第九歩 デート1

 7


 空気が変わった。

 鼻の奥を吐く冷気はアクセルにいた時とは比較にならない。

 楽し気な歓声が反響している事から、ここが人々で繁華しているのが伺える。

 すっと、あたしはゆっくりと眼を開いた。


「わあー!」


 映り込んできたのは一面の白銀世界。

 立ち並ぶ建造物には満遍なく雪が積もっており、隙間から覗く原色との色合いが何とも風情を感じさせる。

 街を囲うように聳える峻嶺もしっかり白化粧されており、さながら芸術品の様だ。

 混じり気無しの空の蒼さも相まって地上の白さが殊更美しい。

 久方ぶりの佳景にすっかり恍惚としたあたしはこの感動を共有したくて、隣にいるカズマ君の方へ振り向いた。

「すごく綺麗な場所だよね、カズマく」

「さぶうううううっ! なにこれ寒い冗談抜きで寒いめっちゃ寒い! 死ぬ、このままだと確実に凍え死ぬうううっ‼」

 どうやらそれどころではないらしい。

 壮観な風景など見向きもせず、カズマ君は自分の身体を抱え込みぶるぶると震えあがっていた。

「人が感慨に耽ってるのにそんな情けない声出さないでよ、雰囲気台無しじゃん」

「しししょうがねえだろ、こちとら半端なく寒いんだよ命の危機に周りなんぞ配慮してられるか! てかなんなんだよこの寒さ、サムイドーに寒波が来た時だってここまで気温下らなかったぞ!」

 苦言を呈すも意に返す余裕などまるでないらしく、歯をガチガチ言わせながら身を縮こまらせるカズマ君。

 この程度の寒さで音を上げるとか、逆に今までその格好でよく耐えてきたものだ。

「当たり前だよ。今は一年で最も寒い時分、おまけにここは極寒気候に区分される地域なんだから。これでもまだ暖かい方だよ」

「そんな大事な事はもっと早く言えよおおっ!」

 泣き叫んだ傍から涙を凍らせるカズマ君だけど、あたしはちゃんと厚着してくるようにと伝えたはずだ。

 マイナス二十度を下回る時もざらにあるとは言ってなかったかもしれないけど。

「しょうがないな、それじゃあ島を回る前にキミの服を買いに行こうか。ここから歩いて五分ぐらいの所に商業区があったはずだから、適当な服屋に入ろうよ」

「ぜぜぜぜひ頼ぶぶぶ!」

 一歩踏み出したところでふと、とある小説の一場面が頭を過る。

 あたしはすっと視線を落とし……。

「どどどうしたんだよクリス、ははやく向かってく……⁉」

「……急に黙らないでよ」

「い、いや⁉ おまおまえ、これ、これって……⁉」

 絡まった腕を見たカズマ君が顔を上気させているが人の事を言えない。

 あたしも耳まで真っ赤になってる自信がある。

「ほ、ほらっ、早く行くよ! そのままだとキミが氷像になりそうだからね!」

「そそ、そうだな俺が凍っちまったら色々と危ないもんな早く行こうじゃないか‼」

 クイッと腕を誘引されカズマ君が上擦った声で捲し立てる。

 さり気なく彼の表情を確認して。

 どこかソワソワした態度の彼に、くすっと笑ってしまった――


 氷雪の島アンドール。

 ベルゼルグ王国がある大陸の最北端に位置するこの諸島は大小二つの島から構成されており、それらが囲繞する事で中心部には湾が形成されている。

 丘陵な小島に対し大島は、北上する毎に険阻となる山岳地帯が大半を占め、標高は六百メートルにも及ぶ。

 過酷な気候と地形から、ほんの一世紀前までは外部とほとんど交易がなく、原住民だけが慎ましやかに自給自足の生活を送っていたそうだが。

 この地を訪れた、とある高名な学者が発表した論文により、この地は自然の恵み、特に水産物が非常に豊富だという事が発覚する。

 また希少種も多く生息しており、自然的価値も非常に高いのだとか。

 実際、この諸島の大自然は非常に美しく、論文が発表されて以来訪問者が後を絶たず。

 自然破壊を恐れた周辺諸国が急遽、この地を自然保護区へと認定。

 十数年前に漸く、自然との親和性の高い生活基盤が確立されたそうな。


「――そんなこんなで、今では世界中で大人気の観光地になった訳さ。特に、この時期は一年の中で最も美しさが際立つと評判でね、各地から大勢の観光客が訪れるんだよ。あっ、これなんてどう?」

