第2話 八洲玲璃

『おい愛羽!!愛羽!?』


玲璃の声に気がつき後ろを振り返る。信号で停まっている内に少し昔を思い出してしまっていた。


『ボケ羽(はね)オメー今寝てたべ!』


『ごめ~ん。ボーっとしちゃってた』


とぼけてごまかすとギアを入れ走り始める。もう学校は目の前だ。


愛羽たちが今日から通うのは公立の夜明ヶ丘高校。男女共学で、この辺りでは1番頭の悪い学校だ。


『よぉし!今日からここがあたしらの縄張りだ。気合入れて暴れまくってやろうぜ!』


もう1つ言えるのはここがとにかくヤンキー校ということだ。色々な学校の不良たちが集う場所、それがここだ。


『おいコラ!』


駐輪場にバイクを停めていると感じの悪い声がした。


『お前らだよオイ!お前ら1年だな?初日から単車で登校なんてずいぶん上等じゃねーかコノヤロー』


2年か3年なのだろう。2人が振り向くと、早速いかにも悪そうなお姉さんが3人近寄ってきた。それを見て玲璃がニヤリとして自分のカバンを愛羽に手渡した。


『愛羽。カバン持ってな。挨拶、してくるわ』


『玲ちゃん…』


すたすたと女たちの方へ歩いていき、玲璃が助走をつけ相手に殴りかかろうとすると突然大きな音がその場にいた全員の耳に入った。暴走族で言う所の4発系の排気音だ。


朝の街に鳴り響くその音は何より堂々としていて、まるで自分はここであると存在を証明するかのような、そんな強さを思わせた。芯の抜けた直管の轟音、すぐ近くだ。こんな朝から族車?


『この音、多分CBXだ!』


愛羽がそう言うと、3人の上級生は何かを察知したようで慌てて引き返していった。


『あれ?なんだよあいつら。逃げちまったよ』


単車の音はどんどん近づいてくると、そのまま駐輪場まで入ってきて停まった。


その正体は驚いたことに女だ。セーラー服、ということはこの学校の生徒らしい。さっきの3人はこの人物と分かった上で逃げていった。となると少なくともあの3人よりヤバい感じの上級生と考えて間違いはない。


そんなことを思いながら玲璃がこの場をどうするか考えていると、愛羽はいつの間にかその人物の至近距離に入りこんでしまっていた。


『やっぱりCBXだー♪』


愛羽がそう言って目を向けると女はフルフェイスのヘルメットを外した。その瞬間、多分香水や髪の毛のいい匂いが広がった。花のようなフルーツのような甘く爽やかな匂いのハーモニー。それと同時に愛羽は目を奪われてしまった。肩より少し下まである金髪の髪。女はカチューシャで前髪を後ろに流した。現れたのはとびっきりの美人だった。愛羽は目を見開き口を半開きにしたまま、ほほを少し赤らめた。


『可愛い…』


思わず口から言葉が出てしまった。


(あのバカ何言っちゃってんだよ!)


玲璃は早足で愛羽の所まで行き、さっさとこの場から立ち去ろうと愛羽の腕をつかみ引っぱっていこうとしたが、玲璃もまたいい匂いと女の美しさに足が止まってしまった。


いい匂いのする金髪美人は単車の上で足を組みながらタンクに肘をつき、ちょっと悩ましいポーズで2人のことを見ていた。2人は完全に今彼女と目が合っている。するとにらまれるでも怒鳴られるでもなく微笑まれてしまった。


(か…可愛い…)


2人が改めて同時にそう思うと金髪美人は喋り始めた。


『ありがとう。朝から最高の褒め言葉をもらったわ。女性にとってそれ以上に嬉しい言葉はないわよね。でも、あなたもポニーテールが似合ってて、とても可愛いわよ。髪の色も紫なのね。オシャレじゃない。センスがいいのね』


愛羽は恥ずかしくて何も言えなさそうにしている。


『そういえばCBXを知っている風だったわね。あなたも単車が好きなのかしら?』


『あっ、はい。お兄ちゃんが乗ってたので。今も家にはあるんですけど。だから音でCBXって分かって』


金髪美人は今のを聞いて確かな興味を持ったようだ。


『あら、そう。お兄さんがCBXを?ということは暴走族の人かしら。この辺の方?でもこれは同じCBXでもエンジンが違うのよ。知ってたかしら?』


『へ?』


『CBX550Fと言うのよ』


言われて愛羽は単車の周りをぐるっと一周した。


『へぇ~。同じCBXにしか見えないのに違うとかあるんですね。400じゃないんだぁ。初めて見ました。でもやっぱCBXはカッコいい♪』


『それよりあなた音で分かったなんて鋭いのねぇ。CBXが好きだなんて趣味がいいじゃない。気が合いそうだわ。ねぇ、あなたのお兄さんのCBXも見たいわ。お兄さんに断って乗ってらっしゃいよ』


