京料理とをんな
薔子を探していたときは、焦っていたため、周囲の風景を楽しむ余裕はなかったが、こうして気持ちに余裕が出来、他に急かすものもなくゆっくりと降りてみると、大山は本当にうつくしかった。
吾涼はそれを見て微笑む。
彼の頭の中で、野生の椿たちと、辻本家で吾涼が日々手入れしている椿が重なる。
(はよう屋敷に帰って、あいつらの手入れせなな)
冬のつめたい空気が、何故だか今は心地よかった。それは、彼の中に溜まった熱を、鎮めてくれているからだろうか。背負った薔子は、寝た時に何度も抱き上げたことがあるから、軽いことはわかっていたが、それでも確かに、彼女の命の重みが、背中に感じられる。それは彼の心を、甘く、むずがゆくさせるには、十分な刺激であった。歩くたびに、両手で押さえた位置にある薔子の帯のちぢれた素材が、かすかに彼のてのひらを揺らす。
ようやく山を降りたのは、昼を少し過ぎた頃であった。
蒼い水が広がる上にほどこされた橋を渡り、近くの村々を過ぎた辺りで、薔子がもう降ろしてくれ。自分で歩けると言い出した。なので吾涼はゆっくりと屈むと、薔子を背から下ろした。
京都駅にたどり着く途中で、ふたりの腹が鳴った。
薔子は片手を己の腹に置き、恥ずかしそうに瞳を伏せる。
吾涼はそれを真顔で見ていた。
「腹すいたんやろ」
「へ、へえ。まあ……」
「……なんか食いにいこか」
「す、すんまへん」
申し訳なさそうに萎縮する薔子から視線を逸らし、吾涼は斜め上を見る。そして周囲を見渡す。そういえば京都駅でゆっくり食事をしたり、買い物をしたりしたことは久しくなかったように思う。休暇申請を屋敷にはしてあったので、まだ時間には余裕があった。
「お前、なんか食いたいもんあるか」
「え?」
「……そういや、お前も京都駅でちゃんとめし食ったことないんやないか」
薔子はそう言われて顎に手を当てる。
「……そういやそうやな……」
そのさまが、なんだか可愛らしく思えてしまい、吾涼はゆるく口角を上げた。
基本的にだが、辻本家では和食しか出ない。
華族の人間は、時々外食もしていたようだが、
その時には洋食も食べていたのだろうか。オムライスやカツレツ、ビフテキなど、幼い頃は手の届かない、はなやかな洋食の世界にあこがれを抱いたものだった。だが、大人になって給金で京都の洋食屋でオムライスを食べた時、確かにその濃厚な美味さに舌鼓を打ったが、後日、肉豆腐を食べ、やはり自分には和食の方が体に馴染むとしみじみ思った。舌を焼くようなほくほくとした豆腐の熱さと、
薔子はやはり華やかな見た目と相まって、洋食が食べたいだろうか、と考え、彼女の答えを待った。
顔を上げて、こちらを若干上目遣いで見る薔子の眸はわずかに潤んでおり、吾涼は動きを止めた。
「ーー肉豆腐」
思いがけない応えに、吾涼は瞳を見開く。「肉豆腐が食べとおす」
「……ほんまにそれでええんか」
そう聞くと、薔子は恥ずかしそうにくちびるを引き結び、視線を逸らす。
「へえ」
吾涼はしばらく呆然としていたが、やがて頭を掻いてかるく鼻を鳴らす。
そして薔子の手を取ると、一度びくりと震える彼女を余所に、商店街のほうへ歩き出す。
背後から、薔子の湿った足袋がコンクリートの地をつっかえつっかえ歩いてゆく足音が聞こえる。
商店街を昼からゆっくりと歩くことは久しかった。
京都は伝統の味を守るという風習があるため、ふるくから土地に根付いている料理がいくつかある。
黒豆、たけのこの木の芽
はもの焼き物、しば漬け、どれも風味豊かで美味しい。
好き嫌いのない吾涼は、幼い頃の貧乏のせいもあり、基本的に出されたものはなんでも食べ、手先が器用なので、料理もうまかった。そのため、ほぼ外食はしたことがない。たまに百合子にせがまれて休日に彼女のお付きとして、彼女が行きたがった京都の
自然と吾涼の口角はほのかに上がっていた。百合子のことを思い出すと、あたたかな気持ちになる。それはもう戀とは違うという自覚が自分の中で生まれていたが、名前をつけるとするならば、家族愛だった。
(あんひとは、俺の姉のような存在やった)
亡き百合子に感謝を述べると共に、吾涼は薔子の手を引いて、小さな料理屋の中へ入った。
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