side of the fence

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『無駄なことばっかりして、ずっと足踏みしてる気がする』

 メッセージをスマホに打ち込む。

 あて先は、名刺入れを届けた縁で知り合った菅だ。

 どことなく頼りなげで、でも優しくてちゃんと大人で、進路で迷っている時もいろいろ話を聞いてくれた。

 だから、メッセージを打ち込むだけで、なんとなく聞いてもらえてるような気がして、一種の気分転換で打ち込んでいた。

 当然、実際には送らない。

 受験勉強に行き詰って零れ落ちた、バカみたいな泣き言だ。

「もう少し、がんばろ……っくしゅん」

 小さく声に出して、気持ちを切り替えたところでくしゃみ。

 風邪をひく前に寝るべきだろうか。

 でも予定のところまでは進めてしまいたい。

 とりあえず愚痴メッセージを消そうとスマホに目を落とす。

「うそ」

 消すべきメッセージは送信済みで、それもすでに既読マークがついている。

 くしゃみしたときに触ったのか? そんなベタなことする?

『間違い。何でもないから、無視して』

 急いで打って、送信ボタンを押す直前にメッセージが届く。

『そういうこと、あるよねぇ。とりあえず、今日はもう寝ちゃって、気持ちリセットした方が良いかも。寝不足大敵』

 唐突な愚痴メールにやさしい返信。

 情けないような柔らかい菅さんの笑顔が浮かぶ。

『送り間違えました、ごめんなさい。でも、ありがとうございます。おススメに従って寝ることにします』

 文章を修正して、布団に潜り込む猫のスタンプを追撃で送っておいた。



「志緒ちゃん」

 塾帰りにいつも寄るコンビニから出たところで、声をかけられる。

「菅さん」

 会社が近く、よく寄るらしい菅とは月に何度かはここで偶然会う。

 でも残念。今日はすれ違いだ。

「? コンビニ行かなくていいの?」

「うん。今日は良い」

 そのまま向きを変えた菅さんは並んで歩きだす。

「あ、この間は、あんな時間にごめんなさい」

「いつでもどうぞ。寝てると気づかないから、返事は遅いかもだけどねぇ」

 あんなメッセージ送ったから、気にして一緒に帰ってくれてるのかな。

「ん。でもあと少しだから」

 どこにも引っかからなかったら、来年まで続くけど。そうならないことを祈りたい。

「じゃ、これは応援の気持ち」

 駅に着いたところで、菅さんが持っていた小さな紙袋を渡してくれる。

 ブラウンのしっかりした紙質の袋には白字で【l’automne】と書いてある。読み方も意味も分からない。

 何のお店のだろう。

 「大丈夫、変なものじゃないよ。チョコレート。勉強の息抜きにでも食べて」

 しげしげと眺めていたのを不審がっていると思ったのか、菅さんは付け足す。

「チョコ」

 好きだから、うれしいけど。でもなんか高そうな感じなんだけど、袋からして。もらっちゃって良いの?

「わかってる。こんな時季に渡すのは微妙だって。他意はないよ。本当に。同僚が以前貰っておいしかったって言ってた店の近くをちょうど通ったから……ショーケースがバレンタイン向けになってて気が付いたんだよ」

 バレンタインが近いとか気にしてなかったけど、相変わらず余分なことを暴露して自分の首を絞めていく人だなぁ。

「あぁ、すごーく呆れた目で見てるね?」

「そんなことナイよ。ホントだよ」

 わざとウソっぽく聞こえるように答えてみせると、菅さんは情けなくみえる笑みをこぼした。

 いいなぁ。ほっとする。

「追い込みも大事だけど、ここまで来たら体調管理が大事だから、無理しすぎないで、睡眠時間削りすぎないように、風邪ひかないように、って、寒い中、引き留めてるのおれだな」

