《 第11話 赤い月 》

 ジタンが学院生活を始めて数日が過ぎた。


 その日の夕方。


 ジタンはとても焦っていた。



「なんだよこれ……。わけわかんねえよ……」



 ローストの後任教師が課した宿題だ。


 女湯覗き事件が起きたからだろう。『魔族学』を担当する変態教師の後釜に座ったのは、かなり厳しめの女教師だった。


 赴任早々に「お前たちの実力を測る。成績の悪い生徒は放課後に補習授業を受けてもらう」とのたまい、多くの宿題を課してきた。



「クソみてえな宿題出しやがって! あークソ、めんどくせえ!」



 復習なので全問正解で当然だと言われたが、1問すらわからない。そもそも習っていないのだから。



「つーか魔族学ってなんだよ。あいつらから学ぶべきところとかねえよ。どの種族がどの魔法を使ってどの魔石を落とすとかどうでもいいっつの。弱点とか知らねえよ。こっちが強くなりゃいいだけの話だろうが」



 ぐちぐち言いつつ手書きノートをパラパラめくり、せっせと宿題をこなすジタン。


 投げ出してやりたいが、宿題を提出しないとルナの評価が落ちてしまうし、外出の許可が下りないのだ。



「クソが! 可愛いルナに会えねえだろ!」



 明日は休み。


 帰省できるとうきうきしていた。


 なのにまさか、こんな落とし穴が用意されていようとは……。


 コンコン!


 と、ノック音が響いたのは、ガーゴイルの弱点を調べ、インプの生態を調べていたときだ。



「誰だ?」


「クロエよ」


「おお、ちょうどいいところに来たな! 入れよ!」



 パジャマ姿のクロエが入室する。


 机についたジタンを見て、感心したように、



「へえ、もう宿題してたのね。それって『魔族学』のよね?」


「ああ。全部終わらせねえと外出できねえからな。外せない用事があるってのに」


「外せない用事?」


「帰省だ。てなわけで、よけりゃ答えを教えてほしいんだが」


「さすがに答えを教えるのはね……。ヒントならいいわよ」


「ヒントでも助かるぜ! けど、わたしに用事あるんじゃねえの?」


「あとでいいわよ。ジタン様の話を聞かせてもらおうと思ってただけだもの」


「宿題を手伝ってくれるならいくらでも話してやるよ」


「ほんと!? 待ってて、めがね持ってくるから!」



 急いで廊下に飛び出し、めがねをかけて戻ってくる。


 そして知的な姿になったところで、宿題を教えてもらう。


 クロエのヒントはほとんど答えに近く、1時間ほどで全問解けた。



「マジで助かったぜ! サンキュな!」


「どういたしまして。……ルナちゃん、疲れてない?」


「天下のジタン様……の娘が宿題ごときで疲れるわけねえだろ。当然約束は守るぜ。なにが聞きたい?」


「うーん。なににしようかしら。聞きたいことが多すぎて迷っちゃうのよね……」


「クロエちゃんにはマジで助けられたから、なんでも聞いていいぜ」


「……なんでもいいの?」


「おう」



 うなずくと、クロエは急にもじもじする。


 うっすらと頬を染め、気恥ずかしそうに言う。



「ジタン様の理想の女性像が知りたいわ」


「理想の女性像って……なんでそんなことを知りたがる?」


「べ、べつに? ちょっと気になっただけよ」


「……まさかとは思うが、パパに惚れてんのか?」


「ち、違うわっ! あたしみたいなのがジタン様を好きになるなんて、そんなの恐れ多いわよ!」


「恐れ多くはないだろ。娘のわたしから見ても、パパはかっこいいからな! まさに理想の男だぜ! 惚れるのも当然だな!」


「だ、だとしてもルナちゃんには言いづらいわよ……」



 たしかに娘に向かって「あなたのパパに惚れてます」とは言いづらかろう。


 恐れ多いと言ってるし、惚れていると言っても憧れに近く、恋愛感情とはまた別物なのかもしれない。



「と、ところでだけど……あたしがお母さんになったら、ルナちゃん嫌?」



 違った。


 がっつり恋愛感情を抱いている。


 クロエとは親子ほど歳の差があるし、面と向かって会ったことはないのだが……。とはいえ過去に何度も見知らぬ女に愛を告げられたことはあるので、ありえないことではなかろう。