「へー、たった百年やそこらでここまで発展するもんなんだな。ちょっとそれは派手過ぎないか? 俺としてはこれぐらい落ち着いた感じがいいんだけど」

 服選びに注力しながら、あたしはこの諸島の成り立ちや蘊蓄を語ってあげていた。

「それはちょっと嵩張り過ぎでしょ。仮にも冒険者なんだからもうちょっと身軽な方が絶対良いって。それじゃあ……おっ、これならいいんじゃない?」

 ハンガーラックから選び出した一着のコートをカズマ君に突き出した。

 厚手の皮で作られた深緑色のコートで、派手過ぎず地味すぎず、シンプルなデザインでありながら気品までもが溢れ出ている。

 機能性もバッチリだ。

「おおっ、結構格好いいじゃんか。ちょっと貸してくれよ」

 コートを受け取ったカズマ君は、いそいそとそれを着こみ、

「どうだ? なかなか決まっているとは思わないかい?」

 キメポーズのつもりなのか、顎に手を当てて右目を瞑ったカズマ君が尋ねて来た。

 自信満々でいる彼にあたしは、

「うん、いいんじゃないかな。すっごい似合ってるよ」

「えっ⁉ あっ……お、おう、ありがと……」

 あたしが素直に褒めるのが意外だったのか、カズマ君はすっと視線を外し。

「よ、よしっ、それじゃあサクッと買って出掛けるとするか!」

 ワザとらしく声を上げて受付へと足早に歩いて行った。

 その背中を見送ったあたしは頬の傷をポリポリと引っ搔く。

 やっぱり素直に褒めるのは慣れないな、どうしてもむず痒さが残ってしまう。

 でもこうして気持ちを伝える感覚も、悪くない……かな。

 ぼんやり考えながら足が絡まらないよう注意して、会計をしているカズマ君の後をゆっくりと追いかけた。

「どう、無事に買えた?」

「ひゃっ⁉ あ、ああ、支払いは終わったぞ。結構いい素材使ってるらしいから値は張ったけどな。そう言うクリスは何も買わなくていいのか? これ選ぶの手伝ってもらったし、なんか欲しい物があるなら俺が払うぞ」