「ううん。うれしいかった。ありがとう。チョコも」

 気遣ってもらえたことが、何よりも。

「愚痴りたくなったら、いつでも連絡して」

 菅さんはスマホをこちらに見せる。

「うん。……あの、さ。握手していい?」

「?」

 不思議そうにしながらも差し出してくれた手を握る。

 以前もこんな風に握手してもらった。

「がんばる。ありがとう、菅さん」

「応援してる。じゃ、おやすみ」

 駅の改札で別れる。

 一人電車を待つ間、チョコの袋を眺める。

 他意がないのを、残念に思った。ほんの少し。



 自分の部屋で、そっと開けた箱の中にはつやつやのチョコレートが並んでいた。

 ちょっと食べるのがもったいない気分だ。

 しばらく眺めて、スマホで写真を撮る。

 食べるのは、また今度にしよう。

 ふたをして、かわりに問題集を開いた。



 気持ちが沈んだ日や、疲れた日、頑張った時に大事に食べていたチョコレートは気が付けば残り一個になっていた。

 とうとう本命の大学の入試日。

 いくつかの学校の合格はもらえているから、浪人はしないで済む。けれど、どうせなら。

 本当のところは、どうしてもこの学校が良いという熱量はないのだけれど、それでも、ここまで頑張ってきたのだから。

 残していた最後の一個を口にする。

 ベリー系の甘酸っぱい風味が口に広がる。

 うん。おいしい。

「行ってきます」

 空っぽになってしまった箱にふたをして、しまう。

 がんばろう。



 ※


『第一志望の試験、終わりました。チョコレートのおかげで乗り切れました。ありがとうございました』

 二十一時過ぎ。

 帰宅途中に入ってきたラインに、少し頬が緩む。

 仕事が終わった頃合いを見計らって入れてくれたのだろう。チョコレートのことまで含めて連絡をくれるその律義さが微笑ましい。

 なんていうか、妹とかいたらこんな感じかなぁ、みたいな。

『結果が出るまで落ち着かないと思うけれど、とりあえずゆっくりしてね』

 メッセージに続けて【おつかれさま!】とクマのイラストがねぎらっているスタンプを送る。

 ほどなく、深々とお辞儀をする黒猫のスタンプが返ってくる。

 かわいい。

 志緒はどちらかというと、愛想がない方だと思う。初めて会ったときは「おっさん」呼びしてきてたし、態度もどことなくつっけんどんだった。

 その割には落とした名刺入れを追いかけて届けてくれるほどに親切で、面倒見が良かったりもするのだけれど。

 その面倒見の良さの流れで交換した連絡先は用件が済んだ後は使われることはなかった。

 それなのにひと月前、そろそろ寝ようかと思っていたところに唐突にメッセージが届いた。

 ずいぶん独り言めいていたから、本当は送信するつもりはなかったのかもしれない。

 けれど、しがらみのない、顔見知り程度のおっさん相手だからこそ、零せた愚痴なのかもしれない。

 でも、ありきたりで当たり障りのない返答しかできず、いい大人なのに少々かなり申し訳なく、情けなかった。

 そんな残念な大人に対してきちんとフォローしてお礼の返事をしてくれた。しっかり者だ。

 妹みたいに思ってたけど、実のところ志緒から弟みたいに思われているかもしれない。あんまり年上扱いをされていないというか、ちょくちょく残念なものを見る目をされているような。

 だから名誉挽回、というわけでもないけれど、ちょうど同僚から教えてもらったお店で買ったチョコを渡してみた。

 わざわざ連絡するほどでもないので、偶然会えた時にと持ち歩いていたのだけれど、三日程度で渡せたのは良かった。

 ただ、またちょっと呆れた顔をされたけれど。それもまぁ、息抜きになっていたのではないかと思いたい……。



「志緒ちゃん?」

 改札横で小さく手を振る姿を見つけてあわてて近づく。

「どうしたの、こんな時間に」

 九時半過ぎ。

 ものすごく遅いというわけではないけれど、女子高生がひとりで用もないのに出歩く時間ではないと思う。

 この時季、さすがに塾ってことはないだろう。そうだよ、受験は終わったって連絡が来ていた。だから、この駅に来る用事はないはずだ。

「菅さん、お疲れさま」

 はにかんだ笑み。

 困ったことがあった、とかではなさそうかな。表情見ると。

「うん。で、どうしたの」

「え、と。合格しました」

「おめでとう!」

 ちょっと躊躇いがちだから、何かと思ったら。

 喜ばしい。がんばっていたから、本当に良かった。

 志緒はちょっと照れたようにうつむく。

「ありがと。で、これ、お礼。チョコもらったし、励ましてもらったし、ホワイトデーだし、ちょうど」

 押し付けるように渡された紙袋を受け取る。

「たぶん、大丈夫だと思う、けど。おいしくなかったら、ごめんなさい」

 袋の感じからそうかなと思ってはいたけれど、やっぱり手作りらしい。

「ありがとう。気にしなくて良かったのに。でも、うれしいな。……だけど、さ。せっかくライン知ってるんだから、こういう時は連絡入れてよ。そうすれば待たせずに済んだし」

 出先から直帰してしまうこともあるから会えない可能性だってある。

「仕事の邪魔に、なるのは嫌だから」

「そのくらい邪魔にならない。無理な時は断るし。黙って待たれてるかと思うと心配で気が気じゃないよ」

 まぁ、今日が特別で今後はそんなこともないだろうけれど。

 あぁ、でも。

「そうだ。合格祝い、何か欲しいものある?」

 そんなに高価なものはあげられないけれど、志緒ならそんな無茶なことは言い出さないだろう。どちらかというと遠慮される心配をした方が良いかもしれない。

「別に、そんなの……あ」

「あ? 何か思いついた?」

 視線をさまよわせ、そしてまっすぐこちらを見る。

「菅さん、握手してください」

 それは合格祝いになるのか?

