睡眠スコアバトル殺人事件
おがた
問題編
登場人物
明東……『健やかな眠りの会』幹部
赤牛……『健やかな眠りの会』会員
家笛……『健やかな眠りの会』会員
門絵……『健やかな眠りの会』会員
右近……『健やかな眠りの会』会員
両域……『健やかな眠りの会』会員
森……ぼく
宮藤……DJ
1
「するってぇと、なんだ。そのちんけな腕時計が睡眠の質を測っているっていうのかい」
宮藤は僕の左腕に巻かれた腕時計型のデバイスを差して言った。正確にはスマートスリープマネジメントマシーンだが訂正はしない。
「ちょっとはわかってくれた?」
「わかるも何も最初からわかりきってる」
宮藤――僕が運転するノートの助手席で、身体のサイズよりひとまわりかふたまわり大きいパーカーで身を包み、赤いキャップを被った男は退屈そうにスマホをスワイプしている。僕が上下を青山のスーツでキッチリと揃え、顔に化粧水もつけているのと対象的な姿である。これからぼくらが会う相手は初対面で、悪い印象は持たれたくない。形に拘っているのか無頓着なのか知らないが、宮藤もそろそろ身だしなみを学んでほしい。宮藤はラッパーだかDJだかよくわからない不定形の職で小銭を稼ぐ日々を送っていた。
「ぜったいろくなことにならないって。引き返すなら今のうちだぜ。どこのウマの骨ともしれないやつらとお泊まりだなんて……」
「いや、会はI大のサークルから大きくなったらしいから坊っちゃん嬢ちゃんばっかじゃないかな。知らないけど」
「大きくなった組織ほど信用のならないものもないね。だいたい名前の時点でうさんくさいって思ったもんだ。なんて言ったっけ?」
確かに宮藤の言う不満も一理なくはない。ぼくもはじめてその名前を聞かされたときは、宮藤と同じような印象を持っていたのだ。
「健やかな眠りの会ね」
ぼくはI市駅の前にある塾に勤めている。塾勤務というのものはテストの採点やプリント作り、授業計画提出などの細々した仕事に加え、生徒のメンタルケアや事務作業、謎の会議までやらされるため、退勤するのは夜遅くとなる。ぼくは朝方人間なのか、どうにも日が昇ると身体のほうが勝手に目覚めてしまう。結果十分な睡眠時間を取れず、残る疲れをエナジードリンクでごまかす日々を送っていた。
――森さん、最近大丈夫っすか? 目にクマが。
赤牛に声をかけられたのはそんなときである。赤牛はバイト学生だ。地元の大学に通いながら、暇さえあればバイトを入れ、学費を稼ぐ殊勝な人物である。シフト頻度がブラックであるため、宮藤より収入が多いのではないかと推測している……というのは余談だ。
彼に提案されたのが『健やかな眠りの会』への入会だった。
ぼくも最初はよろしくない話を聞いてしまったと思い、赤牛との良好な関係の崩壊を危惧したが、詳細を知って考えを改めた。なんでも『眠りの会』は大学サークル発祥の組織で、睡眠に問題を抱える人々の救済を目的としており、至って健全である。言うなれば特定の病気の患者の会のようなもので、会員一丸となってともに治療を目指すコミュニティである。参加は自由意志だし、みんなやっているし、やめようと思えばいつでもやめられる。
――オレも眠りの会に救われたっす! 森さんは、以前のオレみたいに見えるっす。まともな睡眠をずっととっていないと何が正常な状態かわからなくなるんっすよね。体が重い、頭痛がする、ぼーっとしてしまう、もしそんな症状に悩まされているなら、話だけでも聞きにきてほしいっす。
そう語る赤牛くんの目はキラキラと輝いていた。毎朝鏡を見るたびに淀んでいくぼくとの差は、若さだけが理由ではないのかもしれないと思った。
ぼくも睡眠不足の日々に苦しんでいることは確かだった。半信半疑ながら、渡されたチラシを頼りに説明会に参加すると、同じように睡眠問題に苦しむ仲間がいた。会場は公民館の一室で、想像していたよりもまともな場所だった。ぼくたちはグループに別れ、小さな車座になり一人ずつ自分の睡眠事情について語った。
目が開かれる思いだった。
つらいのはぼくだけではなかった。ひとりで悩んでいた自分が恥ずかしい。ぼくは大いに感銘を受け、この仲間たちとともに良質な睡眠を手に入れることを誓った。会の最後に睡眠を記録するデバイスの販売会が行われた。なんでも一人一品の限定品で、この機会を逃せば二度と購入する権利は得られない――かもしれない。デバイスの裏には会員番号が刻印されており、会員証としての役割も果たすという。説明を聞いて、会場にいた人々は我先にと販売スペースへ殺到した。その中にはもちろんぼくも含まれていた。
スマートスリープマネジメントデバイス――この腕時計型のデバイスは一時間ほどの充電で一週間機能する。バンド部分は樹脂・アクリル・ナイロン・絹、エトセトラエトセトラに交換でき、お肌が弱い人でも大丈夫。本体部分上部にある『眠』という漢字を象ったピンは眠りの会のロゴで、いい感じに本体と一体化していて取れないが、別売りのアクセサリーをバンドの穴に装着でき、オンリーワンの個性を演出できる。おしゃれな人でも安心だ。その日何時間眠ったか、また、どのタイミングで眠りが浅くなったり深くなったりしているのかを横長の長方形グラフで表す基本機能に加え、歩数を計測し消費カロリーを算出してくれたり、スマホと連携することにより通知に合わせて振動させたりもできるすぐれものだ。
