極彩色の許しが欲しい

位月 傘

 女は恋をすると綺麗になるのよ、とは母の言葉だった。母は家を空け戻ってくるたびにそう言った。もしかしたらある種の言い訳だったのかもしれないが、私にとっては魔法の言葉に違いなかった。


 私は綺麗なものが好きだ。左右対称、黄金比、色相環に協和音。出来ることならそれらのひとつになりたいとすら思う。だから恋をしたかった。白馬の王子様を待ちわびているようでいて、真実私が期待に胸を躍らせていたのは美しいドレスを身に纏う自分だったのだ。

 だから、罰があたったのかもしれない。中学までは目を逸らしていたそれも、高校に入ると同時になんとなく理解した。

 私は、誰かに恋ができないのだ。


「まぁー……そういうこともあるでしょ」


 そこまで話すと、てっぺんから毛先まで金色に染めた髪を揺らしながら、攻撃的にさえ感じられる釣り目の彼女はこっちを見てそう言った。


「ううん、これでも私は真面目に悩んでいるのだけれど」

「だってさぁ、出来ないならしょうがなくない?」


 有栖のあっけらかんと言い放つ音は、いつも間延びしている。それが見た目から受ける印象を少しでも軽減しようとしてのことだと知ったのはつい最近だ。

 1年以上付き合いがある中これまで知らなかったのは、彼女がそれを隠していたからではなく特別言う必要を感じていなかったからなのだろう。

 ゆるく巻かれた金髪が揺れる。いつもその様をつい子供みたいに目で追ってしまう。時代遅れだとか、反抗的だとか、色々言われているみたいだけれど、彼女が一番うつくしく見えるこの髪が好きだ。

 

「というかねぇ、別に恋をすれば自動的に美人になるってわけでもないでしょぉ」

「なんていえばいいのかな。流石に未だ妄信的に母の言葉を信じているわけではないんだけれど」

 

 例えるなら、蝶や花と聞けば美しいものを連想するようなものと言えばいいのだろうか。必ずしもそうではないと知っていながら、遥か昔に植えられた偏見はとうに芽吹いて根をはっている。

 

「……綺麗になりたいから、恋をしたいんだよね?」

「たぶん、そうなのかな」

「じゃーもー良くない?輝夜きれーじゃん。あたしは好きだけど」


 思わずまじまじと向かいの彼女の顔を見つめる。二回瞬きをしたころに、ようやくその言葉を咀嚼して飲み込めた。理解するまで時間がかかった割には、その言葉はすとんと胸のうちの、一番深いところまできれいに落っこちた。


「有栖」

「うんー?」

「わたしは恋をするなら有栖とがいい」


 有栖はぴたっと動きを止めて、それから私の方を穴が開くほど見つめてきた。一体どうしたと首を傾げてから、そういえば私は言葉が足りないのだと言われたことを思い出した。


「あなたが人間として好ましいと思う。有栖と一生一緒にいることが出来たら良いと思う」

 

 きっと私は、美しくなりたいから恋がしたかったんじゃないのだと、今になってようやく気付けた。綺麗になれば、誰かに見てもらえると信じていた。母もずっと家に居てくれるようになるのだと。だからただ、寂しかっただけなのだ。

 ひとつひとつ、心をなぞるように言葉を紡ぐ。それは間違いなく私の本心であり、こころの柔いところの一つに違いなかった。

 自分の弱さを見せることが悪いことだとは思わない。それが好意を伝えるものであればなおさらだ。だけれど、それが必ずしも相手にとって良いものであるとは限らないということも知っている。


「だからもし恋ができるなら、相手は有栖が良い」

「な、な、な……!?」

「……嫌だった?」


 有栖が好きだ。それでもこれは恋じゃない。恋になることも、きっとない。

 恋や、恋に変化する余地のない『好き』を伝えるというのは、良くないことだと感じることもあるらしい。勘違いをさせるから。

 私がたとえ何度も自分は恋をすることが無いと伝えていたとしても、勘違いをするらしい。なぜなら恋は特別なものだから。両想いになれるというのは己惚れることだから。

 有栖は止めていた息を大きく吐き出して、ずるずると机の上に顔を伏せた。数秒の沈黙ののち、彼女は頬杖をつき、眉を下げて微笑む。


「あたしがどんな気持ちなのか知ってて言ってるなら、酷いなぁーって思うよ」

「その、なんて形容すればいいのかな」


 彼女が恋と呼ばれるそれを私に向けていることを知っていた。好きということの色が違うことは、私も有栖も多分、分かっている。それでも目を逸らして親友でいたし、これはこれまでの私が望むかたちであった。


「有栖はこのままだったら、いつか私の手を放すだろう?」

 

 恋が無い私にとって、この感情は自分が持てる最大限の愛なのだ。私はあなたのいちばんでありたい。恋じゃないから誰のいちばんにも、誰かをいちばんにすることも許されないほど世界というものが厳しいのなら、私はどうやって生きていけばいいのだろう。


「私はあなたの唯一になりたい」


 有栖は相変わらず眉を下げたまま、観念したように笑っている。声音には泣き出す寸前の震えと、どうしようもない善性が滲んでいた。


「もうさぁ、あたしからすればそれが恋じゃないならなんなのー!って感じなんだけどさぁ」

 

 いっそ罵ってくれればすっぱり諦めるくらい出来る。誰にも期待しないで、常に誰かの良い友人であって、誰かの一番にすることの手伝いだってしても良い。

 間違いなく本心だ。それでも断らない相手と分かっているのではないかと詰められたら、私は否定できるだろうか。 


「もう、もうね、しょうがないからあたしの全部をあげるよ」


 この幸福もいつか破滅するのだろうか。いつかあなたと私の色が混ざり合うことはあるのだろうか。大人になったら、私のこれを子供の我儘だったと窘める有栖がいるのだろうか。

 こんなのずっと上手くいくわけじゃないなんて、私にだって分かってる。だけどこの関係を責めるひとがいるのなら、そのときは私をちゃんと恋におとしてくれ。

 

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