 当然、すべてばっさり断ってきたが。


 しかし相手は子ども。


 しかもルナの友達だ。


 下手に断れば友情に亀裂が入りかねない。


 そうすればルナが悲しんでしまう……。



「や、やっぱり、あたしがお母さんは嫌よね……」


「嫌っつーか……そりゃ違和感はあるが、大事なのはパパの気持ちだからな。パパがクロエちゃんを受け入れるなら、わたしはそれに従うよ」


「そ、そうっ。よかったわ……。ところで、ジタン様の理想の女性像って?」


「若くて巨乳で賢いけど堅物ってわけじゃない女だ」



 とりあえずミュセルの特徴を挙げる。


 するとクロエは満面の笑みになる。



「あたし、若いわ! それに巨乳よ! めがねかけてるし、知的に見えるかも!」


「いくらなんでも若すぎるだろ」


「時間が解決してくれるわっ!」


「そんときゃパパも老けてるぞ」


「ジタン様は老いても素敵よ!」



 クロエは大はしゃぎだ。このままでは本当に告白しかねない。クラスメイトに告白されたら、ルナも困ってしまうだろう。



(ま、幸いすぐに告白する気はねえようだし、しばらく放っといてもいいか)



 などと考えていると、ケータイがブルブルと振動した。



「誰から?」


「パパから」


「ジタン様から!?」



 クロエは話を聞きたそうにしているが、入れ替わりを知られると面倒だ。ひとまず出ていってもらうことに。


 ひとりになったところで、ジタンは通話に出た。



「もしもし。どうした?」


『た、たた、大変だよパパ! 月が赤いで魔族の戦が騎士団で来るの!』


「落ち着け! 支離滅裂になってるぞ! とりあえず深呼吸! 深呼吸しろ!」



 深呼吸の音がする。


 それからルナは、再び悲鳴みたいな声を上げた。



『た、たた、大変なのパパ! 月が赤いの!』


「月が? ちょっと待ってろ」



 ジタンは窓辺へ移動する。


 夜空を見上げると、真っ赤な満月が輝いていた。



「レッドムーンか。3年ぶりだな」


『そうなの! 歯磨きしながら月を見たらね、真っ赤だったの! 最近青続きだったのに!』



 ルナの慌てっぷりも納得がいく。


 人類にとって満月は忌まわしいものなのだ。


 なぜなら魔族の本拠地は月にあり、満月の日に転送魔法テレポートで地上へ軍勢を送るから。


 そして転送魔法テレポートを発動させる際、魔光オーロラと呼ばれる光が発せられる。


 転送魔法テレポートの規模によって――軍勢の規模によって、魔光オーロラは青→黄→赤の順に色を変えるのだ。


 今回は赤。


 つまり、強力な軍勢が送られてきたということだ。



『でね、さっき魔法騎士団のひとが来たの! お迎えに上がりましたって! いまも家の外で待ってるの! まだですかー、ってノックしてるの!』


「迎えに来た? てことは、今回の転移先は国内か」



 月から送られた魔族は、一箇所に集結する。


 魔族がどこに着陸するかは、魔導具マジックアイテムで観測可能だ。


 魔光オーロラ発生から着陸まで半日あまりの猶予があるため、急いで出れば町への侵攻を阻止できる。



『ど、どど、どうしようパパ!? わたし魔族と戦ったことなんてないよ!』



 ルナを守るため、イエロームーン以上かつエクレール国内に着陸する場合に限り、ジタンが討伐することになっている。


 だからこそ、エクレール王国は世界一安全だと謳われているのだ。


 しかし現在、ジタンはルナになっているわけで……。


 レッドムーン級と戦えば、この身体もただでは済まない。



「ま、慌てることねえよ」


『どうして!? 慌てるよ!? レッドムーンだもん! 戦うのわたしだもん!』


「戦うのはルナだが、いまはパパの身体だろ? パパが怪我してるところ、見たことあるか?」 


『ない、けど……』


「だろ? パパは最強なんだ。てきとーに魔力弾マジックバレットを撃てば楽勝だぜっ。撃ち方はわかるよな?」


『う、うん。魔導具マジックアイテムを身につけずに魔力を外に流すだけでいいんだよね?』


「おう。それだけわかってりゃ問題ねえ。パパは強いから安心して戦ってこい!」


『わ、わかった……! じゃ、じゃあ行ってくるね! 愛してるよパパ!』



 ジタンに背中を押されて勇気が出たようだ。ルナは力強くそう言うと、ジタンの「パパこそ愛してるぞ!」を待たずに通話を切った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る