 へー、自主的にプレゼントしようだなんて漢気を見せてくれるじゃないか。

「あたしは準備万端で来たから特にないかな、気持ちだけ受け取っておくよ」

「そ、そうか、別に遠慮しなくていいんだぞ。なんせ俺は魔王をも倒したカズマさんだからな、高級品でも問題ないぜ」

 それは口に出さない方がポイント高いと思うんだけどなあ。

 まあ、それがカズマ君だからね。

 少し残念そうな顔をするカズマ君にあたしが苦笑していた、その時だった。

「あの、お譲さん。失礼ですが貴方のお名前はクリスと仰るのですか?」

「えっ? ああ、はい。確かにあたしの名前はクリスですが」

 突然の気品ある受付のお爺さんからの質問に戸惑いつつも肯定する。

 するとお爺さんは眼を大きく開き、

「そうですか、急に話しかけて申し訳ありませんでした。良いお名前をお持ちですね」

 随所に小皺のある顔を和やかに綻ばせた。

 お爺さんの言葉にあたしは、後ろで手を組んで小さくはにかみ。

「はい。私もこの名前をとっても気に入っているんです」

 今の感想をどう受け取ったのだろうか。

 お爺さんは朗らかにうんうんと何度も頷いてくれた。

「さっきから何の話をしてるんだ? クリスって名前がどうかしたのか?」

 と、お爺さんとあたしの顔を行ったり来たりしていたカズマ君がおずおずと声を上げた。

「おや、ご存じないのですか? クリスと言えば……」

 っ‼

「あああああのあのお爺さん! それ以上はちょっとその……この場では…………」

「どうしたクリス、店内で急に叫びだすとかウチのメンツと同列扱いされるぞ」

「ご、ごめん。で、でも、その……」

 煮え切らないあたしの反応にカズマ君は益々怪訝な顔をする。

 だが対照的に、お爺さんはあたしの意図を理解したようで。

「これは失礼致しました、年を重ねると口が軽くなっていけませんね。そうだ、宜しければこちらをお持ちください」

 何か思いついたらしいお爺さんはカウンターから二枚のチケットを引き抜いた。

 手渡された券を確認してみると、そこには『ホテルグロラッツ 招待券』という紫色の文字が……って、ホテルグロラッツ⁉

「い、いいんですか⁉ これってとても貴重な物ですよね?」

 動揺を隠し切れず、あたしは思わず前のめりになった。

「ええ、勿論です。寧ろ貴方様の様な方にこそ、そちらのチケットを受け取って頂きたいのですよ、クリス様」

 そう言ってお爺さんは品のある相好を崩した。

 …………。

 これが年の劫と言う奴なのだろうか。

 あたしの事など全て見透かしていると言わんばかりのその物言いに、あたしは何も言えなくなってしまった。

 ……参ったな、ここまで言われたら断る方が失礼に値するよね。

「分かりました。それじゃあご厚意に甘えて、これは大切に使わせて頂きます」

 どこまでも心優しいこの店の店主に、あたしは神妙な趣で深々と頭を下げた。

「それじゃあ、そろそろいこっか。この街には見所がたっくさんあるんだからね!」

「あっ、ちょっと待ってくれ。なあ、爺ちゃん。この店ってゴミ箱置いてないのか?」

 ゴミ箱って……まさか。

「もしかして、その服捨てちゃうの?」

「ん? ああ、持って帰るには嵩張るし、どうせもう着ないだろから捨てていこうかと思ってるけど」

「そんなの駄目だよ!!」

「うおっ⁉ な、何だよ、何が駄目なんだ?」

 困惑するカズマ君に向き直り、あたしは両手を腰に当て諭すように語り掛けた。

「そりゃあ、服は何時か捨てなきゃいけない物だって分かってるよ。でもさあ、それってキミがこっちに来てからずっと一緒にいる服なんでしょう? だったら、こんな突発的な状況で捨てたりしちゃダメだよ、無機物にだって魂は宿る物なんだからね」

「物を捨てられないかーちゃんかよ」

 間髪入れずに余計な事を言ってきたカズマ君は、しかしうーんと小さく唸り、

「まっ、俺だってこれとはかれこれ一年以上の付き合いだし、なんだかんだで愛着だって湧いてるしな、捨てるのは止めとくよ。でも、だったらこれどうすればいいんだ? 一泊分の服と装備が幾つか入るぐらいのカバンしか持って来てないから持ち運べないぞ」

「えっ⁉ え、ええっと、それは……」

 そこまで考えてなかった。

 あたしが口をパクパクさせるも言葉が続けられないでいたその時。

「カズマ様と仰いましたね。差し支えなければ私の方でお預かり致しましょうか?」

 ずっとあたし達の話を聞いていたお爺さんがそんな提案をしてくれた。

「いいんですか? ここは荷物の預かり場では決してないと思うんですけど」

「お話から推察しますに、お二人の滞在期間は明日までなのでしょう? 一夜ぐらいのお預かりでしたら問題御座いませんよ」

 あたしとカズマ君はすっと顔を見合わせ、

「だったらお願いするよ。明日帰る前にここへ寄らせてもらうって事でいいか?」

「気を遣わせてしまってごめんなさい、よろしくお願いします」

 お爺さんの寛大な心遣いに甘える事にした。

 カズマ君から服を受け取ったお爺さんは嫌な顔一つ見せず。

「承りました。我々服の取り扱いを生業とする者の一人として、なるべく修復不能となるまでは着用して欲しいと願っておりますのでお気になさらないで下さい」

 本当にご立派な紳士だ。

 このような人が世界中に溢れるよう、あたしももっと頑張らなければ。

「それじゃあ、今度こそいってみようか。この街には何度も来てるからね、案内なら任せといて、助手君!」

「期待してますよ、お頭。それじゃあ爺ちゃん、また明日」

「ご来店をお待ちしております。あなた方の旅が良き思い出となりますように」

 出入口まで見送りに来てくれたお爺さんはそう言って、胸の前で十字に指を切った――


 8


 しゃがんでスピンからの緩やかカーブ。

 エッジを素早く切替えスピン、リープ。

 時に素早く、時にゆったり。

 手だけでなく全身を滑らかに魅せながら細やかなステップを連続で踏んでいく。

 体を逸らしたら足を替えてターン、ターン。

 最後は前向きに踏み出して三回転ジャンプ!

