「男」に「生」えたのは息子ではなく…

アカイロモドキ

第1話

和馬かずま、和馬!」


ベッドに横たわる俺の手を握り誰かが必死で俺の名を連呼する。

目を開けると上には見知らぬ天井が広がっていた。

しかし俺の名を叫ぶ声はよく知っていた。俺の母親だ。


「母…さん…」

「和馬!れ、礼子ちゃん!和馬が!」


母親が大慌てで駆けていき、白衣を着た女性を連れて来た。

ここは病院らしい。でも俺はどうしてここにいるんだ。


「和馬さん、お帰りなさい。よく戻って来てくれたわ」


医者にしてはややフランクな口調で女の人が話しかけて来た。俺はこの馴れ馴れしさの理由を知っている。彼女は外科医で俺の兄の婚約者、礼子れいこさんだ。

彼女の姿を見て全てを思い出した。俺は兄の運転する車で実家に帰る途中、道路を逆走してきたトラックと正面衝突したのだ。


「な、なあ御袋。遊馬ゆうまは、兄貴はどうなったんだ」

「遊馬はね、遊馬は…うっ…」


御袋はハンカチで目元を抑えた。俺は礼子さんの顔を見つめたが、黙って首を横に振るだけだった。俺は全てを察した。


「そうか…」


後で話を聞くと、俺は事故から1週間眠っていたらしい。右足を骨折していて全治2カ月と宣告された。頭も強く打ったが幸い命に別状はないそうだ。

兄は病院に運ばれた1時間後に死亡が確認されたとのことだった。


兄の死を聞かされたというのに俺の心から悲しみはこみ上げて来なかった。

兄は一流企業に勤めるエリート商社マンで周囲からの信頼も厚く、将来を期待されていた。休日はNPO法人のボランティアに参加する社会貢献っぷりで、おまけに礼子さんという美人の婚約者までいた。唯一欠点があるとすれば、何故か子供が穿くような白いブリーフを愛用していたことだ。

一方で俺は夢も才能も何も持たないフリーター。車の免許すら持っておらず社会から見向きもされない存在。自慢できることと言えば無駄に鍛えた筋肉だけだ。

俺は心のどこかで兄を疎ましく思っていたのかもしれない。


「礼子さんもお辛い…ですよね。兄貴が死ぬくらいなら俺が死ねば良かったんだ…」


礼子さんを励まそうと何気なく言葉をかけたが、礼子さんは急に俺の手を握り迫真の表情で俺に語り掛けた。


「そんなこと言わないで!あなたは助かったのよ、その命を大事にしなさい!それに…それに、遊馬さんは、まだ生きてるわ!」


俺ははたと気付いた。どうしようもない俺にいつでも優しく接し励ましてくれたのは兄だけだった。兄は心の中で生きている。俺が兄貴の半分とまではいかないとしても頑張らないでどうするんだ。

俺が礼子さんを励ます積もりが、逆に俺が励まされちゃったな。


「遊馬さんの心臓は明日にも東京の病院へ運ばれることになっているわ」


礼子さんが俺にドナーカードを見せた。心臓、肺など全ての項目に〇が付けられ、確かに兄の字でサインが刻まれていた。

臓器提供は遺族が反対して取り下げられることがあるが、俺が眠っている間に両親と話し合って遊馬の意思を尊重することに決めたらしい。

兄貴の体の一部は生き続ける。そういう意味でもあったのかと妙に納得した。

死んでも社会貢献を考えていたとは、俺なんかじゃ到底敵いっこないな。




翌朝、母親は先に帰っていた父親の身の回りの世話のため帰宅した。

俺は昼食の後でトイレに行きたくなった。自力で病室のトイレに向かおうとしたが、1週間ぶりに体を動かしたのと右足を骨折していたせいで上手く歩けず、ベッドから2歩のところで床に崩れてしまった。