「いくらだっけ」
また赤信号で停止する。ついてない。
「九万八千円」
「そう……」
入会してから一月が経つと、睡眠合宿への誘いのメールが届いた。睡眠合宿はもちろん会の活動の一環であり、睡眠の向上を目的としている。マイナスイオンあふれる整った環境で同志との親交も深められる。二泊三日の合宿で、温泉もあるという。
パンフレットが届いたタイミングで、宮藤がたまたまぼくの部屋に遊びにきていた。DJで夜を明かすことも多い宮藤も睡眠の質は悪いだろうと思い、入会を薦めたが、いい反応は得られなかった。それどころか「そうかそうか、きみはそういうやつなんだな」とでも言いたげな生暖かい目を向けられ、憤りを感じたものだった。断られたものは仕方がないため、一人で合宿へ参加するつもりだったのだが、出発当日の朝になり――つまり三十分ほど前だ――部屋の扉を開けると宮藤がいた。
友だちについていくと言われれば断るぼくではない。ぼくたちは二人で合宿へと出発したのだった。
そのときは宮藤も会のことを理解してくれたのかと思っていたが……。
「まあ言葉では駄目みたいだからな。本当にやばいと思ったら連れて帰る」
「ぼくのほうこそ、宮藤にもちゃんと眠ってもらえるようにがんばるよ」
国道を二時間ほど走り、曲がりくねった道を行き、山に入り、つづら折りに吐き気を催し、いまにも崩れそうな橋を渡って川を越え、宮藤との会話も尽き、連綿と続く人生やその先にある不安や絶望について思いを馳せはじめたころ、その屋敷は姿を現した。
石塀に隙間を開けている門を抜けると現れた駐車場に車を止めて、奥へ向かう。
どこかしらから川のせせらぎが聞こえてくるし、野鳥のさえずりが耳に心地いい。木々の切れ間からこぼれる空は高く抜けるような青空だ。
木々の中に潜んだ、赤いレンガで全身を覆われた洋館は近づいてみると思ったよりも大きく、童話めいた現実感のなさに襲われる。ぽこぽこ生える煙突やテラスの凹凸感が異国の風情をただよわせている。
建物の前で、三十代前半ほどに見える紳士が薪割りに励んでいた。
「ようこそいらっしゃいました! えっと、何かの間違いではないのでしたら、森さんでしょうか。みなさん、すでにお着きになられています。あなたで最後だと聞いていたのですが、そちらの方は……」
ぼくは事情を説明した。宮藤も自分で付け加える。
「森くんに話を聞いて、僕、感動して……。ぜひとも参加したいと思って。ダメだったでしょうか」
車での発言を知っているぼくにとっては白々しい態度だ。参加者相手にはこの方針で行くのだろう。元から宮藤の外面はいい。
「うーん、でもなあ」
「ちょっとこちらへ……」
宮藤は彼を手招きすると、遠くへ行った。二人はぼくには聞こえない声で何やら話し合っている。かと思うと、ふたりは笑顔を浮かべて戻ってきた。
「いやーすいませんね」
「いえいえとんでもない! ひとりやふたりの飛び入りくらい差はありません。仲間は歓迎ですよ!」
二人は「あっはっは」と笑いあった。意気投合したようだ。
いったい何を話したのだろう……。
「申し遅れました。この館の主人であり、眠り合宿を主催している明東と言います。とりあえずお部屋に案内しましょう」
部屋は六畳ほどの洋風の空間だった。簡素な机とベッドがあり、ビジネスホテルといった体だ。試しにベッドに寝転んでみるとものすごい吸引力と、母親に抱擁される赤子のような安心感に包まれた。凄まじい威力だ。なるほど、睡眠の追求を謳うだけのことはある。
眠ってしまいそうなので、なんとか起きあがる。いや、眠ってもいいのかもしれないが。
「おい、見たか、合宿のしおり」
部屋に宮藤が入ってくる。飛び入りだったが部屋は余っており、宮藤にも無事、個室が与えられた。
明東に渡されたしおりには合宿の予定と注意事項が書いてあった。
睡眠合宿一日目のプログラムは夕食のバーベキューを除けば自由参加だった。日中は睡眠の質を高めるため、日光浴や運動が推奨されているが、強制ではない。参加者の行動が制限されるのは夜だけだった。
夜は眠る時間である。現代人の睡眠を妨げるいちばんの敵は何かと言ったら、もちろんスマホやタブレットなどの電子機器だ。ベッドでゴロゴロしながら当たるブルーライトは入眠を阻害する。
なので、九時にダイニングで電子機器を回収し、十時には全館消灯するという。個室の電気は点くので、暇なら本を読んで過ごせばいいらしい。
「なんかけっこう楽しいな。修学旅行を思い出すぜ。先に娯楽室に行っておくか? ビリヤードがあるらしい。図書室も気になるな。いや、やっぱ温泉か。酒が出ないのが残念だよなあ」
宮藤はノリノリだった。
