《 第12話 楽しかった1日 》

 その日、ルナは昼過ぎに目覚めた。



「ふわあ、よく寝た……」



 大きな手で目をこすり、あくびをする。


 ジタンと入れ替わって数日――。


 初日はこの先どうなるかが心配で寝つけなかったが、もう違う。


 むしろ以前より寝つきがよくなった。


 なにせ酷いことを言われる心配がなくなったから。


 心配事と言えば、ジタンが無事に学院生活を送れているかだが……



(まじめに授業受けてるって言ってたし、問題ないよね?)



 ジタンとは毎晩連絡を取り合っている。


 てっきり男子と揉め事を起こすと思っていたが、いまのところ平和に過ごしているようだ。


 同じ姿でもルナとジタンとでは雰囲気が違うので、反撃を警戒しているのかも。


 逆に言うと、いまのジタンは弱々しく見えるということだ。ルナが学院でがっかりされたように、下手に出歩けば人々に幻滅されてしまうかも。



(でも、そろそろ家から出ないとだよね……)



 入れ替わってからずっと引きこもっていたが、ついに魔導具マジックアイテムの魔力が切れ始めた。一昨日はリビング、昨日は寝室の明かりが切れてしまったのだ。


 このままだといずれは家中が真っ暗になる。さらに湯沸かしができなくなり、火を起こせなくなり、通話もできなくなってしまう。


 そうなる前に魔力を補給してもらわないと。



「よし! 出かけるぞ!」



 ルナは顔を洗い、鏡をじっと見つめる。


 ジタンっぽい表情を作り……



「おいっす。ちょうどいいところで会ったね。きみの魔力くれない? ……うーん、ちょっと違うかも。――よ、よう。ちょっと魔力補給を手伝ってくれないか? ……こんな感じかなぁ?」



 違和感を持たれないよう練習を繰り返すと、魔石の回収をする。


 家中の魔導具マジックアイテムから魔石を取り外すとケロちゃんカバンに入れ、ど派手な衣装に身を包んで家を出る。



(どうしようかな……)



 一番話しかけやすいのは隣近所のひとだ。


 しかしバニーニ家と交流があるからこそ、偽物だと怪しまれかねない。


 となると知り合い以外に頼むのが賢明か。



(ついでにお買い物しようかな。お肉もお野菜もなくなっちゃいそうだし)



 そうと決めたルナは大通りへ向かう。


 すると、通行人がじろじろと見てきた。


 こちらに遠慮しているのだろう。声はかけられなかったが、どこへ行こうと視線がついてまわり、ルナは落ち着けなかった。



(注目度が学院にいたときの比じゃないよ……)



 ルナは英雄の娘だ。これまで多くの注目を浴びてきた。


 だがジタンの注目度はその比じゃなかった。全員が足を止め、頭を下げたり、手を振ったり、子どもを肩車してこっちを指したり、ケータイを手に「いま近くにジタン様がいるよ!」とはしゃいだりするのだ。


 だけど――



(パパ、慕われてるんだな)



 学院では侮蔑、同情、落胆など嫌な目で見られていたが、ジタンを見る目は崇拝のそれ。子どもから大人までが尊敬の眼差しを向けてくる。


 落ち着くことはできないが、嫌な気はしなかった。


 なにより人々に尊敬される父親が、ルナは誇らしかった。


 だからこそ、ジタンの評判を落とすようなマネはできない。



(いまのところ怪しまれてないし、堂々と振る舞えばバレないよね?)