「だ、誰か!」


人を呼ぼうとしたが扉が閉まっているせいか誰にも気付いてもらえず、腕を伸ばして何とかナースコールを押した。

しばらくして駆け付けたのは看護師さんではなく外科医の礼子さんだった。


どうして礼子さんが、と質問しようとしたがそれ以上に俺の尿意に限界が迫っていた。意識を取り戻してからまだ一度もトイレに行っていなかったのだ。


「どうしたの、和馬さん」

「礼子…先生。その、トイレに行こうとして…」

「まだ体動かしちゃダメって言ったでしょ。足が変な形で固まっちゃうわよ」


俺を叱りつつ礼子さんはトイレまで肩を貸してくれた。


礼子さんは俺を便座に座らせてもなおトイレの外に出ようとはしなかった。それどころか俺がズボンを下ろすのを手伝おうとまでしてきた。


「だ、大丈夫ですって!そのくらい俺一人でできますから」

「ダメよ。あなたはこの病院の患者さんで、私は医者なんだから」

「でも…」


俺の反論は聞き入れられず、するするとズボンとパンツまで下ろされてしまった。


礼子さんは美人だけど変な人だと俺は思う。

最初に俺の実家にやって来た時、真っ先に始めたのは兄貴の部屋の掃除だった。しかも初日以外は実家のキッチンを借りて料理まで全部自分で作っていた。他にも兄貴の身の回りの世話を思いつく限り全てやってのけた。

またエリート商社マンの兄に筋トレを強要し食事管理まで徹底していた。兄には俺と同じ血が流れていたこともあり俺と同じくらいの筋肉が俺の半分以下の期間でついた。


妙なこだわりが多く聞く耳を持たない人だから何のためらいも無く男の下着を脱がしてしまうのだろうか。


変な人とはいえ美人に変わりはない。しかも俺の兄貴の恋人だった人で実家で姿を偶然目にする機会がそこそこあった。ドア越しに喘ぎ声が聞こえたことさえ度々ある。

当然と言うか、そんな礼子さんのつぶらな瞳に凝視され俺の息子は自分のものでないかのように勢いよく起立した。


「す、すいません…ていうか、もういいですから。早く出ていって下さい!」

「大丈夫よ。遊馬さんの見慣れているから。それにソレを手術したのも私よ。ちゃんと排泄できるかの確認をするのも主治医の務めじゃなくって?」

「…え?どういうことですか?」


話を聞くと、俺は事故で足の骨だけでなく自分の息子もてしまったらしい。先端が壊死しかけていたが、礼子さんの懸命な処置により復活したそうだ。


「そうだったんですか…それはそれはお見苦しいところを…」


礼子さんは俺の命の恩人だぞ。変な人だなんて思うのは失礼じゃないか。俺の方がよっぽど変な奴だ。

自分にそう言い聞かせるうち、俺の息子は自己主張が弱くなっていった。


「…でもすいません。やっぱり人に見られていると出にくいっていうか…」

「分かりました。それじゃコップだけお渡ししますね」


礼子さんは白衣のポケットから小さい紙コップを取り出し俺に手渡した。そしてそのままトイレを出ていった。


「…紙コップあるんなら最初っからこれで良かったんじゃ…」


用を足すのが久々だったからかかなり濃い色のが出た。その上妙な違和感を感じたが、それもしばらくトイレに行っていなかったせいだろうと自分に言い聞かせた。




その日の夜、俺は中々眠れなかった。

昼間のことを思い出して悶々としていたのもあるが、それ以上にこれからのことが気掛かりだった。兄が死に、父親は持病のせいで人並みには働けない。母親はパートで働いているが、それだけでは稼ぎが足りない。

俺はというと、フリーターを自称しつつバイトはサボりがちで碌な稼ぎを得ていない。このままじゃダメだ。俺が変わらないと何も良くならない。


カラカラ、と病室の扉を開く音が聞こえた。

ここは病院の個室だ。俺以外の患者はいない。俺に用事があるのか、それともただの見回りか。

入って来たのはまたしても礼子さんだった。


「和馬さん、眠れないんですか?」

「え、まあ…色々考えてまして。そういう礼子さんは見回りですか」

「はい」


礼子さんはどこか虚ろな目をしていた。しばらく黙っていたが、唇をぐっと噛み締め心中を吐露した。


「…ごめんなさい、嘘です。本当は和馬さんに会いに来ました。私の心の痛みを分かってくれるのはあなただけだから…」


礼子さんの目から涙がこぼれた。そうか。昨日俺を励ましてくれたけど、やっぱり無理して強がってたんだな。そうだよな、婚約者が急にいなくなってしまえば、誰だって不安な気持ちに駆られる。


「礼子さん、俺じゃ頼りないかもしれないけど、辛いときは俺が支えるよ。だから前を向いて。兄貴だってきっとそう望んでいる。1人では無理でも2人なら困難を乗り越えられる、そう思うんだ」