少し拍子抜けする。合宿の間、ずっと宮藤に帰るよう説得を続けられたらどうしようかと思っていたのだ。案外宮藤も会を認めているのかもしれない。
今回の他の参加者は明堂を除くと五人だけらしい。思ったより少なめだが、館は明東一人で管理しているようだし、そんなものなのだろう。
廊下に出て、さてどこへ行ったものかと考えていると、明東の部屋のほうから声が聞こえてきた。
「まったく何を考えてるんだ! どうしようもないな! こんなことははじめてですよ。反省してください」
威圧的な声色は明東のものだった。屋敷の前で見た紳士の姿からは想像できないような乱暴な態度で、相手を非難していた。客人に向けるとは思えない。電話でもしているのだろうか。
「こっちはやめとこうぜ。風呂に行こう」
風呂の戸を開くと、脱衣場で巨大な筋肉質の裸体が目に入った。見覚えのある顔だ。
「えっ、赤牛くん?」
「あれっ。森さん? 参加してたんっすか。言ってくださいよ〜」
「ぼくも誰が参加しているかとか知らないし……」
でも考えてみれば初心者向けの合宿らしいし、入会からそれほど日が経っていない赤牛が来ていてもおかしくないか。
「うおおお! 露天風呂だ!」
宮藤は露天風呂に目がないので、露天風呂を見つけるやいなやそちらへ飛びこんでいった。さっきから宮藤はぼくより楽しんでいる気がする。ならば……ぼくも宮藤以上に楽しむしかない。
露天風呂で水鉄砲を宮藤にかけたり、どっちが長く潜れるか勝負などをして遊んだ。休憩中、赤牛の左手のデバイスに気づいた。
「風呂でもつけてるんだ」
「当たり前っすよ。シェリーは唯一の家族っすからね」
「シェ、何……?」
聞き間違いでなければいま赤牛はスマートスリープマネジメントデバイスの事を家族だと言った気がしたが。
「こいつ、寂しがり屋なんっす。オレがついてないとダメっす」
デバイスを見せつけてくる。聞き間違いではなかったようだ。
「唯一の、ということは親戚の方はお亡くなりに? あ、言いたくないならいいですが」
宮藤は神妙な顔つきで赤牛に訊ねた。
「そうっすね。唯一の家族っす。あ、妹と一緒にお風呂に入るのはまずいんじゃないかってオレのほうがどぎまぎしてるっす」
さらに妹と言った気がしたが。
そういえば赤牛は子供の頃に両親をなくしたという話をしていたような記憶がある。
それで苦労して働いていたのか。彼に寄り添い、体調を気遣って、睡眠を管理してくれるデバイスは、たしかに母親か、おせっかいな妹みたいなものだろう。そう考えると美談のようにも思える。睡眠デバイス、なんてすばらしいんだ。
「赤牛くん、ぼくは感動したよ。困ったことがあったらなんでも言ってくれ」
「森くん?」
風呂を出たぼくらは探検に出かけた。
図書室にはあまり知らない本が並んでいた。睡眠の本や医学書が多い。目につくのは、幸福や光、希望、未来、そのような単語だ。小説コーナーも「眠り」や「ヒプノ」などといった言葉がタイトルに含まれている本ばかりである。
図書室には二人の若い女性がいた。
門絵は濃いめギャル風のメイクだ。肌は謎の煌めきを帯び、マーブル模様の爪にはビーズが散りばめられていて芸術的だが、服装はジャージ姿にタオルを首にかけた素朴なスタイルだ。
「おじさんたちも参加してんの? なんかスーツだし。うける」
おじさんではない。
「菜々ちゃん、ダメだよ……。あ、私、家笛と言います。よ、よろしくお願いします」
家笛は大人しめのワンピースで、清楚な雰囲気だ。
二人ともI大学の学生で、友だち同士らしい。
女子大生との話題がないおじさん二人は図書室を後にした。
娯楽室の男女は、ぼくらと同じ二十代半ばくらいに見えた。
娯楽室は広く、ダーツや卓球、ビリヤードができる。棚にはボードゲームもある。いくらでも暇を潰せそうだ。
話を聞くと、ベンチに座り、膝のノートパソコンを高速でカタカタしている眼鏡の青年が両域で、一人でビリヤードをしているジャージ姿の女性は右近という名前らしい。
両域のパソコンには英字や何かのロゴのようなステッカーが隙間を埋め尽くすように貼られていた。よく知らないが、おそらくスーパーハッカーというやつに違いない。
「ボクは少しやらなきゃいけないことがあるんだ。遊ぶのは待ってね」
じゃあなぜ娯楽室にいる。
「両域くんはほっとくとして三人でなにかやるかい? 一人ビリヤードもいいけど、せっかくだしね」
右近の誘いにありがたく乗ったぼくたちだったが、二対一の卓球で惨敗した。もちろんぼくと宮藤がペアだ。
卓球というゲームはどちらが打つのか読みあいをしなければならない二人のほうが不利なので仕方がない。
ぼくは頭の中で名前を数えた。赤牛、門絵、家笛、両域、右近。たしかに五人だ。これで全員と顔を合わせたことになる。
気づくと汗だくになっていた。もう一度風呂に行く必要がありそうだ。
タオルを取りにいったん部屋に戻ると、手荷物が消えていた。そういえばちゃんと鍵をかけたはずなのに、扉はすんなりと開いた。まさか会の誰かがやったのか? 会を信じたかったが、盗まれたものは仕方がない。明東に相談しようと思ったが、ふとベッドを見ると明東が眠っていた。