金髪美人はますます愛羽に食いついた。


『あ…あの、今はちょっと動かなくて、乗ってくることはできないんです』


愛羽が申し訳なさそうな顔をすると玲璃がそれを察して間に入った。


『つーかあんた誰なんだ?あたしら早く行かなきゃ初日から遅刻なんだけど』


そう言っていかにも迷惑そうな顔をするが遅れているのは玲璃のせいである。だが金髪美人も言われて気づいたような顔をした。


『あら、ごめんなさい。そうだったわ。今日からですものね』


丁度校内のチャイムが鳴り始めた。


『ねぇあなたたち。今日は終わりも早いでしょう?もしよかったら後でゆっくり自己紹介したいのだけど、帰りにまたここで会えないかしら?』


愛羽はうんうんとうなずいた。


『じゃあ決まりね。引き止めてごめんなさい。早く行った方がいいわ』


金髪美人は微笑んで言うとそこでタバコを咥えた。どうやら彼女はここで一服していくらしい。愛羽と玲璃は小走りで自分たちの教室へ向かった。


『綺麗な人だったね~』


走りながら愛羽はうっとりしていた。そんな愛羽とは裏腹に玲璃はさっきの3人が「CBX」と聞いた途端に顔色を変え逃げていったことの方が気になっていた。


『あんなのと約束しちまっていいのかよ。オメーって奴はよぉ』


『なんで?玲ちゃんもしかしてヤキモチやいちゃってるの?』


『バッ!バカやろ!ざけんじゃねーよタコ!さっきの3人が逃げてったことといい、朝からあんな族車で登場したことといい、普通じゃねーから心配して言ってんじゃねーかよ!』


興奮して言い返す玲璃にタコは真顔で答えた。


『心配しないで。あたしは玲ちゃん一筋だよ』


『おう。そこは心配してねーよ。あ?じゃなくて!そこの心配じゃねーよ!』


『分かってるよー。でもいい人そうだったし大丈夫だよ。心配してくれてありがと。玲ちゃん♪』


オラオラでイケイケの玲璃も愛羽にこう言われると何も言えなくなってしまう。




愛羽たちのクラスは1年3組。2人は幸運にも同じクラスだった。


1年は全部で10クラスあるが毎年1ヶ月もしない内に退学する者が現れ、半年から1年でおよそ3分の1がやめていく。


この学校に来る人間はそのほとんどが不良で、もう一方がここしか受けられない学力の者。残りが不運にも第2志望で受かってしまった者ということになる。玲璃など入試の解答には全ての教科全ての欄に「3」と書いた。基本、3択4択なので全て「3」にすればある程度の点は取れる。悩んだのは「1」か「3」どっちにするか迷ったこと位だった。そんなこの玲璃で入れる学校だ。誰でも入れる。


まず1年は新学期から派閥争いが始まり、大抵暴走族やギャング、チーマーなどに属すようになっていく。そうやってチームの看板を手に入れたり、それらしい知識をひけらかすことを覚え、でかい口を叩くようになっていく。これは男も女もだ。


そんな中、愛羽と玲璃はすでに有名で他の中学にも名前が通っている。特に玲璃はよく他の中学をシメて回っていて、男だろうと年上だろうと大人数だろうと関係なくケンカしてしまうその狂暴さを恐れない者はいなかった。


だから同学年には玲璃に文句を言ってくる者などすでにいないが、愛羽とくっついていてくれた方が平和で済む。


4階の1年3組。愛羽と玲璃は自分の席に着いた。





八洲玲璃は絵に描いたようなヤンキー女だ。愛羽は小さい時からずっとこの玲璃にくっついていて、玲璃も愛羽のことを引っ張っていた。


玲璃の言うことなら何でも聞くので、玲璃は1度おもしろがって2人で隠れんぼをした時に意地悪をしたことがある。


『すぐ見つかったらつまんないから絶対見つからない場所に隠れてさ、見つかるまで絶対隠れてろよ』


そう言って愛羽が隠れてる間に玲璃はそのまま家に帰った。


次の日玲璃は、一体どんな顔をして愛羽が学校に来るか楽しみにしていた。あの後自分がいないことにいつ気づいたのかなと、腹を抱えて笑う準備をしていた。ところがいつまで経っても愛羽は姿を現さず、その日結局学校に来なかった。風邪でもひいたかなと最初は笑っていたが、下校の時間にもなると何やら様子がおかしいことに気づいた。担任の先生が誰か愛羽を知らないかと心配そうに聞いて回っている。昨日から行方不明らしい。


(…は?)


