第41話 この体滅びても

 愛羽はすでに左目が開かなかった。殴られすぎて腫れているせいか、切れて出血してそれが固まってきたせいか片目でしか見れていない。


 今、雪ノ瀬が首を振ったように見えた。やはりかなり消耗しているのだろうか。


 おそらくドーピングは切れている。明らかに砂の詰まったようなあの重さはもう感じられない。


 ただそれにしても精神力と言うか、彼女のそれは尋常ではなかった。少なくとも4人とやり合い想像以上のダメージを負っているのは目に見えて分かるのに、そんなの全く関係なしに拳を振るってくる。


『観念するんだね、暁。あんたも仲間やチームを守れずにここで終わるんだ』


『そうやって今までも色んな人にひどいことしてきたの?』


『ふふ、そうだよ。あたしも最初は4人だったけど何回も狩りをしながらその度に吸収して今の東京連合まで大きくなったんだ』


『どうしてそれでそんな偉そうなの?』


『…なんですって?』


『あんたはそうやって人を傷つけてきただけなのに、どうしてそんなに偉そうなの?』


 思いもしなかった言葉に理解が追いつかなかったが、だんだんと雪ノ瀬は顔を歪ませていった。


『あんたにそんなこと言う権利なんてあるの!?仲間1人守れないクズのくせに!』


 雪ノ瀬は怒りに任せて愛羽の顔面を殴りつけた。殴り倒されはしたがやはり威力は落ちていることが分かる。


『…さっきより、だいぶ重くなくなってきてるよ。自分でも、分かってるんでしょ?』


 愛羽は微かに口だけで笑う。雪ノ瀬は体の痛みに耐えながら愛羽に向かっていく。


『このガキ!いい気になってんじゃないよ!』


 雪ノ瀬は手を休めず連続攻撃で愛羽を打っていくが愛羽はなんとか倒れることなく耐えた。


『へへ…へ、ほらね』


 そしてボロボロの顔で笑ってみせた。負けられない。その気持ちが愛羽を突き動かす。


『雪ノ瀬瞬…あんたは何の為にそこまでするの?』


 愛羽の精一杯の拳が雪ノ瀬の顔面に届いた。


『うるさい!あんたに関係ないでしょ!』


 雪ノ瀬も負けじとやり返す。周りがすでに何もできずに見守る中、愛羽と雪ノ瀬はただひたすら殴り合った。それはもう意地。絶対倒れないという意地の下、なんとか続けられている感じだった。


 だがここでまた雪ノ瀬の体を激痛が襲う。


『痛っ!』


 雪ノ瀬はまた自分の体を抱えこむようにしてしゃがみこんでしまった。


『…ちくしょう!こんな時に!』


『ねぇ、あんたさっきからどうしたの?さっきも倒れてたよね?』


 愛羽はあまりにもその様子が痛々しいので声をかけずにはいられなかった。


『うるさい…どーだっていいでしょ!』


 だが、やっと決着がつくと思いきや再度これで、愛羽は手を出すこともできず戸惑ってしまっている。


『…やっぱ変だよ。ケガ?病気?ねぇ、どうしたの?』


『うるさい!触んないでよ!』


 心配して肩を叩いた愛羽だったが雪ノ瀬は裏拳を顔面に叩きつけた。


『あっ!てめぇ!』


 見ていた玲璃が思わず声をあげ出てこようとしたが、愛羽は手で来るなと合図してそれを止めた。




 ステロイドと鎮痛剤の効果は2時間程度しかもたない。


 一見無敵に見えてしまうかもしれないがその副作用は大きく、ステロイドにより通常では考えられない筋肉を作り出した分、その反動は薬が切れた時に想像を絶する筋肉痛として返ってくる。


 更に体に受けたダメージは、鎮痛剤によってなくなるのではなく薬が効いてる間は感じないだけだ。なので受けたダメージはちゃんと蓄積され、効果が切れた時その全てのダメージが痛みとなって突然やってくる。


 時間は深夜2時を回っている。0時少し前に打った薬の効果は切れ、今彼女はその代償に襲われている。






『瞬!』


 そこにベイブリッジに到着した七条と龍が現れた。


 2人が単車でやってきたことから見て大黒からやってきたことは玲璃も分かった。覇女と鬼音姫が参戦してくれているのを聞いていたので誰よりも先に2人が来たのを見て玲璃は最悪な想像をした。