心臓が止まるかと思った。悲鳴を抑え、そっと扉を閉じ、廊下であたりを見回した。
部屋を間違えていたらしい。
バーベキュー会場は、館の外にあるガレージのようなスペースだった。炭火の周りにつやつやと輝く肉と野菜が並んでいる。
「ちょっと風が強いですね。ひと雨来るといけないので、早めに食べてしまいましょうか」
「あっ、おじさんじゃん〜ちっす〜」
門絵は相変わらずジャージタオルのリラックススタイルだ。
「家笛が来てないようだけど」
バーベキュー場には家笛以外の全員がいた。
「お風呂かな? あの子長風呂だからね。煙浴びたらまたお風呂行きたくなると思うのに。うける」
たしかに煙臭くなるか……。ぼくもすでに二回風呂に行った身なので家笛に同情的な気持ちになる。まあ、ぼくは風呂はさすがにもういい。となると全力で煙を避けるしかない。
アルコールは睡眠の質を下げるという理由でサーブされず、代わりに好きな清涼飲料水が配られた。ぼくはウーロン茶を、宮藤はアップルジュースのグラスをもらった。
「えーみなさん。本日は改めてお集まりいただきありがとうございます。もう楽しんでいただいていると思うので、堅苦しい挨拶はなしにしましょう。肉が待っている。乾杯!」
両域が肉奉行で、適当に肉を取ろうとする宮藤とやや険悪な雰囲気になったこと以外は楽しい時間だった。
食事が落ち着いたころ、明東が言った。
「聞いてください。そういえば、ちょっとした余興を思いついたんですよ。みなさん、スマートスリープマネジメントデバイスには睡眠の質を測り、得点を出す機能があるのはご存知でしょうか」
「もちろん知ってるよ。毎日起きたあと、あのスコアを見ることだけを楽しみにして生きているんだ」
右近の毎日は味気なさそうだった。
「よろしい。それでは、今日このわれわれで、得点を競い合いませんか? もちろん商品を出します。そうですね。十万円でどうでしょう」
「十万円っていうと、あの十万円っすか? 十万円あれば入会できるじゃないっすか?」
赤牛は全財産を会に注ぎこむつもりなのだろうか。すばらしい心がけだ。
「残念ながら入会は一人一回きりしか認められてません。バンドも一人一本です。これは会の規則で決まっていることなのです。参加しない方はいらっしゃいますか?」
「ちょっと待ってくれよ明東さん、それって、あなたも参加するのか?」
「まあそうですね。余興なんです。それくらい許してください」
にこにこと楽しげな明東とは対照的に、その場にいたみんなはがっくりと肩を落とした。
門絵が耳打ちで教えてくれる。
「明東のおじさんはここのみんなとは違って、毎日規則正しい生活をしているらしいよ~。十時に眠って、八時に起きる。もう三年くらい続けてて、睡眠スコアも安定してハイスコアだとか。影でついた二つ名は『十時間睡眠の明東』」
ピンとこない二つ名だ。
「じゃあ、僕たちはチャレンジャーってことか」
宮藤がおもしろそうに言った。バンドをしていない宮藤は最初から参加権がないのだが。
「睡眠薬もお配りするので、使っていただいてもかまいませんよ」
「まあ、いいだろう。あのベッドなら明東さんを超えるのも可能かもしれない。ボクもやれるだけのことはやってみるかな。最近スコアが上がってきたんだ」
要するに優勝者は明東になることが前提で、ぼくたちは睡眠スコアを上げるための努力をしろという意図なのだろう。万が一超えたら、おめでとう、である。なんてすばらしい計らいなんだ。
「さて、不正のないよう、所持品を回収しておきました」
こともなげに明東は言った。
「じ、事後報告っすか?」
「大丈夫、まとめて金庫に押しこんだだけです。中を漁るようなことはしていません。スマホなど、いまの手荷物はあとから回収するので、ちゃんと預けにきてくださいね」
「えっ、聞いてないんだけど〜」
門絵がぶーたれた。説明書を読まずにゲームをするタイプの人間なのかもしれない。
「ご、ごめんなさい。遅れました!」
各自がワイワイと談笑に励み、落ち着いた頃、遅れて現れたのはほかほかと頭から湯気を立ち昇らせる家笛だ。ジャージ姿になっている。
「ボクはそろそろお風呂に行こうかな」
両域が席を立つ。
「私も戻ろう。図書室に行ってみようかな」
「オレも風呂に行くっす」
「私もルーティーンのヨガをしなければならないので戻りますね。片付けはあとからしますので、ほったらかしにしといてください」
残ったのは、ぼく、宮藤、家笛、門絵の四人だけとなった。
シュッシュッと煙を避けながら肉を焼く家笛に親近感を覚えながら、あははうふふと楽しくおしゃべりして過ごした。
雨がぱらつきはじめたのは九時の少し前だった。
「そ、そういえばスマホを回収するんでしたよね。行かないと」
ダイニングにはすでに全員いた。
明東が持つ回収ボックスにスマホを入れると、彼はお辞儀をした。
