく無人運転に切り替わることなんて、実際にあり得ると思う?」
「うっ……そう言われると、確かに……」
現実的な観点で状況を見定めようと意見した由衣だったが、深月の冷静な返しに言葉を詰まらせた。
そんな二人を見て、眠たそうに目を擦っていたましろが口を開く。
「あたしたちが気絶してる間に~、いろいろあったってことなんじゃないの~?」
「……いろいろって、例えば?」
「ん~。そ~れ~は~……。まぁ~、いろいろだよ~」
「……そう。……いろいろ、ね……」
相変わらず要領を得ない適当なましろの返しに、深月は額を軽く押さえながらそう答える。
ましろの言うように、深月たちが気を失っている間に何かあったのは紛れもない事実だ。
しかし、それと彼女たちが今直面している問題とは、特に因果関係が無いように思える。
結局、実物を目にしただけでは何も理解することなどできないのだと、深月は目の前の未知を見て悟った。
そんな彼女に向かって、一歩後方から眺めていた咲希が声を投げかける。
「……で、結局どうするつもり? これを見ても、さっきと同じことが言える?」
「——それは……」
深月は再び、頭を悩ませる。
仮に乗り込んだとして、この電車はどこへ行くのだろう。
もとの世界と同じように、それぞれの駅で停車し、終点へと向かうのだろうか。
一生扉が開かず、永遠に閉じ込められる可能性もあるのではないか。
そもそも、本当に動くのだろうか?
ただ単に、運転士がまだ乗り込んでいないだけではないだろうか?
……考えれば考えるほど、どうすることが正解なのか分からなくなっていく。
この世界に〝正解〟など存在するかどうかも怪しい。
やはり、茜音や咲希の言うように不用意な行動はなるべく控え、大人しく大学で救助を待っていた方がいいのではないか。
——と、そこまで考えを進めていたところで、深月の真横にいたましろが臆する様子も見せず車内へと入っていった。
「えっ、ちょっ……夢野さん⁉」
あまりに突然の出来事に、深月は思考を中断させてましろに声を掛ける。
その突飛なましろの行動に、他の少女たちも目を見開く。
「んぁ~……ごめ~ん。ちょっと、ねむ~……」
周りの空気などお構いなしといった感じで、大きく欠伸をしながら座席の横たわるましろ。
そんな彼女を見て、由衣は自分を鼓舞するように「……よし」と呟くと、ましろの後に続くように車内へと足を踏み入れた。
「由衣さんまで……」
強行に走る二人に、困惑の声を漏らす深月。
茜音も咲希も、信じられないといった表情でその様子を見つめ出す。
対して由衣は、彼女たちに背を向けながら静かに、けれど確かな強い意思を持って話し始める。
「……わたしさ。深月ちゃんみたいにリーダーシップとかないし、咲希ちゃんみたいに頭もよくないし、茜音ちゃんみたいな元気とか、ましろちゃんの物怖じのなさとか持ってないけど、……今やらなきゃいけないことくらいは分かるよ」
そう言って、由衣は振り返り、ホームに佇む深月たちに向かって言葉を続ける。
「深月ちゃん、さっき言ってたよね。『危険を避けてばかりじゃ、私たちは前に進めない』って。わたしもその通りだと思う」
「で、でも、移動なら他の手段だってあるわ! 車や自転車……それに徒歩だって、行こうと思えば——」
そこまで言いかけたところで、深月は先程自分が咲希に対して言った言葉を思い出した。
『安全策ばかり取ってても、何も解決できない』
——そうだ。
不安や恐怖に負けて、何も挑戦出来なくなってしまえば、それこそ本当の意味での終わり。
この世界について知ることも、あの日常を取り戻すことも、叶わなくなってしまうかもしれない。
今は恐怖を捨て、この〝未知〟に挑むべきだ。
……それに、今は一人じゃない。
予期せぬトラブルがあっても、彼女たちがいればなんとかなる。
そんな漠然とした自信が、胸の奥から溢れ出てくる。
つい先程まで消極的な思考に捕らわれていた深月だったが、由衣の言葉を聞いてどうやら一筋の光を見出したようだった。
深月は開いた口を閉じ、小さく息を吐き出す。
それから、未だ戸惑いの表情を浮かべる茜音と咲希に目を向け、再び口を開いた。
「私、何も分からないままはやっぱり嫌。だから、乗ろうと思う。……あなたたちは、どうする?」
その問いを受け、茜音は目を彷徨わせる。
人一倍恐怖心の強い茜音にとってその問いは、とても残酷なものだった。
……本当はこんな得体のしれないものに乗り込みたくはない。
でも、一人になるのはもっと嫌。
どちらの選択肢を選んでも、やはり恐怖や不安は付き纏う。
そんな刹那の思考の中、茜音は車内で眠りに就く白髪の少女に目を向けた。
……あぁ、そうだ。そうだった。
自分が今、何より恐れているのは、巡り合えた憧れと、もう二度と会えなくなるかもしれないということ。
それに比べれば、目の前の恐怖なんてなんてことはない……!