 良く解らないまま手を出すと握り返される。

「志緒ちゃん、握手好きだねぇ」

「好きです」

 いや、そんな真面目に答えなくても。




 ※



 これ、欠片も伝わってないって一瞬で理解できた。

 まぁ、半分以上はそうなるだろうと思っていた。言ったタイミングも悪かったし。

 菅がそういう対象として見ていないのはわかりきっていた。今までの態度の端々から子ども扱いが見てとれたし。

 それでもちょっと結構かなり頑張って口にした告白だっただけに、溜息がこぼれる。

「遅くまで待たせてごめんね」

 溜息を疲れたせいだとでも思ったのだろう。気遣うように。解散しようとする口ぶりだ。

 ここで仕切りなおす気力がないのも確かだ。

「別に。私が来たくて来ただけだから。……また、ラインしても良い?」

 塾がなくなったから、もうこの駅を使うことはないだろう。そうすると偶然会うことさえできなくなる。

「もちろん。合格祝いのリクエストも待ってる」

「ありがと。じゃ、また」

「気を付けて帰ってね」

 つないでいた手を離すと、菅さんは笑いながらその手を小さく振ってくれた。

 


『花見、行きませんか? 合格祝い、屋台食べ放題が良いです』

 合格祝いを持ち出せば、断りにくいだろうという計算の上、ラインを入れる。

 一時間ほど後に『了解!』の返事が来て、日時、待ち合わせ場所を打ち合わせた。



 満開には少し早いけれど、それでも屋台が並ぶ公園には花見客がひしめいていてにぎやかだった。

 たこ焼き、フランクフルト、イカ焼き、牛串、ポテト等と飲み物を買って、人気の少ない河川敷に向かう。

 桜はちょっと遠いけれど、落ち着いて静かに眺められる穴場だ。

「こういう健全な花見もいいねぇ」

「ビール、飲んでも良かったのに」

 空を仰ぎ見る隣の菅さんに声をかける。

「大丈夫。最近、ちょっと飲みすぎだから。さて、あったかいうちに食べよう」

 買ったものを広げて、並んで座る。

「菅さん、……好きです」

 たこ焼きの最後の一つを食べおえ、こちらを見て首すこしを傾げた菅さんに告げる。

 目を丸くする。

 うん。さすがに今度は伝わったな。

「え、ちょっと待って」

「付き合ってほしいとかじゃなくて。菅さんからしたら、私なんか子供だろうし」

 今はまだ。

「エイプリルフール?」

「まだ三月。ウソや冗談でこんなこと言わない」

「ごめん。びっくりしすぎた。うん。気持ちはありがとう。でも」

 まっすぐに、向き合ってくれる。その言葉を遮る。

「言いたいことは分かってるつもり。とりあえず、知り合い以上友達未満くらいで、連絡したり、たまに会ってもらえたり……だめ?」

 菅はやさしいから、たぶん断らないだろう。

 ほら、案の定。少し困ったような笑顔でうなずく。

「普通に友達で良いと思うんだけどね、そこは」



 ※


 冗談にしてはあまりにもまじめすぎる表情で、だからといって言葉通りに受け取るには衝撃的過ぎた。

 三十越えたおっさんにかわいらしい女子高生が告白してくるって、普通にやばい妄想でしかないだろう。

 だいたい志緒の継父は自分より年下だったはずだ。自分より年上のおっさんとかわいがってる娘が付き合ったりしたら卒倒するだろ。

 それより、なにより、自身が志緒のことをそういう対象として見ていない。

 伝えようとしたその言葉は遮られ、「知人以上友人未満」なんていじらしいことを言われてしまうと、もううなずくしかない。

 少しほっとしたように、どこか嬉しそうにはにかむ志緒が微笑ましくて、水を差すようなことを口にするのは申し訳ないけれど、有耶無耶にしておきたくはない。

「志緒ちゃんの告白を軽く見てるわけじゃない。ちゃんと本気だってわかった上で言うね。一度告白したからって、ずっと同じ気持ちでいなきゃいけないわけじゃないから。好きだなって思う人ができた時はおれのことを気にしないで進んでね」

 大学生になれば交友関係も広がる。良い出会いも山のようにあるだろう。その時に妙な責任感で留まって欲しくない。

 志緒はほんのわずかに不満そうな表情をしたあと溜息をつく。

「そのまま返す。菅さんも私の告白気にしなくて良いですから。ほかの人とお付き合いや結婚したって。変な義理立てされてもうれしくないですから」

 物分かりが良いというか、気遣いが過ぎるだろう。どっちが大人なんだかわからない。

「了解しました」



 ※


 やさしくて、でも甘くはないなぁと思う。

 菅以外の他の人を見つけろと言われたも同然の言葉だった。

 言い返したのは意地だ。せめて対等なふりをしたかった。

 まぁ、いつもの少し情けないような柔らかな笑顔が返ってきたので、良しとする。

「菅さん、ここってね。いっちゃんがお母さんに告白した場所なんだよ」

 そしてその一年後プロポーズした場所。

 同じようにうまくいくなんて思ってないけれど、それでも少しでもあやかりたくて、この場所を選んだ。

「……それ、おれが聞いていいやつなのかなぁ?」

 気にするとこ、そこ?

 良いけど、別に。頑張るだけだし。

「菅さん」

「?」

 手を出すと当たり前みたいに握手をしてくれる。

「今日は、ありがとう」

 好きだなぁのかわりに伝えた。


                                   【終】

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