玲璃は1ミリも笑えなかった。嫌な予感が体中をめぐる。まさか…誘拐されてしまった?夕暮れ時にあんな愛羽のような子が1人でいたら変な人に連れていかれてもおかしくはない。それどころか、もし…もう殺されてしまっていたら…


玲璃は最悪な想像ばかり頭に浮かばせながらも、大声で愛羽の名を呼びながら捜し回った。そして昨日隠れんぼをした公園を探すと、倉庫の中、奥の方で愛羽が丸まっていた。


『…おい…愛羽…』


冷や汗が止まらない。ピクリとも動かないのでまず死んでいると思った。


『…嘘だろ?…』


しかしそうではなかった。愛羽は寝ていた。


彼女はなんとまだ隠れていたのだ。玲璃は半分腰が抜けてしまい座りこむと、その物音で愛羽がゆっくりと目を覚ました。


『…あっ、見つかっちゃった?』


何事もなかったかのように愛羽が笑うと、玲璃は本当に自分のせいで死んでしまったと思っていたので安心して涙が止まらなくなってしまった。


『じゃ次玲ちゃん隠れる人ね』


愛羽がまだ笑顔で言うので玲璃は泣きながら何度もバカヤロウとわめき散らした。これが玲璃のトラウマになり、言うまでもなく2人はそれから隠れんぼをしなくなった。


こんな玲璃だが、そんな愛羽が大好きだった。散々自分ではバカにしたりするのに他の人が愛羽をバカにするのは許さない。玲璃は小さい時からずっとそうだ。


その愛羽が6年になって間もなく、ある日突然消えてしまった。学校側も何も知らないようで、何度も家を訪ねたが誰もいないようだった。


今度こそ本当にどこに行ってしまったのか分からなくなってしまい玲璃は愕然とした。1週間が過ぎ、1ヶ月が経っても愛羽は学校に来なかった。あの公園にも、2人でよくいたどの場所にも彼女はいなかった。


玲璃は世界が終わってしまった気がした。


とても大切なものを失くしてしまったような虚しい気持ちだった。考えてもどうしようもないのに毎日愛羽のことを考えていた。人の家庭のことだから子供の自分には何もできなかったが、こんな別れ方はあんまりだと、そう思っていた。


やがて玲璃は学校に行かなくなり、夏が終わっても秋が終わっても愛羽は戻って来ない。愛羽のいない夏休みも、運動会に修学旅行も全てが無意味にしか思えなかった。何かがあったのだけは確かで、でもそれが何なのか、今生きているのかさえ分からないまま時間だけが平和に過ぎていった。


そして冬。玲璃は1人、あの公園でブランコに座っていた。あの隠れんぼの時。あいつを置いて帰ったあの日もこんな寒さだったな。あいつ、夜寒かっただろうな。なんて思うと心が痛かった。


やっぱりもっと何かしてあげればよかった。やっぱり自分が守ってあげなきゃいけなかった。そんな思いに揺れていると突然目の前が真っ暗になった。後ろから手で両目をふさがれていた。ビックリして振り返ろうとすると、それより先に今度は後ろから抱きしめられていた。


『見ーつけた』


声ですぐに誰か分かった。でも信じられなかった。振り向くとそこにはもう2度と会えないと思っていた愛羽が立っていた。玲璃は何を言えばいいのか分からなかったが、愛羽は前と何も変わらない笑った顔を見せた。だけど笑いながら涙を流している。


『愛羽…』


玲璃はまだ何がどうなっているのか分かっていなかったが、彼女をそっと抱きしめ返すと頭を優しくなでてあげた。すると愛羽は糸が切れたように声をあげ泣き始めた。


今まで愛羽がこんな風に泣いているのは見たことがなかった。


笑ってる顔しか思い出せなかった。


まるで小さい子供のように愛羽が泣くので昔を思い出してしまったが、保育園の頃からずっと、思えばいつも、きっとこの子は泣きたい時も泣かなかったんだろうな。そう思ったから玲璃は泣かなかった。もらい泣きしそうになるのをこらえ、背中をゆっくりとさすってあげていた。 玲璃にはそれが愛羽の何年分もの悲しみに聞こえた。


どうやらその日の朝、兄が警察に連れていかれたらしい。


愛羽は泣きながら、ずっと会いたかったと言ってくれた。こんなへその曲がった自分をそんな風に思ってくれていることと自分と同じ気持ちでいてくれたことが嬉しかった。


『愛羽。お前はあたしが守る。何があっても絶対守ってやるから、もうあたしの前からいなくなったらダメだからね』


子供ながら玲璃が1つ決心した日だった。


このことがあってから玲璃の猛烈なおねだりの末、八洲家は愛羽の暮らす小田原に急遽引っ越すことになる。


それから2人はまた今日まで、ずっと一緒である。

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