 いよいよ魔力の補給を頼むとき。


 ルナは話しかけやすそうな人物を探し、3人組の女子を発見。ちょっといいか、と声をかけると、女子たちはきょろきょろと周囲を見て、自分の顔を指した。



「そうだ。きみたちに声をかけた」


「わ、わわ、私たちに!? な、なんでしょう……?」


「きみたちに頼みがあるんだが……」


「頼みですか!?」


「ジタン様が!?」


「ご期待に添える自信がないんですけど……」



 まずい。このままでは断られてしまう。


 勇気を振り絞って声をかけたのだ。


 これで断られると自信をなくしてしまう。



「そんなことないぞ! きみたちならできる!」



 ひとりひとりの瞳を見つめて真剣に告げると、なぜか頬を染められた。


 うつむきがちになり、垂れ下がった前髪越しにこちらを見て、すぐに目を逸らし、小声で「やばい、ジタン様だよ」「ど、どうして私たちに?」「そ、そんなのわかんないよ。こ、これどうすればいいの?」と相談を始める。


 遠くから眺めるだけだった英雄に声をかけられ、頼みごとをされたのだ。緊張するのも無理はない。


 だったら緊張を解いてあげないと。



「とりあえず食事にしないか?」


「私たちと食事を!?」


「ああ。用件はそこで伝える。……だめか?」


「い、いえ! ぜひご一緒したいです!」



 嬉しげに目を輝かせる女子たちを連れ、ルナは小さな通りのカフェへ。


 可愛い看板を見て、女子たちが目をぱちくりさせた。



「意外です。ジタン様、こういう店に来られるんですね」


「てっきり酒場に連れていかれるのかと思いました」


「い、いつもは酒を飲んでるがな。今日は甘い物を食べたい気分なんだよ。この店のとろとろハチミツのパンケーキが絶品なんだ」


「ジタン様ってパンケーキ食べるんですね」


「だ、だめか?」


「いえ、可愛くていいと思います!」


「べ、べつに可愛くないよ……」



 ルナは照れてしまった。


 すると女子たちが慌てた様子で、



「だ、だめだよアーニャちゃん! ジタン様に可愛いなんて!」


「失礼だよ!」


「す、すみませんジタン様。私、つい口を滑らせて……」


「い、いや、褒め言葉として受け取ったぞ! それより入ろう! 奢るよ!」



 店に入り、奥の席に座り、ルナが人数分のパンケーキを注文。


 客たちがチラチラとこちらを見るなか、女子たちは緊張顔で黙りこむ。



(どうしよ。3人とも困ってる……。なんとか和ませないと)



 ルナは頭を悩ませ……


 ふとアーニャの服のカエルマークに気づいた。



「……あ。その服」


「えっ? 私の服ですか? な、なにかついてますか?」


「そ、そうじゃなくて……ケロケロ工房の服だと思って」


「わ、わかるんですか?」


「あ、ああ。ケロケロ工房の服は好きだからな」


「えっ? ジタン様も着るんですか?」


「ケロケロ工房の服って、どれも女子向けなんですけど……」


「そ、そうじゃない。娘が着るんだ。娘は本当にケロケロ工房が大好きで……ほら、俺のカバンもケロケロ工房だ。娘にもらったんだよ。で、娘の話を聞いているうちに俺も好きになったってわけだ」