「ご協力ありがとうございました。睡眠薬は部屋の引き出しにあるのでご自由にお使いください。さあ、あとは眠るだけ。祈りの言葉をご唱和ください。オールフォースリープ、すべては眠りのために」
「「「オールフォースリープ、すべては眠りのために」」」
七人の声が重なった。
「おやすみなさい。よき眠りを」
解散の運びとなった。消灯時間も近く、家笛なんかは大人しく部屋に戻っていった。右近や門絵は娯楽室へ向かった。スマホも奪われたのにまだ活動を続ける人間のバイタリティに驚く。ぼくは卓球と風呂の疲れでヘトヘトだ。部屋に戻ろう。
「さっきの何?」
あとから宮藤は訊いた。
祈りの言葉も知らないとは、これだから常識のない人間は困る。
2
爽やかな朝だった。小鳥の鳴き声は気分を上向かせる。暑くもなく、寒くもない。空調が終夜しっかり機能しているのだろう。起き上がると、異変に気づいた。頭がすっきりしていて、何やらやたらと身体が軽い。時計は七時半を示していた。しっかり眠ることがどういう効果をもたらすのか、久しく忘れていた。はやくもぼくはこの合宿に感謝しはじめていた。首を回し、いつもはしない体操をしてみる。人間は脳から出る化学物質に支配されているという話が実感を持つ。深い眠りによりぼくはアクティブになってもいるようだ。ストレッチを終え、朝食にはまだ時間があるが、珈琲でもいただきにダイニングに行こうと思ったときだった。
ノックの音がした。
「おはようございます」
「あ、おはようございます……」
明東の声だった。向こうからやってきたのにどうにも端切れが悪く、どことなく硬さがある。
「どうされたのですか?」
「その、実は……。人が死んでいるのです」
死んでいると言われても実感がわかない。やめたほうがいいですよと止められたが、なにがなんだかよくわからないまま、扉を開けてしまう。
部屋には門絵の死体がぶら下がっていた。
彼女はジャージ姿で事切れていた。天井にくくられたロープは首まで伸び、足が宙に浮いている。
不思議な光景だった。昨日まで元気にぼくをおじさん扱いしていたうら若い彼女なのに、ぼくより先に躯になってしまった。
うけるね。
力なく、自嘲気味に笑う彼女の声が聞こえた気がした。
でもそんなはずはない。彼女は死んでいるのだ。
「うっ――」
「森さん!」
トイレで昨日食べた肉だったものを吐いた。何が起こっている? 眠りの会はすばらしい会だ。なぜ死体が……。いや、あれはどう見ても自殺だ。
門絵はなぜ……。
嫌な日に不幸は重なるもので、トイレを流そうとしても水が引かない。引くどころか増えてくる。あふれることはなかったが、なかなか流れない。しかたがないので個室の上のスペースから、内すっぽんを斜めに立て掛けて密室を作った。扉は内開きだ。いやそんなことをしている場合ではない。
ダイニングに戻ると宮藤以外の全員が集合していた。
茫然自失状態になっている家笛の代わりに、明東が説明した。
家笛と門絵は昨日の時点で早起きして朝風呂に行こうと約束をしていたらしい。家笛は七時に目を覚まし、門絵の部屋に行ったが返事がない。眠っているのだろうと思ったが、なんとなく屋敷の外に出て、外側の窓から部屋を覗いてみた。そしてぶら下がっている門絵を見つけたということだった。扉は明東がマスターキーで開き、門絵の死亡を確認した。
「……昨日雨が振ったんですね。もう上がっていますが」
家笛は心ここにない様子だ。よほどショックだったのだろう。
「警察はすぐには来れないそうです。なんでも、昨晩の雨で土砂崩れが起きて道がふさがっているとか。復旧の目処はたっていないようです」
明東の言葉に一同はざわつく。
「そんな……」
「でも自殺か。悲しいことだが、このまま放置しておくしかないだろう。ボクたちは眠りを追求するだけだ」
両域が言った。
「いやあどうでしょう」
全員で声のしたダイニングの入り口の方を向く。
声の主は宮藤だった。大変な状況だというのに、どこへ行っていたのだろうと思っていると、宮藤は手のひらで折りたたんだティッシュを開きながら言った。
「この中身を見てください」
「それは……爪?」
装飾と彩色により芸術性を付与されたその爪には見覚えがあった。門絵のネイルアートだ。
「娯楽室で見つけました。どうも折れてるんですよね、これ。右手の中指ですね。門絵さんのものだと思って確かめたところ、ぴったりでした」
宮藤は門絵の死体まで確かめに行っていたということか?
うげえ。またこみあげる胃液をなんとか押し留めた。
「それがなんだって言うんだ?」
誰かが言った。
「うーん、ずさんな偽装工作です。犯人はあまり殺人に詳しくなさそうですね。まあ、殺人に親しんでる人間なんていてほしくないですが」
宮藤は笑った。
「さっきから何だ! 犯人だの、殺人だの……。まるで門絵は自殺じゃなく、誰かに殺されたみたいな言い方じゃないか!」
両域が叫んだ。
「おや、そう言っているつもりでしたが。そうですね。ついてきてください」
案内されたのは門絵の部屋だ。家笛は虚ろな目で死体をじっと見つめている。友だちの死体に彼女は何を考えているのだろう?