俺の腕が無意識に礼子さんの肩に伸びた。手が肩に触れた瞬間、自分の下心に気が付き慌てて手を引っ込めようとした。

しかし礼子さんに手首を掴まれ、腕を引き寄せられると5本の指の先が柔らかいものに沈み込んだ。


「れ、礼子さん!?あ、当たってますって!」

「和馬さん。あなたってやっぱり遊馬さんの弟よね。目鼻立ち、顎のライン、声、そして逞しい肉体。どれをとっても遊馬さんにそっくりだわ」


猫なで声でそう言い聞かせつつ俺の手を離した。かと思うと今度は急に服を脱ぎ始めた。


「ちょっ、何やってるんですか!ここ病院ですよ!それに俺は遊馬じゃないです!目を覚ましてください!」

「お願い。今夜だけは遊馬さんを演じて。もう一週間も我慢してるのよ」


上半身が下着姿になった礼子さんを直視すると自分を抑えられないと思い、俺は咄嗟に机の上のドナーカードを拾い意識を紛らわせた。


「礼子さん、昼間ご自分で言ってたじゃないですか。遊馬はまだ生きてる、って。俺と礼子さんがそういう関係になったら、遊馬が悲しみます!」

「ええ、そうよ。今私の目の前に生きているわ」

「そうじゃないです!心臓が移植されるんですよね。心臓だけじゃない、他の臓器も全部提供する意思表示をしていた。肺、肝臓、膵臓、腎臓、小腸…ん?」


項目を読み上げる途中で俺は言い淀んだ。ドナーカードの最後の項目を二度見した。昨日礼子さんが見せてくれた時にはいたその項目を、俺は目をこすって何度も確かめたが、見間違いでは無かった。


「だから言ってるじゃない。あなたに遊馬さんの一部をって」


そう言いつつ礼子さんは布団の上から俺の陰部に手を重ねた。

俺の息子は反射的に元気になり、布団の上からでもその位置と大きさがよく分かった。


「移植、だって?そんな話、聞いてないぞ!」


俺は体を起こしつつ後ろに下がって距離を取り、自分の服をまくってお腹を見せつけた。そこに手術痕らしきものは見当たらなかった。


「ほらな、俺は兄貴の臓器を貰っていない!俺を誘惑しようと妄言を吐くのはやめてくれ!」


口ではそう断定していたが、俺の頭には一つの疑念が生じて消えなかった。

昼間感じた違和感。まさか、本当にを移植したのか?確かに兄貴のドナーカードの最後の項目がアレだったけど、アレを移植だなんてそんな話、聞いたことないぞ。


そんな俺の疑念は礼子さんの次の一言で一気に晴れることとなった。


「信じられなくても仕方ないわ。だってを移植したのは、私が日本で初めてだもの。ドナーカードを作ったのも私。先に言っておくけど、日本臓器移植ネットワークに申請が通った正式なものよ」


礼子さんが真っ直ぐに指差したのは、俺の、いや兄貴のだっただ。

そう、ドナーカードに書かれていた最後の項目とは、の二文字だったのだ。


「あ、有り得ない…。そんなもの、移植できるわけが…」

「それが可能なのよ。2014年に南アフリカで世界初の移植手術が行われて以来、世界各地で同様の手術が試みられてきたわ。それにもう分かってるでしょ。それが自分のものでないってことは、あなた自身が一番理解しているはずよ」


トイレでのあの違和感。思い返せば俺の息子はアメリカ旅行でもしてきたかのようにひと回り肥大していた。自分のものでないかのように感じたが、その直感は正しかった。礼子さんは俺に兄貴の陰茎をのだ。俺が自分の息子と思っていたものは兄貴の息子、つまりだったわけだ。


「ふふ。まだ信じられないって顔してるわね」

「どうしてこんな手の込んだことを…」

「決まっているわ。私の好きな時間に、好きなだけ遊馬さんを味わうためよ」


それから礼子は移植までのいきさつを話した。

最初に俺の実家に遊びに来た時から俺の肉体に目を付けていたこと。その翌日から兄貴を鍛えさせて俺の体に近づけようとしていたこと。

しかしどんなに肉体を近づけても二人とも仕事が忙しいため一夜を共にする機会に恵まれず、鬱憤がたまっていたこと。


それでも体の相性が良いので手放すのは勿体なく、一方で俺がフリーターであることに目を付け、時間に余裕のある俺が代わりにならないかと俺のモノの大きさを俺が眠っている間に測ったこと。

しかし期待外れだったため、として兄のモノを俺に移植する計画に思い至ったこと。(いやどんな折衷案だよ!)


