心憂い天運に一縷の望みを!

バニルの弟子:ショーヘイ

プロローグ

 己の信徒を含めた全ての人間を対象に,特定の個人に寵愛を抱き,他者との明確な差別化を図った神権を所有する者は,これの神権及び権能を全面停止した後,天界追放刑に処す.


 『人法第二章第13条』より抜粋――



 天界中心部にある広壮な位相空間。

 多くの従業員が集うこの空間には大小様々な領域が存在し、中規模な物は神々の職場として提供されている。

 そんな居室の一つで、私は設えられた机と向かい合い、積み重なった書面に次々とペンを走らせていた。


 女神の仕事は多岐に渡る。

 死者の案内に自分が司る事物の管理、何故か押し付けられる先輩方の後始末など多種多様だ。

 だがこれらは氷山の一角に過ぎない。

 一日の大半を占めているのは……。

「ふー、どうにか就業時間内に収まりましたか。いつも思いますが、やはりこの世界は綻びが甚だしいですね。魂の循環なんて本当に酷いものです」

 偏に、世界に枯渇した人間の魂のやりくりに尽きる。

 魔王の軍勢や蔓延るモンスターによる悲惨な死を迎えた人を中心に、転生希望者数は右肩下がり。

 人間の魂の絶対量が、過去に類を見ない規模にまで縮小してしまったのだ。

 ちょっと前までは日本から転生してくれる人もいたのだが、最近はそれすらバッタリと途絶えている。

 このままでは人類の滅亡は必至、ひいては世界の消去も下されかねない。

 そんな事態を回避すべく、世界の情報が記載された書面と毎日睨めっこを続けているが、決定打に欠ける有様なのである。


 書き連ねた文言に不備がないかをざっと斜め読みして確認していく。

 そして問題がないと判断した私は、満足して一つ頷いた。

「よし、これで向こう数年はもってくれるでしょう。『ココさん、エリスです。書類の引き渡しをしたいので、私の部屋まで来てくれませんか?』」

『畏まりました。今からそちらに伺いますので数秒お待ち下さい』

 念話相手である、私の傍付き天使のココさんはそう答え、宣言通り数秒後には私の前に転移陣を出現させた。

「お待たせしました。そちらが書類ですね、拝見致します」

「あ、相変わらずの早さですね。日頃から言ってますが、別にそこまで急がなくてもいいんですよ?」

「とんでもございません、エリス様をお待たせするなど言語道断。寧ろ、エリス様はもっと下の者をこき使う事を覚えた方がよろしいかと」

 書類の二重チェックをしてくれているココさんのあんまりな物言いに、私は苦笑を浮かべるしかない。

 この子はとても優秀でよく仕えてくれるのだけど、ちょっと気難しいというか口が悪いというか。

 私としてはもっと大らかに取り組んで欲しいのだけれど。

「査閲が終了しました。流石はエリス様、いつも通りの完璧な仕上がりです。それではこれを提出したら私はお暇するつもりですが、他に仕事はありませんか?」

「私もやり残した仕事が済み次第上がろうと思っているので、そのまま帰ってもらって結構ですよ。あっ、でも一つお願いがありまして。明日からしばらく死者の案内を引き継いでもらえませんか? カーラ先輩には私から連絡を回しますので」

「構いませんが、また下界に降臨なさるおつもりですか? お言葉ですが、偶にはしっかりお休みを取られては? カーラ様レベルでは困りますが、エリス様も少しあの厚顔さを見習うべきです」

 天寿を全うした人を導く女神であるカーラ先輩を揶揄しつつも、どこか心配そうに進言してくれるココさん。

「大丈夫ですよ、私にとって地上での活動は気分転換にもなっていますから。それでは、後の事はお願いしますね」

「エリス様がそう仰るならいいのですが……。では失礼します」

 若干不満そうではあるがこれ以上は追及せず、ココさんはペコっとお辞儀をして光に包まれていった。

 彼女が完全に立ち去るのを見届けた私は、

「でも確かに、ちょっと根を詰めすぎちゃったかな。うーん……ぱはあーっ!」

 手を組みグーっと上に伸びをしてから、一気に脱力させた。

 思っていた以上に体力を消耗していたのか、想定よりも大きく息を吐いてしまったのが恥ずかしい。

「と、とにかく、まだ仕事は残ってるんだし、もうひと踏ん張りいってみようかな」

 と言っても、これは全然苦ではないのだけど。

 どっちかと言うと率先して請け負いたいくらいだ。

 椅子に座り直し楽な姿勢をとった私は、目を瞑って意識を集中させる。

 すると私の頭の中に、大量の情報が流れ込んできた。

「……ふふっ、営業が上手くいっているようで何よりです。……そうですか、それは大変な目に合いましたね。抗い続ける懸命なあなたにどうか一時の安らぎを。……まあ、遂に生まれたんですね、おめでとうございます! どうか、あなた達が進みゆく未来が明るいものでありますように……」

 聞こえてくるのは、信者達から届く祈りの数々。

 嬉しい事や苦しい事、楽しい事や悲しい事など内容は色々あるが、どれ一つとっても大切な思いが込められている。

 心の宿った言葉を享受するこの瞬間こそが、女神という仕事の最大の醍醐味ではないだろうか。

「――今ので最後ですね。はあ、今日も多くの皆さんが元気に生きているようでよかった。こんな暮らしがいつまでも続くように、私がもっと頑張らないといけませんね」

 決意を新たに、私はスッと椅子から立ち上がった。

「さて、今日の仕事はここまで。ある程度までは前倒しで終わらせたし、死者の案内はココさんに委任済み。これで暫くはあっちの世界でゆっくりできるかな。ダクネスも私の事を心配して祈ってくれてるし、偶には顔を見せに行かないとね」

 久方ぶりの下界訪問に胸を躍らせながら、私は職場の明かりを落とした。


 思い返すに。

 この訪問がキッカケで、私の天運は歩みを始めたのだ――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る