それより、自殺じゃないとはいったい……。
宮藤はなんの躊躇もなくベッドに上がると、ぶら下がった門絵の顎を押しあげ、みんなに首がよく見えるようにした。
「門絵さんの首に傷があります。これがどうにもおかしい。紐の上から首を引っ掻いたにしては傷が合わないのです。それより一回り太いものを外そうとしてできた傷のように」
たしかに、首筋の五本の傷は、ロープのやや上で途切れていた。
「加えてさっき見てもらった爪が娯楽室に落ちていました。首筋の傷は五本あります。なので、門絵さんが自分の首を引っ掻いたときには、爪は五本あったのですよ。そのあと、なんらかの衝撃で中指の爪が折れたと考えられるわけです。いえ、わかります。自殺をして首を引っ掻く人もいるでしょう。しかし、爪が娯楽室に落ちていたのはどういうことなのでしょうか。
部屋でただ自殺をしただけでは、爪は娯楽室には落ちません。僕には……門絵さんは娯楽室で首を締められたように思えるのですが、いかがでしょうか。娯楽室にいた門絵さんは、誰かにロープではない別のもので首を締められ、抵抗したが殺されてしまった。僕にはそう思えてならないのです。それと、ロープより一回り太いものと言えばそうですね。そういえば、僕の記憶では門絵さんはずっとタオルを首にかけていたと思うんですが、あれはどこにいったのでしょう」
「そんな……」
全員、各々のタイミングで宮藤の言葉を呑みこんだようだった。反論するものはいなかった。
門絵は自殺ではない……。そうなるともちろん、考えるのは誰が門絵を殺したかということだ。
「ふうん。じゃあ他殺ってことかい。弱っちゃうね。でも話は早そうだよ」口を挟んだのは右近だ。「だって私たちは睡眠時間を記録していたんだからね」
「そうか! ボクたちは八人全員バンドを巻いている! はやく調べよう!」
「そ、そうですよね。わたしたち八人はバンドをしていたのだから……」
両域と家笛も賛同する。二人は八人と言っているが、宮藤も換算されているのだろうか。宮藤の潜入は成功していたようだ。
右近は門絵の腕を改めた。彼女の左手にはデバイスが巻かれている。
「でも門絵くんのスマホをアンロックしなきゃいけないか。アプリを見なきゃ死亡時刻もわからない」
「預かったみなさんの機器を持ってきましょう」
ダイニングに再び集まる。明東が戻ってきて、各自で自分の機器を受け取った。驚いたのはデコレーションやシールまみれのタブレットを両域が受けとったことだ。
「ボクのタブレットが何か?」
「いやなんでもない」
両域はデコ好きなのにデバイスに装飾はしていない。スマートスリープマネジメントデバイスはおしゃれな拡張性も売りのひとつなのに、両域のものはシンプルだ。それがいささか不自然に思えたが、人目に触れるものだからというのはあるかと思った。
右近がしばらく門絵のスマホと格闘したが、ロックを解除するのは難しそうだった。
「クソッ。誕生日をパスワードにしてるタイプの女だと思ったのに!」
「あの、貸してください。あれかも」家笛がスマホを受け取り、すぐに言う。「解けました」
「最初からやってくれよ!」
「いえ、たったいま思い当たって試してみたものがあたっただけで、わたしもこんなにすんなりいくとは」
「パスワードはなんだったんっすか?」
「それは……」
「まあいいだろう。おっ。ちょうど心拍数の計測が途絶えてる時間があるな。門絵くんが死んだのは十二時だ!」
「じゅ、十二時って……たぶんわたし寝てましたよ」
「あっボクも。ベッドが気持ちよくてびっくりするくらいよく眠っちゃった」
「私もだよ。そうだ、デバイスの記録を見てくれ! 十二時にはぐっすりと記録されているはずだ!」
久々に宮藤が口を開いた。
「おやおや。はやくも、ずさんな殺人のツケが回ってきたようです。みなさん落ち着いてください。誰に睡眠記録……アリバイがあるのですか?」
「私はありますよ」
「オレもあるっす!」
「ボクも」
「私もだ」
「わ、わたしも!」
「ぼくもあるな」
宮藤は笑った。睡眠記録があると主張しているのは全員だったからだろう。
「ちょっとまってください。ここで嘘をつくとはなかなか腹が据わっているじゃないですか。一人ずつ確認していきましょう」
最後の一人の確認が終わると、宮藤のにやにや笑いは消えていた。
睡眠記録はたしかに全員に存在したのだ。
「おっと私は六十点でした。示しがつきませんね……恥ずかしい」
明東は十時半から八時半。横長の長方形で表される、眠っていた時間を表すグラフはバーコード状になっており、不安定な睡眠を示していたものの、十二時前後にはしっかりと濃い色がついている。深く眠っていた証拠だ。
両域は十一時半から六時。
「おっ、七十五点だ」
右近は十一時から九時。
「私は八十五点だったよ。怖いくらい熟睡できたな」
赤牛は十一時から七時。
「みんなすごいっすね。オレは七十点だったっす」
家笛は十一時五十分から四時、六時から七時。
「わたしは、六十五点、でした……」
ぼくは十時から七時半。
「六十か……思ったより低いな」
六人とも、殺人時間と目された十二時は深い眠りが記録されていたのだった。
これには宮藤もしばらくぽかんと口を開けて放心していたが、やがてぶつぶつと独り言を始めた。
「そんなバカな……。いやそうか、門絵のほうに細工が……。いやダメだ、犯人のバンドと入れ替える方法でも時刻を遅らせることしかできない。それに移動がある。十二時に犯人は起きていないとダメなんだ」
「ちょっと待て。じゃあ犯人はわかりやすいんじゃあないか?」
右近が言った。
「た、たしかに……みんな寝ていたんですもんね」
家笛も賛同するようなそぶりだ。
ぼくは戸惑った。
「えっ? じゃあ誰が……」
ぼくの言葉に、ぼく以外の人間は息を合わせたように、一人の人物に指を向けた。
「宮藤さん」