 ジタンに贈ったケロちゃんカバンを見せると、女子たちが嬉しそうな顔をした。



「ケロちゃんカバンだ! 私たちも――ほら!」



 3人がカバンを見せてくる。


 なんと全員、お揃いのケロちゃんカバンだった。



「すごいっ! どうして!? あっ、よく見たらふたりの服もケロケロ工房だね……だな!」



 うっかり素が出てしまった。


 しかし3人は怪しむどころか、とても嬉しそうにしている。



「私たち、仲良くなったきっかけがケロケロ工房なんですよ!」


「服屋で残り1着のケロケロ服を見つけて、同時に手に取ったんだよね!」


「同時に? それすごいね……。ケロケロ工房の服って、あんまり人気ないのに」


「ケロケロ工房ってどの服にもカエルマークついてますもんね。小物も全部カエルがモチーフですし、しかも可愛い系じゃなくブサイク系のカエルですし」


「ブサイクなのが逆に可愛いのにねっ」


「わかる! ……って、この場に娘がいたら言うだろうな」


「ジタン様の娘さんとは気があいそうですっ!」


「娘さんっておいくつですか?」


「15歳だ」


「じゃあケロケロ工房のターゲットど真ん中ですねっ!」


「いいなぁ。私、最近サイズが合わなくなってきたんだよ」


「私も……。着るにはちょっと小さいんだよね」


「小物もたくさん出してるし、まだまだケロケロ工房を楽しめるけどねっ!」


「あー、だけど、俺の娘は15歳だが、見た目は13歳くらいなんだ」


「そうなんですね……。だったら、普段着として使うには大きいかもですね」


「そうなんだよ……。だからパジャマと小物しか持ってないんだ」


「あっ、でも最近子ども向けの服が出たそうですよ」


「え!? それほんと!?」


「はいっ。妹に聞いたら子どもには意外と人気あるみたいですし、売り切れてるかもしれませんけど……よかったら一緒に探します?」


「いいの!? わた……俺と服屋巡りしてくれるの!?」


「もちろんですっ! ジタン様がお忙しくなければですけど――」


「全然忙しくない! するするっ! 服屋巡りする!」



 ケロケロ工房好きの女子と服屋巡りができるなんて夢みたいだ。


 共通の趣味があるし、おしゃべりしながらショッピングを楽しめるに違いない。



「あっ、そうそう。これを頼むんだった」



 ルナは忘れないうちに魔力を補給してもらい、ハチミツのパンケーキを頬張ると、ケロケロ工房の話題で盛り上がりつつ服屋巡りを楽しみ――



     ◆



 夕方、ルナは明るい気分で帰宅する。



「あー、楽しかった!」



 こんなに楽しい1日を過ごしたのはいつ以来だろうか。


 ケロケロ工房のワンピースも手に入ったし、遊ぶ約束も交わした



「パパと入れ替われて本当によかったなっ」



 じゃなかったら、こんな幸せ味わえなかった。


 にこにこしていたルナは、魔石のことを思い出す。


 チャイム音が鳴ったのは、すべての魔石をはめ終え、食材を買い忘れていたことに気づいたときだった。



(誰だろ?)



 ドアを開けると、がっしりとした体格の男が佇んでいた。


 真っ白なマントを羽織っているところを見るに、魔法騎士団の団員だ。



「え、ええと……」


「ジタン様! ご在宅で助かりました! もうお気づきでしたか?」


「な、なにがだ?」


「あちらをご覧ください!」



 男が夜空を指した。


 見上げると、真っ赤な満月が浮いていた。



「レッドムーンだ……」


「仰る通り、レッドムーンです! つまりは魔族の大軍勢が襲来するのです!」



 月の色がなにを意味するかは知っている。


 しかし青だろうと黄だろうと赤だろうと怯えることはない。


 なぜならエクレール王国には世界最強の英雄であるジタンが――



(……あれ? ちょっと待って! いまはわたしがパパだよ!?)



 嫌な予感がする。


 ルナはわなわなと震えつつ、動揺を悟られないように平静を装ってたずねた。



「今回、魔族はどこに出没するんだ?」


「現在観測中とのことです! 間もなく結果が出るかと思います! 万が一に備えてお待ちいただければと思いますが……」



 逃げたいが、ジタンが逃げだすわけにはいかない。


 英雄が逃げたとなれば、国中がパニックだ。


 いまルナにできることは、エクレール王国に来ないでと祈ることだけ。



「むっ。失礼! ただいま連絡が入りました! 少々お待ちを!」



 男がケータイを手に取る。


 ふむ、ふむ、そうか、と相づちを打ち、



「観測結果が出ました! 魔族は我が国へ来るそうです!」


「……」


「ジタン様? どうかされましたか?」


「い、いや、なんでもない。ちょ、ちょっと待っててくれるか?」


「承知しました!」



 びしっと背筋を正す男をその場に残し、ルナは家へ駆けこむ。


 そして泣きそうな顔でケータイを手に取り、ジタンに報告するのだった。



「た、たた、大変だよパパ! 月が赤いで魔族の戦が騎士団で来るの!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る