「これで分かったかしら。さ、説明も済んだことだし早くベッドに横になって。またズボン下ろすの手伝ってあげるわ」

「いや、待ってくれ。礼子さんの言ったことが全て真実だとして、あなたの計画には致命的な欠陥がある」


俺は事件を紐解く名探偵のように推理を披露した。


「兄貴の息子を俺に移植するって話だったが、実際そうなったのは偶然だ。トラックが突っ込んできて兄貴だけが死んで、俺は生き残った。そして俺のアソコが機能しなくなったから移植手術ができた。偶然に頼らなければ計画は成し得ることはできなかったはずだ。それとも、トラックの運転手でも買収して事故を起こさせたのか」

「簡単な話よ。本当は3か月後に遊馬さんを計画を立てていたの。けど遊馬のほうからなんて夢にも思ってなかったわ。かわいそうに。私のお願いを聞いて仕事を辞めてになってくれてたら、あなたを車で送って死ぬことも無かったのにねぇ!!アハハ!」


正体を現した礼子は狂ったように笑い出した。


「そうそう、あなたの陰茎の手術だけど。あれ、本当はのよ!」

「な、なんだと!?」

「病院に運び込まれた時点であなたの陰茎は無傷だった。けど移植するのはこれが最初で最後のチャンスだと思った。だから人目を盗んであなたの陰茎に少しイタズラさせてもらったわ。傷だらけで醜い姿になっちゃったけど、記念に保管してあるから後で見せてあげるわ」


目が覚めたら兄貴のものにそっくり置き換わっていたって、イタズラの度が過ぎるだろ。


「ねぇ、もう話すのは疲れたわ。これからは体で語り合いましょ」

「お、俺に近づくな!!だ、誰がお前のようなサイコパス女なんかと!」

「あら、和馬は私が嫌いなのね。でも遊馬はそうじゃないみたいよ」


俺のは血のつながりが薄いせいか俺の言うことを全然聞いてくれない。


「それにまだ機能が回復しているかの確認が終わってないわ。尿が出せるのは昼間確認したけど白い…」

「それ以上言うな!!」


このままでは危険だ。傍から見ればおいしい状況かもしれないが、相手は性的欲求のために殺人まで犯そうとする頭のネジが外れた女だ。

俺は助けを求めるためナースコールを何度も押した。しかし礼子は慌てる素振りを微塵も見せず靴とスカートを脱ぎ始めた。


「人を呼ぼうとしても無駄よ。ナース室のお茶菓子に睡眠薬を仕込んでおいたから、今頃看護師さんたちは夢の中よ」


用意周到な女め。くそっ、こいつが兄貴と出会わなければ!俺に目を付けなければ!

せめてもの抵抗として俺は礼子から顔をそむけた。しかし礼子は不意にベッドに飛び乗り、俺の目の前に下着姿を晒した。



俺はその姿を見て、急に萎えてしまった。

礼子が履いていたもの。それはどう見てもだった。


「さあ、もう我慢しなくていいのよ。あなたがあんまり嫌がるからムードが台無しじゃない」

「――無理だ」

「どうしたの?まだ何か――」

「ブリーフ女は無理だああああああ!!」


気付くと俺は叫んでいた。

俺の反応がよほどショックだったのか礼子は気絶し後ろに倒れそうになった。


「危ないっ!」


床に頭をぶつけたら大怪我をしてしまう。変態と言えど助けねばと俺は自慢の筋肉で礼子の体を引き寄せた。

柔らかいものがちょうど俺の顔にぶつかったが、甥っ子は知らんぷりを決め込んでいた。

礼子が変な人で助かった。色っぽい下着を着用していたら今頃どうなっていたか。


それからすぐに看護師さんが病室にやって来た。お茶菓子は食べなかったらしい。

初めは白い目で見られたが、事態を説明するとすぐに警察を呼んでくれた。

警察に連行されながら礼子が最後に吐き捨てた言葉が俺の頭から離れなかった。


「どうして遊馬は私のブリーフを気に入ってくれたのに、あなたは嫌いなのよ!」


兄貴にそんな性癖があるとは知らなかった。しかし兄貴自身もブリーフを愛用していたのだ、何かの波長が合ったのだろうか。

お前はどう思う?と甥っ子に問いかけてみたが当然何も答えてくれなかった。

俺もブリーフ、穿いてみようかな。














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