それはスリープマネジメントデバイスを装着していなかった唯一の人物だった。
「オイオイオイ……冗談はよしてくださいよ」
「じゃあスマホを見せてみろよ。さっきから見せないってことは、十二時の記録がないってことじゃないのか?」
両域が詰める。
「たしかに記録はない……だけど他のやつが」
「他って誰だよ」
「誰もいませんし」
「スマートスリープマネジメントデバイスは嘘をつかない……」
こころなしかみんな、さっきより宮藤から距離をとったように見えた。
「いやいや、おかしいですよ。僕が犯人だったらなんのために他殺だと……」
「おやおやあ。そうやって疑いをそらそうとしていたんじゃあないかい?」
「そうか! 捜査の主導権を握ってしまえば他の人に犯人を押しつけられるもんな。危ないところだった」
本格的に宮藤が犯人ということになりかけている。
さすがの宮藤も焦りを感じたのか、にやにや笑いも、さっきまでの余裕も消え失せていた。
「僕じゃない……そうだ! 夢遊病とかあるだろ。ほら、誰か変な夢を見たとかないか。何かと戦った悪夢だとか、知らないうちに首を締めた可能性もある!」
ぼくでさえ苦しい言い訳に聞こえたのだから、他の人はもっとひどく感じただろう。
「残念ながら」明東は言う。「夢遊病……睡眠時遊行症で歩いているとき、脳の状態は起床時に近いと言われています。全員のデバイスが犯行時は深い眠りだったと表示されている以上、その可能性もないでしょう」
「でっ、デバイスが壊れてたんじゃないか」
「デバイスは絶対です」
その仮説は、可能性のひとつではあるものの、この場においては分が悪いようだった。我々は睡眠の信奉者であり、その得点を算出してくれる特別なデバイスは偶像に近い。
「森くん! なんか言ってやれ!」
「く、宮藤……」
「も、森くん?」
宮藤がぼくのほうに踏み出した一歩。それに対応するように、ぼくの右足は後ろに下がっていた。
「こ、拘束しろッ! 殺人犯を拘束しろッ!」
誰かが叫んだ。ぼくは状況についていけず、戸惑っていた。
なぜ宮藤が疑われている? 宮藤は成り行きからぼくに同行しただけの部外者だ。無関係のはずだ。だが、デバイスは宮藤以外の人間には不可能だと示している。
なら宮藤は……。
「いい感じのロープを見つけたっす!」
「や、やめろ……」
屈強な赤牛の前では宮藤はまな板の鯉だった。抵抗虚しく、宮藤はぐるぐる巻きに拘束されてしまった。
「地下室に閉じこめられる場所があります。警察がくるまで大人しくしといてもらいましょう。いやはや、危うく宮藤さんのペースに乗せられてしまうところでした。よかったよかった」
「オラッさっさと歩くっすよ! この殺人鬼が」
ロープを引かれ、地下に連れていかれようとする宮藤は最後に振り返ってぼくを見た。
「森くん……」
弱々しく漏らした宮藤は助けを求める目をしていた。
「どうして……」
自分が放ってしまった言葉に愕然とした。どうして殺したのか。止めた言葉の続きは宮藤が殺人犯であることが前提の発言だった。
宮藤も察したのだろう、瞳から感情の色が失われ、前を向くと彼はうなだれてとぼとぼと連行されていった。ぼくは階段の向こうに消える背中を見送ることしかできなかった。
地下に行ったのは明東、赤牛、両域の男性陣だけで、右近と家笛はぼくとともにダイニングに残った。
「あの、菜々ちゃんはどうなるのでしょう」
家笛は怯えているようだった。無理もない。
「わからない。他殺の可能性がある以上、警察がくるまでそのままにしておいたほうがいいと思う」
「おやおや? 他殺の可能性、とは濁すじゃあないか。森さんは宮藤さんがやった以外の可能性をお考えかな?」
右近に問われるが、ぼくは即答することができない。
「それは……」
家笛にじっと見つめられると、彼女を安心させるために宮藤が犯人だと言い切ってしまいたくなる。だけど次の言葉はいつまで経っても出てこなかった。気まずい空間ができあがった。
男性陣の戻ってくる足音が聞こえてきて、会話は終わった。
ぼくは彼らと入れ違いで廊下に出た。なんとなくダイニングにいたくなかった。
ぼーっとしていると、声をかけられた。
「どこへ行くんだ? まさか宮藤を脱獄させようなんて考えていないよな」
両域だった。そう言いながらダイニングの外に出るぼくを止めなかったということは、地下牢はかんたんに脱獄させられるような作りではないのだろう。
「家笛さんがお茶を淹れるそうだぞ。なにかしてないと落ち着かないらしくて。まったく大変なことになったな。こんなことになるなら参加するんじゃなかった」
両域はそれだけぼやくと戻っていった。
それでもぼくは立ち尽くしていた。
十五分ほどしてから、地下へ足を運んだ。ぐるぐると考えたが、拉致があかないと結論を出した。それよりもこのまま宮藤を放置して、あの眠りの会の輪で宮藤を犯人扱いし続けると、取り返しのつかないことになる気がした。たとえ、宮藤がほんとうに殺人犯であっても。
地下室といっても雰囲気は一階と変わらなかった。違うのは北側に牢屋のようなスペースがあることだった。たしかに鉄格子で区切られた空間は檻として機能はするが、積まれたダンボールを見るに倉庫として使っているのだろう。人を監禁するために作られた座敷牢みたいな怪しい空間ではなくて、ほっとした。
宮藤は隅で膝を抱えてうずくまっていた。
「……大丈夫か」
「森くん……信じてたよ」
「いや……」
宮藤は泣きそうになった。
「……いや、うん。でもうれしいよ。来てくれただけでも。でもさ、いっかい冷静になって考えてみてくれ。なんでぼくが殺人なんかしなきゃいけないんだ。あいつらはどう思ってるんだよ」
「右近さんが『宮藤さんは我々の活動を不審に思っているようなふしがあった。森さんを連れ戻す口実のためにやったとしてもおかしくない』って言ってて、みんな納得してたよ……」