茜音は震える手を固く握りしめ、顔を上げる。
そして、そのまま憧れが待つ車内へと駆けていった。
「……噓でしょ? 正気なの?」
奇行としか思えない周囲の行動を目の当たりにし、動揺を露わにする咲希。
そんな咲希に対し、深月はいつになく穏やかな声音で静かに問いかける。
「ねぇ、本城さん。あなた、これまでの人生で死ぬほど後悔したことってある?」
「は? 急に何……?」
そう言って咲希は、突然飛んできた脈絡のない問いかけに眉を顰める。
……後悔? そんなの、あるに決まってる。
あの日からずっと、そのことばかりを考えて生きてきたんだから。
あの日、あの瞬間の自分を幾度となく呪って、呪って、呪って。……そして、今日もこうしてのうのうと生き続けている。
一体何度、『あの瞬間をやり直せたら——』と思っただろう。
やり直しなどきかないと知っていながら、いもしない神に願うことをやめられない。
こうして、理解できない非日常に投げ込まれた後でも、それは変わらない。
そんなわたしに向かって、この女は一体何を言うつもりなのだろう……。
咲希は、ごく短い沈黙の中で過去の記憶を鮮明に思い返すと、怒気の籠った鋭い視線を深月へと向けた。
深月は、そんな咲希の瞳を見つめながら言葉を続ける。
「私にはあるわ。その瞬間をやり直せるなら、死んだってかまわないと思うくらいの後悔が。……でも、どうあがいたってやり直しなんて出来ないの。魔法か奇跡でも起きない限りは……ね」
深月は、蒼穹に隠れた星々を見つめるように空を見上げると、そっと瞼を閉ざし、再びその群青色の瞳を咲希に向けて言う。
「今、私たちの目の前にある選択肢も同じ。……前進、停滞。例えどちらを選んでも、それが正しい判断かなんて、今は分からない。……だったらせめて、少しでも前に進みたいじゃない。どうせ後悔するのなら、何かを得た上で後悔したいじゃない」
そう語る深月の背後で、聞きなれた発車のベルが鳴り響く。
「……無理強いはしないわ。どんな形であれ、私はもう、あなたの選択を否定しない」
深月はただそれだけを告げると、由衣たちの待つ車内に向かって歩みを進めた。
咲希は無意識のうちに足元に向けていた視線を、離れていく彼女の背中へ向ける。
……あぁ、本当にむかつく。
人の気持ちを分かったような態度も、全部見透かしてるみたいなその瞳も。
そして、恐怖を知った上でなお立ち向かえるその心が、何よりも苛立たしい。
この女を見ていると、どうしても、〝あの子〟の存在を強く意識してしまう。
忘れたい。でも、……決して忘れてはいけないあの子の横顔が、いつも頭の中で甦る。
どれもこれも、この女が悪い。
だから、今からする行いも全部こいつのせい。……いや。
「……ほんと、バカ」
咲希は何かが吹っ切れたようにそう呟くと、乗り込み口に向かう深月を追い抜いて、そのまま車内へと飛び込んだ。
その光景に、誰もが……微睡みの中にいたましろですらも目を見開いた。
「……もし、何かあったら。全部、あんらたのせいだから」
そんないつも通りの突き放すようなセリフも、今の彼女たちには届いていないようだった。
由衣は咲希の行動に感激したのか薄く涙を浮かべ、ましろは一安心と言わんばかりに再び微睡みへと溶けていき、茜音に至っては「咲希さんがちょっとデレたっス!」と一人大盛り上がりの様子。
そんな光景を、遅れて車内に乗り込んできた深月は、安堵の籠った眼差しで見つめていた。
「……これで、ようやく出発できるわね」
そう呟いた彼女の声にはもう、不安は残っていなかった。
そして、全員の乗車をまるで意識的に理解したかのように各車両の扉が一斉に閉じると、運転士を乗せぬまま、電車はゆっくりと静寂の世界を走り出したのだった。
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