「っと! やったあ、成功だ!」

 無事に着地して満足のいったあたしはすいーッと氷上を滑り。

「どう? あたしの演技もなかなかの物じゃない?」

 呆然と立ち尽くしていたカズマ君にちょっと自慢げに話しかけた。

「…………」

 あれ、えらく反応が薄いな。

「ちょっと助手君、ちゃんと聞いてる? 助手くーん!」

「はっ⁉ ああ、すまん。クリスの動きがあまりに華麗だったからつい見惚れてた」

「お、おう、そうかい……」

 こんなに真っ直ぐ褒めらるとそれはそれでむず痒い。

「あれ、お頭照れるんですか? 照れてるんですね。まったく、やっぱお頭は可愛いな、俺と付き合いませんか?」

 ッ⁉!!?

「……ほ、ほほう、だったら折角の機会だし、もっと賛辞を贈ってもらおうかな!」

 そう切替えされるとは夢にも思わなかったのか、カズマ君のにやついた表情がピシッと凍る。

「え、えっと……動きがしなやかで華があるって言うか、ちょっと動くだけですぐ魅了されるって言うか、シンプルに滅茶苦茶上手いっていうかこれぞ女神様って言うか……すいません、この辺りで勘弁して下さい心臓が破裂しそうです」

「そそそうだね、ま、まあ、それで及第点としといてあげるよ!」

 面と向かって言ってる内に恥ずかしくなってきたのか、みるみる顔を赤く火照らせていくカズマ君。

 自分から仕掛けておいて自滅するだなんて、お可愛い事。

 ……って言ってやりたかったのだが、あたしも同じぐらい赤くなってる自覚があるのであまり強く言い出せない。

「…………」

「…………」

 会話が続かない。

 やっぱり不慣れな事するんじゃなかったかな。

 いずれにしろこのままじゃあたしの身体が持たないよ。

「そ、そう言えば、さっきから凄い人の数だね! キミが売り出してからそんなに日は経ってないって言うのにさ!」

 海底に繋がる洞窟の玄関口である、海に面した大公園の氷上広場。

 そこでおよそ二百組ほどの人達が各々スケートを楽しんでいた。

「っ! い、いやーほんとにな。俺も作った当初はここまで広まるなんて考えもしなかったわ。知的財産権として売っちまったからもう俺の下に金は入らないけど、こうして多くの人に楽しんでもらえるのは嬉しいもんだな」

「その実態は日本にあるアイデアをマルパクリしてるだけだけどね」

 意地悪く突っ込んだあたしに、カズマ君は口篭もりバツの悪そうな顔を浮かべた。

「い、いいじゃないですか、どうせ他の日本人は商売だなんて面倒な仕事はやらないんすから。それに、この世界に変革をもたらしたって意味じゃ大発明って呼んでも何ら問題ないはずですよ!」

「物は言いようだね。ほんと、キミの口の回り具合には恐れ入るよ」

「お褒めに預かり光栄です」

 ジッと見つめ合い、あたし達は同時に声を上げて笑った。

 これでさっきまでのむず痒い雰囲気は随分ほぐれたかな。

 ちょっと勿体ない気もするが、折角二人っきりで遊びに来ているのだ。

 何時までもギクシャクしていたんじゃ楽しめないもんね。

「それじゃあ、もう一滑りしてこようかな。キミも一緒に滑ろうよ」

「俺はいいよ。クリスが滑るの観てる方が楽しいし」

 投げ槍に言うカズマ君だったが、気にせずあたしは彼に手を伸ばした。

「そんなつれない事言わないで、キミってばまだ全然滑ってないじゃん。折角のデ……デート……なんだから、さ。キミとも一緒に滑りたいなーっと思って」

 さらって言えるかと思ったが結局口篭もってしまった。

 めぐみんはどうしてあんな恥ずかしげもなく堂々と言えるのだろう。

 でも彼の事だ、こんな風に誘えばきっと付き合ってくれ……。

「いやほんと、俺はいいから」

 あれ⁉

「ちょっ、なんで断るの? 普通今のは付き合ってくれる流れだよねテンプレってやつだよね⁉」

 予想外にも拒絶され少なくないショックを受けたあたしは、若干涙目になりながらカズマ君に詰め寄った。

「いや、クリスが嫌とかそういうんじゃなくてだな……その……俺、スケートがちょっと苦手なんだよ。だからクリスみたいに上手い人の横だとハードル高いなあと言うかなんと言うか……」

