第15話 第一歩③

 

 そうして、それぞれが昨夜の話し合いを振り返ったところで、深月は再び口を開いた。



「そう、実地調査。具体的には、この世界の沈黙化——、仮に『静寂化現象』とでも呼称しましょうか。……その『静寂化現象』が具体的にどの範囲で起こっているのか。今日はそれを調査しようと思うの」


「調査って言ってもさ~、ミズミズはどこまで調べる気なの~? まさか~……、世界中旅するわけじゃ~ないよね~」



 ベンチの上に横たわっていたましろは、そう言って上半身をのそのそと起き上がらせる。

 そんなましろの言葉を聞き、無人となった世界で終わりのない旅する自分たちを想像する由衣。

 彼女の脳内では今まさに、ハリウッド顔負けの超絶スペクタクル映画の制作が始まろうとしていた。



「世界を舞台にした旅……。うん! いいね!」


「いや、良くないっスよ……」



 暴走寸前の由衣の妄想を冷静なツッコミで抑え込みながら、茜音は深月に問う。



「でも、ホントにどこまで行く気っスか? ……そりゃあ調査も大事っスけど、あんまり不用意に行動するのも、なんか怖い気がするっスよね……」


「確かに、この未知の世界でむやみやたらに行動範囲を広げるのはそれなりのリスクがある。だから、安全圏を明確に把握した上で、少しずつ行動範囲を広げていこうと考えているの。そこで今日はとりあえず、都内を出来る限り探索に行こうと思うわ」


「……なるほど。それなら、どこまでが安全でどこからが危険か、ある程度把握出来るっスね! それに、ゲームのマッピングみたいでなんか楽しそうっス!」


 深月の考えを聞いて、表情に彼女本来の明るさを取り戻す茜音。

 二人の会話を傍で聞いていたましろも、「あたしもやる~」と気だるげながらもやる気を表しているのが見えた。



「やる気やモチベーションが上がるのは良いことだけど、くれぐれも油断しないようにね。……私たちはまだ、この世界について、何一つはっきりと理解していることがないんだから」



 ゲーム感覚で調査を進めようとしている茜音とましろ。

 最年長でありながら、どこか気の抜けた雰囲気を漂わせる由衣。

 そして、とりわけ扱いの難しい咲希。


 現状において、最も大切なのは『協調』であると理解している深月は、目の前の個性豊かな少女たちに向かって、そう忠告する。



 すると、それまで沈黙を続けていた咲希が、おもむろに深月へと訊ねた。



「……で、移動手段はどうするつもり?」


「えっ? あぁ、それなら昨日、あなたが見つけてきてくれたじゃない」


「……は? まさか、〝あれ〟に乗って移動する気……?」



 そう言って咲希が思い浮かべたのは、昨日の調査で発見した、一人でに動く無人電車だった。


 つい先ほど「むやみやたらな行動はどうこう」と述べていた本人が、現状唯一判明している〝未知〟にこちらから介入しようとしている。その事実に、驚きを隠せない様子の咲希。



「あんた、さっき自分が言ったこと忘れたの? こんなよく分からない世界で、運転士も乗せずに走行する電車とか危ないに決まってるでしょ‼ ……あんたさ、優等生ぶってるみたいだけど、ホントはただのバカなんじゃないの?」


「別に、優等生ぶってるつもりはないけれど。……それに、危険を避けてばかりじゃ、私たちはここから一向に前には進めない。安全策ばかり取ってても、何も解決できないのよ。……聡いあなたなら、そのくらい理解していると思ったけど、どうやら私の思い違いだったみたいね」


「は? 何それ。あんたの勝手な考えに、あたしまで巻き込まないでくれる?」


「巻き込むも何も、先に突っかかて来たのはあなたの方だけれど?」



 爽やかな夏空の下、静かに繰り広げられる二人の言い争い。

 その様子を傍から眺めていた茜音は、「あわあわ」という効果音が頭上に表示されそうなほどひどく動揺を露わにし、それからしばらく葛藤したのち、勇気を振る絞るように二人の間に割って入った。



「ちょ、ちょっと二人とも! 今は喧嘩なんてしてる場合じゃないっスよっ!」


「そ、そうだよ! 茜音ちゃんの言う通り!」



 茜音の一言で、完全に傍観にまわっていた由衣もなんとか言葉を繋ぐ。

 一方、ましろはそんな緊張状態を外から笑みを浮かべて眺めているだけ。


 まさに混沌とも呼べる空間で茜音と由衣の言葉を受けた二人は、鋭い視線を両者へと向ける。



「ひ、ひぃぃ……‼」



 ただでさえ目つきの鋭い咲希に加え、普段優しく美しい双眸を持つ深月までもが険しい表情を浮かび上がらせている。

 誰よりも小柄で臆病な茜音が恐れるのも無理はないように思えた。


 そうして、一人混沌の中に取り残された由衣は持てる知能の全てを使い、現状考え得る、最も穏便にこの場を収められる方法を提言した。



「……と、とりあえず、その無人電車がある駅まで行ってみるのはどうかな……? 危険かどうかは、実際にその場についてからでも遅くないかと……」



 今にも消え入りそうな小さな声。

 しかし、その小さな一声により、睨み合っていた咲希と深月は互いに冷静さを取り戻した。


 ——そして訪れる、再びの沈黙。


 深月が静かに腕を組み直しながらそっと瞼を閉じたかと思うと、咲希は茜音、由衣、ましろの三名から向けられる視線から顔を背けるように足元に目をやる。


 その状態を保ちつつ、誰も声を発しないまま数秒が経過し、やがて、長い長い沈黙が終わりを迎えた。



「…………はぁ」



 まるで、肺の中を満たす重たい空気をすべて吐き出すかのように、咲希が深く長い溜息を吐いた。

 それからさらに一呼吸置き、小さく口を開く。



「……わかったわよ。行けばいいんでしょ」



 未だ納得は出来ていない様子ではあったが、周囲の視線に抑圧された結果、半ば諦めるように意見を承諾した咲希に、茜音と由衣はホッと胸を撫で下ろした。



「それじゃあ、無事意見もまとまったことだし、早速出発しましょう。……出来る事なら短時間で調査を終えて、早くシャワーを浴びたいものね」



 そう言って、深月は軽く笑みを浮かべてみせる。

 そして、桜の木の陰から大きく一歩足を踏み出し、陰の中の由衣たちに目を向ける。



「これが、最初の一歩。……私たちが日常を取り戻すための、大いなる第一歩よ」



 その言葉を聞き、由衣が、茜音が、ましろが、そして咲希が、陰から日の当たる世界へ足を踏み出す。



「——行こう、みんな」



 いつになく真剣な顔で、由衣がそう呟く。



「はいっス」


「おぉ~」


「……」



 そうして、未知の世界に取り残された少女たちは、それぞれ異なる想いを抱きながらも、共通する目的へ向けて静かに、静寂な夏の大地を歩み始めた——。

 

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