『麗桜と風雅はどーなっちまったんだ?』


 そして雪ノ瀬も同じことを思っていた。


『琉花。助かったよ。もう今効き目が切れちゃってヤバかったんだ。すぐ予備のステロイドと鎮痛剤をくれる?まぁ、状況的にはもう問題ないんだろうけど』


 安堵の表情を浮かべ薬を要求した雪ノ瀬だったが、七条と龍の顔からは自分の思いとは全く別のものが感じられた。


『…何?どうしたの?そんな顔して…』


『瞬…実は…』


 龍が言いかけた時、2人に遅れて麗桜、風雅、神楽、樹がその場に到着した。


『お前ら!』


 玲璃は麗桜たちが無事なことに驚いていた。


『…どーゆーこと?』


 少し青ざめた雪ノ瀬が声を振るわせながら七条たちに聞いた。


『こっちはあたしらが勝ったってとこだろうね。この状況を見るにさ』


 神楽が2人より早く答えると樹も辺りを見回して続けた。


『ここもほぼ相討ちって感じじゃねぇか。ウチはまだまだやれるけどな』


 龍は重い空気の中頭を下げた。


『瞬、すまない。私…負けてしまった。飛怒裸も、みんなやられた…』


 雪ノ瀬は信じられないという顔をしている。


『瞬。あたし…』


 七条が何か言おうとすると麗桜が声をあげた。


『俺たちは七条に負けたぜ』


 雪ノ瀬はとうとう意味が分からない。


『瞬。ごめん。あたし、こんなことになるとも、こんなに時間かかるとも思ってなかったの。気づいたら時間こんなに過ぎちゃってて、だから急いでこっちに来たの』


『…とりあえず薬…』


 雪ノ瀬は2人の目も見ずに言う。


『そんな、今から』


『いいから薬…』


『瞬…』


『早くしてよ!!薬だっつってんでしょ!!』


 七条と龍はその声に渋々持っていた妙な形の注射器を渡してしまった。雪ノ瀬はそれを乱暴に自分の腕に刺すと、一気に全て使いきった。


『ねぇ!1日でそんないっぺんに使ったら!』


『うるさい!!』


 雪ノ瀬は七条を突き飛ばした。


『あんたたちができないなら、あたしがやるまで』


 愛羽は今、この一連の流れをただじっと見ていた。


『瞬。もうやめて今日は帰ろうよ?』


『バカなこと言わないで。狩りはまだ終わってない』


 そう凄んで言う雪ノ瀬を見て、七条は悲しい表情をした。


『さぁ、次は誰から?もうこの際みんなまとめてでもいい。かかってきなよ』


 もう効果が出たというのだろうか?さっきまで痛みに顔を歪ませていたのが、今はまた狂気に満ちている。その体も心なしか少し大きくなったように感じられた。


 雪ノ瀬がとても正気とは思えなかったが、ただならぬ危険を感じ一同は一斉に構えた。


『あのバカ、この状況で1人で勝てる気でいるのかい?』


 神楽は言ったが、目の前の狼は本気でそのつもりだし、それを納得させてしまう何かが雪ノ瀬にはあった。


 その上、人数は揃っているにしても今まともに動けるのは神楽くらいなもので、みんな手負いであることに変わりはなかった。


 だが今にも襲いかかりそうな雪ノ瀬の前で七条が手を広げた。


『…なんの真似?』


『もうやめよう。あたしたちもこいつらに助けられてるの。助けてもらってこれじゃ、かっこつかないから。お願い、瞬…』


 雪ノ瀬は七条の顔をはたいた。


『あんただけ帰れば?じゃあね』


 七条は目に涙を浮かべ、雪ノ瀬は麗桜たちの方へ歩いていってしまった。


『…どうして泣いてるの?』


 七条は声をかけられたのが自分だと気づくとその声の方に目を向けた。そこには愛羽が立っている。


『あなたたち、悲しい目をしてる。悪いのはあなたたちだよ?蘭ちゃんも蓮ちゃんもひどいことされた。だけどあなたは今泣いてる。それはどうして?あなたたちは何と戦ってるの?』


 愛羽と七条は目を合わせたまま見つめ合っていた。


 その内に七条の方から話を始めた。

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