 …………なっ、

「何だそんな事か。心配しなくても、あたしは全然気にしないよ」

「クリスは良くても俺が気にするんだよ! ここだと周りの眼もあるし、あんまり無様を晒したくないんだ」

 まさかカズマ君が周囲の視線を気にするだなんて。

 誰彼構わず公衆の面前でスティールを使ってきた鬼畜のカズマの異名は何処に行ったのだろう。

「そう言わずにちょっとだけやってみようよ。ほら、あたしが引っ張ってあげるから」

 反論される前にあたしは彼の手を取り滑り出し……。


「ちょっバカ! だから俺はいいってうげっ!」

「ひゃあああっ!」


 カズマ君が盛大につんのめり、当然手を繋いでいたあたしも連動して尻餅をついた。

「……ねえ、もしかしてキミって」

 打ち付けたお尻を摩る横で、未だに突っ伏したままだったカズマ君は、

「だから言っただろ俺はいいって。ああ、そうだよ、俺は氷の上に立つのがやっとなド素人ですよ、それの何が悪い! スケートぐらい出来なくたって死なないし誰にも迷惑掛かんないだろうがっ! 笑いたきゃ笑え‼」

 一転回り開き直ったのか、氷の上で胡坐をかき助手君が喚き始めた。

 悪いも何も、特に責めるつもりはなかったんだけど。

 どっちかって言うとそうして喚いている方が見てて哀れだ。

「笑わないよ。何かに真剣に取り組んでる人を馬鹿になんか絶対しないって」

 のろのろと立ち上がったあたしは中腰になって片手を差し伸べた。

「だからさ、やってみようって気持ちを抑える必要は全くないんだよ。キミが望むなら、滑れるようになるまであたしが傍で支えるからさ。ね?」

 カズマ君は横を向いたまま、あたしの顔と手を視線だけで何度も往復し、

「まあ、他ならぬお頭がそこまで言ってくれてるんだし、もうちょっとだけやる気出すか」

「キミって、本当にひねくれてるね」

 苦笑を浮かべるあたしの前でカズマ君は、転ばない様に細心の注意を払いながら腕を前でクロスさせストレッチを始める。

「うっし、それじゃあお頭、ご教授ご鞭撻の程よろしくお願いします」

「はい、任されました。んじゃ初めはあたしが手を引いてあげ」

「それは流石にはずいからやめてください!」

 手を掴む前にカズマ君が綺麗な姿勢で頭を下げて来た。


 9


 ライネ商店街。

 諸島のメインストリートにして、アンドールでも指折りの観光名所だ。

 この一帯には出店が所狭しと隣接しており、この島特有の料理や装飾品などが来る者の眼を引き足を止めさせる。

 そんな通りの一角で、威勢のいい声が響いていた。

「さあ、よってらっしゃい、みてらっしゃい! この時期この島でしか獲れない極上物の解体ショーが始まるよ‼ これが本日最後の公演だよ!」

 呼び込みが始まって三分。

 ついさっきまで人がまばらだった路上は、今では大勢の人々で溢れかえっていた。

 その出来映えに人知れずほくそ笑む。

 猶更気合が入ったところで、羽織っていた法被をバサッと翻しメガホンを握り絞めた。


「それじゃあ、極楽鮭の解体いってみよう!」

「「「「「おおおおおおおおっ‼」」」」」


 あたしの開催の辞に見物客が歓声を上げた――!


「――いやー、助かったよクリスの嬢ちゃん。売り子が足を挫いた時はどうなるかと思ったが、無事に終わって良かった」

「いえいえ、困った時はお互い様ですから。それじゃあ、あたし達はこれで。このお土産ありがとうございます」

「おう、また来てくれよな嬢ちゃん!」

 見送ってくれた魚屋のおじさんに手を振り返し。

 道を折れた所であたしは手を組みグーっと伸びをした。

「いやー、いい仕事したね助手君!」

 疲弊を感じる喉を摩りながら気分よく後ろを振り返ったのだが。

「だからってなにも今日やらなくてもよかったんじゃないですかね?」

 すかさず溜息混じりで呆れ顔をするカズマ君。

「ご、ごめん。でも、おじさんが困ってるのを観たら放っておけなくて」

「んじゃ聞きますけど、俺達はここに何をしに来てるんでしたっけ? ほら、言って下さいよお頭。俺達は何の目的でここに来たんでしたか?」

 そ、それは……。

「で……デートの為、です」

「そう、デート。俺達はデートに来てるんですよ! デートってあれですよね? 男女がお互いに寄り添って『あれ綺麗だね』って微笑み合ったり、一緒にテーマパークとかで遊んで『次はどのアトラクションに乗ろうか』って計画を立てたり、食事時にはあーんをしあって『美味しいね』って言い合ったり、そういう事を言うんですよね。一体、何処の世界にデート中に店の手伝いを始める人がいるんですか⁉」