宮藤は目を丸くした。普段なら勢いよくツッコミが飛んでくる場面だったが、宮藤の返事に力はなかった。
「マジか」
「うん」
「きみはどうなの?」
「ぼくは……」
沈黙が降りた。
「そりゃぼくだって信じたいよ。でもきみ以外にどうやったらできるかわからないんだよ」
「僕もさっきから考えてはいる……」宮藤はウンウンと唸っていたが、やがて黙ってしまった。待っても芳しい声を聞くことはできず、時間が過ぎた。ついに投げ捨てるように叫ぶ。
「わからん!」
「たぶん、納得できる真相がほしいんだ」
「それでも……」
宮藤の言葉は途中で消えた。代わりに目を閉じて首を振ると、大きく息を吸い、吐いた。
「宮藤……」
「いや、そうだな。客観的に見たら僕しかできないっていうのもそうだ。覆さなきゃいけないのは僕のほう。……そうだな」決意めいた言葉とは裏腹に宮藤は横になった。諦めたわけではないだろうが。「少し寝る。何が最高品質のベッドだ。僕は枕が変わると眠れなくなるんだ」
鉄格子の向こう側、静かになった宮藤の背中を見て、なんとも言えない気持ちが湧いた。
放っておくのも寂しいような気がして、格子にもたれて座る。
ぼくも眼を閉じる。
何かできることはないかと考えたが特に思いつかない。
思考を巡らせるよりは動くほうが性に合う。なんとなく娯楽室に行き、ホームズよろしく床を舐めるように見たりしてみた。一通り調べたもんな……と思い、誰にも見てなさそうなビリヤード台の裏を調べたりもしたが何もなかった。何か違和感がある気がしたのだが。
「何してるんですかあ?」
家笛だった。
「ちょっと調べ物を……」
変態でも発見したかのような不審の目で見られる。ビリヤード台に向かってブリッジをしているだけなのに。
「いえ、ちょっとお話したくて」
「話?」
家笛は大きく息を吸いこんでから言った。
「……あ、あのあの、宮藤さん、殺人犯なんでしょうけど、許せないですけど、それでも、ちゃんとお話をきいてあげて、仲良くしてあげてほしいと思うんです。菜々ちゃんが死んじゃって、わたし、大切なことに気づきました。ほんとうに大事な人はずっとそばにいたんだって。目の前にあったんだって。死んじゃってはじめて気づきました。もう何もできないから。森さんと宮藤さんも、離れ離れになったら、言いたかったことも何も言えなくなっちゃうんじゃないかって。だから……」
「家笛さん……」
家笛はそこで我に返ったように顔を真っ赤にして、うつむいた。
「あ……。ごめんなさい。なんだか、おかしいですよね、急にこんなこと。どうでもいいですよね。なんで言ったんだろ」
「待って。目の前にあるだって?」
ビリヤード台の側面の『眠』の字を立体にしたようなロゴ。眠りの会のものであることを示しているのかと思っていたが……。ふと、それに手を伸ばすと、すんなりとれた。
ピンバッジのようなその形……。
「これ、どこかで」
ビリヤード台に近づけるとくっつく。マグネットになっているようだ。
「ごめん、家笛さん、ありがとう。宮藤と話してくる」
3
「これはどう見てもデバイスについてたロゴピンじゃないか。そうか。そうか……。森くん、大発見だぜ……これでだいたいわかった」
「今わかったって言ったのか?」
「わかったぜ……」
宮藤は繰り返した。デバイスは十二時を示している。目眩のように時間はあっという間に過ぎていた。
「本当に?」
「本当だ」
「それって、どうやったのか、が? それとも犯人?」
「両方だ、たぶんな」
「信じられない」
「かんたんな話だったんだ。疑問点が解ければあとは昼のことを思い出せば芋づる式にすべてが明らかだ」
「本当にわかってそう」
「よく見ろ。この『眠』の字の間にビーズが挟まっているだろ」
「ほんとだ。で?」
眠る前とは違って余裕が生まれた宮藤の姿に、なんだかぼくは嬉しくなってしまう。
「『で?』って、おい。いや、まあいいや。あとは、……そうだな。少しやってほしいことがある。手伝ってくれるよな」
大切なもの。何故か家笛の言葉が蘇る。
たしかに眠りの会を否定し、僕を合宿に行かせまいとする宮藤は何を考えているのかよくわからなかった。普段もそうだ。突然やってきてはあることをないことを言い、アホなことでぼくを笑い、去っていく。定職にもつかないで気ままに生き、社会的な信用度も高くはない。
だけど、ぼくはどう思う?
彼の行動は、合宿への同行は、ぼくのためを思ってのものではなかったか?
何を言っているのかはよくわからなかったが、ぼくが危ない話に巻きこまれるのを危惧していたのではなかったか?
そんな彼がぼくに助けを求めた。一度は払ってしまったその手。
まだ権利は残っているだろうか。今度はぼくのほうから伸ばしてみたら、彼は握り返してくれるだろうか。
「……よしきた」
鉄格子を挟んでぼくたちは手を取りあった。
宮藤の要求はよくわからないものばかりだった。
最初のことはわかる。
ロゴピンに挟まっていたビーズ。気持ち悪さをおさえながら放置されている門絵の爪を見る。
同種のものだ。
一人ずつ、個室としてあてがわれている部屋の扉を確認していく。みんな閉まっているだろうと思い、実際その通りだったが、明東の部屋の扉だけは開いた。
次は聞きこみ。
明東の話によると、あの『眠』のロゴピンはデバイスのもので間違いないらしい。他にロゴが使われた製品もなく、デバイス専用の特別性。
それと、睡眠トーナメントの話を家笛に聞いた。彼女は首を傾げていた。彼女は睡眠大会のことを知らなかったようだ。
全員にビーズのことも訊いてみたが、所持品でビーズがあるようなものに心当たりがあるものはいなかった。
これだけでよかったのだろうかと疑問を覚えつつも報告を終えると、宮藤は言った。
「みんなを呼び出してくれ」
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