「本当にごめんなさい! あと、あんまりデートデートって連呼しないでくれるかな?」

 改めて言われるとやっぱり恥ずかしいのだ。

 なんだか周囲の人の眼差しが妙に温かくなってる気がするし。

 だが、彼の言い分も理解出来る。

 あたしだってカズマ君が旅先に着くなり宿屋で休みたいとか、ソファーでゲームしたいとか言い出したら、文句の一つでも言うだろう。

「ねえ、やっぱり怒ってる?」

 半歩後ろを付いてくるカズマ君にあたしはおずおずと視線を流す。

 と、カズマ君は拗ねた表情をにっと弛緩させた。

「怒ってないよ、困ってる人がいたら見過ごせないお人好しなところもお頭の美徳ですからね。それに俺も、久しぶりに販売員のバイトやってたら昔の事を思い出してなんだかんだ楽しかったからな。おまけに新しいマーケティング市場も広がった訳だし」

 冗談めかして言ったカズマ君は懐かしそうに中空を見上げた。

 その横顔に嘘偽りはないように見えた。

「そう言ってもらえて気が楽になったよ」

「お頭は周りに気を遣い過ぎですよ。赤の他人ならいざ知らず、俺とお頭の仲じゃないですか。俺と一緒にいる時ぐらい気を遣わなくていいですからね」

 自分なりに格好良く決めているつもりなのか、声を低くしてキリッとした表情を作るカズマ君。

 …………。

「あんまり自覚してないのかもしれないけどさ」

 キメ顔を続けているカズマ君に、


「キミといる時ってあたし、すっごい肩の力抜いてるんだからね」


 あたしの言葉にカズマ君は数秒キョトンとして。

 途端に手をジタバタと動かし始めた。

「えっ⁉ あ、あのクリス、それって一体どういう意味? 俺は今の言葉をどう受け取ればいいんだ? そう言う意味なのか、そう言う意味で捉えればいいのか⁉ もうちょっと分かりやすく言って下さいよ!」

「さっ、お腹もすいてるし、ちょっと遅くなったけどどっかに食べに行こうか。お誂え向きに魚屋のおじさんが、ここの商店街で有効な五千エリスクーポン券をくれたしね。ここは奢らせてもらうよ」

「無視しないでくださいよ! こんな生殺し状態で放置ってそれでも女神ですか! ちゃんと人の質問には答えて下さいよ、お頭あああっ!」

 分岐点を真っすぐ歩きながら、あたしはカズマ君の咆哮を聞き流す。

 本当は人前で女神って呼ばないで欲しいのだがあたしだって学習する。

 ここで反射的に言い返したらまた変な視線を浴びる事になるのだ。

 だからこうして無視を決め込めば、次第にカズマ君の興奮も収まり周囲からの好機の視線も衰退していって……。


「お兄様、お兄様じゃありませんか!」


 清廉とした声が耳を打った。

 慌てて振り返ると、見るからに上物のロングダウンコートを羽織った少女がT字路の右の道から飛び出し、カズマ君に飛びついていた。

 その拍子に被っていたフードが取れ、煌びやかな金髪が衆目に晒される。

「アイリス⁉ 何でここにいるんだ?」

「違いますお兄様、イリスです! チリメン娘のイリスですよお兄様!」

 急な展開にあたしが呆然と立ち尽くしていると、

《嬢ちゃんが急に走り出したかと思えばブラザーじゃねえか、おっ久! あのちっぱいの嬢ちゃんとボインのチャンネーとはハッスルしてるのか? おっと、俺の美少女センサーに反応がある、しかもこの気配は……》

 続いて視界に入って来たのは、極寒の地域にも関わらず全身鎧を着た男。

 いや……。

《ビンゴ! やっぱり愛しのご主人様じゃないですか! こんな所で会えるだなんてまさに運命⁉ きっと俺とご主人様はオリハルコンの絆で結ばれてるんですね更に光栄‼》

「あ、あはは、相変わらず元気そうで何よりだよアイギス」

 王都に魔王軍が攻めてきた時にアイリスと一緒に戦ってくれたのは知っていたけど、まさか一緒に行動するぐらいに仲良くなっていたとは。

 突然の遭遇者を前に、あたしは頬をポリポリと掻くのだった。

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